民主主義を悪用するマスコミ

 
昨日のエントリーのつづきです。

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1.民意が直接反映しにくいマスコミ界

昨日のエントリーでは、報道機関に対して、その報道の責任を追及する仕組みが不十分ではないかと述べたけれど、これが、国会議員であるとか、民間企業とかになると、民意による責任追及は割とはっきりしている。

例えば、議員であれば、選挙が、その責任追及の場になるし、民間企業であれば、株価がそれに当たるだろうと思われる。では、マスコミに対する責任追及の場、或いは指標とは何になるのか。

勿論、マスコミとて、企業体であるから、株価でそれを測れるのではないか、とすることもできるのだけれど、生憎、マスコミは株式を上場していないから、一般人はその株を売買することはできない。ゆえにマスコミの株価は責任追及の場とはなり得ない。

何故マスコミが、株式を公開しないのかというと、その中立性を保つためとされる。もしも株式を公開してしまうと、悪意の企業が株を買い占め偏向した放送や新聞の発行は国民に悪い影響をもたらす懸念があるから。言論の自由を守る原則よりも経済合理性が優先される恐れがあるからということになっている。

マスコミに対して、国民の意見が株価には反映できないとなると、その次に考えられるのは視聴率。視聴率は、テレビ番組をテレビ所有世帯の何%が視聴したかを表す推定値だから、そこに民意が反映されていると見ることは出来るだろう。

だけど、マスコミが視聴率に責任を負うことがあるとすれば、それは番組スポンサーに対する責任であって、視聴者に対してのものじゃない。視聴率という"民意"は受け取っても、視聴者に対して直接に責任を果たすとは限らない。

その意味では、マスコミとスポンサーと視聴者の関係は、ちょうど、日本の選挙制度と似ているところがある。

他の多くの国々でもそうだけれど、日本の選挙制度は、国民が直接、総理大臣を選べない。国民は、選挙によって、国会議員を選出し、当選した国会議員の投票によって、総理大臣を選ぶ、いわゆる間接民主制を取っている。

マスコミが総理大臣だとすると、丁度、番組スポンサーは国会議員に相当するだろう。視聴者は視聴率という"投票行動"によって、自身の民意を示すという構造。マスコミに対する視聴者の民意は、間に番組スポンサーを介した、"間接民意制"ともいうべき似たような構造となっている。

近年、マスコミの"偏向報道"が問題視されているけれど、一般国民がマスコミに直接抗議しても殆ど改善されなかったのが、番組スポンサーへの抗議デモが行われるやCMが減らされ、露骨に番組に圧力がかかった事実をみても、この"間接民意"の構造が成立していることが伺える。

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2.間接民主制を悪用するマスコミ

なぜ近代国家で間接民主制が取られているのかというと、一般に、国家やその社会規模が小さく、単純な国家の場合には、選挙で直接大統領を選ぶ、直接民主制が比較的実行し易いけれど、近代国家のように、規模が大きくなり、また社会的分業が進んでくると、全国民があつまって多数決で国政を決めることが難しくなるし、また、多くの国民は、複雑な国政問題を判断できるだけの政治的素養と時間的余裕もないことから、直接民主制の採用は不向きであることが一つ。

もう一つは、そうはいっても、国民は国政を担当するに適した者を選出する能力、つまり、一般国民に政治的判断を求めるのは難しくても、人物眼はあるだろうという前提があること。これらが多くの国で、間接民主制度が取られる理由とされている。

だけど、いくら一般人にはある程度の人物眼があるだろうとはいっても、それは、その相手に直接会ったりして、その人となりを知っているという前提があっての話。どんなに人物眼がある人とて、見たことも聞いたこともない人物を鑑定するのはさすがに無理。

本来はそうした部分を補完するのがマスコミの役目。"見たことも聞いたこともない候補者"の人格や見識を余すことなく、適切かつ簡潔に広く伝えることができて初めて、有権者はその"人物眼"を発揮することができる。

もしマスコミが、その"見たことも聞いたこともない候補者"のある特定の発言だけを切り貼りして報道したとしたら、それを聞いた有権者はその特定の発言を元にした人物像を描き、それだけでその人物を判断してしまう危険がある。つまり、報道の仕方ひとつで、いくらでも、"カップラーメンの値段を知らない"候補者を作ることができるわけで、これは間接民主制を支える前提を覆す行為に他ならない。

6月24日、テレビ朝日の報道ステーションで、古館キャスターが都議選の結果について話している途中、番組スタッフ側から1枚のペーパーが渡され、今こういう指示が入ったから読んでくれ、と時事通信の解説委員・田崎史郎氏に振るという一幕が放送され、ヤラセだったのか、とネットで話題になっているけれど、これが本当であれば、マスコミは自身の思い通りに世論を誘導しているともいえ、ある意味、間接民主制を悪用しているとも言える。

憲政史研究家の倉山満氏は、この古館氏の振る舞いについて、自身のブログで次のように述べている。
あきらかに古館さん、わざとだわな。

古館さんの絶頂期を知る人間としては、超人的な反射神経の持ち主が、こんなわざとらしいことやるなんて、意図があるに決まっていると決めつけます。

プロレスが台本のあるショーっていうのは、大人になれば誰でもわかります。
タイガージェットシンも本気で相手を殺そうと思ってサーベルを振り回していません。

同じように、 古館さんも本気で日本を滅ぼそうと思って反日言論をしている訳じゃないですし。 というか、報道ステーション初回の前日まで、かの『噂の真相』が「極右ジャーナリスト」呼ばわりしてたくらいで。

ニュースステーションの久米宏が絶大な影響力を持っていたのは、ネットなんかで叩かれる心配がゼロだったというのも大きいですね。

古館さんは久米さんの二番煎じみたいなことをやらされて影響力を持てないどころか、ネットでは国賊呼ばわり。
しかも間違いなく、本心と真逆のキャラを番組の要請に従って演じ続けている。

《後略》

倉山満の砦 「古館『やらせ破り』事件について」より引用
果たして、古館氏が、良心の呵責を感じて、本心と真逆のキャラを番組の要請に従って演じているのかどうかは分からない。だけど、報道番組が何らかの意図をもって世論誘導している可能性があると公然とバラした意味は大きい。これは後々になってじわじわ効いてくるように思う。

もしも、テレビやマスコミとて公平中立とは限らないのだ、と考える視聴者がどんどん増えていけば、マスコミの影響力は、その分だけ低下する。マスコミが世論を誘導できる日はそう長くないのかもしれない。




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この記事へのコメント

  • sdi

    日比野殿の記事では図で
    「国民」→「国のあり方を決定」
    という構図になっています。
    マスメディア、特に新聞・TVの中の方々の意識は以下のようなものではないでしょうか。
    自覚しているかどうかはわかりませんが。
    「ジャーナリスト」→「国民のあり方を決定」
    「→」は「新聞」「TV」などのマスメディアということになるでしょうね。
    2015年08月10日 15:22
  • 日比野

    sdiさん。こんばんは。
    >「ジャーナリスト」→「国民のあり方を決定」
    そのとおりだと思います。ですから、古館氏の「やらせ破り(?)」は後々意味をもってくるように思いますね。
    2015年08月10日 15:22
  • hara

    選挙や株価が責任追及の場になるというのはそのとおりだろうけれど、その前に、マスコミによる周知及び刷り込みというものがある。
    しかし、マスコミの歪曲報道に関しては、グルなのかわからないが、互いに批判しあうという姿勢は基本的にない。政治家、官僚、企業は、なにかやれば、それなりの量の批判報道が繰り返しなされるのに対し、マスコミの不正や歪曲に関しては、出たとしてもチラッと出て消える。周知機能をあえて停止させ、業界の守りに入る権力を持っていることが、問題なのではないだろうか。
    2015年08月10日 15:22
  • 白なまず

    日本で生まれた人は国籍、人種に関係なく生まれた場所の産土の神様から命を頂いて生まれてくる。だから、漏れ無く「大和魂」の種も入っている。つまり、一度正義に目覚めれば、権力に従い不本意な事を行うか、それともおかしい事は正すのか勇気が試される。日本にはそこらじゅうに一色正春さんの様な人が居るに違いない。何しろ、靖国神社には国を守る神々、、、歴史を見れば大塩平八郎や平将門とその魂が国土を守っているのだから。そして、現在の東京の繁栄を支えていた平将門の封印は再び解かれて、、、災の形を取るように思われるが、それとは逆に日本を守るために災いが起きる。人間から見れば矛盾するような事であるが、神の視点からは浄化の一貫でしかない。因みにまた朝鮮人らしき輩が今度は将門ゆかりの「双体道祖神」を盗んだらしい。祟があると騒ぎになっている。しかし、この朝鮮人さえ将門の祟の封印を解く手先でしかなく、ミイラ取りがミイラになり、その一方平将門の魂は日本十に影響することだろう。つまり徳川家康の結界は再び破られたと言う事である。

    「双体道祖神」盗まれる 佐倉市が被害届「戻ってきて」 国指定史跡・城跡内の石像
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    2015年08月10日 15:22

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