ノマド時代に求められる商品

 
今日は、ざっくばらんな雑談を…。

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1.街中全部がノマド空間になった日本

近頃、「ノマドワーカー」という言葉が流行っているようです。

「ノマド」とは英語で遊牧民(nomad)を意味する言葉であることから、決まった場所ではなく、カフェや公園、お客さんのオフィスなどでノートパソコン、スマートフォンなどを駆使して、ネットを介して場所を問わずに仕事を進めるスタイルの人たちは「ノマドワーカー」と呼ばれています。

では、どんな職業の人が「ノマド」で仕事をしているのかといえば、作家、イラストレーター、デザイナー、個人投資家、やIT技術者などだそうですけれども、まぁ、フリーランス、ということですね。

フリーランスといっても、要するに個人事業主であり、極端な話、本人さえいれば仕事ができるという大前提があります。仕事を請け負って、期日までに請け負った品を収めさえればすればいいわけなのですけれども、個人という制約からその職種は自ずから限定されます。

大きな工場や設備を持って、一人で全部動かしているなんて"個人"なんてそうそういませんから、やはり、ペンと紙さえあればなんとかなる職業、つまり、作家、イラストレーター、フリーカメラマン…あぁ、マンガ家もそうかもしれませんね、つまり、頭脳とそれを書き記すちょっとしたものだけ必要とされる、そういう職業が「ノマド」の対象になるのですね。

その意味では、頭脳とそれをアウトプットする媒体だけに着目すれば、もしかしたら哲学者や数学者なんかもその範疇に入るかもしれません。

要するに、「ノマド」といっても、それが成立するためには、本人と本人が携帯できる程度のモノで仕事ができないといけないわけですね。昔であれば、携帯できるものは紙と鉛筆、あとはカメラやテープレコーダー、画材くらいが精々で、それで仕事ができるものしか、"ノマド"れなかったわけです。

ところが、今の日本のように、ネットが張り巡らされ、皆が携帯電話を持ち、そこいらの喫茶店かどこかでWIFIが使えたりするような環境があると、紙と鉛筆に通信という要素が加わって、必要に応じて他の人と会話できるようになり、より"ノマド"れる範囲が増えたということですね。

けれども、これは、日本のインフラが充実し、庶民に広く電子機器類が普及ているからこそ成り立つ話であって、例えば、砂漠の真ん中で、"ノマド"れるか、というと、これは非常に難しい。熱い砂の上に膨大な数式を書いて素晴らしい発見をしたとしても、通信手段がなければ、何処にも発表できませんし、記録媒体がなければ、一夜のうちに、その素晴らしい数式も風に飛ばされて消えてしまいます。

まぁ、砂漠は極端な例だとしても、日本とて、計画停電などで、付近一帯が一斉に停電になれば、「ノマド」な人たちは、それこそ、本当に電気がある場所まで"ノマド"して仕事をしなければならなくなります。

その意味では、インフラの充実と科学技術の発達と普及こそが、日本の街中全てをノマド空間にしているのだと思いますね。




2.世間がノマド化すれば「知の性能」が見えてくる

さて、日本中の到るところがノマド空間になって、多くの人がそこで24時間暮らすようなライフスタイルが広がっていくと、仕事とプライベートとの区別が段々無くなってきます。それこそ仕事したいと思った時に仕事ができて、遊びたいと思った時には遊べるようになってきます。

それはまた、同時に、仕事の成果物などもネット上にアップされ公開されるや否や、何時でも、何処でも、誰でもそれらを閲覧できるようになることを意味します。つまり情報のデータベース化と拡散が物凄いスピードで行われ、平準化されていくわけですね。

こうした"超拡散"情報時代では、情報そのものの価値というか性能がより明らかになってくると思うのですね。私は「知の性能」というエントリーで、情報には、市場、専門性、賞味期限の3つの軸によって表されると言ったことがありますけれども、ある情報がどれだけの人々に受け入れられ、知られていくかは、これら3つの軸の総合で決まると思うのです。

日本中どこでもノマド空間である以上、その情報は誰でも見ることができる。けれどもその情報が例えば、マニアック過ぎたとしたら、殆どの人は見ることはあったとしてもダウンロードまではしないでしょう。また、その情報が流行りの曲であるとか、芸能人のちょっとした話題などの一過性の流行りであったとしたら、それを見た人は、ダウンロードまではしても、数日もすれば消去してしまうでしょう。

前者は「知の性能」で言えば、"市場"が非常に狭い例になりますし、後者は「知の性能」の"賞味期限"が短い例となります。また、「知の性能」の"専門性"が浅いものは、拡散こそしても、誰でも知っている情報ですから、そのままスルーされてしまうでしょう。

つまり、世間が"ノマド化"すればするほど、特に情報を売り物にする商品の価値は、その情報そのものの性能が決めてしまうということです。




3.ノマド時代に生き残る商品

では、そんな時代の商品には何が求められるのか。

その答えは、非常にベタな表現になりますけれども、私は「量の拡大」と「質の向上」ということになると考えています。

「量の拡大」というのは、その名のとおり、行き着く暇もなく、数を出すということです。例えば、一時期の流行りの曲か何かのように、"賞味期限"が短い情報であったとしても、その短い賞味期限が切れる前に、次の情報を出して途切れさせることがないようにすれば、市場には、常に"新鮮な"情報が流れることになり、需要を満たすことになります。また、今まで、顧客とは考えていなかった層にも販売することで、市場を拡大するという手法も、「量の拡大」に当たります。ただこれは、比較的安易な方法である反面、競争相手も多く、消耗戦に入り安いという弱点があります。

次に「質の向上」というのは、情報そのものの質や密度を高めるということです。一つの情報でも、そこに二つの意味を込めたり、他の情報と組み合わせることで別の情報が出てくるなどの一種の"仕掛け"が施された情報などがそれに当たります。

例えば、 モーニング娘をプロデュースした、つんく♂さんは、今年2月に、Berryz工房の「Because happiness」と℃-uteの「幸せの途中」という2つの曲を発表しているのですけれども、この2つの曲はもちろん別々の曲として作曲されているのですけれども、2曲同時再生するとまた新たな曲になるように仕掛けが施されているんだそうです。

私も聴いてみたのですけれども、確かに2曲同時再生で別の曲となって聴こえます。これなどは、まさに、情報の質や密度を高めている好例だと思いますね。

また、最近、ももいろクローバーZなどの楽曲を手掛けて注目を浴びている作詞作曲家の前山田健一氏は、曲をつくるにあたって、次のようにコメントしています。
「やっぱり今の若い人たちというのは移り気だし、情報社会で凄い情報にまみれているので、当たり前のものを作ったら結構聞き流されてしまうので、彼らに対応するように、やっぱり、その仕掛けを多くしている部分はありますね。」
前山田健一氏

それだけでなく、前山田氏は多いときで一か月に30曲もつくる多作の人でもあり、その意味では、「量の拡大」と「質の向上」を同時にこなすという、ノマド時代の作曲家だといえるのかもしれません。

実は、かくいう日比野庵の記事の中にも、ところどころに"仕掛け"を施していたりしているのですけれども(この記事にも一つ仕掛けがあります)、これからの時代はこうした、「量の拡大」と「質の向上」の2つの方向性もった情報や商品が求められ、残っていくのではないかと思うのです。




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