尖閣周辺の日台漁業権合意

 
4月10日、政府は、尖閣諸島周辺での漁業権などの取り決めで合意した。

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内容は、尖閣諸島から12海里内の日本領海には、台湾漁船の立ち入りは認めず、尖閣周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)の一部に共同水域を設け、台湾漁船の操業を認めるというもの。共同水域は、北緯27度以南、沖縄県の石垣島、宮古島などより北側で、この水域内では、日台双方の漁業関連法令の適用除外とする。

また、日台双方で共同水域内の東側に「特別協力水域」を設定。今後、日台漁業委員会を設置し、この水域で双方の漁業者間で問題が生じないよう話し合う予定。協定の発効は約1か月後。

この尖閣周辺での漁業権に関する協議は1996年8月3日から始まっていたのだけれど、尖閣周辺水域を「伝統的な漁場」とみなす台湾漁業者の要求水準が高く、計16回に渡る協議も決裂の繰り返し。2009年からは、協議そのものも中断していた。

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実は、この1996年の日台間協議が始まる直前の7月14日、日本の政治団体である日本青年社が尖閣諸島の北小島に高さ5メートル、重さ210キロ、耐蝕アルミ軽合金製の太陽電池式灯台を建設した。

灯台は石垣島に居住する漁民に譲渡され、7月25日に石垣海上保安部に、航路標識として許可申請を出すことになる。

この北小島灯台の建設について、当時の中国は「釣魚島などの島は古来から中国の固有の領土である。日本の一部の者が勝手に島に施設を建設することは、中国の領土・主権に対する重大な侵犯であり、われわれは重大な関心を持っている。」と抗議した。ただし、当時の中国は、今と比べると全然穏やかなもので、「われわれは一貫して友好的な話し合いによって解決することを主張しており、双方が自制の態度を保持し、一方がことを荒立てないことを希望する」と交渉による解決を主張していた。

これに対して、灯台建設に強く反発したのは台湾の方だった。7月17日には荘銘耀台湾駐日代表が日本交流協会に対し、灯台建設に関して日本政府に厳重に抗議するとともに、「中華民国が釣魚台列島に対して主権を有している」ことを伝えている。また、当時、梶山官房長官が「尖閣諸島は日本の領土であり、所有者が灯台建設を許可したのであるならば、政府が関与する余地はない」と発言したのだけれど、これについても抗議声明を出した。

更に、台北では民間団体が日本国旗を焼いて抗議。21日には、台湾東岸の漁業組合は、漁船200隻以上で尖閣諸島に上陸 を敢行し、中華民国の国旗を掲げる方針を表明。台湾内政部は漁民保護のため沿岸警備を担当する保安警察第7総隊の巡視船の派遣を明らかにする。

24日には、台湾外交部が尖閣諸島周辺海域での排他的経済水域設定など日本の支配強化を受け入れないと公式に声明。声明では、尖閣諸島の台湾帰属を重ねて主張し、漁民による漁業権益保護の訴えを支持した。

ところが、幸か不幸か、28日前後になって尖閣周辺に台風が襲来し、台湾漁船団の派遣が延期。また、台風で傾いた灯台の申請が取り下げられたことを受け、正式に漁船団の派遣も中止された。

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日台間の漁業権に関する協議は、こうした状況下の中で始まっている。1996年8月の第一回協議で、日台双方は「尖閣諸島周辺海域での台湾側漁船の操業を当面現状通りとする」ことで一致。台湾側は日本の経済水域設定に一定の理解を示し、領有権問題の棚上げを前提に、漁業権協定の締結に向けた交渉を拒否しない姿勢をみせたとされる。

当時の台湾は、李登輝氏が総統だったのだけれど、李登輝氏は「主権問題は簡単なことではなく、平和的に解決すべきである」とデモの中止を呼び掛け、漁業権を中心とする問題の平和解決を表明していた。

ところが、この当時の台湾での抗議運動は、元々、台湾漁民の漁業権問題から始まったにも関わらず、8月末以降には、大陸系政治勢力による民族主義の色彩を濃厚にして香港と結びつき、意図的に領海を侵犯する抗議運動へと発展。9月26日には、香港の政治活動家・報道関係者40人を乗せて魚釣島に接近した「保釣号」の乗員5人が海に飛込み、1人が溺死する事件が発生し、10月7日には、台湾から、台湾・香港・マカオの政治活動家ら多数を乗せた約49隻の漁船が尖閣諸島海域に接近、うち41隻が領海を侵犯し、4人が魚釣島に上陸する事態となった。

この頃になると、中国外交部も灯台建設に対し、繰り返し強硬に抗議するようになり、とうとう10月4日、日本政府は灯台の許可申請を保留し、事態の鎮静化を図ることになる。

こうした経緯があり、更に、2009年から協議そのものすら中断していた日台間漁業権をめぐる問題が、今回、急に合意に至ったのは、首相官邸主導で日本側が譲歩したからとされる。

安倍首相は昨年12月、漁業協定の合意を急ぐよう関係省庁に指示。沖縄の漁業に打撃になりかねない譲歩案に水産庁が難色を示す中、最後は首相官邸が押し切ったという。また、その裏では、アメリカの圧力もあったようで、日台交渉筋によると、今年2月以降から、アメリカは台湾への武器輸出問題などで台湾の馬英九政権に対して強く圧力を加える一方、日本に対しても、取り決めを速やかにまとめるよう強く求めたようだ。

4月10日、菅官房長官は今回の合意について、「歴史的な意義を有する。地域の安定にもつながる」と語っているけれど、過去の経緯および、昨年の尖閣国有化を巡って、中国と台湾が「共闘」する動きがあったことを考えると、菅官房長官の発言も納得できるものがある。

その意味では、先の、東日本大震災2周年追悼式で台湾代表を各国代表と同等の扱いにしたことや、WBCでの民間レベルで交流が深まったことなども、一役買ったのかもしれない。



今回の合意について、読売新聞など日本のマスコミは、中国の洪磊報道官が4月10日の記者会見で、「重大な懸念」を発表したと報道している。

だけど、立命館大学客員教授の宮家邦彦氏によると、洪報道官は「台湾の対外関係等の問題に対する中国の立場は一貫し、かつ明確である。中国は日台の関係団体が交渉・締結した漁業合意に対し関心を表明する。我々は日本側に対し、一つの中国の原則及び台湾問題に関し承諾したことを遵守し、台湾問題を慎重かつ適切に処理するよう要求する」と述べただけで、「重大な懸念」とは一言も言っていないらしい。

宮家教授は、この中国側の発言について、極めて抑制されたものであり、文句を言いたくても言えなかったのではないかとしているけれど、そのとおりだと思う。

なぜなら、台湾の林永楽・外交部長が、調印式後、尖閣周辺で操業範囲が「45300平方キロ拡大した」と胸を張ったように、今回の合意によって、最も利を得たのは100万人以上の台湾漁民であり、これに反対すれば、台湾の反中感情が高まる恐れがあるから。

今回の合意によって、中国から台湾を引き剥がす「中台分断」が期待される。中国政府関係者の中には、「この時期に締結したことは、馬政権は最終的に中国ではなく、日米側を選んだといえる」と指摘する人もいるというから、中国としては、今回の合意は相当な痛手になったのではないかと思われる。

ただ、一方で、沖縄の漁民も不利益を被ったことは否定できない。沖縄県の仲井真知事は「沖縄県の要望が全く反映されず、台湾側に大幅に譲歩した内容で極めて遺憾。今回の合意で本県水産業への多大な影響は避けられず、国に強く抗議する」と述べているけれど、沖縄の人達にしてみれば、普天間問題だけでは飽き足らず、海でも俺達を苛めるのか、という気持ちが起こらないとは限らない。

今後、この辺りを巡っての調整は必要になると思われるけれど、大局的には、今回の合意で、中台間に楔を打ち込んだことは間違いなく、安倍政権は、対中外交上で大きなポイントを挙げたのではないかと思う。




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この記事へのコメント

  • sdi

    特別協力水域に日台以外の第三国(傍点付き)の漁船が入り込んできたら、当然排除ということになるでしょうね。その場合、排除する責任も日台両国が共同責任ということになりますかね。
    2015年08月10日 15:23

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