アルジェリア人質事件で、多少霞んでしまったのだけれど、1月18日、安倍総理は、外遊先のインドネシアでのユドヨノ大統領との共同記者会見で、東南アジア外交の新しい5原則を明らかにした。いわゆる「安倍ドクトリン」。
ドクトリン(Doctrine)とは、「教理」や「教え」を意味する言葉で、政治や外交あるいは軍事等における基本原則を指す。
日本は過去にも、東南アジア外交については、いくつかのドクトリンを発表してきた。大きなものを順にあげると、1977年の「福田ドクトリン」、1997年の「橋本ドクトリン」、2002年の「小泉ドクトリン」そして、今年2013年の「安倍ドクトリン」となろうか。
「福田ドクトリン」とは、1977年8月に福田赳夫総理が東南アジア歴訪の際に、マニラで表明した東南アジア外交3原則で、その内容は次のとおり。
◇福田ドクトリン福田ドクトリンが発表された1970年代の東南アジアは、政治的に不安定な時期を迎えていた。1975年、北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを陥落させ、ベトナムは社会主義国として統一され、周辺国のカンボジア、ラオスも社会主義国となっていた。ASEAN諸国も国内に反政府勢力を抱えていたこともあり、共産化するのではないかと危ぶまれていた。
1)軍事大国とならず世界の平和と繁栄に貢献する。
2)心と心の触れあう信頼関係を構築する。
3)ASEANの連帯と強靭性強化に協力し、インドシナ諸国と相互理解の醸成により東南アジア全域の平和と繁栄に寄与する
当時は、ベトナム戦争で敗北したアメリカが、これらの地域から撤退する姿勢を見せていたため、尚の事、アメリカが退いたあとの「真空地帯」に中国やソ連が進出して、飲み込んでいくのではないかとも危惧されていた。
1974年、当時首相だった田中角栄は、東南アジアを歴訪したのだけれど、その際、インドネシアやタイ、マレーシアで、猛烈な反日デモや反日暴動に遭っている。
とりわけ、インドネシアでの暴動は過熱し、華人系・日系の代理店や事務所・日本車などが焼き討ちに遭い、最終的に車両800台が破壊、470名の逮捕、11名の死者を出す惨事となった。(マラリ事件)
暴動の原因として、それまでの数年間に亘るスハルト政権の強権的政策及び、日系企業がスハルト側近の将校達や華人系財閥と癒着してビジネスを拡大していると見做されたことによる反発だする一方、一方では国軍内部の権力抗争によるものだったとの見方もあった。
福田ドクトリンは、こうした時代背景の中で発表されたものであり、芳しいものではなかった当時の対日イメージを払拭するとともに、アメリカが退いたあとの「真空」を力ではなく、経済とASEAN各国をそれぞれに尊重する形での連帯支援によって、それを埋めたとして、今日でも高く評価されている。
そして、1997年、当時の橋本龍太郎総理が東南アジアを歴訪し、シンガポールにおいて、いわゆる「橋本ドクトリン」を表明した。その要旨は次のとおり。
◇橋本ドクトリン橋本ドクトリンは、福田ドクトリンを踏まえ、日本とASEAN各国との関係強化を図りつつ、経済だけではなく、対等な協力関係へと昇華させる狙いがあった。
1)首脳対話の組織化
2)多角的な文化協力
3)地球規模の課題解決への協力
このとき、ASEANはバランスを取る意図から、中国と韓国にも声を掛け、1997年末からASEAN+3の首脳会議の枠組みがスタートしている。
続いて、2002年に、小泉総理がシンガポールで「東アジアの中の日本とASEAN」と題する政策演説を行い、「小泉ドクトリン」を提唱した。主な内容は次のとおり。
◇小泉ドクトリンこの中で、小泉総理は、3)の「日本・ASEAN包括的経済連携(EPA)」をベースとして、将来的に中国と韓国を加えた「ASEAN+3」、更に、オーストラリアとニュージーランドを加えた「東アジア拡大共同体」の構築を目指すべきであるとした。
1)国の発展の基礎である教育・人材育成を重視するとの観点から、大学間交流と協力を推進する。
2)2003年を「日本・ASEAN交流年」とし、あらゆる分野での交流を強化する。
3)「日本・ASEAN包括的経済連携構想」の推進。
4)新しい時代の開発の未来像を追及するため、「東アジア開発イニシアティブ」会合の開催を提案。
5)海賊の根絶に向けて、各国の海上警備機関相互の協力強化やエネルギーの安全保障強化のための地域協力を進めることなど、安全保障面での日本・ASEAN協力を抜本的に強化する。
この構想は2003年12月に行われた、日本・ASEAN特別首脳会議の「東京宣言」にも謳われ、2004年7月のASEAN+3外相会議にて東アジア13ヶ国の賛同を得ている。
これらのドクトリンを時系列でみる限り、日本が地道かつ丁寧にASEAN諸国と向き合い、着実に関係を深めていっていったことが分かる。
そして、今回の安倍ドクトリンでは、次の5原則を打ち出している。
◇安倍ドクトリンこれら内容をみても明らかなとおり、「安倍ドクトリン」も、過去に打ち出してきたドクトリンの延長線上にあり、そこに更に、「自由や民主主義」といった「価値観」を乗せたものとなっている。
1)自由や民主主義・基本的人権など普遍的価値の定着と拡大
2)力でなく法が支配する海洋を公共財として各国とともに守る
3)経済連携のネットワークを通じて日本経済を再生して各国と共に繁栄
4)アジアの多様な文化・伝統を守る、文化交流の拡充
5)若い世代の交流を活発にし相互理解を促進
つまりは、これまで経済・文化交流といった「政策」ベースでのASEANとの繋がりを提唱していたドクトリンから、更に「世界観」レベルでの結びつきをも構築しようとするもの。
これは、戦略の階層の観点でみれば、政策の階層の更に一段上の階層からの統合を図るドクトリンであり、その意味では、小泉ドクトリンが提唱した、オーストラリアとニュージーランドを加えた「東アジア拡大共同体」を包含し、更にはアメリカ、欧州とも連携できる大きなドクトリンだといえる。
小泉ドクトリンが提唱された当時、ASEAN諸国の一部には、オーストラリアとニュージーランドを加えることに戸惑いの声も上がっていたそうなのだけれど、今回の安倍ドクトリンに「世界観」の階層を加えたことで、その戸惑いを超えて糾合できるフレームが整ったことになる。
一見地味なように見えるけれど、世界観の階層を含んだドクトリンを日本から提唱した意味は大きい。今後に注目したい。
この記事へのコメント
opera
〔参考〕
・「自由と繁栄の弧」路線をどうとらえるか
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/12/28/se-3/
白なまず
【紅白の典礼服で安倍総理を迎えてくれたインドネシア】
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-date-20130122.html
また、スピーチでインドネシアの経済発展をスメル山(須弥山)の高さまでに伸びたとありますが、流石にそれは言い過ぎと思えましたが、インドネシアにはスメル山と言うインドネシア最高峰の活火山がジャワ島にあり、別名マハメル(偉大な山)と呼ばれているそうで、なるほど「上手いな」と思えました。
このスピーチ書面を読んだ時インスピレーション(発光現象)がおこり、安倍総理のスピーチにスメル山が出てくる事は、少なからず天からのメッセージを含んでいると思いました。
弥勒の世では、スメラとは即ち「皇」=「天皇」=「シュメールの命」=「スサの王」=「須佐之男」を示し、イザナギの尊が一人で生み出した天
ちび・むぎ・みみ・はな
> アジアの多様な文化・伝統を守る、文化交流の拡充
文化・伝統の重視は小泉政権からの反省だろう.
つまり, 交流は促進するが, 日本は日本の文化と伝統を
重視するから, 皆さんも, ということ.