
1月14日、米長邦雄永世棋聖・元名人と将棋コンピューターソフトの「ボンクラーズ」が対戦する第1回「将棋電王戦」が東京・将棋会館で開催され、コンピューターソフト「ボンクラーズ」が113手で勝利を収めた。
「ボンクラーズ」とは、昨年5月に行われた、第21回世界コンピュータ将棋選手権で優勝したソフトで、指し手を決めるプロセスは、全探索という、ありとあらゆる指し手を探索する方法を取っている。
これは、第21回世界コンピュータ選手権で優勝して、一躍話題となったコンピュータソフト「ボナンザ」と同じ思考ルーチンなのだけれど、「ボンクラーズ」は3台のPCをイーサネットで接続し、並列に動作させて指し手を考え合議させる「クラスタ並列」と呼ばれる処理を行っている。
ボナンザをクラスタ並列動作させる"ボナンザ・クラスタ"だから「ボンクラーズ」。
ボンクラーズは、それを構成している3台のPCのうち1台はマスターとして働き残りの2台はスレーブとして動作する。
まず、マスターが、探索すべき指し手の筋を抽出して、ある程度の深さまで読んでから、それぞれの読み筋をスレーブ側のPCに渡して並列に読ませて、その結果をマスターに返すようになっている。
この並列処理によって、数百、数千といった大規模な並列処理が可能となるのだという。
ただ、それでも全探索となると、探索する筋が深くなればなるほど、読むべき手が膨大になってしまって、PCがパンクしてしまう。従って、ある程度読んだ段階で、いくつかの候補手の中から手を決定せざるを得ない。
一般に今のPCの性能では、全探索では、十数手先までが限界だとされている。従って、人間に分があるとすれば、それ以上の先の手まで読めるだけの十分な持ち時間がある将棋になると思われる。
実際、早指し将棋では、コンピュータはプロ棋士に勝てるくらいにまで強くなっているし、1時間くらいの持ち時間でも相当強い。
これまで、将棋コンピュータソフトは、渡辺明竜王 清水市代女流六段と対局している。
何故今回は米長永世棋聖なのか。
これについては、日本将棋連盟会長でもある米長永世棋聖自身が、講演会で経緯を語っている。近年、将棋ソフトがどんどん強くなっていって、プロより強いのではないかと言われ始めてきた今から5年ほど前、トッププロが将棋ソフトに負けるのは具合が悪かろうと、米長会長は、プロ棋士が将棋ソフトと対局する場合は、対局料1億円以下では指してはいけないとした。尤も、対局した棋士に支払われる対局料は1000万で、残りは将棋連盟に入ることになっているのだそうだ。
2007年、始めて将棋コンピューターソフトとプロ棋士との対局が実現したのだけれど、この時のプロ棋士側の対局者に渡辺明竜王が選ばれた。
けれども、元々プロ棋士はコンピュータとは対局したがらない人が多く、対局者を決めるのには苦労したのだそうだ。
結局、米長会長が、コンピュータと指してくれそうな人に直談判していったのだけれど、最初に頼んだのは、渡辺明竜王ではなく、佐藤康光九段だった。だけど、佐藤九段は、ああいうものと指すのは嫌だと断った。そこで、次に直談判したのが渡辺明竜王。始めは渡辺竜王も対局を断っていたのだけれど、なんとか説き伏せ、対局に漕ぎつけたのだという。
その後、清水市代女流六段が「あから」に負け、さあ次は男子プロだという雰囲気を見てとった米長会長は、先手を打って、今度は棋士別の対局料をリストにして公表した。
棋士別の対局料とはいくらになるのかというと、例えば、女流トップクラスで7670万円。現在の将棋界で最強と目される羽生2冠となると、なんと7億780万。
ただこれにはそれなりの算出根拠があって、米長会長が、以前羽生2冠にコンピュータと対局するかどうかを尋ねたとき、羽生2冠は、「コンピュータと指すなら1年前に決めてください。対策を研究します。その間は棋士とは指しません。」と答えたのだそうだ。
羽生2冠クラスのトッププロとなれば、タイトル戦もあるし、名人位を目指してのA級順位戦もある。それらを一切棄権することになるのだから、金額的な損失は相当なものになる上、復帰してから元通りの強さを維持できるかどうかも分からない。そうしたリスクを込みで算出すると、対局料7億780万になるということのようだ。
やはり、プロ棋士に言わせれば、コンピュータと対局するのは相当感覚が違うらしい。2007年にコンピュータソフト「ボナンザ」と対局して、見事勝利を収めた、渡辺明竜王はもう一度対局することになったらどうするかと問われて、「人とやるのとではぜんぜん違うので。準備が求められるのでふだんのタイトル戦と並行してやるのは厳しいですね。1ヵ月ぐらいは人との対局を休んで準備しなければならないでしょう。」と答えている。
まぁ、羽生2冠のように7億はもとより、女流トップの7670万円とて、おいそれとは用意できない額。となると、割安のプロ棋士との対局ではどうかということになるのだけれど、そのリストには対局料1000万という"格安"な棋士がいた。それが、米長邦雄永世棋聖。
勿論、1000万とて安い額ではないのだけれど、7億と比べれば全然安い。かくして、こうして、米長永世棋聖と「ボンクラーズ」との対局が実現することとなった。
米長邦雄永世棋聖は、「中央公論」2011年11月号の対談で、自身に棋力について、市販の一番強いソフトを使って、一手一〇秒で指すと勝率二割。一手三〇秒でも負け越す、と応えていた。同時に、三十五歳から四十歳くらいの全盛期の自分ならまず負けることはないと思う、とも。
実は、去年の12月21日、今回の対局のプレ対局として、米長永世棋聖とボンクラーズが対局している。このときは先手のボンクラーズが85手で圧勝しているのだけれど、この時の持ち時間は各15分で、秒読み60秒という早指し対局だった。
米長永世棋聖は、対局前にプロ棋士としては指さない手を一手目に指すことを宣言し、△6二玉を指している。当時これは奇手とされ、コンピューターに入力されていない前例のない手を指してコンピューターの混乱を誘おうとしたのだ、とか。ただの余興だとか言われていた。
米長永世棋聖は、今回の本番対局を迎えるにあたって、今度は普通に指すといっていたのだけれど、いざ盤を前にして指した手は、プレ対局と同じ2手目、△6二玉。筆者は、米長永世棋聖は勝負師だなぁと感じていたのだけれど、本人によれば、万里の長城を築いて、相手を抑え込んだ上で、コンピュータにこちらの手を読ませない作戦だったのだという。
米長永世棋聖は、1日6時間、述べ300時間を費やして、ボンクラーズを研究し、▲7六歩と突かれた時の最善手は、△6二玉であると結論づけていた。実は米長永世棋聖はボンクラーズの思考エンジンの基になっている「ボナンザ」の開発者である保木邦仁氏と密かに会っていて、△6二玉が良いと教わっていたのだそうだ。
実際、米長永世棋聖は手△6二玉から銀を2枚並べる分厚い駒組みで、ボンクラーズを圧迫し、序盤を優勢に進めていた。本人曰く、完璧に指していた、と。ボンクラーズは困ってしまって、飛車が右左に"わーい"と行ったり来たり。
尤も、米長永世棋聖は、あの局面はボンクラーズが、こちらのミスをじっと待っていて、攻めた途端にカウンターパンチを繰り出そうとねらっていたのだ、とコメントしている。
ところが中盤からボンクラーズが一気に盛り返し、そのまま終局へ。一秒に1800万手読むと言われるボンクラーズ。そして、読みの速度ではコンピュータに敵わないからと、"読ませない"作戦に出た、米長永世棋聖。
筆者には、米長永世棋聖の△4二金あたりから怪しくなったように見受けられたのだけれど、米長永世棋聖によれば、80手目の▲6六歩に対して△同歩と取った手がミスだったらしい。あの局面では、△8六歩と突き捨てて、△7二玉と引いておけば優勢を持続できたのだ、と。人間相手なら間違いなくそう指していたところだが、コンピュータ相手でミスをしてはいけないと安全・確実に指していて切り替えができなかったのだそうだ。
そして、91手目▲7七桂と跳ねられたとき、米長永世棋聖は△6六歩と突いたのだけれど、それが重大なミスだったようだ。米長永世棋聖は、その後の▲6五桂という手を見落としていて、その時点で、もう勝てないことが事前の研究で分かっていたため、諦めたとコメントしている。
それでも、定跡外しの2手目、△6二玉から序盤優勢に進めていた米長永世棋聖の差し回しは見事だったと思う。
対局後の記者会見で、ボンクラーズに人間性を感じたりしなかったかとの質問に、米長会長は、ボンクラーズに対しては大山康晴を意識していて、同時に、自分も大山康晴になり切って指すことを心がけていて、二人の大山康晴が戦ったというコメントをしていた。実に面白い。
来年はいよいよ、現役の棋士とコンピュータが対決する。注目したい。

この記事へのコメント
ちび・むぎ・みみ・はな
それはさておき, 開発側は何が楽しいのか?
名人に勝つソフトが一般に普及した時,
何が始まるのかね?
色々な工夫はあるのだろうが, 要は全探索だろう.
新しいブレークスルーがあるのか?
4番打者を打ちとるピッチングマシンの需要はあるか?