
昨日の続きから。

桜島から大量の火山灰が振った鹿児島の現地の状況は、結構大変なようだ。こちらで、現地からのツイートの纏めがあるのだけれど、ここまでの灰は初めてだ、とか、目や喉が痛いといったツイートが並んでいる。角の尖った火山灰が目に入るとやっぱり痛いようだ。
いくら現地の人は、桜島の噴火に慣れているとはいっても、灰で真っ白になっている市街地の映像とか見ると、大丈夫だろうかと流石に心配になる。
だけど、それとは逆に、そんな状況を喜び、嘲笑する残念な人達がいる。例えば韓国がそう。
韓国も、桜島が噴火した18日の夜8時頃から、早速それを国内で報道したのだけれど、ネットからは、「これは楽しみだ」「祝爆発」「地球で最も汚い国」「迷惑王、放射能に火山灰に…」「君の悲しみは私の喜び」「惜しい。もっと大きく爆発しろよ」などといった発言が溢れたそうだ。一部だけのコメントかと思いきや1500余りのコメントのうち1200以上がその類のコメントだったというから、一部というには余りにも多すぎる。
まぁ、反日国の韓国のことだから、日本の不幸に対してのみそうした反応をしているのかというと、必ずしもそうとは限らない。先日のアシアナ航空墜落で、2人の中国人が死亡しているけれど、それを知った韓国ケーブルテレビ局の韓国人キャスターが「たった今最新情報が入りました。2人の死者は中国人とのことです。少なくともわれわれには、ほっとする情報です」と伝え、非難を浴びたことは記憶に新しい。
「他人の不幸は蜜の味」とは言うけれど、実は、脳科学的に、その通りであったことが近年明らかになっている。
独立行政法人・放射線医学総合研究所分子イメージング研究センターの高橋英彦主任研究員らは、東京医科歯科大学、日本医科大学、慶應義塾大学と共同で、fMRIを用いて、人が妬みを持つ感情と、他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳内のメカニズムを明らかにした。
実験では、健康な大学生19名に対して、自分が主人公のシナリオを読んでもらい、その中で、自分と似ていて且つ自分より優れた人物(A)と自分と似てないけれど、自分より優れた人物(B)、そして自分と似ておらず、自分と同程度の人物(C)を登場させ、誰に対してより"妬み"を感じるか、そして、その時、脳のどの部位が活発に働いているかをfMRIで計測した。
その結果、A、B、Cの順に"妬み"をより強く感じるという結果となり、葛藤や身体的な痛みを処理する脳内部位である"前部帯状回"が活動していた。そして、それは"妬み"の強さに比例して活動が高くなるという相関関係にあることが分かった。
次にAとCに不幸が起こるシナリオを読んで脳活動をfMRIで計測し、AとCに起こった不幸に対して抱いた嬉しい気持ちを6段階で評価して貰った。すると、Aの不幸には中程度の嬉しい気持ちを感じ、Cの不幸については、特に嬉しい気持ちは感じなかったと被験者は評価したのだけれど、それに対応するかように、Aに起こった不幸に対しては、報酬に関連する脳内部位である"線条体"に活動が見られ、Cの不幸では、それは見られなかった。
これは、誰かを妬んでいるときは、脳は、"葛藤や身体的な痛み"を感じていて、その妬みの対象に不幸が起こると、脳は"報酬"を受け取ったと感じるということを意味してる。正に「他人の不幸は蜜の味」。
ただ、厳密には、その他人とは、自分が憧れる妬みの対象となる"他人"であって、自分が特に関心のない相手には当てはまらない。だから、正しく言い直せば、「自分が妬んでいる他人の不幸は蜜の味」ということになるだろう。
だから、もしも、韓国人が日本の不幸を"蜜の味"と感じているのなら、その韓国人は日本を妬んでいるということになるし、アシアナ航空の例で言えば、批判を浴びた韓国人キャスターは中国人に対して妬みの感情を持っていた、ということになる。
だけど、脳が元々「他人の不幸は蜜の味」構造を持っているのだとすれば、日本人だって例外ではないということになる。だから、日本人とて、よくよく振り返ってみれば、大なり小なり、そうした感情を抱いたことがあることに気付く人だっていると思う。
けれども、日本では、韓国のように、そうした感情があからさまに表に出てくることは少ない。何故そうした違いが生まれるのか。
先の脳科学の研究結果が正しいとするならば、日本人が「他人の不幸は蜜の味」を公にしない理由として考えられるのは、日本人が他人に対して、それほど強い「妬み」の感情を持っていないか、或いは、「妬み」を覚えたとしても、理性がそれを抑え込んで、表に出させないようにしているかのどちらかだと思われる。
確かに、最近でこそ多少は変わってきたけれど、少し前の日本は"一億総中流"と言われるくらい均質な社会だった。したがって、元々、他人に「妬み」を覚えるほどの差を感じることがなかったからだという理由付けは出来るだろうし、また、「他人の不幸を喜ぶのは恥ずべきことだ」といった道徳的教育がちゃんと為されてきたということも大いに関係していると思われる。
要するに、他人に対して「妬み」を感じないくらいにまで、かっちりと自分のアイデンティティを確立するか、妬みを覚えたとしても、それを抑え込んで口にしないだけの「理性」を育てることが、「他人の不幸は蜜の味」を公言しないための方策だということ。
首都大学東京の鄭大均名誉教授は「韓国人の『反日』は、人生の過程で、心や身体にすり込まれる思考や感情のパターン」であり、その背景には、「反日教育」があるという。 鄭教授は、「韓国の歴史教科書をみてもバランスに欠ける。古代史において韓国は、日本に先進文化を伝授した国として描かれ、その韓国に、日本は豊臣秀吉の侵略や『日帝支配』という形でお返しをした(ことになっている)。恩を仇で返す国というのが、韓国教科書に描かれた日韓の物語で、これは韓国人が共有する国民の歴史。歴史教科書に見る韓国人のナショナル・アイデンティティーは日本の否定性と不可分の関係にある」と指摘する。
これはつまり、韓国人は日本を否定することで、ようやく自身のナショナル・アイデンティティーが確立するということであり、逆にいえば、日本が存在する限り、いつまで経っても、韓国人のナショナル・アイデンティティーは確立しないということでもある。これはそのまま、日本の存在そのものが、韓国人が日本に対して「妬み」を抱く原因になっていることを意味してる。
この鄭教授の指摘に従えば、韓国人が「日本の不幸を蜜の味」とするのは、そうなるように教育しているからであり、その前提を覆さない限りどうにもならない、ということになる。
では、どうすれば、その前提を覆すことが出来るのか。
ひとつには、韓国自身がそうした"反日教育"を止めるという方法がある。彼らが、反日に頼らなくても自身のナショナル・アイデンティティーを確立する方法を見つけることができれば、そうなる可能性はある。
或いは、韓国が、日本を一々を否定する必要がないくらいにまで、日本の存在を小さくする方法も考えられる。例えば、韓国が日本を遥かに凌ぐ大国になることが出来たなら、わざわざ否定することで日本の存在を消すまでもなく、日本など眼中に入らなくなる。そうなれば、必然的に"反日教育"をする必要もなくなるだろう。
要するに、日本に対する"妬み"の感情を消しこんでいくことが何より大切だということ。だけど、現実はそうじゃない。韓国の反日はまだまだ終わらない。
この記事へのコメント
almanos
とおる
そうなれば、小中華思想の朝鮮では、「大国になった朝鮮は、本来あるべき姿に戻ったのであり、日本は当然あるべき姿に戻ったのであり、朝鮮が日本を下にみるのは当然の摂理である」くらいにしか考えないでしょう。
日本人や欧米人と同じだと思って相手にすると間違いの基です。