10月21日、首相官邸で「安全保障と防衛力に関する懇談会」の第4回会合が開かれた。

この会合では、政府が年内設置を目指す日本版NSC(国家安全保障会議)の指針となる「国家安全保障戦略」の原案を取りまとめた。
原案では、先日アメリカで、安倍総理が発表した「積極的平和主義」を基本的理念に位置付け、民主主義や法の支配など「普遍的価値やルール」に基づく「国際秩序の維持・促進」を「国益」として掲げている。
安保上の課題としては、核・ミサイル問題を国際社会への「大きな脅威」と指摘し、「海洋において、力による現状変更を企図する動きが増加」としているから、明らかに北朝鮮や中国を意識したもの。
そして、取るべき戦略的対応として、武器輸出三原則の見直しや、警戒監視など領域保全に関する取り組みの強化や、海上安全保障の確保などが謳われている。但し、集団的自衛権の憲法解釈見直しについては、政府の結論が出ていないため、言及を見送ったようだ。
近頃、安倍総理は、「積極的平和主義」というキーワードを其処此処で使っているのだけれど、これに対する国内マスコミの反応は二分している。
読売は9月27日の社説で、集団的自衛権の行使を可能にすることが急務であり、「積極的平和主義」を追求せよと肯定的に評価している。一方、朝日あたりは、集団的自衛権について「積極的平和主義という言葉をあいまいに使って進めるべきではない」とこれを牽制している。
中でも、筆者が、嗤ってしまったのが、琉球新報の社説で、平和学者ヨハン・ガルトゥングが、「構造的暴力」と定義した、人々や社会の安全を脅かす貧困、抑圧、差別などの社会的不正義を取り上げ、それを断ち切ることが「積極的平和」だとし、広大な米軍基地と米兵が存在する沖縄が「構造的暴力」に晒されていると述べている。
百歩譲って、「構造的暴力」を断ち切ることが「積極的平和」だとするところまではよいとしても、だから米軍基地を排除せよという論理展開の強引さ、ぶっ飛び方には呆れる他ない。
明らかに日本の安全を脅かしている北朝鮮の核や中国の軍事拡張には一切触れず、日本を護っている米軍基地を構造的暴力なんていう神経が理解できない。こんなことをいっているから、「反米・反日・親中工作機関誌」と言われてしまう。
では、世界各国はどうかというと、中韓は、軍国主義の再来だ、と、テンプレ批判しているのはいつも通りとして、特亜以外の各国は、安倍総理の「積極的平和主義」を歓迎している。
先日、アメリカとの間で行われた「2+2」で、アメリカは、日本の集団的自衛権行使容認に向けた検討を評価。10月15日には、来日したオーストラリアのビショップ外相が「自衛隊と豪軍は緊密に協力してきた。世界各地で両国の協力関係が機能している。…日本がもし集団的自衛権を行使することになれば、主要な役割を果たせるようになる」とこれを支持。更に、韓国で、「日本は軍国主義に向かわず、アジア・太平洋地域や世界の平和と安全に対し積極的な貢献をするだろう」と述べはっきりと支持の言葉を口にした。
16日には、岸田外相が、イギリスのヘイグ外相と都内で会談し、「日本は積極的平和主義の旗の下で、地域と世界の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献していく」と説明。ヘイグ外相は「国際的な安全保障分野で、日本はより活発に役割を果たしてもらいたい」と歓迎している。
また、先日行なわれた、ASEAN各国との会談でも、安倍総理は自ら「積極的平和主義」について説明して、各国から理解を得たのみならず、「日本はもっと積極的に役割を果たしてほしい」と求める声すらあった程。
国内マスコミだけをみていると、集団的自衛権の行使については、さも意見が対立しているかのように見えるのだけど、"地球儀レベル"で眺めてみると、安倍総理の集団的自衛権の行使を含む「積極的平和主義」に反対しているのは、特亜と国内の一部マスコミであることが浮き彫りになった。彼らは世界から孤立している。
安倍総理は「積極的平和主義」の構想を、アメリカのハドソン研究所での演説で初めて口にしたのだけれど、その後の動きを見る限り、国内に対してというよりは、むしろ、海外に対して、それを積極的に発信しているように見受けられる。
日米外相会談でも岸田外相に「積極的平和主義」を説明させているところを見ると、更に他の国々に対しても同じように「積極的平和主義」について説明し、理解と支持を求めていくものと思われる。
この辺り、何やら、国内マスコミに対して、その外堀を埋めているようにすら見える。つまり、国内のマスコミが「積極的平和主義」を批判することを尻目に、安倍政権が特亜以外の世界各国からどんどん支持を取り付けて見せることで、彼らの主張そのものをマイナーなものとして孤立させている。
安倍総理は、言論戦において、国内マスコミ包囲網を作った。マスコミは消費増税について事前からトバシ記事を出しまくって外堀を埋めていったけれど、集団的自衛権や「積極的平和主義」に関しては、安倍総理が、海外に発信しまくることで、逆にマスコミの外堀を埋めた。
これによって、今後増々、国内の集団的自衛権に反対する勢力は、身動き出来なくなっていくだろう。これは同時に連立を組む公明党への牽制にもなっている。
かねてから、公明党は、集団的自衛権について反対の立場を取っていた。9月26日、公明党の山口代表は、集団的自衛権の見直しについて、「周辺諸国、近隣諸国および同盟国の理解を促す努力も求められる」と述べていたのだけど、既に、特亜以外の諸国については、どんどん理解を取り付けているわけで、公明党もいつまでも反対の立場を貫くのは難しいだろう。精々、時間を掛けて議論したという具合に結論までの時間を稼ぐくらいしか出来なくなるのではないかと思う。
安倍総理の外交によって、国内マスコミは包囲された。如何なマスコミとて、閣僚級の会談の内容を報じないわけにはいかない。集団的自衛権の行使については、時間と共に国内においても容認の方向に世論は傾いていくと思う。
この記事へのコメント
almanos
sdi
今の日本のマスコミの言動を見ていると、果たして自分たちが包囲されてつつあるということを自覚しているかどうか。これは、安倍総理が果たして意識して包囲網を敷いているのか、包囲網は包囲網として機能しているのか、という点でも考える必要があります。
わたしは「包囲網として機能しているのか?」というあたりです。確かに、安倍政権の発言に賛意を示したり呼応するアクターが出てきているのは事実です。しかし、それらの点が繋がって線になっているのか?、各アクターはそこまで踏み込んで意思表示しているのか?、という点でちょっと疑問ですね。
逆に日本国内のレフトリベラルな方々も指をくわえて黙っているわけではありません。最近、とあるシンポジウムを聴講する機会がありましたが、その出席者は「日本は降伏したときに天皇制の維持と引き換えに全てを捨てたんです。」と苛立ちもあらわにコメントしていました。戦後
ちび・むぎ・みみ・はな
小泉内閣が酷いと思ったが, 安倍内閣も半端ではない.
どこに民主主義があるのか?
我々は安倍内閣に独裁権を渡した訳ではない.
このままでは各実に日本本来の社会構造は崩れていくだろう.
三橋氏ではないが安倍内閣は
「新自由主義首相とそのレントシーキング内閣」と呼ぼう.
白なまず
【御朱印ツーリング(熊野三山編)行ってきたから写真うpする。】
http://baiku-sokuho.info/articles/26003.html
「横の席に、竹中平蔵に似たおっさんがおるなぁと思ってたら本人だったでござるwww 」
http://marticleimage.nicoblomaga.jp/image/33/2013/e/2/e2bdbd9a5d1fa070156b77dbdfc06e5f119865951382282910.jpg
日比野
>日本は現状では「持てる大国」であり現状のルールなどの変更を望まない国です。
そうなんですよね。ここが重要なところで、これに挑戦するものが警戒されますからね。
>マスゴミと広告だけには世界標準の洗礼を浴びて頂きたい。…国際化が原因でいわゆる押し紙が訴えられたら某主筆はどうするのやら?
世界では、日本にある全国紙など存在しませんから、そこからして、世界とは違うんですよね。WSJ,NYTでも100万から200万部程度ですから、衰えたりとはいえ、その影響力は侮れません。