今日は、久々に文化系のエントリーです。
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1.ケチャ祭りとねぶた祭り
毎年8月に新宿で行われている、有名な祭りの一つに「ケチャ祭り」というのがある。
ケチャ(kecak)とは、インドネシアのバリ島で行われる男声合唱、または呪術的な踊りをともなう舞踏劇のことなのだけれど、1976年から毎年、これを再現して行われている。
この祭りを開催しているのが、世界の民族音楽を題材にしたアルバムを数々発表している日本のアーティストグループ「芸能山城組」。
第37回目となる、去年の2012年の演目は、インドネシア・バリ島の巨竹交響打楽ジェゴグ、グルジア男声合唱、ブルガリア女声合唱、インドネシア・バリ島の青銅の交響楽ガムランの演奏と踊り。そして最後にケチャが行われ、好評を博したようだ。
この芸能山城組を率いるのは、芸術家の山城祥二氏。山城氏は大脳生理学の科学者でもあり、LSDの研究で農学博士号を取得している。
芸能山城組の前身は、お茶の水女子大学と東京大学、東京教育大学のブルガリアン・コーラスのサークル「ハトの会」。山城氏はこれを元に、インドネシアの方まで興味の対象を広げていき、今の芸能山城組となったという。
芸能山城組といえば、1988年に劇場公開された、大友克洋監督の「AKIRA」の作曲を担当したことでも有名だけれど、大友監督自身が「芸能山城組で音楽をやりたい」と希望したのだそうだ。
映画「AKIRA」では、その芸能山城組が作曲した「AKIRA-KANEDA」という歌があるのだけれど、ソウルフルで力強く、今でも印象に残っている。
この歌の中で「ラッセラ ラッセラ」「ラッセ ラッセ」という掛け声があるのだけれど、この掛け声でねぶた祭りを思い起こした人もいるかもしれない。
青森のねぶた祭りでもこれと同じ「ラッセラ ラッセラ」という掛け声がある。なぜ、こんな掛け声になのかというと、その原型は津軽弁らしい。
今ではねぶた祭りは、正装であるハネト衣装を着た人が街を練り歩くのだけれど、その昔、大正から昭和初期の頃は、ハネトを着た子供たちが個人の家の敷地に入って、振る舞い酒や寄付金や蝋燭、お菓子を求めて跳ねたのだそうだ。
その時、「いっぱい出せ、いっぱい出せ、あ、もっと出せ出せ出せ~」と声を掛けるのだけど、これが津軽弁だと「イッペダッセ、イッペダッセ」「ア、ダッセダッセダッセ~」となり、それがなまって、「ラッセラ ラッセラ ラッセラッセ ラッセラ」となったというのが一番有力な説。
仮装した子供たちが、お金やお菓子を求めて、掛け声をかける辺り、何やら「トリック・オア・トリート(Trick or treat!:お菓子くれなきゃ悪戯するぞ」と言ってお菓子をねだる、「ハロウィーン」を彷彿とさせる。こういう風習は何処の国も同じなのかもしれない。
2.縄文語と良成良
他にも、東北の民謡や神楽、祭り、郷土芸能をテーマにした曲を発表しているアーティストの一つに「姫神」というグループがある。
姫神はシンセサイザーとパーカッションの組み合わせた独特の楽曲を世に送り出しているけれど、中でも有名なのは、1997年のTBS系TVドキュメント番組のテーマ曲「神々の詩」だろう。
まか、この曲は聞けば、誰しもが「あぁあの曲ね」と思うくらい有名だと思うけれど、その曲では、日本語のような日本語でないような、不思議な歌詞が歌われている。
実は、この歌詞は縄文語なのだそうだ。
縄文時代とは今から約15000年前から3000年前頃の時代とされているけれど、その頃の記録なんてもう殆ど残っていない。それなのに、何故縄文語が分かるのかというと、これは、研究の結果、こうだったのではないかと推測して再現されたものだという。
この縄文語の再現を試みたのは、国立民族学博物館教授の崎山理氏らのグループ。崎山氏は、縄文語復元の前提として、次の3つの仮説を考えた。
1) 現代の日本語ははるか縄文時代のことばを承継する言語である。この仮説を元に、崎山氏は、奈良時代の上代日本語を足掛かりに、音韻的、語源的に可能な古い形式を探っていった。
2) 縄文以降、日本列島において大きな民族的、言語的交替はなかった。
3) 日本語は複数の言語がまじりあったハイブリッド言語である。
現在、日本語として使われている言葉の多くは、かつて大陸中国や朝鮮半島を経由して、文物と共に渡ってきたものなのだけれど、長い年月の中で、日本人が「大和言葉」だと思っている言葉の中にも、実は、中国語を元にする言葉が混ざっていたりする。
例えば「梅」は、音読みで「バイ」、訓読みで「うめ」になるけれど、漢語で「梅」は「メイ」と読む。これが音韻変化で「メイ」-「メ」-「(ン)メ」-「ウメ」と変化して「うめ」になったと仮定する。
この仮定を他の言葉に当てはめてやる。例えば「馬」という言葉は音読みで「バ」、訓読みでは「うま」で、中国語で「マー」と読む。これに先程の"梅"の音韻変化を当てはめてみると、「マー」-「(ン)マ」-「ウマ」となって、仮定と合致する。
このように、和語に溶け込んだ外来語を排除していくことで、日本語の原型である古代語が浮かび上がってくるのではないかとして、研究をした結果が、崎山氏は「縄文語」を再現した。他にも、崎山氏が再現した縄文語には次のようなものがある。
髪:カミ確かに顔は「ツラ」ともいうし、胸も「胸板(ムナイタ)」という言い方もある。縄文語とはいえ、やはり日本語は日本語というところか。
顔:トゥラ
耳:ミミ
鼻:パナ
唇:ピル
手:タア
胸:ムナ
最近の研究によると、縄文語には、アイヌ語、東北方言に似た言葉が多いのだという。崎山氏が再現した縄文語に従って、姫神の「神々の詩」を現代日本語に訳すと次の様になる。
私の名前はマポ「神々の詩」と銘打っている割には、歌詞の意味はただの自己紹介。ちょっとガクっとなるような気がしなくもないのだけれど、それでも、歌の声というか、響きだけを聞くと、何ともエネルギーに満ちたもののように感じられるの不思議な気分ではある。或いは、別の意味が含まれていたりするのかもしれない。
私は赤い着物が好きです
私は弟が泣くので彼を抱きます
私の名前はマポ
私に祖母と父と
母と兄と弟がいます
私の名前はマポ
別の意味といえば、ねぶた祭りの「ラッセラ」という掛け声は、漢字で「良成良」と書く。これは"良く成る"という言葉の過去形で、"良く成った"という意味もあるのだそうだ。掛け声ひとつとってみても、その意味や由来を知ると、祭りを見る目も変わってくるに違いない。
「良く成る、良く成る、良く成る、良く成る、 稲はいっぱい実をつける。子供は元気にぐんぐん育つ。 かわいい嫁さん、いますぐやってくる。 運がよくなる、運がよくなる」「良成良」より
この記事へのコメント
mohariza
列島の言葉は、多種のアジアからの言葉の「子音」と「母音」の結合した音で、
粘着性を持った原始語である今の残っている
「ぱ ぴ ぷ ぺ ぽ」や「NYA<にゃ> NYI(現代は、<に>と発音)NYU<にゅ> NYE<にぇ> NYO<にょ>」等の今も地方にある方言や沖縄(琉球)語、アイヌ語
に残っている音から、
江戸時代から現代に至る過程で、収斂した「K S T N H M Y R W」の「子音」と「A I U E O <あ い う え お>」の「母音」の結合の 粘着度が少なくなった音として表現されるようになった音の言語と云えます。
詳細は、私のブログの2013年05月30日付けの<日本語の原理 解説 (2)130529改定版(補記、追記)>(http://mohariza12.exblog.jp/20568581/)及び、
2013年06月13日付けの<「日本語の原理」及び「世界語の原理」の訂正のポイント130613>(http://mohariza12.exblog.jp/20
白なまず
【日本人の源流を探して:第5部:神々の故郷と子孫:
アイヌ民族こそ東日本縄文人の末裔だ!】より引用
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_05kamigaminosisonntati.html
【日本人の起源】
http://www.geocities.jp/ikoh12/index.html
アイヌ民族が東日本縄文人の末裔だというには、勿論、根拠がなければならない。
ひとつは、松本秀雄が調べたGm遺伝子である。、、、
縄文人は東日本、弥生人(渡来人)は近畿から西に分布。縄文語は東北と沖縄、全国の古い地名に残ると考えられている。
日本全国に縄文時代に作られたと思われる山への信仰の為の山の加工、人工の山(ピラミッド)がある。北は青森から南は九州まで。
http://plaza.rakuten.co.jp/kasumitoku/diary/200705130000/
縄文時代にピラミッド(山岳信仰)を建設していた集団が日本全国を巡っていたと思われる。言語も同じ可能性がある。沖縄の貝
深月