竹島プラカードと「オリンピズム」という世界観

 
竹島プラカード問題が段々と大きくなってきているようです。

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国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長は、ロンドン五輪サッカー男子3位決定戦で、試合後に韓国の朴鍾佑選手が竹島領有を主張するメッセージを掲げたことについて、韓国中央日報紙のインタビューで「IOCと国際サッカー連盟(FIFA)の規定に反する」と述べた。該当部分について、次に引用する。
--朴種佑選手のメダル剥奪の可能性はどの程度か。韓国では朴選手を擁護する世論が強い。

「今はまだ話せない。国際サッカー連盟(FIFA)の調査結果を待っていて、それに基づいてIOC規律委員会が懲戒の程度を決める。オリンピック憲章関連規定は選手も事前に熟知していなければならない。韓国の特殊な状況があるとしても、規定は守られるためにある」

--朴選手の事態と関連し、1968年メキシコ五輪の陸上金メダリストだった黒人選手トミー・スミスが黒手袋をして表彰台に立ち、問題になった事件が取り上げられている。

「朴選手の場合はメキシコの事態とも性格が違う。当時の黒人選手は人種差別に対抗するメッセージを伝えるために黒手袋をして表彰台に立った。一種の社会的現象に対する声を出したわけだが、それも厳格に見れば一種の政治的表現だ。全人類の和合を図るオリンピックを開催するIOCとしては保守的かつ厳格に接近するしかない問題だ。朴選手の場合、一国(日本)を相手に領土問題に関する立場を表明したものであるたえ、政治的表現という点に異論の余地はないと考える」

--日本の旭日旗のユニフォームも政治的な色彩を帯びているのでは。

「日本のユニフォームが問題だという話はこの席で初めて聞く」

--問題にならないという意味か。

「少なくともIOC内では問題になっていない」
と、ロゲ委員長によれば、FIFAの調査結果に基づいて、懲戒の程度を決めるという。オリンピックはその憲章で試合会場内での政治的パフォーマンスを禁止しているけれど、FIFAも試合での政治声明を禁止している。FIFAは声明で、朴選手に対する懲戒手続きを開始し、韓国サッカー連盟(KFA)および朴選手に対して、16日までに経緯などについて回答するよう求めている。

韓国紙辺りは、韓国サッカー連盟関係者の話として、朴選手は観客からたまたま渡された"竹島プラカード"を掲げたと報道しているようだけれど、たまたまだろうが何だろうが、オリンピック会場で政治声明を行うというオリンピック憲章違反を行ったことには変わりない。

それに、オリンピックに出場する選手全員には、参加条件として「エリジビリティー(eligibility)」という、「五輪憲章に記載された内容を理解し、順守する」との項目に署名提出が求められる。朴選手がオリンピックの試合に参加したということは、この署名を提出していることになるから、明確にオリンピック憲章に違反している。弁解の余地は一切ない。

従って、どの程度の処分になるかは別として、何らかの懲戒処分が行われることは間違いない。



ただ、処分が、朴選手個人で収めるのか、それともチーム全体として処分するのかは、注目すべき点。仮に、今回のことが故意に行われていた場合、個人のみの処分で済ませてしまったら、今後も同じことが起こり得る。何となれば、適当な選手一人を見繕って、プラカードを持たせてアピールさせればいい。たとえ、処分になったとしても、個人で収まるのであれば、「あいつがたまたまやったんだ」と罪をなすりつければいいだけ。何度でも繰り返し可能。

だから、再発防止と言う観点から考えると、今回の政治アピールが"故意"に行われたかどうかは非常に重要な点で、これによって、個人だけの処分なのかチーム全体の処分になるかが分かれると思われる。事実、FIFAが設置した懲罰委員会も、朴選手の行動が故意だったかどうか判断するために設置されている。

ところが、キャプテンの具滋哲選手は日本戦の直後に開かれた記者会見で「光復節を控え意味あるセレモニーをしたかった。当初独島セレモニーを企画したが、『当たり前の話をあえて取り上げる必要はない』という一部チームメートの意見があって万歳三唱に変えた」と話していて、朴選手個人による偶発的なものではなくて、故意性が高く、しかもチーム全体として意図されていた可能性が指摘されている。

実際に、韓国チームは、問題の紙を太極旗の上に載せて皆で運んでいて、誰も止めようともしていない。だから、場合によっては、これがチーム全体の故意性の証拠を見なされ、チーム全体の処分が下される可能性だってある。

流石に、韓国サッカー連盟も拙いと思ったのか、日本サッカー協会の大仁邦弥会長に、謝罪と再発防止を徹底させる旨を記した文書を送ったようだ。だけど、問題なのは、オリンピック会場で政治声明をしてはならないというオリンピック憲章に違反したことであって、日本に謝罪したところで何の意味もない。

第一、日本は今回のプラカード問題について、抗議していない。8月12日、日本サッカー協会の大仁会長は、調査を国際サッカー連盟(FIFA)に任せ、日本協会として抗議する予定はないと発表している。

まぁ、一部には、日本サッカー協会に対して、抗議すべきだ、なんて声もあるようだけれど、日本サッカー協会の抗議しないという態度は正しい。なぜなら、抗議しないということが、そのまま、FIFA及びオリンピック憲章を尊重することを意味するから。



韓国の行動の問題は、あくまでも、オリンピック憲章違反であって、竹島がどうこうじゃない。既に国際オリンピック委員会(IOC)が今回のパフォーマンスを規定違反だとしている。だから改めて日本がいう必要は全くない。抗議しないことで、韓国の謝罪を無効化した。実に賢明。

ここで日本が抗議したりなんかしたら、逆に、日本はオリンピックを政治宣伝の場だと考えているのかと疑われてしまいかねない。ただ、もし、日本が国際オリンピック委員会にいうことがあるとしたら、それは、"オリンピックの精神"ということになるのではないかと思う。

オリンピックの精神とは、その生みの親であるピエール・ド・クーベルタンが提唱した、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というオリンピズムであり、それは、オリンピック憲章にも謳われている。

この精神に基づいて、国際オリンピック委員会が設置されている。オリンピック憲章には、国際オリンピック委員会の使命として、世界中で「オリンピズム」を推進することと、オリンピック・ムーブメントを主導することと定められている。

従って、「オリンピズム」を否定する行為を野放しにすることは、国際オリンピック委員会の使命の放棄であり、自己否定することを意味してる。だから、今回の韓国のような行動は、理念のレベルからは絶対に受け入れることはできない筈。

日本はここを軽く指摘するだけで十分。

先頃、引退した、元陸上選手の為末大氏は、今回の問題について、韓国選手が攻撃したのは日本ではなく、「オリンピックの精神自体」であり、日本として抗議するのは得策ではなく、「もう一つ次元が上の目線から、オリンピズムの本質を諭すようにIOCに意見を出すべきだ。島の問題ではなく、世界中が大切にしているものを貶めた問題として扱うべきだと思う…IOCは結局何を大事にしているのか。それが試されている」と述べているけれど、全くそのとおり。理念を抑えることが大事。

この問題を「戦略の階層」の観点から見てみると、「オリンピックの精神」は、戦略の階層の最上位にあたる「世界観」になると思われる。現実にオリンピックの精神に則って、各種組織があり、オリンピックが運営されている。オリンピックの細々とした規定なんぞは、戦略の階層ではずっと下位の戦術だとか作戦のレベル。

だから、最上位の世界観さえきちっと抑えれば、それで十分。韓国は、故意ではなかっただとか、観客が投げ入れたのを拾っただけだとか、日本のユニフォームが問題だとか、色々言い訳しているのだけれど、それは戦略の階層でいう、技術や戦術レベルでごちゃごちゃやっているだけに過ぎない。自分達がオリンピックの「世界観」を否定してしまった事実は変わらない。

日本オリンピック委員会(JOC)の福田富昭副会長は「みんなが地元の問題を持ち込んだら、会場はプラカード だらけになっちゃうでしょ」と述べているけれど、オリンピックの「世界観」を理解していないと言えない台詞。

個人かチームか分からないけれど、今回の問題で、韓国には何らかの処分が下される。韓国サッカー界は、結局は自爆の道を選んだのではないかという気がしてならない。


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