未来の選び方について

 
今日は、オカルトエントリーです。

もう、一年以上も前のエントリーになりますけれども、「未来予知と希望について」という記事で、筆者は未来予知と未来人による現在への干渉について考察したことがあります。今日のエントリーはこの続編にあたるものですので、お読みになっていらっしゃらない方は、先に、こちらをお読みいただければ幸いです。m(__)m

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1.奇妙なそうめん

2ちゃんねる等々の掲示板には、時折、思いっきり怪しい眉つばものの書き込みがなされることがありますけれども、その一つに、自分は何年後の世界からきた未来人だ、と称して、先々のことを色々予言しては消えていくタイプのものがあります。まぁ、大半は、未来人を装って、適当なことを言って(からかって)楽しんでいるだけだと思われるのですけれども、中には、未来人が直接書き込むのではなくて、未来人と会って話した人が、その様子を報告するタイプの書き込みなどがあったりします。

筆者が読んだのは、未来人とファミレスで会い、タイムマシンの仕組みなどを教えて貰ったというもので、特に予言の類は殆どないのですけれども、ただ、未来(世界)についての解釈が非常に興味深いものでしたので、この解釈を元に、考えてみたいと思ったのです。

件の書き込みは、カキコした本人(仮にAさんとします)が、将来爺さんになった頃の未来に、知り合った子供が現在(書き込み日時は2008年)の自分に、未来人として会いに来た、という話です。

この未来人(仮にツカモトさんとします)はAさんに、タイムトラベルの原理や時空間についての解釈について説明をしたそうなのですけれども、筆者が興味を覚えたのが、過去・現在・未来についての認識なんですね。その書き込みの関係する部分について、少し長くなりますけれども、次に引用します。
この時空間の話がオレ自身、苦手な話ではあるんだけどねw。整理してみたので、わかりやすくするために例え話します。 ざっくり単純化した話なんでおかしいところもあるけど。

2008年にオニギリが1個生産された。このオニギリは作られた時点では誰に食べられるか、不確定。ただし1個生産されたという過去は揺るがない。オニギリが突然消えたりはしない。 オニギリの過去は確定している。でも未来は不確定。製品寿命があるという予断はあるけど。

オニギリには「誰かに食べてもらう」という目的があるし、既にそれなりにシナリオがある。 この場合、おおまかなシナリオを決めたのはオニギリ工場の人だね。オニギリの行方を決める権力も最終的には工場の人が握ってる。

オニギリがコンビニに並べられる。この時点でオニギリが食べてもらえる確率はぐっと上がる。オニギリ的には「食べてもらえるように行動した結果」未来に希望が広がるわけです。それ以外に店員が「おすすめ!」とかPOPを貼ればもっと希望が広がる。とりあえず、 店にも並ばずに廃棄されるという未来(可能性)は無くなった。これが良い現在の行動。 これが過去となって因果律として未来に影響を与える。

《中略》

まず前提。AさんとBさんがこの場にいたとします。この場合、「Aさんの時空とBさんの時空は異なるけど、空間は共有している」状態です。なぜなら、AさんとBさんの持っている「時間」が異なるからです。まず、これを頭に置いて下さい。

次に、オレらは時間に対してこういうイメージだと思う。

 過去→現在→未来  : 川の流れのように上流から下流へ一方向に流れるイメージ

でも未来人が言ってた時間の本質はこうです。

 (過去現在未来) = 時空  : 過去と現在と未来がドカっと一箇所に置いてある

こんな「奇妙なそうめん」をイメージしてみてください。「左側はゴンブトの1本なのに、右側は細いそうめんがたくさん束になっている」横にしたホウキみたいなそうめんの束です。

ゴンブトの部分が過去。たくさん束になった細いそうめんの部分が未来、その境界が現在。そいつが目の前にゴロっと転がってるのをイメージしてください。

その「奇妙なそうめん」の束が現在を生きている人間の人生のすべての時空です。

そうめんの中に入ると、現在から先はたくさん枝分かれしている。でもそれはどんどんゴンブトの1本になっていきます。これがオレらが体感している時間の流れです。枝分かれしたそうめんのどれを選ぶかは現在の行動によって決まります。でも選んだからって未来がゴンブト一本になるのではなく、また枝分かれし続ける。

じゃあ未来人から過去に存在した人の「奇妙なそうめん」を見たら、どう見えるのか? 既に死んでいる人のそうめんは端から端までゴンブトの1本です。そこに生きている未来人の奇妙なそうめんはオレらと同じホウキ形をしてる。

でも「縁」があれば過去の人のゴンブトそうめんと、未来人のゴンブト部分が接している。この「接している」は余り三次元的に考えないでね。接点はゴンブト部分しかありえません。未来の人にとって過去の人の時空は確定しているので、過去に行きたい場合は、その時空を頼りにゴンブト1本を遡る作業になる。

重要なことは、未来人の時空と過去の人の時空は異なりますが、接していること。そして、このことが自分の時間をタイムトラベルに使えない理由にもなる。

さて、未来に行こう。未来に行くために使う子供のそうめんもホウキ形だけど、違うのは未来が不確定なこと。だから子供の時間を使って未来に行くと、たくさんある細いそうめんの束のうち、どのそうめんに出るかまったくわからない。どこかに出るのは間違いないけど。つまり時間的迷子にはならないけど。

未来に行った場合、その時空はその子供の時空には間違いないんだが、いろんな可能性があるうちのひとつにランダムに出ちゃう。だから、未来の当り番号を現在に持ち帰ってきても、それがその通りになる保証は現在には無い。未来の可能性のひとつを見てきただけで、そういう意味では現在でも条件が同じになっちゃうでしょ?つまり意味が無いってこと。

絶対話してはいけないってのは、たぶんだけど、時空は違うけど、未来人にとってのオレの過去は確定しているので、オレに極端な影響が出る話をすると自分が帰れなくなるんじゃないの?なんかあそこまで答えを拒否される理由って、そういう自分にとって致命的なものしかないと思う。でも、これはオレも謎です。

時空間の話はオレも最初に聞いたときに想像を絶するものだったんで、図を描いたりして理解に努めたけど、他人にうまく説明できる自信は無い。わかりにくければまた聞いてください。 つーか、誰か絵がうまい人、図描いてくれw頼む。




2.未来は「因果の理法」に従う

筆者は、オカルト自体は否定しませんし、UFOやタイムマシンも有り得るとは思っていますけれども、Aさんが未来人・ツカモト氏と本当に会ったのかどうかについて、興味はありません。筆者が興味を覚えたのは、未来人・ツカモト氏が語ったとされる時空間の解釈です。

この時空間解釈が正しいと仮定して、少し考えてみたいと思います。

まず、未来人・ツカモト氏の説明した時空間には2つのポイントがあるように思われます。それは、「未来は因果律に支配される」ことと「現在からみた未来は無限に枝分かれしている」ということです。

因果律というのは、何某かの事象には、必ずその原因がある、要するに原因結果の法則、因果の理法のことですね。未来は現在の思いと行動が決める。昔から良く言われることですけれども、ツカモト氏によれば、未来人の世界でも因果の理法は働いているわけです。(笑)

そして、この因果律を前提に考えると、「無限に枝分かれする未来」というのは、現在ただ今の選択の結果、即ち、因果律に基づいて、Aさんのいう"奇妙なそうめん"の一本、一本のどれかを選択することになります。或いは、そうめんで分かりにくければ、"手の平"に置き換えてもいいかもしれません。例えば、手の平の部分を現在だとすると、手首から肩にかけての腕の部分は、既に確定した「過去」、そして、親指から小指までの、"指の部分"が枝分かれする「未来」だと見ることができるかと思います。

では、なぜ、未来が因果律に支配される筈なのに、枝分かれしていく必要があるのかというと、それはもう、そのおおもとの「思いと行動」に一定の自由性が与えられているからだと思うのですね。

例えば、東京に住んでいる人が旅行したいと思ったとします。だけど旅行先を大阪にするのか、アメリカにするのか、はたまたヨーロッパにするのかといった部分は本人の自由です。けれども、無限に自由という訳でもなく、旅行資金がどれくらいあるかや、紛争地域などの危険地帯への渡航が禁止されているといった、一定の制約はあるわけですね。

ただ、その制約の枠内であれば、自由に選択することができる。これが未来が無限ではないにしても、いくつかに枝分かれする理由ではないかと思います。もしも、人間の思いがそれこそ、ロボットか何かのように、プログラミングされたもの以外、一切考えることができなかったとしたら、自身で未来の分岐を生み出すことはできず、他者からの干渉によって、未来分岐のどれかを選択させられていくことになる筈です。

では、「思いの自由」さえ確保できれば、より良い未来を選択できるかというと、そうとは限りません。なぜなら、「思いの自由」が生み出せるのは、枝分かれする未来世界であって、それを選択するのは、自身の行動に拠る部分が大きいからです。

つまり、思うだけで、何も行動しないということは、他者へのアプローチをしないということであり、それは未来を選択する"原因"にまではならないからです。未来が因果律に支配されるのであれば、現在において、その未来を支配する"原因"がなければなりません。ですから、未来を変えたいと思うのであれば、未来を変えるだけの原因となる行動が必要になります。

要するに、分岐する未来の世界とは、人間の思いと行動の自由性に立脚しているということです。人間が思う数だけ未来の世界は"可能性"として生み出され、行動による"原因の生成"によって、そのどれか一本を選択する。そうやって順々に未来が確定していくということですね。これは非常にロジカルで無理のない考え方だと思います。

巷の予言者や未来予知したといった人の予言が当たったり、当たらなかったりするのも、人によって分岐したそれぞれの未来、つまり、"親指の先の未来を"見た人や、"中指の先の未来"を見た人が、それぞれの未来を語るのだけれども、今の世界がどの指を選択するのかは、まだ決まっていない。仮に現実世界が中指を選択したら、中指の未来予言が当たり、親指の未来予知は当たらなかった。単に、そう見えているだけなのかもしれません。

けれども、現実世界はもう少し複雑なプロセスになる筈です。なぜなら、世界は自分以外の他者という存在があるからです。

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3.未来は「意志」がつくる

先程の旅行の例で言えば、ある人が大阪に行きたいと思ったとします。そして東京駅に行って新幹線の切符を買おうとしたら、他にも大阪に行きたい人がいて、既に切符が売り切れだったなんて普通にあることです。また、新幹線に乗れたとしても、積雪や架線事故などで、先に進めず、途中の名古屋で折り返し運転になってしまうことだってないとはいえないですね。

ここで切符が売り切れだから、旅行を取りやめにしたり、名古屋で折り返して東京に戻ったりすれば、それは当初、大阪に行くという未来(世界線)を選択したのに、そうはならなかったということになります。ですから、自分自身の思いと行動だけで、すべての未来が確定するとは限らない場合がある。これがまた、未来が不確定でもある一因になっているのではないかと思うのです。

それでも、人間には、思い描いた未来を"強引"に実現する能力が備わっています。それは「意志」の力です。

たとえ、大阪行きの切符が売り切れだったとしても、また、名古屋で折り返し運転になってしまったとしても、本人に「何が何でも大阪に行く、這ってでも行ってやる」という強固な意志がある場合を考えてみれば、それは明らかです。

本人に絶対行くという強い意志があれば、それこそ、空席が出るまでいつまでも待ったり、在来線や飛行機、或いは船といった別の手段を使ってでも大阪に行くでしょう。この場合は、実現までのプロセスこそ違っていても、大阪に行くという思い描いた未来は実現している。

当初の新幹線で真っ直ぐに大阪に行くという未来(世界線)は選択できなかったとしても、その隣にある在来線で大阪に行く、或いは飛行機で大阪に行くという未来(世界線)を選択することで、結局、元の世界線に戻る事はできる。その意味では、それぞれの世界線は"より糸状"になっていて、所々のポイントでまた交わっている、そういう解釈ができるかもしれません。

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その意味では、ドラえもんの第一話で、セワシ君がのび太の運命が変わっても自分が生まれることを説明するシーンがありますけれども、あれなどは意外と核心を突いているのかもしれませんね。

要するに、自分が選択した未来は、本人の意志の力と他者との関係で、実現するや否やが決まるということです。そして、これを世界全体に広げてみると、世界は、個々人が「これでいい」と同意した物事の総和・或いは集積によって形作られているのではないかと思うのです。

例えば、インターネットにしても、多くの人がインターネットを是とし、受け入れているからこそ、私たちは、今のネット社会という世界線に乗っているのであって、もしも、インターネットを大多数が拒否してしまえば、インターネットのない世界、つまり、今の世界線とは違った世界線に乗っていることになります。

けれども、逆に考えれば、他者に、自分の選択した未来に同意し、賛同してもらうことさえできれば、自分の思い描いた未来が、よりスムーズに実現できるともいえるわけです。

その意味では、フランス革命あたりから生まれた「自由と平等」の考えに同意した人や国が一定以上いるがゆえに、資本主義国家が存在し、また、マルクスから生まれた、共産主義に同意した人や国がいるから、共産国家が存在しているとも解釈できます。

ただ、共産主義についていえば、近年その失敗が明らかになり、それに同意する人がどんどん少なくなっている現実があります。ですから、今後、人類は共産主義がない未来(世界線)を選択する可能性が高いと思われます。したがって、何某かの考えが世界を席巻し、人類の過半を同意させるだけの影響力を持つことは、それだけで、未来をある程度確定させているともいってよいように思われます。




4.より善き世界線に乗るために

未来を選択するためには、何某か考えとそれに対する同意が鍵になると言いましたけれども、では、これをシステム的に行う方法があるのかというと、これはもう、国家レベルでは普通にやっているのですね。それは、物理的抑止力と、心理誘導の2つによって行われます。

国家レベルにおける物理的抑止力とは、そのままズバリ、警察力です。また、それを行使するために法律も警察力の範疇に入れていいかもしれませんね。また、心理誘導とは、ある一定の方向に、人々の行動をあたかも自分自身で選んだかのように誘導することです。具体的には利益誘導や、教育などがそれに当たります。

これまでにも述べてきたように、分岐する未来の世界が、人間の思いと行動の自由性に立脚しているとするならば、その思いと行動の自由を制限してしまえば、分岐する未来の世界を任意の方向に絞り込んでいくことが出来る筈ですね。

例えば、国家が、規制ないし法律を強化することで、人の行動を縛りつける。そうすれば、分岐した未来の"そうめんの本数"がいくらあったとしても、実際に選択できる本数は少なくなります。また、ある特定の分野にインセンティブを付けるなどして、利益誘導すれば、多くの人はこっちが得だからと、そちら方面の未来ばかりを選択しますから、結果的に特定の未来分岐に誘導することになります。

また、何某かの"偏った"教育を施すことで、人の思いの幅を制限し、分岐する未来の本数をぐっと少なくしてしまうというやり方も可能ですね。

この規制や法律を強化することで選べる分岐を少なくするシステムを採用しているのが共産主義国家であり、利益誘導によって、特定の分岐を選ばせるシステムを採用しているのが自由主義国家ということになるかと思います。最後の"偏った"教育を施すことで分岐そのものを少なくするのは、全体主義国家が相当するのではないかと思います。

では、未来の可能性を拓くためには、どういう条件が考えられるのか。

まず、確率面から考えると、選択できる未来分岐が無限に近く用意される必要があるかと思います。仮に100本の分岐があったとして、そのうち90本は良くない未来だったとしても、残り10本には良い未来があるかもしれない。けれども、最初から残りの10本を選択できないように規制が掛かっていたり、教育されていたりすれば、その世界はかなりの確率でよくない未来の世界線に乗ってしまう。であれば、可能性だけでもより多くの選択ができるようになっていれば、僅かながらでも救われる可能性が高くなるわけですね。

その意味では、共産国家よりは、まだ自由主義国家の方が、選択の自由・教育の自由がある分だけ、可能性としての未来分岐の数が多く持てるのではないかと思います。

次に、より多くの賛同を得られ、尚且つ、正しい考えが存在することが何より重要ではないかと思います。世界レベルで分岐した未来の中から、どの分岐を選択するのかは、世界中の人々の同意がそれを決めるとするのなら、誰がみてもその通りだ、と思える現実的な考えだけが、その資格を持ちます。

例えば、最近まで、地球温暖化が叫ばれ、CO2排出削減された未来分岐を選択する方向に進んでいましたけれども、それでも経済的理由その他で賛意を得られない国があったり、実は温暖化していないんじゃないかという情報が出たりして、今では、当初選んだ筈の、「CO2削減世界線」からは外れかけています。ですから、それだけ世界中の国々の同意を得られる考えは現実的である必要がありますし、何よりそれが善き未来を創る考えでなければなりません。

果たしてそれが今の世界にあるのかどうかは分かりませんけれども、未来を拓く鍵が今の世界線に落ちていることを願ってやみません。


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この記事へのコメント

  • 白なまず(鯰:魚念)

    >未来を拓く鍵が今の世界線に落ちていることを願ってやみません。
    これは心配いりません。この世が駄目でも、あの世があります。
    意志の力は「念」へと繋がっています。信念でもあります。また、生きてるこの世の世界のみならず、あの世(死後の世界)でも心の状態で世界観が決まるところが壮大な罠で、多くの魂が引っかかっていて、魂のレベルアップに最適なこの世の世界への輪廻転生の回数が少ない場合、長い時間かかっているのに、ちっともレベルアップ出来ていない。人間の体験としては時間経過で人生をトレースしているが、魂の経験としては、時間は飛び飛びで「自分の魂が設定した課題をクリア」するとチェックが付くチェックシートの様な存在で、特に順番が必要な訳でもなさそうだ。経験の差がそれこそ個性へと繋がるし、レベルアップの過程の違いが価値観の違いを生む。まさに可能性の選択の問題でもある。魂の視点に立と経験は過去、現在、未来での差は無く、つまり時間は関係なく、経験できたかどうかであるから、魂の経験で決まる心の状態=平衡状態で安定している。つまり、魂に新しい経験値がチェックされると、それに従い、経験前の平衡状態から次の平衡状態
    2015年08月10日 15:25
  • 日比野

    白なまずさん。どうもです。

    4S炉については、細々と調べています。そのうち記事にする予定ですので、アテにしないでお待ちいただけますようお願い致します。m(__)m
    2015年08月10日 15:25

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