3月17日のエントリー「TPPに楔を打ちこんだ安倍総理」で、sdi様とopera様から興味深いコメントをいただきましたので、今日はそのお返事を兼ねて、エントリーさせていただきます。
まずは、くだんのコメントを引用します。
TPPを単にFTAを含む経済交渉だけなら「TPP参加及び参加交渉国中でアメリカについで圧倒的な日本の市場規模と経済力を梃子にアメリカのルール面での独走を阻止する」という構想を安倍首相はじめ政府首脳が持っているとしても、成否はともかくその意図は理解できなくもないです。
ただし、それはTPPへの参加が前提での行動になりますね。それにTPPは経済政策以外、そしてのそれより上位の階層の枠組みが含まれているように見えます。有体にいえばアメリカの掲げる世界観(自由経済、民主制、法治主義etc)に対する回答、という面もあるということです。
もし、交渉が成果を上げずに物別れに陥り日本がTPP参加交渉の席を立つ場合、日本はTPPの掲げる世界観とは別の世界観を提示しなくてはならないのではないでしょうか。これは「自由と繁栄の弧」構想をどうやって成立・維持していくか、という問いに対する回答でもあります。
さらに、TPPが経済面のみならず対中国の政治・外交・安全保障の枠組みの性質を持つなら、日本がその中で枠組み変更の活動を活発化させてしまったときに誰が得をするのか、と当然突っ込まれます。回答はいわずもがなですね。活動の程度や方向性の問題もありますが、匙加減というコントロールがしんどいことになるのでは?。そして、アメリカはその動きを看過することできないでしょう。
そのときに日米交渉のチャンスが生まれる、という見方もできます。安倍政権もしくはその後継政権の交渉で日本の国益を守ることは出来るかもしれませんが、TPPという枠組みの箍がゆるくなりすぎてはTPP本来の成立目的が失われるのではないでしょうか?sdi様より
TPPを考える場合に最終的に問われるのは、その国(者)の世界観・歴史観・国家観だということは、心に留めて置きたい点です。これら2つのコメントで指摘されている点、私なりに整理すると次の4つになろうかと思います。
少し時代を遡ると、冷静崩壊後の世界がどうなるかについて、大きく分けて二つの考え方がありました。一つは、民主主義と自由経済が普遍的価値として残り、世界はグローバル化するというもの。もう一つは、中長期的に世界は多極化せざるを得ず、民族問題・宗教問題・歴史問題が複雑に絡み合って噴出してくるという見方です。
日本では、突然の冷戦崩壊とバブル崩壊が同時に起こり、かつ一時的なアメリカによる一極覇権が成立したため、こうした問題を深刻に議論することもなく、新自由主義的な発想・グローバル化を自明のものとした誤った改革論争に狂奔し、改革を行なってはかえって状況を悪化させるということを繰り返してきたのが、この20年の歴史でした。
もし日本において、世界が多極化するというシナリオが真剣に検討され、一定の政策に反映されていたら、国内情勢はもちろん対米関係・対中関係も今とは全く異なった状況になっていた可能性があったでしょう(一例として、中国の台頭に備えた自衛隊の南方展開の必要性は90年代前半にはすでに指摘されていましたが、それが一応政府の政策となったのは、10年後の9.11以降の小泉政権下であり、その後も遅々として進んでいないことは周知の通りです)。
こうした経験を踏まえてTPP問題を考えるなら、TPPを新自由主義・グローバリズム的視点から捉える浅薄な発想では、リーマンショック後の世界情勢の変化に対応できない時代遅れのものであることは当然ですが、他方で、対中包囲網の一環であるブロック経済化だなどと考えるのも、時代錯誤の自己欺瞞的な詭弁と言うしかないでしょう。
同じ民主主義・自由経済による国家連携と言っても、アメリカのように画一的(しばしばダブルスタンダード的)な対応をするのか、相互に歴史や文化・伝統を背負った存在であることを承認しつつ、民主主義といった普遍的な価値を拠り所として国家連携を図るのかでは、随分と異なったものになるはずです(一例として、過去20年にわたるミャンマーに対する日米の対応の違いが参考になります)。
結局のところ、安倍首相が言うように、多極化する世界にあって日本が本当に一つの極として立つ覚悟を決めたのかどうか、TPP「交渉」を道具として何を実現しようとしているのか、国民としてはTPPにあくまで反対の態度を貫きつつ、今後の推移を見守りたいところです。opera様より
1)TPPを考える場合に最終的に問われるのは、その国の世界観・歴史観・国家観である。要するに、TPPは、世界観にまで直結する問題だということですね。
2)冷戦後、日本は、民主主義と自由経済による一極化と民族・宗教・歴史が絡み合った多極構造に向かうという2つの流れの中で翻弄された。それを踏まえると、TPPも単純なグローバリズム(一極化)か、ブロック経済(多極化)かという見方は時代遅れ。多極化する世界にあって日本が本当に一つの極として立つ覚悟を決めたのかどうかを見守るべき。
3)TPPには経済政策以外にアメリカの掲げる、自由経済、民主制、法治主義といった世界観が含まれているがゆえに、TPPから離脱する場合はTPPとは異なる世界観を提示する必要がある。
4)TPPが経済面のみならず安全保障の性質を持つのなら、日本がその枠組みを変更させてしまうことには一定のリスクを伴うし、余りにもTPPの枠組みを緩めすぎると、今度はTPP本来の目的が失なわれてしまう。
私は、2011年10月のエントリー「TPPブロック経済圏と日本の未来」の中で次のように述べたことがあります。
おそらく、TPPの問題も突き詰めていえば、TPPの主旨である自由と公正が、相手国の文化・風習を、その国民の意思と関わりなく踏み潰してまでも適用すべきものかどうか、ということに行き当たるのではないかと思う。…日本がTPPに参加するかどうかは、世界レベルでみると、確かに日本の安全保障に深くかかわってくる問題であると同時に、日本そのものの有り方を変えてしまう可能性も秘めている。正に、sdi様とopera様が指摘されたように、TPPは表向きは経済政策であるものの、その底流には、自由経済、民主制、法治主義といった世界観が含まれており、それを何処まで深く適用するかによっては、日本の国柄すら変わってしまうという可能性がある、と述べました。そのエントリーで、私が日本語ファイヤーウォールという案について述べたのも、TPPによって、日本の国としての、世界観が脅かされる可能性を懸念したからです。日比野庵本館「TPPブロック経済圏と日本の未来」より
巷では、TPPは主に関税問題として取り上げられることが多く、最近になって、その他の分野でも広く影響を及ぼすことが取り上げられています。けれども、TPPがやろうとしていることを一言で表すとするならば、それは、規格の統一にあたるのだろうと考えています。
例えば、パソコンの画像をテレビに映したり、デジカメの画像をパソコンに取り込んだりする時には、互いの機器をケーブルで繋いで、転送したりします。その時使われるケーブルには、互いの機器間のデータ通信が可能となるように、USB(Universal Serial Bus:汎用シリアルバス)とか、HDMI(High Definition Multimedia Interface)であるとか、統一された通信規格があるわけです。
データ通信規格を統一することによって、互いのデータのやり取りをスムースにしているのですけれども、TPPはそういった規格の統一を、多国間の経済面でやろうとしている。したがって、あらゆる通信を網羅するような、汎用的な統一規格を作ろうとすればするほど、関税のみならず、様々な分野の統一規格が必要になってきます。
いってみれば,関税などは、ケーブルコネクタの接続端子の本数を何本にするかといった程度の入口の議論に過ぎず、その先には、データ送信はシリアルにするのか、パラレルにするのか、形式はパケットで送るのかといった「仕様」に関わる議論があるわけです。TPPでは、公共事業の入札には、英語資料の作成が義務づけられるとか、食品の原産地表示の義務付けがなくなるとも言われていますけれども、あれなどは、正に経済の「通信仕様」をどうするかという議論でもあるわけですね。
けれども、歴史の浅い家電ならいざ知らず、商習慣や言語といった分野は、その国々の歴史や文化に深く根差したものであり、それをまるっきり無視してごり押しすることは、相手国を文化的に破壊することにもなりかねません。
確かにアメリカは他国に対して、画一的な対応を取る傾向があり、しかもダブルスタンダードな時もあるというのは、opera様がご指摘のとおりだと思いますけれども、私は、これは、アメリカの歴史の浅さにも起因しているところがあると思うんですね。
何故かというと、わずか200年かそこらの浅い歴史しかない国では、いろんな文明や文化を体験するという"社会実験"が数多くは出来ないからです。世代にして10世代にも満たない国では、色んな社会を試すだけの時間が持てないのですね。
翻って日本は、古代から王朝社会、貴族社会、戦国乱世の実力社会(グローバル社会)、封建社会(連邦制)に、立憲君主社会と民主社会と様々な社会を経験し、それらが歴史に刻まれ、文化となり、言葉に溶け込んでいます。
よく、開拓農民の子として生まれ、大統領にまでなったリンカーンはアメリカの理想の体現者として取り上げられることがありますけれども、日本では、400年以上も昔に、とっくに太閤秀吉が成し遂げています。秀吉の出世物語は、今でいえば、アメリカンドリームそのものでしょう。
その意味では、アメリカが理想として、他国に掲げてみせている社会は、日本では400年前に体験し、通過した社会であるとも言えると思います。
このように日本は、八重桜のように、過去から様々な社会制度や文明実験を行ない、それらが堆積した国だと思います。それだけ、いろんな文明実験を重ねた実績とそこから得られた教訓という「引き出し」を一杯持っている。それゆえに、他国の世界観を尊重しつつ、全体として統制が取れるように調整していける力があると思うのですね。
ですから、本当は、日本が国力に見合った発言力を発揮して、時にアメリカに意見し、時に誘導しながら、他国間の調整や仲介の労を取って、その中で国益を確保していく方向性で進むのが良いと思うのです。これは、ASEANのみならず、中東に対してもそうだと思いますね。
確かに、世界からみれば、日本の世界観は分かりにくいかもしれません。「頭と足は西洋、胴体は日本」という"鵺のような世界観"に見えているかもしれません。けれども、だからこそ、世界の国々のいろんな世界観を互いに調整し、接着していく力を持っているとも思うのですね。
その意味では、TPPのルール作りにおける日本の役割は大きいといえるのかもしれませんけれども、既に殆どのルール作りが決まっている今の段階で、TPPに参加したとしても、少々遅きに失した感は否めません。
それでも、日本が持っている"八重の桜のような世界観"は手放してはならないものであるし、世界に必要なものでもあると思うのです。
この記事へのコメント
白なまず
その後、ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。私は弟の監視者なのですか?」と答えた。これが人間の吐いた最初の嘘としている。しかし、大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えた。
カインはこの罪により、エデンの東にあるノド(נוֹד、「流離い」の意)の地に追放されたという。
この時ヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。また、復讐されることを恐れたカインに対し、彼を殺す者には七倍の復讐があることを伝え、殺させないよう刻印をしたという。
opera
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/12/28/se-3/
この論説の内容には、ほとんど同意できるのですが、問題はそれを実現する意思と力が今の日本にあるかどうかでしょうね。
洗足池
「TPPが日本文明を破壊、国柄を否定」???
あほか!! 創価学会やオウムの方がもっとましだな。幕末にも似たような事を喚いていたアホどもがいた。尊王攘夷派だ。「国賊安陪」退治でも始めるのか。
余震堂主人
だけが残るでしょう。外国文化の受容と排除はすでに40年前に山本七平氏の著作に詳しい。今日のしろなまず氏のコメントに見られるごとく、ギリシャ、ローマのユダヤ文化の受容と排除も長い歴史的経過を経て、多神教側が譲歩した。
日本も律令時代、キリシタン時代、明治維新、戦後の占領時代の四回外国文化の受容と排除を繰り返してきた。今度のTPPは五度目の歴史的変革を強
WN
具体的な根拠を示していませんね。移民が押し寄せてくるかどうかとモノカルチャーとは必ずしも関係ありません。
>日韓貿易収支については、以下のサイトを見てみろ。
対日貿易赤字が減少したにもかかわらず貿易黒字(韓国の話ですよ、もちろん)が増えるどころか逆に減ってしまった、という事象の説明にはなっていませんね。
落第です。やり直しましょう。
しょうちゃんのつぶやき
今は歴史の短い米国が世界を牛耳っていますが、パリやロンドンの町が町並みや建築物を大切に使用しているのに対してアメリカではいつもスクラップ&ビルドでダイナマイトによる破壊です。やはり歴史というものはとても大切だなと思いました。
アメリカに負けたために、特亜3国(ダニ国家)と連合して日本の歴史にありもしない濡れ衣を着せられ、日本と英霊とが貶められるという結果を生み出していますが開示される歴史資料と安倍長期政権により一日も早く子供たちが胸を晴れる歴史教科書にしたいものです。
NHKと毎日、朝日、中日新聞等いつまでも懲りない売国マスコミの解体・粉砕が優先事項かも知れませんが。。。
お礼のつもりが少し長くなりました。ブログ主さまのご健康をお祈りしています。頭の良い私には少し難しいですが毎日拝見させていただいております。
ちび・むぎ・みみ・はな
国家観, そしてそれを支える信仰観がないと言う点.
そこに日本の新たな世界観を導入すればTPPは
なり立ち得ないのは明らか. 安倍晋三の狙いは
グローバリストが企む国家の消失を救済する点ではないか.