1月31日、麻生財務相は、臨時閣議後の記者会見で、日銀法改正について「当面、改正するつもりはない。その必要も特に感じていない。…日銀と政府が対立しているようにあおられているが、すんなり2%の物価目標を決定している。」と、否定的な見解を述べた。
1.日銀の目的
日銀法の改正が叫ばれるのは、日銀の独立性が強すぎることに問題があるからだとは、よく言われることだけれど、その問題とは大きく分けて次の2つが指摘されている。
1.日銀役員は、就任には国会の同意が必要になるけれど、本人が辞めない限り解任させられることがない。(日銀法25条)1については、日銀法25条に定められているとおりで、国会又は内閣にそれを更迭する権限はない。どんなに酷い日銀総裁であっても、本人がやるといえば、任期一杯まで続けることができる。
2.日銀法が定める目的と理念が曖昧(日銀法1条および2条)
では、国会ですら辞めさせることのできない日銀総裁は、その権限に見合った責任を果たしているのかというと、これがまた非常に怪しい。それは2の日銀法が定める目的と理念が曖昧であることに起因する。
日銀が存在する理念と目的については、日銀法の1条と2条に記されているのだけれど、次に引用する。
(目的)第1条で、日銀の目的が定義されているのだけれど、なんと日銀は「お金を刷って、通貨と金融の調節を行う」だけしか規定されてない。差し詰め、"お金供給マシーン"といったところか。
第一条
1.日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする。
2.日本銀行は、前項に規定するもののほか、銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする。
(通貨及び金融の調節の理念)
第二条
日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。
そして、第2条で、その"お金供給マシーン"の理念は、「物価を安定させる」こととなっている。一見、これだけ読むと、まともそうに聞こえるかもしれない。だけど、日銀法第1条と第2条を合わせて考えてみると、日銀が金融政策において、背負うべき責任は、非常に限定された「狭い範囲」でしかないことに気付く。
例えば、日銀を"水道の蛇口"に、通貨を蛇口から出る"水"に例えてみると、日銀法第1条、第2条は、平たくいえば、「日銀蛇口は、いかなる場合も水を流せるようにします。故障しないことが信用です。流した水の水面が波立たないように、常に蛇口を調節します」ということしか規定していない。
蛇口が故障しないのは、当たり前のことだとしても、流した水が巻き起こす水面が波立つことさえなければ、それでよく、水位(物価)が高い低いについて責任を負わなくてもいいようになっている。
これは、デフレだろうが、インフレだろうが、短期の物価変動さえしなければそれでOKということだから、好況・不況は関係なく、責任もない。実体経済に対して何の責任も持っていない。
これが、他国だとどうなるかというと、例えば、アメリカは、連邦準備法2条Aにおいて、「雇用の最大化、物価の安定、穏やかな長期金利を効率的に実現することを目的」と規定しているし、欧州は、EC条約第105条1項で、「物価安定の維持に反しない範囲で、経済成長や雇用の増大などのECの全般的な経済政策を支持する」と定めている。実体経済にも責任を負うことが明記されている。
1月10日、安倍総理は日経新聞のインタビューで、日銀の役割について「実体経済にも責任を持ってほしい。雇用を最大化することも頭に入れてもらいたい」と述べているけれど、まさにこの日銀が背負っている責任の狭さについて指摘している。
だから、その意味では、この"蛇口をどうひねるか"しか責任を持たない日銀が、今回の共同声明で、インフレターゲット2%と、水位のことにまで触れたのは、確かに「画期的」であるのかもしれない。
2.共同声明の問題点
ただ、それでもやはり、日銀は責任逃れをしていると指摘する評論家もいる。
経済評論家の三橋貴明氏は、今回の共同声明について、「インフレ目標の期限がない」ことと、「日銀が構造改革を要求することは越権行為である」と2つの問題を指摘している。
今回の共同声明の文面は、4段落に分けて書かれている。第1段落では、政府と日銀の連携を行なう宣言をし、第2段落で日銀が行うこと、第3段落で政府が行うことを列挙している。そして最後の段落で経済財政諮問会議が行なうことを記している。
三橋氏の指摘のうち、前者の「インフレ目標」は第2段落に記載され、後者の「構造改革」は第3段落に出てくる。従って、三橋氏の指摘する後者の問題点については、共同声明を読む限り、日銀の越権行為というよりは、政府が自分で行うことを書いていると見た方がいいかもしれない。
※もっとも、
とはいえ、前者の問題点が消えるわけではなく、確かに日銀はインフレ目標を掲げたものの、期限を出していない。期限がないということは、結果を確認される締切りがないということだから、極端なことをいえば、「インフレ目標達成に向けて取り組んでいる」とさえ言っておけば、それ以上責任を問われる謂れはない。
もし、仮に、3年も5年も経っても、インフレ目標が達成できなかったとしたら、徐々に政府に批判が集まってくるだろう。その時、政府は責任をとって、内閣総辞職したり、解散したりするかもしれない。だけど、政府がどんなに責任を取ろうとしても、日銀総裁や役員を辞めさせることができなければ、完全に責任を取ったことにはならない。総辞職しても、解散しても、日銀のやり方が全く変わらないのであれば、議員が辞任したって全然意味がない。
仮に、それで責任が取れる方法があるとすれば、日銀が100%政府の言いなりになって、口ごたえせず、政府が定める目標のとおりに、金融政策を実行する場合に限られる。なぜなら「経済の責任は、目標を定めた政府にあり、日銀は政府の指示に従っただけなのだ」という名分が立つから。責任は政府にあると言い張ることが出来る。
ただし、具体的な金融政策を決める際の日銀の独立性、すなわち、政策の裁量権を日銀が持つのであれば、その金融政策が、"目標に対して最適なものであったのか"についての責任は問われることになるだろう。
今回の共同声明には「日本銀行は、金融政策の効果波及には相応の時間を要することを踏まえ、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく」と記されていて、まさにこのケースに当てはまる。
つまり、日銀は「政府の御指示どおり、2%のインフレターゲットを定めました。但し、それをどう実現するかの裁量は日銀にありますので、日銀が決定した政策によって問題が起きないかについてだけは点検します。」というスタンスを取ることで、極力、自分の責任範囲を最小化しようとしたのではないか。結果としてそう見える。
そして、その最小化した責任さえも、「できるだけ早期に」としただけで、期日を設けなかった。悪い言い方をすれば、やってもやらなくても言い逃れができるようになっている。
1月15日、首相官邸で、「次期日銀総裁について意見を聞く」という目的の勉強会が行われたのだけれど、議論の中心は共同声明の文言だったという。
勉強会には、麻生財務相の他、浜田宏一内閣官房参与や、本田悦朗・静岡県立大教授などの安倍内閣のブレーンが参加していたのだけれど、その中で「政府が総裁の解任権を持つよう日銀法を改正すべきだ」との意見が出たのだそうだ。この勉強会の内容は、圧力となって日銀に伝わり、その結果、インフレターゲットの時期について「できるだけ早期に」に改められたとも言われている。
日銀の責任逃れだと批判される、期日を設けない「できるだけ早期に」という表現が、政府からの圧力によって、ようやく書かれたものだったとは呆れてしまう他ないけれど、ないよりはマシだというべきか。
長引く不況を体験し、今やっと、インフレターゲットが日銀の政策になった。デフレからの脱却は、スタートラインについたばかり。
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