「芸術家やクリエーターになりたいという夢を抱き、自ら選んでフリーターになる若者たちは『夢追いフリーター』などと呼ばれますが、彼らを『パートタイムアーティスト』と考え、『専業アーティスト』として世に出す支援こそ必要。今後、支援の輪を広げていきたいと思います」NPO法人「NEWVERY」代表 山本繁氏
同じ目標に向かって頑張る若者に環境を提供することで、それを支援するというプロジェクトがある。「トキワ荘プロジェクト」というのがそれ。
トキワ荘とは、東京都豊島区南長崎三丁目に1952年から1982年にかけて存在した木造アパートで、若かりし頃の手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森正太郎、赤塚不二夫などマンガ界の重鎮・大物達が一同に介していた伝説のアパート。IT業界でいえば、スティーブ・ジョブスとビル・ゲイツと孫正義が一緒に住んでいたアパートがあったというところだろうか。
「トキワ荘プロジェクト」とは、そのトキワ荘をモデルとして漫画家志望の若者達を都内での協同生活する環境を提供して、デビューを支援するというもの。
代表の山本氏は、それまで氏の祖母が暮らしていた一軒家に1人で暮らしていたのだけれど、海外で修業中だった俳優志望の友人から『部屋貸してよ』と頼まれ、安値で貸したところ、彼の修業にとても役立ったという経験から、「東京の高い家賃が、若者が夢を叶えづらい状況を生み出している」と考え、東京都内の一軒家を安く借り上げ、一部屋ずつ漫画家志望の若者たちに貸し出すというこのプロジェクトを閃いたのだという。
なぜ、漫画だったのかというと、現在、日本で刊行されている漫画雑誌は約200誌あり、1誌に15人の連載作家がいるとして、のべ約3千人の作家が存在することから、デビューの間口が広いと考えたのだそうだ。
山本氏はその後、祖母の家を借り上げ、入居者を若手漫画家に限定した「第1トキワ荘」をオープンしたところ、3名の募集に対して6人の応募があった。
その後、山本さんは次々と物件を借り上げ、2011年3月現在では、東京都内に19軒ものトキワ荘が存在し、実に100名を超える若手漫画家が共同生活を送っている。
家賃は、水道光熱費、インターネット料金込みで、平均4万8千円というから、都内としては相当安い。
山本氏が凄いところは、ただ、部屋を貸し出すだけではなくて、作家の卵達にちゃんと作品を書くような仕組みも作ったこと。
山本氏によれば、遅々として作品が仕上がらないばかりか、アルバイトや遊びに没頭してしまう人や、早々に雑誌デビューを果たしながら、編集者に「ストーリー性が弱い」と言われ、小説を毎日1冊ずつ読む人もいたことから、プロの漫画家や編集者たちの意見を参考に、実現可能な範囲の「ノルマ」を設定し、作品10本がデビューに必要な最低ラインにして1本完成するごとにハンコをおす“出来高表”を張り出したり、3ヵ月間で仕上げた原稿枚数を競う「原稿王争奪戦」なるものを開催したり、色々と工夫を凝らしている。
また、プロになるまでのタイムスケジュールとステージごとの課題などを文書化した「キャリアプラン」も作成して全員に配布したりもしている。
更には、漫画関係の仕事・アシスタント先の紹介やプロデュース、出版社・編集者の紹介やベテラン編集者による講習会などもしているというから、商才があるというか、プロデュース能力も中々のもの。
トキワ荘プロジェクトに応募して、1年間入居した経験のある人によれば、俄然やる気が出て、かつ情報共有できたりして、とにかく楽しかったという。
それでいて、出来高表や、原稿王争奪戦など、入居者にきちんと作品を書かせる工夫がトキワ荘プロジェクトを実効あらしめるものにしていると思う。
実際、このトキワ荘プロジェクトから見事プロデビューを果たした漫画家もいるようだ。
また、トキワ荘プロジェクトとは別に、行政とアパートのオーナーが連携して、トキワ荘のようなものを作ろうというプロジェクトもある。「紫雲荘・活用プロジェクト」と呼ばれているのがそれ。
紫雲荘とは、トキワ荘の部屋が手狭になった赤塚不二夫が、トキワ荘の近くに借りたアパートで、トキワ荘は取り壊しになったけれど、こちらの紫雲荘は、今も現存している。
地元では2010年から、町会や商店街の人たちが「トキワ荘通り・協働プロジェクト」を立ち上げて、漫画家たちの自筆の似顔絵などが刻まれた記念碑の建立を区に要望したり、トキワ荘近くの商店街などを紹介する冊子を作ったり、トキワ荘を活性化の起爆剤にしようと取り組んでいる。
そして、紫雲荘のオーナーがマンガ文化の継承に積極的であることもあって、トキワ荘通り・協働プロジェクトの一環として、豊島区とタイアップして、2011年6月に「紫雲荘・活用プロジェクト」が立ち上げた。
このプロジェクトでは、紫雲荘の2階の赤塚不二夫が暮らした部屋を地域で活用し、当時の仕事部屋の再現や、赤塚不二夫関連の展示・公開を定期的に行い、地域の活動拠点としてワークショップなども開催する。
また、2階のその他の部屋は、ギャグマンガ家をめざす若者を募って入居させ、街ぐるみで応援するという。毎年3月に入居継続の審査があるものの、家賃は月4万円で、そのうち半分の2万円をプロジェクトで補助するというから、相当割安。(光熱費は別)
トキワ荘というマンガの黎明期を支えた巨匠達が一同に住まうアパートがあった。その伝説が今に甦り、受け継がれゆく。
←人気ブログランキングへ
トキワ荘周辺地図、漫画家たちの青春浮かぶ 豊島で作製 2011年2月7日
漫画家の手塚治虫氏や赤塚不二夫氏らが青春時代を過ごした「トキワ荘」(現在の豊島区南長崎3丁目)周辺の地図が、区や地元の人たちによって作られた。漫画家ゆかりの施設の跡地や現存する施設が色分けして描かれている。
イラストなどを描いたのは、近くに住む東京芸術大大学院出身の本間商人さん(40)ら。区職員から依頼された本間さんは「トキワ荘の漫画家たちが、生活の保障は無くても夢を信じて進む姿に共感した」と話す。トキワ荘の部屋が手狭になった赤塚氏が、近くに借りたとされるアパート「紫雲荘」などを漫画のように柔らかい線で描いたのが特徴だ。
地元では2010年から、町会や商店街の人たちが「トキワ荘通り・協働プロジェクト」を立ち上げた。漫画家たちの自筆の似顔絵などが刻まれた記念碑の建立を区に要望したり、トキワ荘近くの商店街などを紹介する冊子を作ったり、トキワ荘を活性化の起爆剤にしようと取り組んでいる。
プロジェクトの事務局長で、商店街で時計店を営む小出幹雄さん(52)は、トキワ荘の漫画家たちと接した人たちを訪ね歩き、思い出を聞き取っている。トキワ荘跡地を見に来た人たちからは「なぜ壊してしまったのか」などとよく言われる。小出さんは「トキワ荘は偉大な文化。地元の人間が、トキワ荘のことをもっと深く知って、文化を残していきたい」と話す。
地図は2万部印刷され、区内の図書館などで配布されるほか、区のホームページ(http://www.city.toshima.lg.jp/kanko/machi/009354.html)から入手できる。(長谷文)
URL:http://mytown.asahi.com/areanews/tokyo/TKY201102060291.html
この記事へのコメント
白なまず
【有人潜水調査船_しんかいの系譜】
http://www.youtube.com/user/jamstecchannel#p/u/4/LgRJa-jabA0
を見たのですが、こちらも技術の継承をやりたくても出来ない状況のようです。
原油が止まったら、日本は海洋資源が頼みの綱になると思いますので重要なんですが。この辺の記事を何時か書いて頂けると有難いです。