コンフェデ杯のイタリア戦に坂の上の雲をみた

 
今日は少し趣向を変えて…

画像
 ブログランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
6月20日、サッカー・コンフェデレーションカップで、日本は強豪イタリアと対戦し、3-4と、あと一歩のところで勝利を逃した。

いや実に物凄い試合だった。ブラジルにボコボコにされて、まだまだ世界には敵わないと思いきや、イタリア相手に試合の主導権を奪う展開に。負けはしたけれど、内容ではイタリアに勝っていたのではないかと思う。

こちらで、この試合に対する世界の反応が纏められているけれど、試合をみた世界のサッカーファンは日本を絶賛。評価はうなぎのぼり。

ドーハの悲劇の前から日本代表をみてきた筆者にとっては、ここまで日本が強くなったとは、実に感慨深い。

元日本代表監督を務めた、イビチャ・オシム氏は、日本の戦いぶりについて、こうコメントしている。
日本代表の戦いをみて落胆している日本人は多いだろう。しかし結果だけをみて悲観するのは少し違っている。今日の試合では、イタリアを相手に相手ゴールに5人も6人もなだれこむようなサッカーをみせた。強豪国相手にこのような戦い方は少し前のの日本では決してみられなかったことである。

しかし悲しいことに、強い国と戦うときには11人で守ってなんとか失点を免れるような戦い方を長年してきたがゆえに対等に戦うことになれていなかった。靴職人にカバンを作らせることは難しいのだ。日本人が本当に落胆しなければならないのは、今日カバンを作ることが出来なかったことではなく長い間靴しか作ってこなかったことについてである。
鞄職人だ、靴職人だと、実にオシム氏らしいコメントだと思うけれど、長年、日本代表という"靴"しか見てl来なかったファンには味わい深い言葉。

もう12年も前になるけれど、日本代表とイタリア代表の親善試合で、柳沢が1点取って大騒ぎになったことがある。だけど、あれは、中盤でこぼれたボールを稲本が拾って前線に大きくフィードしたのを柳沢が合わせたもの。カウンターによる得点で、それ以降はほとんどチャンスらしいチャンスも作れなかった。



それに比べると、普通に攻めて、カテナチオを切り裂いた今回は全然違う。当時、イタリアのゴールマウスを守り、そして、今回もアズーリのゴールキーパーだったブッフォンは「代表でこんなにシュートを打たれるのは今までになかったことだ。スペインとの決勝でもなかった。本当に何が起こってもおかしくなかったし、どんな結果になってもおかしくなかった。最終的には僕らにとって良い結果になったけどね」とコメントしている。

まぁ、ピッチの湿度と暑さで、アズーリがバテバテになっていたことを考慮したとしても、それでもこれまでとは内容で違っていたことは疑いない。靴ではなく鞄を作ろうとしていた。

この日本のサッカーに世界は驚いた。勝利に相応しかったのは日本の方だというコメントが並んでいた。

筆者は、この世界の反応と、日本サッカー界の歩みは、何やら、明治の開国以来、日本が世界の列強の仲間入りをしていったときの過程というか、世界の反応はこういったものだったのではないかという気がしてならない。

当時の日本は、富国強兵を掲げ、外国人教師を積極的に招いては、西欧の文物を学んでいったけれど、日本のサッカーも、Jリーグ発足時から、外国人監督や、外国人プレーヤー達から教わり、強くしていった。強い外国から素直に学ぶという同じやり方をしている。

明治33年の北清事変で、日本は始めて諸外国との連合作戦を経験するのだけれど、日本軍は、太沽砲台奪還や、北京公使館救援作戦で、その勇敢さと軍紀の厳正さを諸外国に示し、称賛を得ている。特に、イギリスは日本を高く評価し、イギリス公使は「日本は信頼に足る国である」と本国に進言。後の日英同盟に繋がっていく。

こうした日本人の折り目正しさや規律といった特質は、サッカーでも同じ。2011年のアジアカップで日本が優勝した時、イタリア最大の発行部数を誇る一般紙『ラ・レプッブリカ(La Repubblica)』が、ザッケローニ監督に対してインタビューをしているのだけど、日本について違いは何かと問われ、次のように答えている。
「文化です。日本人はきわめて礼儀正しく、次に来る人の苦労を減らすためにすべてをやります。とくに仕事については。空港での選手たちはiPodをもってバスに乗り込まずに、手荷物引き渡し所で列を作ってトランクを引き取ると自分でそれをバスに載せます。そんなことをするサッカー選手を今まで見たことがありません。そして試合のあと選手たちはロッカールームで汚れたウェアを片隅に投げ捨てるのではなく、それをきちんとたたんで片づけるんです。そして選手の一人がそれを集めます。靴下はここ、ジャージはここ、という具合に・・・・決勝戦のあともそうでした。これはもうまるで違う文化です」
日本人にしてみれば、自分の物は自分で片づけるなど、当たり前のことだと思うけれど、外国人にとっては、それが驚きになる。おそらく、明治期の日本に初めて接した外国の反応もこうだったのではないかと思う。

また、サッカーで、日本人選手のストロングポイントは、精緻なテクニックと豊富な運動量、さらには勤勉性や組織力が挙げられるけれど、これなども、軍隊において、同じように発揮されていたであろうと思われる。

そうしたことを考えると、南京大虐殺だの、慰安婦の強制連行だのという中韓の主張とは、物凄いギャップがあることは否めない。

サッカーと戦争は勿論違う。

だけど、それでも、国や民族の性格というものは滲み出てしまうもの。中国や韓国は日本との対戦となると、ともすればラフプレーを連発することが結構あるのだけれど、そんな少林サッカーやテコンサッカーは日本に対してだけ行われているわけじゃない。

2013年6月11日、中国代表とオランダ代表のサッカー親善試合が行われたけれど、中国代表はラフプレーを乱発。一人が退場になっている。

2010年6月17日、韓国はアルゼンチンとの親善時代をしているけれど、その前日の記者会見で、当時アルゼンチン代表監督だったマラドーナは、韓国の選手がキックなど危険な反則プレーをした場合、審判は積極的に対処すべきとコメントしている。

軍隊とサッカーは勿論違う。

だけど、それでも、その戦いぶりを通じて、その国に対して、何某かの印象を持つことには変わりない。日本は中韓がいうほど、悪辣な国じゃない。




画像

この記事へのコメント

  • mohariza

    勝負事は負ければ、善戦しても意味がありません。
    結果のみが歴史、記録として残ります。

    敗者の残愧(ざんき)に堪えない念は、敗者の戯言しかありません。

    選手からは、「結果、負けた。」との言葉しか、無かったと思います。

    戦争においても、勝者からの論理しか、歴史は築かれません。
    2015年08月10日 15:22
  • 白なまず

    以前、技術は場に保存されると書きました。場とは正に仕事をするフィールド全てで、その場に於ける思考、行動、習慣、規律などに保存され、場を共有する人々の間で繰り返し実行され保存され、新たな意志の元で更新されていく行動様式情報群なのです。だから、その場でしか利用できない技術や奇跡を呼び込む力は他の場では発揮できなくなってしまう。生産現場などは自分たちで環境を保全できるので問題が起こる事があっても対応できてそれほど問題ないのですが、それでも事故は起きて最悪人命に係わることがある。そして、どうしようもない時に神様に助けて頂く為に、工場に神棚があり、日々作業の前後に祈る。この謙虚さが日本人の強さでもあり、出来上がる物に魂が宿ると信じる所以になると思います。これに対して、スポーツ会場は各地にあり、対戦相手も変わる。そこで怪我なく良いプレーし、勝利する為には場の考え方に変わりは有るのだろうか?相手がレッドカード当然のギリギリで攻めてくるならば、荒れる場になるだろう、、、元々のプレイの技能で同等で、体力的にも同等の時、そして相手の荒れを鎮める事が勝敗を決めるはずである。それでも駄目ならば氏神様を味方に付
    2015年08月10日 15:22
  • 弁信

    サッカー日本代表を明治期の日本に擬するところが流石は日比野さんですね。

    以下の記事で長谷部キャプテンがいっているように、この試合は日本代表のターニングポイントになるのではないかと思います。この記事に紹介されている試合前のザッケローニ監督の言葉には本当に感動しました。

    http://www.goal.com/jp/news/4991/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97/2013/06/20/4061129/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%83%A8%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%A9%A6%E5%90%88%E3%81%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%8
    2015年08月10日 15:22

この記事へのトラックバック