今日は、大阪維新の会の維新八策について、つらつら書いてみたいと思います。
1.維新八策に垣間見える「地方分権」の野望
3月10日、大阪維新の会が、自身の会合で、維新八策の概要を発表した。ざっと内容は次のとおり。
1.統治機構の作り直し
・国家元首は天皇陛下
・復興担当相は被災地首長
・大阪都構想の実現
・道州制の実現
・参院議員と首長の兼職を容認(当面)
・地方交付税を廃止し、消費税を地方税に
2.財政・行政改革
・基礎的財政収支の黒字化
・国民総背番号制の導入・歳入庁の創設
・国会議員定数・歳費・政党交付金の削減
・不要な省庁の廃止・統合
3.公務員制度改革
・職員基本条例の発展・法制化
・公務員労組の政治活動規制
4.教育改革
・教育委員会制度廃止を含む抜本改革
・首長に権限と責任を持たせ、第三者機関で監視
・教職員組合の適正化
5.社会保障制度
・年金制度を積み立て方式へ移行
・保険料の掛け捨て方式を導入
・保険料は歳入庁が強制徴収
・年金、失業対策・生活保護を一本化し最低生活保障制度を創設
6.経済・雇用・税制
・脱原発依存
・資産課税の強化(不動産を含む遺産の全額徴収)
・超簡素な税制(フラットタックス)を導入
・ベーシックインカムは検討へ格下げ
7.外交・防衛
・憲法9条についての国民投票
・日米同盟を基軸
・沖縄の負担軽減を図るロードマップ作成
・外国人への国土売却規制
8.憲法改正
・憲法改正に必要な衆参両院の賛同を3分の2から2分の1に緩和
・首相公選制
・参院廃止を視野に入れた抜本改革(将来)
とまぁ、前回発表した、維新八策・骨子よりは多少の肉付けがされた内容なのだけれど、骨子の段階では明らかではなかった、維新の会が描いている全体構想がなんとなく見えてきたように思える。
それは、一言でいうと、維新八策は「地方にもっと権限をよこせ」という構想。
所々には、天皇陛下が国家元首だとか、憲法改正要件緩和だとか、国全体の仕組みに関わる政策を挙げてはいるのだけれど、復興担当相は被災地首長だとか、道州制導入や、消費税を地方税にするなど、具体的な権限の行使に関する部分では明らかに国から地方自治体への権限移譲を志向している。
橋下市長は会見で「政策の哲学、政治の哲学、行政の哲学が欠けているのが、今の既存の政党だ。自民党も民主党も哲学・理念が党として一致しているのかが分からないため、混迷を極めていると思う。…地方の議会や地方の首長も、政治哲学や行政哲学は、しっかり共通のものを持たなければいけない。少子高齢化時代を迎え、わが日本国の方向性を決め、議論するのが、われわれの仕事だ」と述べていて、政治哲学や行政哲学を持つべきだと主張している。
そして、「日本国の方向性を決め、議論するのが、我々の仕事だ」と、維新の会が日本の政治・行政哲学の中核を担うかのような宣言をしている。
維新の会が、本当にそう思うのであれば、維新の会が考える哲学、いわゆる憲法の精神とでもいうべきものを提示しなくちゃいけない。まぁ、維新八策はあくまでも"策"であるから、精神ではなく、方法論に重きを置いていると言われればそれまでなのだけれど、それを行うことで、国をどうしていくのか、どういう国を創っていくのか、といったビジョンなくして、方法論だけ語ったところで、いきあたりばったりの机上の空論にしかならない。
尤も、維新八策の評判があまり良くないのか、3月10日の維新八策概要発表当日には、橋本市長は、維新八策は党の政策ではなくて、政治塾の資料だと大幅にトーンダウンしている。
だけど、大切なことは、方法論ではなくて、その根底に横たわっている哲学。
2.維新の会の政治哲学とは何か
維新の会の政治哲学とは一体なにか。
橋下市長は以前、ツイッターで、次のように述べたことがある。
「僕や大坂維新の会の政治哲学は現在の体制を変えること、現在権力を持っている所から、権力をより住民に近い所に移すこと。そして有権者に責任を持ってもらい、一票の質を高め、政治に力を与えること。これに尽きます。国から関西広域連合へ出先機関を移す改革、大阪府から市町村に権限を移す改革。」
はっきりと、権力をこちらに寄越せと言っている。それが維新の会の政治哲学だ、と。だから、先に筆者が指摘したとおり、維新八策の根底には「地方にもっと権限をよこせ」という思想が横たわっていると見ていいだろう。
だけど、「地方に権限を委譲する」というのが果たして、政治哲学なのかというと筆者には非常に疑問に思える。なぜなら、方向性が指し示されていないから。
辞書で「哲学」を引くと、"物事の根本原理を探究する学問"と定義されている。"根本原理"という明確な目的地がある。哲学は、その目的地に辿り着くために、ある時には思索し、またある時には観察し、またある時には対話を行いながら、根本原理を発見しようとする。思索や観察、対話というものは、いわば、目的地に向かうための道具。
橋下氏のいう、"現在の体制を変える"というのは、今ある状態が変化するという意味においては、その通りだけれど、それ以上のものではない。単なる状態変化の域を出ていない。
もっと大事なことは、その変化によって、何が起こるのか、どこに向かうのかといったビジョン。ビジョンもないのに、苦労して変化だけしても、その変化が正しいという保証はない。
仮に、地方に権限を委譲して、道州制なり何なりが出来たとしよう。それで日本をどうするのか、どうなるのか。それによって激動の世界を渡っていけるのか。
維新八策にある「道州制の実現」や「参院議員と首長の兼職を容認」なんて、筆者には、まるで幕末の諸侯会議のように見えて仕方がない。維新という割には、幕末に逆行しているのではないかとさえ。
「龍馬と維新と橋下と」のエントリーでも取り上げたけれど、坂本龍馬の船中八策には、明確が目標があった。それはその船中八策に次の通り記されている。
「以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるべし。苟も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難しとせず。」
世界情勢を考えると、この船中八策を用いる他はない。これを用いれば、国が興り、他の列強と肩を並べることができる、と明確に国を興隆させるという目標があった。そのための方策として、龍馬の船中八策は、政権を朝廷に返して、議会を起こし、人材を活用するといった"中央集権"による国家増強策を示した。
それに対して、維新の会の維新八策は、名前こそ"維新"がついているけれど、その中身は「地方分権」であって、船中八策が目指した中央集権とは明らかに真逆。確かに明治維新から100年立っているから、当時の態勢のままでいいのかという主張はあっていいとは思うけれど、だからといって無条件で地方分権がいいというわけにはならない。地方分権にするのなら、それがベストなんだという根拠と説明が要る。
維新の会の維新八策が果たして、日本にとって良いのか悪いのか。日本をどうしていきたいのか。やはりそうしたビジョンを維新の会は明示する必要がある。
ビジョンなき地方への権限委譲は、国をバラバラにし、弱体化させる。維新八策は、まだ"維新"じゃない。
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この記事へのコメント
msmr_masachika
ただ、経済は、食料生産だけは限界があるから、
働けば必ず食料を買えるには、
人口制限が必要と思います。
人口増えまくりの国は、外資系で海外進出するのが、今のインテリ列強。
明治日本は、当時の軍事列強の真似をして、明治系昭和日本は、1940年ぐらいに石油禁輸されて潰れました。
インテリ列強になっても、国籍の違いや言語の違い、宗教の違いから、嫌われ、現地人と摩擦が起き、
たぶん石油禁輸で潰れる弱点は同じです。
大阪維新は明治維新の二の舞かも。
インテリ列強が、日本人を救ってくださるとは思え無い。
救ってくださると織り込みずみで拡大路線になれば、いざというとき助けが間に合わ無くて総崩れになると思う。
維新侍
とおる
地方利権の拡大策。
地方エゴ策。
明治維新の頃は、帝国主義・植民地主義から国を守ろうとする気概で維新があったが、現在の日本の状況(近隣諸国からの侵略・圧力、世界経済・財政の悪化)は、「国のことより、地方に権限をよこせ!」と言っている暇はあるのか?
なお、国の舵取りに専念するための地方分権はするべきではあるが、「地方主権」なんて言葉を使うのは、国家分裂の思想が入っているとしかみえない。
ちび・むぎ・みみ・はな
その通りだろう.
国政に携わった経験のない限界がある.
国の保全と国民の幸福には政府と地方の協力が必要.
神戸市のような独善の自治体ができては仕方がない.