■イビチャ・オシムが政治家であったなら

諸般の事情により、しばらく、過去記事の再掲とさせていただきます。  

サッカー日本代表の元監督のオシム氏の言葉は、味わい深く、言語録として本にもなっている。

たまたま見つけて保存しておいた、2007年のインタビュー記事があるが、その内容が政治の世界にも通用する内容を秘めているように思うので、ここに紹介する。

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元記事はこちら

●融通無碍に攻め「走れ」(中)(2007/01/30)

 オシム監督が描く理想の選手像ははっきりしている。「学ぶことをやめない選手」である。

 「経験は確かに重要。しかしサッカーの進化は速く、昨日の経験が明日も役立つとは限らない。大事なのは学び続ける気持ち。周囲の言葉に耳を傾け、敵味方のプレーに何かを感じ、それを自分に生かせるかどうか」

 周りを見詰め、自分を見極める。これが選手としてもチームとしても、しっかりできないと「常に過大評価と過小評価に振り回されてしまう」とオシム監督は語る。
その典型例をドイツW杯での日本の敗北と、それに対するリアクションに見ることができるとも。

 「サッカーでは個人であれチームであれ、常に相手と対峙(たいじ)する。自分たちの都合だけで事は運ばず、だからこそ客観性と現実性が大切になる。負けがショックだったのか、負けに対するあまりの備えのなさがショックだったのか、冷静に考えてみないと」

 とはいえ、客観的に物事を見ることは難しい。スポーツでは特に願望が混入しやすい。
 正確に実力を測る物差しでもあればいいのだが。

 「指標がないわけではないが、サッカーというゲームの要素は非常に複合的で常に変化もする。個々の技術やスピード以外に国の伝統や文化なども含まれる。個人単位でとらえられがちな技術にしても、集団の中で生きるものでないと意味はない。選手がどれだけプロ意識を持って日々節制しているかという目に見えない尺度もある」

 「そうした諸要素をあらわにするために試合を多くやることは大事。そこである程度の結果が出るからだが、目に見えない成果を測るのも重要なこと。あらゆる可能性を考慮し、備える努力を怠らないのが監督という仕事の本質だと思う」

 知見に客観性、現実性を保つには複数の視点が必要だろう。

 「もちろん。組織の中には『当番警察官』がね。私の言うことに『分かった』といいながら『しかし』といえる人間が。残念なことに今はその係も私がやっているが」

 客観性を損ねるのにメディアが一役買っている可能性もある。

 「私は自分の内部で行う作業のすべてを外部、特にメディアに話そうとは思わない。なぜならメディアは自分たちが信じたいと思うことだけを信じて報道しがちだから。客観性と現実性に即するほどに伝える中身がセンセーショナルでなくなり困るのだろう」

(ここまで)

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この記事でスポーツに関連する単語を

監督    ⇒ 政治家
選手    ⇒ 国民
サッカー  ⇒ 国際政治
プレー   ⇒ 情勢
チーム   ⇒ 国家
ドイツW杯 ⇒ 第二次大戦
スポーツ  ⇒ 政治
技術    ⇒ 政治思想
スピード  ⇒ 政策
節制    ⇒ 政治参加
試合    ⇒ 議論
組織    ⇒ 政府

に、スポーツの単語から政治の単語に置き換えてみる。


単語をそれぞれ、置き換えて書き直すと下記のとおり、


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●融通無碍に攻め「治めよ」

 オシム政治家が描く理想の国民像ははっきりしている。「学ぶことをやめない国民」である。

 「経験は確かに重要。しかし国際政治の進化は速く、昨日の経験が明日も役立つとは限らない。大事なのは学び続ける気持ち。周囲の言葉に耳を傾け、敵味方の情勢に何かを感じ、それを自分に生かせるかどうか」

 周りを見詰め、自分を見極める。これが国民としても国家としても、しっかりできないと「常に過大評価と過小評価に振り回されてしまう」とオシム政治家は語る。
その典型例を第二次大戦での日本の敗北と、それに対するリアクションに見ることができるとも。

 「国際政治では個人であれ国家であれ、常に相手と対峙(たいじ)する。自分たちの都合だけで事は運ばず、だからこそ客観性と現実性が大切になる。負けがショックだったのか、負けに対するあまりの備えのなさがショックだったのか、冷静に考えてみないと」

 とはいえ、客観的に物事を見ることは難しい。政治では特に願望が混入しやすい。
 正確に実力を測る物差しでもあればいいのだが。

 「指標がないわけではないが、国際政治というゲームの要素は非常に複合的で常に変化もする。個々の政治思想政策以外に国の伝統や文化なども含まれる。個人単位でとらえられがちな政治思想にしても、集団の中で生きるものでないと意味はない。国民がどれだけプロ意識を持って日々政治参加しているかという目に見えない尺度もある」

 「そうした諸要素をあらわにするために議論を多くやることは大事。そこである程度の結果が出るからだが、目に見えない成果を測るのも重要なこと。あらゆる可能性を考慮し、備える努力を怠らないのが政治家という仕事の本質だと思う」

 知見に客観性、現実性を保つには複数の視点が必要だろう。

 「もちろん。政府の中には『当番警察官』がね。私の言うことに『分かった』といいながら『しかし』といえる人間が。残念なことに今はその係も私がやっているが」

 客観性を損ねるのにメディアが一役買っている可能性もある。

 「私は自分の内部で行う作業のすべてを外部、特にメディアに話そうとは思わない。なぜならメディアは自分たちが信じたいと思うことだけを信じて報道しがちだから。客観性と現実性に即するほどに伝える中身がセンセーショナルでなくなり困るのだろう」

(ここまで)


勝負の世界と政治の世界も本質は同じなのだと痛感する。


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