1月25日からスイスで行なわれた、世界経済フォーラム年次総会、通称「ダボス会議」に俳優の渡辺謙さんが招かれ、そのスピーチに立った。
スピーチの内容は、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を述べ、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えるものだったのだけれど、渡辺さんは、スピーチ後、「競争ばかりでなく、もっと穏やかな新しい価値観を作り出す必要がある。各国の出席者も同じ感覚だった。」とその手ごたえを口にした。
日本の芸能人がこうした会議に招待されるのは初めてのことで、渡辺さんが、被災者を励ますために国内外の著名人から寄せられたメッセージを配信する動画サイト「kizuna311」を共同で立ち上げるなどの活動をしていることを評価され、会議参加に推薦されたのだそうだ。
渡辺さんは、最後に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳で読み、中々の好評を博したようなのだけれど、こうした場での発言であっても、やはり役者が立つと見栄えがする。
見栄えがするといえば、2月7日の参院予算委員会で質問に立った、自民党の三原じゅん子議員も中々のものだった。
三原じゅん子議員は最初こそ、質問原稿を読み上げるのにつまったように見える場面もあったのだけれど、あれは、カメラのフラッシュで目がチカチカして原稿が見えず焦っていたのだそうだ。それ以外は、声は通るし、落ち着いているし、非常に聞きやすかった。
三原じゅん子議員の質疑については、以前「華と真摯さを武器にする」のエントリーで取り上げ、まるでドラマのワンシーンを見ているようだと述べたことがあるけれど、7日の参院予算委員会での三原じゅん子議員はそこまでにはいかなかったかもしれないけれど、インパクトとしては十分だった。
三原じゅん子議員は、拉致問題について、松原拉致担当大臣に質問を浴びせ、何度か審議をストップさせていたのだけれど、拉致問題についての質問自体は至って、シンプルで、次のような質問をしていた。
Q1.松原担当大臣はどんな問題意識を持っていて、大臣になった今、何を改善すべきと考えているか?
Q2.大臣は北朝鮮との接触について、外交は一元的であるべきだが、接触は多元的でないと解決できないと述べていた。中井元拉致担当大臣が北朝鮮と極秘接触していたが、議員による接触についてどう考えているか?
Q3.松原大臣は北朝鮮への制裁について、人的往来の一律再入国禁止に言及していた。大臣になった今でも気持ちは変わらないか?変わっていないなら、何をしようと考えているか?
Q4.では、お気持ちは変わってないということでよいですね。
Q5.かつて松原大臣は、北朝鮮が拉致の再調査をするといっても、制裁緩和の要件になるとは思わないと言っていた。しかし、2008年の日朝実務者協議では、北朝鮮が拉致の再調査を開始すると同時に日本は人的往来の規制解除を行うことで合意している。この合意についてはどう考えているか。
Q6.かつて松原大臣が人的往来の一律再入国禁止について述べた気持ちは今でも変わらないか
Q7.その含むところを具体的に述べていただきたい。
Q8.もう一度質問する。具体的に何を検討しているのか。
これに対する松原大臣の答弁は次のとおり。
A1.拉致問題解決に全力を尽くしたい。金正恩体制になって、新しい展開をするのではないかと注視しながら、あらゆる手段を使って解決していきたい。
A2.北朝鮮に対して日本は制裁をしているから、政府関係者が訪朝することは論外だ。しかし、議員が様々なレベルで接触することはプラスになる面もある。最後は首相の判断だ。
A3.制裁は緩められるような環境ではない。そして時間の経過と共に制裁の圧力が高まっているという認識でいる。拉致問題が解決するまでは、北朝鮮に対する怒りが残ったままになる。従って圧力が強まることはあっても弱まることはない。
A4.全く同じだ。
A5.過去にそういう議論があったことは承知している。しかし、私としては、それが解除条件になるとは思わない。
A6.思いは変わっていない。北朝鮮が前向きに取り組まないのであれば、私としても含むところがある。
A7.それは非常に機密を有する部分だ。この場では申し上げられない。
A8.状況に応じて、政府全体として判断する問題だ。
この時のやり取りで、A4、A5、A7、A8の後で、質問にきちんと答えていないと自民側(山本一太議員)がクレームを入れて審議がストップしていた。
三原じゅん子議員の質問は、大臣就任以前の松原氏の言動を取り上げ、大臣になった今でも気持ちは変わらないか。変わらないのなら、具体的にどうする積りなのかを問う、非常にシンプルなものだったのだけれど、松原大臣は、気持ちは以前と変わらないとだけ応じ、何をするかについては一切答えなかった。
なぜ、三原じゅん子議員が、こんな質問をしたかというと、三原議員自身が松原大臣を買っているところがあったからだと思われる。
なぜかというと、昨年10月28日の参院拉致問題特別委員会で、三原じゅん子議員が、当時の山岡拉致担当大臣が、拉致に関しては何の活動もしていないことに「あなただけは駄目だ」とブチ切れ、山岡氏に辞任を要求している。そして、その中で、三原じゅん子議員は、松原氏を拉致問題のスペシャリストだ発言し、後任に松原仁副大臣を当てるように指名していたから。
それが、松原氏が見事、拉致担当大臣になったものだから、あの時の気持ちは変わらないですよね、という確認と激励をも込めた質問だったと思われるのだけれど、松原氏は、いざ大臣という立場に立つとハッキリ言えなくなるのか、煮え切らない答弁に終始したのは少し残念ではある。
2010年の参院選に初当選した三原じゅん子議員が、僅か1年半で、予算委員会という表舞台にたち、しかも、ここまでできるという事は、元々のポテンシャルが高かったのか、自民党内の教育がそれなりにしっかりし、かつ、きちんと育ててきたとのだろう。
逆に言えば、民主党の若手とて、しっかり教育すればモノになる可能性があるということになるのだけれど、これまでの民主党政権が、閣僚を何度も、変えても変えても、この体たらくということは、党内での教育がなっていないか、モノになる可能性のある若手を育成・抜擢できていないということになる。
国難は民主党が育つまで待ってくれない。マニフェストが頓挫した今となっては、素直に下野するのが筋というものだろう。
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【渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】 2012年1月26日
スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。
渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。
スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。
スピーチ全文は次の通り。
初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。
URL:http://www.tokyo-np.co.jp/feature/news/davos.html
この記事へのコメント
CNN
バカバカしい。
別に渡辺謙じゃなくていいやん。
ちび・むぎ・みみ・はな
> なる可能性があるということになるのだけれど
大間違い!
誰でも教育すれば立派になるものではない:人材
然るべき教育をしないと意味がない:教師の人材
嘘付党はどちらも×.
自民党で出てくる人材は元々中身が有る人材.
(総裁はそれほどでもないが.)
放射能問題でもそうだが, 論理が甘くないか.
通りすがり
子宮頚癌ワクチン接種の2類を批判。更には、分類の撤廃を求めている。
H13予防接種法は改正され1類は接種の努力義務あり、2類は努力義務なしと自民党政権での成立。
自民党政策を批判するのも矛盾。
ワクチン接種を自由選択にするなら2類で良い。
分類撤廃すれば国庫負担は増大する。
与党民主党さながらの質疑に驚きました。