九州北部集中豪雨とダム

 
九州大雨被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。

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先日の九州北部を中心とする記録的豪雨が、各地で大きな被害を出している。

各地で河川が氾濫し、一時35万人以上を対象に避難指示・勧告が発令され、現在も一部継続されている。また、土砂崩れもあちこちであり、熊本の阿蘇山では、外輪山などの急傾斜地を中心に60カ所以上の土砂崩れが起こっている。

河川の氾濫、土砂崩れや住宅の倒壊などによる死亡又は行方不明者は、7月18日現在、福岡、熊本、大分3県で18日現在、死者29人、行方不明者3人と報告されている。

元々、日本は水害の多い国で、昔から堤防やダム建設などの治水事業に取り組んできた歴史があるのだけれど、流石にこれ程までの"経験したことのない豪雨"ともなると、支えきれないところが出てくるのも仕方ないのかもしれない。

だけど、それでも水害対策をしっかりやるやらないで、その被害に大きな差が出てくることは今回の水害でも証明されている。大分県竹田市(たけたし)もそんな地域のひとつ。

竹田市は、大分県西部に位置する城下町で、滝廉太郎が「荒城の月」の構想を練った岡城があることで知られている。この地域は、年間平均降水量が1829mmと雨が多く、昔から水害に見舞われてきた。

江戸期以降の水害はざっと次のとおり。
○元和5年(1619年)8月
•大風雨に見舞われ、洪水により滑瀬橋が落下。

○寛文9年(1669年)8月
•大風雨により城内、城下ともに被害。 旧岡藩領内の村々にも多大な被害。

○元禄15年(1702年)8月
•大風雨により洪水発生、旧岡藩領内の各所に被害を受け、領民の間に死傷者。

○宝暦5年(1755年)8月
•大雨による洪水のため、旧岡藩領内各所に被害。被害石高は3万8千石。

○安永7年(1778年)7月
•大雨により旧岡藩領内に被害。秋には大風雨による被害。被害石高は3万7千石余り。

○天明2年(1782年)7月
•2度にわたる大雨に見舞われ、旧岡藩領内に大きな被害。被害石高は4万3千石。

○寛政3年(1791年)6月
•大雨による洪水発生。旧岡藩領内に大きな被害。領民に死者。

○文化元年(1804年)8月
•大風雨により洪水発生。旧岡藩領内に甚大な被害。 死者20名、負傷者8名。

○文政8年(1825年)夏
•初夏より長雨が続き、8月に洪水。田畑に大きな被害。 被害石高は3万9千石。

○文政11年(1828年)7月
•大風雨に見舞われ、旧岡藩領内に被害。 被害石高は4万2千石。

○天保6年(1835年)7月
•大風雨のため洪水発生。旧岡藩領内に大きな被害。死者3名。被害石高は3万5千石余り。

○明治 2年(1869年) 6月
•大雨により洪水発生。下町地区が浸水。死者を出したと伝えられる。

○明治38年(1905年)
•大雨により洪水。竹田橋流失。

○大正12年(1923年)7月
•集中豪雨により洪水。死者3名、流失家屋9戸、浸水家屋200戸。

○昭和28年(1953年)6月
•集中豪雨により洪水。死傷者数名。

○昭和57年(1982年)7月
•死者7名。負傷者13名。浸水家屋356棟、浸水農地は875ha。被害総額約53億円

○平成2年(1990年)7月
•死者5名。死者4名、負傷者33名。被害総額約466億円
とまぁ、10年か20年に一度は大水害に遭っている。

竹田市内には、大野川水系の「稲葉川」と「玉来川」が市内を東西にカーブしながら流れ込んでいて、これら河川の治水がポイントになる。

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竹田市は市街地上流に、稲葉川と玉来川のそれぞれのダムを建設する「竹田水害緊急治水ダム建設事業」を平成3年度事業採択し、河川改修とダム建設を組み合わせた治水対策を行う計画が立てられた。

平成12年度には市街地の河川改修工事が完了し、平成15年3月に、稲葉ダムの本体工事に着手。平成22年度に完成しているのだけれど、玉来ダムのほうは遅れていた。

玉来ダムは、平成21年8月の基本設計会議でダムの位置と型式が決まり、平成22年度から、詳細設計と用地測量等の本体工事着手に向けた準備作業にかかることになっていた。だけど、例の民主党の事業仕分けで、再検証の対象となり、平成23年10月に国交省の事業継続決定が下されるまで、およそ1年、事業が遅れてしまった。

そこへ来ての今回の豪雨。ダムが出来ていた稲葉川では被害は殆どなかったのだけれど、残念なことに、玉来川は氾濫し、大きな被害を出す事態となった。

現地では「90年と同じ。店内が高さ1メートルまでつかった。20年に1度の水害は多過ぎる。玉来ダムを早く造り、第2、第3の安全対策を考えてほしい」など、玉来ダムができていれば、こんなことにはならなかったとの声が多く、自衛隊ヘリで玉来地区を視察した首藤勝次市長は「一日も早い玉来ダム完成以外に打つ手はない」と述べている。

7月16日、視察のため熊本、大分両県入りした自民党の谷垣総裁は、「大分県竹田市の災害現場ではダム建設済みの河川は氾濫していない。一方、民主党の事業仕分けによってダム建設が延期になっている場所が氾濫している」と指摘している。

まぁ、それはそのとおりではあるのだけれど、ダムのような大きなものは1年や2年で造れるものじゃない。大分県の事業計画でも、玉来ダムの工期は、工事期間5年、残事業工期7年となっているから、たとえ、事業仕分けがなく、予定通り工事が進んでいたとしても、平成22年度に詳細設計を行い、平成24年度は、準備工事が終わって、転流工事をしている段階。

だから、今回の豪雨災害を防ぎきれたかどうかについては疑問が残る。確かに、民主党の仕分けのせいで、玉来川は氾濫したと言えるけれど、政権交代がなく、自民党政権下であったとしても、やっぱり氾濫していた可能性は高いと思われる。

ただ、去年の震災といい、今回の豪雨といい、民主党の「コンクリートから人へ」というスローガンははっきり間違っていることが誰の目にも明らかになったことは間違いない。

7月18日、名古屋市の名鉄グランドホテルで、毎日新聞社が主催する、ミッドランド毎日フォーラムの講演で、民主党の前原政調会長が「政権交代の成果と課題」と題し、公共事業費の3割減、ダム事業の一部中止、高校の授業料無償化など民主党政権の成果を強調し、「民主党への期待が大きかった分、失望も大きいと思う。力不足は率直に認め、やり続けるための挑戦をさせていただきたい」と述べたそうなのだけれど、 ダム事業中止を成果とし、更に、それをやり続ける挑戦をさせてくれと、この状況下でもいってしまうセンスは、ちょっと理解に苦しむ。

仕分けそのものは悪いとは言わないけれど、まずは、今回の被害に対して国内インフラの有り方、事業仕分けの考え方について反省の弁があっていいように思う。竹田市のように10年、20年毎に大水害が起こる地域のダム事業を簡単にストップさせてしまうようなセンスはやはり心許ない。

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