大津市立中学校イジメ自殺問題について
今日はちょっと、重い話題ですけれども…。
1.どんどんボロを出す大津市教育委員会
7月11日、大津市で苛めを受けていた中学生が自殺した問題で、遂に滋賀県警は生徒が通っていた中学校へ家宅捜索に入った。
家宅捜索が行なわれたのは、亡くなった男子生徒が通っていた公立中学校と大津市教育委員会が入る大津市役所の2カ所。容疑は、昨年9月29日に行われた体育祭で、複数の同級生が男子生徒の手足をはちまきで縛り、粘着テープを口にはって身動きを取れなくした暴行容疑とのこと。
これまで、亡くなった少年の父親が3度も警察に被害届を出していたのを3回とも受理されていなかったのが、ここにきて急に動き出したのも不思議ではあるのだけれど、全く無視されたままよりは全然いい。
或いは、ここまで騒ぎになってしまったことに対する配慮が働いたのかもしれない。事件については、色んなところで報道されているし、また今後の捜査で色々明らかになってくると思うので詳しくは触れないけれど、やはり学校や教員委員会の情報公開を含む対応の不手際が目立っているように感じている。
事件後の10月に全校生徒に苛めについてのアンケートを取り、11月2日に因果関係は不明と発表しているのだけれど、アンケートの一部は公開されず、また、被害少年の父親がアンケートを見せて貰おうとしたところ、個人情報などが含まれているとして、公表しないよう誓約書を取られている。
まぁ、これだけなら非公表も仕方ないかなとも思えなくもないのだけれど、学校側は、何故か11月に2回目のアンケートを取っていて、その結果について被害少年の父親には、新たな事実がなかったとして見せていなかった。そして11月下旬に大津市教育委員会が調査の打ち切りを宣言。本当に何も因果関係がなかったのなら、このまま終わっていたかもしれない。
ところが、今年の7月3日、アンケートに「死亡した男子生徒が自殺の練習をさせられていた」と記載していた事実が発覚し、翌4日、市教育委員会がその記載があったこと認めている。
だけど、この後の対応がいけない。市教育委員会は、「可能な限り、いじめの事実を調べた」として追加調査などはしない考えを表明したのだけれど、報道を見る限りでは、追加調査はしないというだけで、今後の対策について述べていない。
まぁ、物事には原因不明の出来事なんていくらでもあるのだから、追加調査しないこと自体は当事者の判断かもしれないけれど、実際人の命が失われた以上、それを防ぐための対策が当然なければならない。
調査しつくしても原因不明なのであれば、それこそ、ありとあらゆる手段を尽くして防止策を打たないと、同じ事件は何度も起こる。世間では当たり前の考え方だと思うのだけれど、それがない。
そのくせ、7月6日には、事件のあった学校の校長が「自殺の練習はもともと嘘」、「報道は嘘」泣きながら校内放送で騙っている。
だけど、そうは問屋が降ろさない。
案の定、2回目のアンケートで「自殺の練習と言って首を絞める」や「葬式ごっこ」をしていたという記載があることが明るみになり、市教育委員会は、このことを"見落としていた"などと謝罪している。一体どこが、いじめの事実を"調べ尽くした"というのか。校長の「自殺の練習はもともと嘘」の方が嘘ではないのか。
7月12日には、市教育委員会が2回目アンケートの存在を県警に伝えていなかった事が発覚している。また、これまで自殺直後に学校側が全教師に苛めがあったかどうかを調査し、苛めがあったと答えた教師は一人もいないとしていたくせに、13日には、体育祭で暴行していたところを女性教諭が目撃して注意していたことが判明しているし、14日には、男子生徒が自殺する6日前に、苛めの可能性があるとして、教員らが話し合いの場を持っていたことが明らかになっている。
何かこう、隠そう隠そうとしているのと裏腹に、後から後からどんどんボロが出ている印象は否めない。
13日には、大津市が、学校側が実施したアンケート結果の概要を市議会の教育厚生常任委員会で公表しているし、県警の家宅捜査も入った以上、今後も新しい事実が判明するのではないかと思う。
2.「加害者少年の人権を守る」というロジック
ネットなんかでは既に、加害者少年が特定され、実名で晒されているようなのだけれど、ここにきて、少年らは「社会的制裁」を受けているといっていいし、今のところ止む気配はない。
ただ、こんな風になってしまった責任の一旦は学校や市教育委員会にもある。これまでの学校及び市教育委員会の対応には隠蔽だとの批判が集まっていた。再調査と情報公開を速やかに行えば、或いは、ここまでの騒ぎにはならなかったかもしれない。
だけど、それでも、学校や市教育委員会が隠蔽と言い訳を続けるのであれば、加害者少年はいつまでもネットなどで晒し続けられるだろう。それを辞めさせたいのであれば、全ての事実を明らかにし、自分達を含めて厳正な処断を行なうしかない。
市教育委員会はアンケートなどを非公開にした理由について、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」なんて言っているけれど、既に加害者少年は「社会的制裁」を受けている。それは事実を明らかにしない態度に業を煮やした一般人がそれだけ多いということを意味してる。
市教育委員会は、「加害者少年の人権を守る」といいながら、彼らの人権を踏み躙っているのは自分達自身の行為にあると気づくべきだろう。
また、こういう事件があると、時々、「苛められる側にも責任がある」という意見がちらほら出てくることがあるのだけれど、この論法は、要するに、苛められないように自衛しなさいということと同じ。
よく詐欺なんかに遭った人に、「騙す方は悪いけれど、騙される方も悪い」なんていうことが良くある。「苛められる側にも責任がある」もロジックとしては、これと同じになるのだけれど、騙される方が悪いのであれば、騙されないように気をつけるというのは、当然の自衛手段であり、是とされるべきもの、
これを苛めにも適用していいとするならば、苛めに遭った人は、今後、苛めに遭わないように自衛することも是とされることになる。
3.内藤大助を救った佐々木先生
暴力を含む、何らかの加害行為に対して、自分の身を守る方法には2つある。ひとつは害を受けないところにまで退避すること。もうひとつは、害を加えられないだけの抑止力を持つこと。
前者は、加害者のいる学校から遠くの学校に転校することがそれに当たる。だから、学校はいじめを受けたと報告を受け、被害に遭った本人から、転校の申し出を受けたら、ただちに経済的負担を含めて、彼を他所の学校に転校させるように便宜を図る必要がある。
また、後者については、危害を加えられそうになったら、ただちに反撃できるだけの力を本人が持つことがそれに当たる。
普通、柔道や空手の有段者に喧嘩を吹っかける少年は余りいない。だけど、苛められる側の少年がいきなり、空手の有段者になれるわけでもない。となると別の手段で身を守らざるを得なくなるから、ナイフや銃で武装することだって十分有り得る。苛められる側にも責任があるというのであれば、当然本人が、自主防衛する権利を認めなくちゃいけない。
そんな無茶な、と思うかもしれないけれど、学校側が加害者を特定できず、苛めを防げないというのならロジックではそうなってしまう。
元WBC世界フライ級王者の内藤大助さんは中学時代、苛めに遭っていたという。そして、相手を倒す為ではなくて、相手のパンチをよけ、自分の身を守るためにボクシングを始めたのだそうだ。流石に、ボクシングの世界チャンピオンに喧嘩を売る馬鹿はいない。
これは、苛められる側が抑止力を身につけることで苛めを回避する例だけれど、内藤さんによると、ボクシングを始めるようになれたのは、中学時代の佐々木先生のお陰なのだという。
内藤さんが苛めに遭っていることに気づいた佐々木先生は、あるときホームルームで、「最近、誰かが、誰かをからかっている。特定のひとに、ひどいことをしている。誰がやっているか、思い当たるひとは手をあげろ!」と切り出した。
その時は、誰も手を上げる生徒はいなかったのだけれど、佐々木先生は大声で「お前のことを言ってんだよ!!」と内藤氏を苛めていた生徒の名を叫んだという。そして、内藤氏への苛めはおさまった。
その後、内藤さんは、いつまたやられるんじゃないかという恐怖から逃れるためにボクシングを始めた。
内藤さんは、フライ級の日本一になって地元の北海道に帰ったとき、佐々木先生に「先生のひとことで、救われたんだよ」と言ったのだそうだ。
内藤さんの例を持って、他の学校もこうすべきだとはいわないけれど、学校や先生の対応如何で、苛めが酷くなったり、収まったりする余地は相当あるのではないかと思えてならない。
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この記事へのコメント
ちび・むぎ・みみ・はな
権威に対してビクともしない必要がある.
実際には, 現在の日本社会の至るところで
多数による雰囲気作りが行なわれ, 反論すると
実害を被ることが多い.
しかし, 逃げればそれまで.
各々が一度で良いから己の信じることのために
窮地に落ち行ってみることが他人の主張や
幸福を尊重するきっかけになると思う.
人間社会は狭いようで広い.
一つの社会にいられなくなったら
別の所に行けば良い.
しかし, 自分の良心は替えられない.
とおる
マスコミは、公正な社会を維持するための役割を放棄しているようです。
たか