死に追いやられた県議と報道責任

 
今日はちょっと重い話かもしれません。

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1.ブログ炎上とマスコミ報道で死に追いやられた岩手県議

先日、ブログで病院批判を展開して批判を浴びた岩手県議が死亡したというニュースがあった。

死亡したのは岩手県議の小泉みつお議員で、死因は自殺だと見られている。

病院批判を展開した問題の6月5日付のブログ記事は、岩手県立中央病院で検査を受けた小泉議員が病院のカウンターから番号で呼ばれたことに激怒して、病院側にクレームを入れた顛末が書かれている。

そして最後に小泉氏は「こちらは15,000円以上の検査料を支払う、上得意のお客さんだぞ。そっち側から、"本日は有難うございました"と、カウンターの外に出て、長椅子に座ってる患者の方に来るべきだろうが---。デパートでもどこでも、1万円以上のお買い物客に、"精算書を取りにこっちへ来い"と顎でしゃくって呼び寄せますか?このブログをご覧の皆さん私が間違っていますか。岩手県立中央病院の対応が間違っていると思いますか!」と憤って見せているのだけれど、病気でやってきた患者さんが、病院に「ありがとうございました」なんて声を掛けられても、返す言葉に困るだろう。それに、患者が「客」というのにも違和感を覚える。

最近はプライバシー保護の為、番号で呼ぶ病院も増えてきている。小泉氏は選挙で名前を売らなくてはならない議員だから、名前で呼ばれたいのかもしれないけれど、その他大勢の一般人もそうとは限らない。その意味では、配慮に欠けた発言だといえる。

当然ながら、この発言に対して、一部ネットメディアなども巻き込んで猛烈な小泉氏批判が起こった。県議会事務局にも抗議や議員辞職を求めるメールや電話が700件以上寄せられたという。無論ブログも炎上した。

これを受けて、小泉氏は翌々日の7日に、ブログに謝罪記事を掲載し、9日にはブログ自身を閉鎖してしまった。

マスコミも、この騒動については報道していたのだけれど、6月11日放送のフジテレビの「とくダネ!」では、リポーターが小泉県議の自宅を直撃した。小泉氏は取材を拒否したのだけれど、取材班はあろうことか、ブログの問題個所をプリントアウトして地元の議員に読ませるなどしていた。

そして、とうとう17日には、小泉氏は、記者会見し「公人としての立場を忘れ、著しく思慮に欠けていた」と謝罪した。

まぁ、普通はこれでひと区切りをつけて、あとは暫くの間は、言動に気をつけていれば、一件落着になったのではないかと思う。実際、小泉氏も記者会見の時点では、議員辞職はせず続投する意思を示していた。

ところが25日になって、一戸町平糠のダム湖湖岸で小泉氏が死亡しているのが発見されることとなる。

小泉氏の死が報じられると、ネットでは、「ブログ炎上くらいで自殺することないのに」「小泉議員を殺したのはメディアだ」「ネットはブログを批判しただけで自殺にまで追い込んだのはテレビ」などといった論調が飛び交った。その一方、マスコミ側は、ブログの炎上が死に追いやったのではないかとし、「今回の事態を引き起こしてしまったネットの怖さをわれわれは考える必要がある」 とネットを問題視している。

実際に、どちらが原因だったのかについては、もう本人に聞けない以上分からないけれど、ネットとマスコミのどちらかに100%責任があって、もう片方は責任ゼロ、という具合にはならないだろうと思う。割合の多寡はあるにせよ、批判をぶつけたことには変わりはないから。

要するにこれは、自身の言動に対して、どこまで責任が持てるかという問題だといえる。

だけど、自身の言動に対して責任が取れる為には、その言動が如何なる結果を導くのかということが見通せないといけない。もしも、小泉氏に対する自分の批判が、小泉氏を死に追いやるということが見通せていたとするならば、遺族に対する責任および社会的責任を負う覚悟がある場合を除けば、追及の手を緩めたり控えたりするのが普通。これ以上批判すると自殺する、という結末が予め分かっていれば、批判の矛先は緩んだ筈。

だけど、悲しいかな、千里眼じゃあるまいし、そうしたことを皆がみんな分かり得るのか、というと現実的にはそれは不可能に近い。

ならばどうするか。




2.表現の自由と市場取引

不特定多数からの批判、あるいは称賛は、いつどこで、どのくらい集まるのか予測することが難しいという意味において、自由市場における売買に似ている。

例えば、株式市場では、市場参加者が好きな時に自由に売買しているけれど、「買い」を称賛・支持、「売り」を批判・不支持に置き換えてみれば、マスコミやネットが何某かの対象についての批判や称賛は、株の売買に相当し、その言論の結果、相手の評判や信用が上下するのは、株価の上がり下がりに対応するといえる。

ついでに言えば、大手マスコミは機関投資家に当たるだろうし、ネットユーザーは個人投資家になるだろう。

では、そんな株式市場において、市場参加者は何のルールもなく自由に売買できるかというと、そんなことはない。ちゃんと売買についての取り決めがある。例えば証券会社がインサイダー取引など違法行為をしたときには、金融庁が一部業務停止命令を出したりするし、企業の重大発表や、経営統合などの報道を受けて、一時取引停止になったりする。これらは、自由で公平な売買を守るために設けられている措置で、自由とて一定のルールがあってこそ成立するものもある。

言論の自由や表現の自由に、市場取引との類似性があるであれば、それを守るための統一ルールがあっても良いのではないか。例えば、株だと、当日取引日での値上がりと値下がりの限界値、いわゆるストップ高、ストップ安が決められているけれど、ネットやマスコミの報道でも同様に、ブログのコメント書き込み上限は1000コメントまでとか、マスコミの報道は一日あたり最大5時間まで、という具合に"ストップコメント数"、"ストップ報道時間"を設定して、際限のない批判が集中することがないようにすることもできるのではないか。

また、報道したり、批判したりする側も、事実に基づかない批判であったり、余りにも問題があると思われるものについては、業務停止命令ではないけれど、該当番組の放送を一回停止しなければならないとか、特定の期間内では、ゴールデンタイムの1、2時間は放送できないとか、なんらかのペナルティを課すことだってやれなくはない。

ペナルティをはっきりさせることで、言論に対する責任を可視化しておく。そうすれば、批判の行き過ぎにはブレーキがかかる。

こうしたペナルティは、株の世界だけじゃない。例えば、デモにだって、ペナルティは設定されている。ちゃんと届出をした普通のデモ行進があるとすると、デモ隊の周りには警備の警官がつくことがありこそすれ、別に何のお咎めを受けることもない。だけど、デモ隊が暴力をふるったり、火炎瓶なんかを投げるようになったら、届出をしていようが何をしようが速攻で逮捕される。

これは、行き過ぎた者は逮捕するというペナルティがあり、それを回りがちゃんと認識しているがゆえに、そこでブレーキがかかるようになっているということ。ペナルティを設定し、周知することで、行き過ぎた行為に対して抑止力が働くような仕組みが出来ている。

その意味では、マスコミの世界は、「表現の自由」こそ声高に主張されるのだけれど、表現したことに対して責任を取る仕組みについては、曖昧というか整備不十分の感が拭えない。

マスコミの世界で金融庁に当たる存在を敢えて挙げるとすれば、それはおそらくBPOということになるのだろうと思う。だけど、BPOは"業務改善命令"は出すことはあっても"業務停止命令"は出したことはない。ゆえに、外からは、マスコミにペナルティを課されていても、それが番組にまで反映されない限りそれとは分からない。

だけど、今回の小泉氏のように、自殺にまで追い込む程の行き過ぎた批判を問題視するのであれば、どこから先が"行き過ぎている"かの線引きと、行き過ぎた場合の"ペナルティ"の明確化と可視化が必要不可欠のように思える。

勿論、報道する側に一定の良識があり、節度を持った批判や報道をしてくれるのであれば、なんの制約もペナルティも要らないし、筆者もそれがあるべき姿だと考える。だけど、それは多分に性善説に基づいた考えであることも事実。だから、残念ながら、現実がそうではないというのであれば、それなりの対応を取ることも考えるべきだろう。

その意味では、自由取引の世界に置いて、最先端を走っているであろう、金融や株取引等々のルールに学ぶというのも一法ではないかと思う。




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この記事へのコメント

  • M

    この自殺と称する裏には、何処かの組織(何処かとは云いませんが・・・)が絡んでいると推測されます。

    日比野庵さんも、言動にくれぐれも御注意を!
    2015年08月10日 15:22
  • ちび・むぎ・みみ・はな

    岩手県議会の議事録を見ると小泉光男議員は
    利権構造をを中心に追求する議員であるようだ.
    委員会では積極的に質問している.
    これがバッシングの一つの原因ではなかろうか.

    正義を目指すものほど強く叩かれる.
    何やら中川議員を思い出すが,
    小泉議員を中川議員と比較して良いものかどうかは
    良く分からない.

    小泉議員の問題を議論するのであれば, ここ数年の
    同議員の活動を調べる必要はあるだろう.

    いずれにしても, 県議会名簿からは削除されている.
    岩手県は随分と手回しが良い.
    2015年08月10日 15:22
  • 白なまず

    議員や政治家としての公的な判断(行動、発言)と、個人としての意見を区別しなくてはならないと思う。日頃とんでもないと一般人に思われる行動を取るような政治家が実は有能な判断ができる人は多いはずである。(但し、鳩山由紀夫氏は除く😁、鳩山氏の場合、日本人にとっては有害😳であるが、反日にとっては有能😈とも言える)個人の失言を許せない社会では公人に成ろうとする生真面目な人は失言で淘汰され、残るは失言しても恥と感じないような人ばかりになるだろう。しかしながら、社会の空気の変化について行けなければ駄目な人で、社会から村八分にされてる事は昔からあったが、だからといって社会の空気の方が正しいとは思えない事もあるだろう、つまり権力者に媚びている人が多い社会もあるだろう。この議員の失言より、恥と感じた結果の自殺であれば、自殺を選択した事に問題があると感じる。学校のイジメの結果自殺する学生の話も同じような構造と脆さを感じる。公人は公の為に命をかけるのは美徳であるが、個人の考えで命を断つ前に出来る事はまだあるはず。議員を辞めるとか、考えをまとめて主張するとか、謝罪す
    2015年08月10日 15:22

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