7月12日、野田首相は、衆院予算委員会で、集団的自衛権について、「集団的自衛権の一部を必要最小限度の自衛権に含むというのは一つの考えだ」と述べた。
これは、自民党がまとめた国家安全保障基本法案に関しての答弁で、集団的自衛権の解釈見直しに踏み込んだ発言だとして注目されている。
その国家安全保障基本法案の中で、自衛権の行使について述べられている部分を、次に引用する。
第10条 (国際連合憲章に定められた自衛権の行使)自衛権とは勿論、自国を守る権利なのだけれど、その中身は大きく、個別的自由権と集団的自衛権の2つに分かれる。個別的自衛権とは、自国が直接、他国からの武力攻撃された場合に実力をもって阻止・排除する権利のことで、集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」と定義される権利のこと。
第2条第2項第4号の基本方針に基づき、我が国が自衛権を行使する場合には、以下の事項を遵守しなければならない。
一 我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること。
二 自衛権行使に当たって採った措置を、直ちに国際連合安全保障理事会に報告すること。
三 この措置は、国際連合安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置が講じられたときに終了すること。
四 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、その国に対する攻撃が我が国に対する攻撃とみなしうるに足る関係性があること。
五 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、当該被害国から我が国の支援についての要請があること。
六 自衛権行使は、我が国の安全を守るため必要やむを得ない限度とし、かつ当該武力攻撃との均衡を失しないこと。
2 前項の権利の行使は、国会の適切な関与等、厳格な文民統制のもとに行われなければならない。
今回の自民党案を読む限り、個別的自衛権と集団的自衛権をひっくるめて、それぞれ行使できる法律になっているように見える。
法案に書かれている、「国際連合憲章に定められた自衛権の行使」とは、国連憲章の第51条の自衛権のことを指していると思われるのだけれど、国連憲章の第51条には次のように定められている。
第51条〔自衛権〕と、国連が介入及び何らかの措置を取るまでの間は、自衛権があるとしている。
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
ただし、日本の場合は、憲法9条で、国際紛争を解決する手段として、武力の行使は行なわなず、陸海空軍その他の戦力は持たないとなっていて、もう実態とはかけ離れているのだけれど、政府は、憲法9条は国家の自衛権までは否定しておらず、必要最小限の武力を持つことは許されるという少々苦しい解釈で逃げているところがある。
自民党は4月に憲法改正草案を公表しているのだけれど、そこでは憲法9条は次の様に改正されている。
第9条:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。とまぁ、2005年度版では、はっきりと自衛権の保持を明記していて、9条の3で集団的自衛権の行使についても記載しているのに加え、2012年度版では自衛隊を国防軍とし、国防軍に設置される審判所(軍法会議)など、より明確な国軍として位置づけている。
第9条の2(自衛軍) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
2.自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3.自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4.前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
※訂正 上記は2005年度版
二章 安全保障
(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない
※上記は2012年度版
※上記、一部加筆
だから、野田首相の集団的自衛権容認発言をしたこということは、自民の協力を得るための擦り寄りだと見ることもできないではないけれど、話が進むのであれば、それに越したことはない。ただ口だけになる可能性もなくはない。
なぜなら、野田首相は、ここにきて急に、保守色を前面に出すようになってきたから。今回の集団的自衛権の解釈見直しや尖閣諸島国有化方針。そして、丹羽宇一郎駐中国大使の交代決定など。
これらは、自民党が要求していたことでもあるから、特に反対する理由もないのだけれど、尖閣国有化については、方針を打ち出して以降、購入に向けた具体的な動きも、国境離島をどう保全していくかの議論を始める気配もない。下手をすると、「口だけ番長」よろしく、掛け声だけで終わってしまう気がしないでもない。まぁ、丹羽氏の交代については、本人さえ納得すれば辞めさせることができるから、これは辞めさせるとは思うけれど、それ以外はまだ口だけの段階。
更には、特例公債法案や、TPP、補正予算案についてもテーマに挙げだしている。
ちょっと気になるのは、野田首相がここにきて急に次々とテーマを掲げるのは、それについて議論することで、結果的に自身の政権の延命を図っている気があると思われること。これは、菅政権末期でも同じようにみられたのだけれど、頑として早期解散を否定しつづけるところを見ると、引っ張れるだけ引っ張ろうとしているように見えなくもない。
もう、野田首相の中では、増税法案は可決した積りでいるのだろう。ただ本当にそう決めつけていいのかという懸念がないわけじゃない。7月20日、仙谷政調会長代行は、長野での講演で「自民党は衆院解散に追い込まないと執行部が持たない。8月になれば、小沢氏と組むなど手段を選ばずにやるという勢いが相当出てくる」と不信任案で自民党と小沢氏が連携する可能性に触れている。
実際、自民党でも、谷垣氏周辺でも「法案採決前に、内閣不信任案を提出すべし」という主戦論が挙がっていて、谷垣氏自身も周辺に「これまで、『増税』と『解散』の両方を勝ち取るつもりだったが、もう片方だけでいい」と話し始めているという。
その片方が果たしてどちらになるのか分からないけれど、「解散」であるのなら、増税法案採決前の不信任案提出に打って出ることだって有り得ることになる。勝負は下駄を履くまで分からない。
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この記事へのコメント
opera
面白いのは、今回の改正草案と同時に「国家安全保障基本法案」が提出されている点です。以前は、有事の際の基本法は災害対策基本法しか無いと言われていましたが、2005年の憲法改正案提出時には、同時に国民保護法を成立させていますし、今回はより踏み込んだ国家安全保障基本法案を出してきています(これには緊急事態条項の内容の一部も含まれています)。
時間がかかり過ぎてはいますが、ソツのないやり方です。
野田政権が集団的自衛権の行使を明言してくれるなら、それに越したことはありませんが、具体的な詰めは次期政権がやってくれるでしょう。
実際に集団的自衛権を具体化するためには、現時点では唯一の対象国であるアメリカ軍と自衛隊との間で、こういう場合はこうするといった詳細な交戦規定(REO)を定めなくてはなりませんから、そのためは日米政府間の信頼関係を回復した
日比野
ちび・むぎ・みみ・はな
今までの嘘付達の経緯を見れば, 自ら解散する
だろうというのは無責任なデマに過ぎない.
解散予想発言はアンカーの青山氏も述べているが,
同氏は嘘付達や官僚達の言動を簡単に信じ過ぎる.
良心的な個人の言動と集団としての決定は違う.
嘘を付いた政権簒奪の構造が明解になった現在,
彼らの様な利に聡い連中が解散を選ぶ筈がない.
ぎりぎり迄粘って超法規的な策謀を行なうに違いない.
既に外国人に関する規制は緩くなる一方である.
従って, 明示的な証拠がない限りは解散の予想は
すべきではない. 解散への期待を議論することは,
道理に反する嘘付政権の居座りへの援助に過ぎない.