中韓の反日に対抗する方法

今日は趣向を変えて… 

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10月17日のエントリー「安倍総理の野党殲滅戦略」ので、雪観僧様からコメントを頂いたのですけれども、興味深い内容でしたので、お返事を兼ねて、エントリーさせていただきます。

まず、くだんの雪観僧様のコメントを次に引用します。(読みやすいように一部編集しています)
ありがとうございます。では、お言葉に甘えて。

まず、長くなりそうなので、結論だけを箇条書きにしたいと思います。

1反日後の日中韓関係について
2日韓併合の是非について
3これまでの自民党の中韓外交について

…書いていくうちにもう少し増えるかもしれませんが、とりあえずはこんなところで。

ではまず、その1

私は、韓国人の方に知り合いはいないのですが、中国人の方はいます。また、私の夫は仕事柄、韓国にも中国にも赴きます。

そういった身近な印象やメディア、ネットの海外掲示板の翻訳サイトを見ていると同じ国策による反日でも、中国と韓国では何かが違う。

長年そこに引っかかっていたのですが、例の旭日旗の騒動をみて、私なりにひとつの結論がでました。

韓国においての反日は、ある日突然ああやって作られていったのだな…と私以外にも多くの方が感じられたかと思います。

この「作られる過程」が中国と韓国では違う。

簡潔にいえば、中国は一党独裁国家であり、韓国は民主主義国家である。と言う点です。

人はどうしても自分を基準にみてしまうので、いくら中国が一党独裁国家だといっても、「民意の反映」とみてしまう。

中国の富裕層が全体の7%・9千万人ほどであり、その貧富の激しさと中国共産党の人数は8千万人ほど…という数字をみてみると共産党という「貴族」が治める世界大戦以前の国である…とも考えることもできるかと。

それは、もし、中国が反日を含めた世界に対する姿勢を改めたいと考えたとき、すべてを「共産党」の所為にして、心理的矛盾や対外的体面を保つ事ができる。北朝鮮も同様「金王朝」の所為にできます。ドイツとナチスみたいにね。

これは、民主主義国家である韓国とは大きく異なる。

同じ反日でも一部の「貴族」の方向性である…のと民意の反映である…と言うのでは、当事者も受け取る側の違うでしょうね。

出来れば,このような国とは近隣諸国であっても、それなりに「信頼おける国家」になるまで、おつきあいを断りたいところですが、TPPのエントリーをみて、アメリカからアジアのリーダーをまかされた日本としては無視できません。

アジア圏の安定と繁栄の為には、つきあわざるを得ない。

大戦前と大戦後の…また、冷戦後の国家の有り様の違いにおいて、「自国の繁栄のみならず、世界に対しての責任を果たす」ことが近代国家の義務となっているのが現状ですから。

戦争が、経済活動に取って代わった証ですね。

ちょっと横にずれますが、経済的に大きな影響力をもった国であるにもかかわらず、そういった「世界に対しての責任を果たす」意味を無視し続け「自国の繁栄」のみに執着しているのが、中国・韓国なのではないでしょうか?

世界各国が脇汗もので維持している経済圏を利用するだけ利用して、「責任を果たさない国」…前近代的な国家群を抱えるアジアそれらの国とうまくやりつつ、欧米等に対し、アジアをまとめていく。望むと望まざると日本に任された役割は、それなんでしょうね。

もし、日本が先の大戦で敗戦せずに、名実ともに先進国ならば、鎖国といってもいいような国交断絶もできたかもしれませんけど戦争に負けた国の辛いところです。

ここまで考えてみると、かつての日本で、特定アジアに対し併合派と反対派、そして、福沢諭吉氏のような断交論が出たのもうなずけますしどれも正しいなぁ…と思いました。

「事実」「現実」よりも「面子」を優先する中国

「事実」「現実」よりも「情」を優先する朝鮮

任せていたら前者は共倒れになる恐れがあり、後者は、信用すれば、いつ裏切るか予測がつかない。

予測がつかないなら、自国民にしてしまおう…リスクヘッジの観点からも日韓併合に踏み切ったのは、わかりますね。

我が国は、先の大戦を教訓にしながら、特定アジアとの友好を深めなければ成らない。

私たちは、中国・韓国・北朝鮮を許せるでしょうか?

私、音信不通の間、歌舞伎にはまってたんですけど、日本の国民性として「大義のある嘘」「悪党でも美意識のある嘘」には寛容なのではないかと思います。

また、日本人は、まれにみるお人よしですからね。共産党体制が瓦解し、中国という国家が近代化すれば、「共産党の所為」で許してしまうと思います。

対して中国も、面子を潰さなければ上手くいくのではないかしら?

中国で仕事をする上で、「面前で中国人を注意してはいけない。個室によんで注意せよ。」というのを聞いた事があります。

ここからわかるように「間違いを認める事は出来るけど、面子を潰してはいけない」という所に注意できれば、案外日中関係は,回復かのうでなはいでしょうか?

確かベトナムでしたっけ?中国が「過去は水に流して未来志向でいこう」とか言ったのは。同じ事を日本が受け入れられれば、上手くいくと思います。

では、韓国は?

中国の反日は「事実を大げさに言う」ことで成立してますから、「共産党の所為」にする事も出来る上に、国民性を信じる事も出来ます。

しかし、韓国の場合は、あきらかにねつ造された「嘘」ですからね。かつてあった事実を利用して、「なりすまし」をしている。

日本の美意識からすると、「他人をおとしめる為”だけ”にながした不名誉な嘘」「人の親切心や良心につけこんだ自己保身の為の嘘」には、不寛容だと思います。

おまけにくかえしますが民主主義韓国の行動は「民意」の反映ですから、言い訳できません。

潔癖症でのんびりやのお人よしの日本からすれば、いまこそ「鎖国」して、引きこもりたいところでしょうが、アジアのリーダーとして、面倒を見ざる得ないでしょうね。

このやっかいな国とどのように接するべきか?まったくわかりませんね(苦笑)

ここまで考えたとき、今までの「土下座外交」の見方が変わりました。

アメリカから委任された「アジアの安定・繁栄・民主化」は、なにも今回のTPPに限った事ではなく、戦後からずーっと任されてきたのではないかと。

日本の軍事力を奪い、前近代国家の中国に国連の常任理事にして影響力をもたせ、かつ金がかかり、骨がおれる特アジア対策を任してきた。

おもわず、感心してしまう布陣と配置です。

大名は参勤交代で金を奪い、幕政にはタッチさせない。(金はあれども力なし)
幕臣は、権力はあるが、俸禄がすくない(力はあれども金はなし)

誰が考えたかはわかりませんが、かつての徳川体制にも通じる中々上手い手です。

中には中韓鮮にとりこまれた政治家もいるでしょうけど、媚中外交にも、それなりの意味があったのかもしれません。
もちろん、アジアの仲間に対して行った罪悪感もあったでしょうけどね。

私の考えは以上なのですけど100年後、歴史書を開いたとき、この平成二十五年という年は、開国から100年以上の時をかけ、ようやく欧米列強においつき、明治の元勲の悲願を達成しはじめた年である。と刻まれるかもしれません。

安倍総理の掲げる、保守本流の悲願は、そこにあるのではないかとも思うのです。

そのために戦後70年忍びがたきを忍び、堪え難きを耐え、アメリカから与えられた任務をまじめにこなしてきた。

日本に対する世界からの信頼度は、この70年まじめにやってきた成果だと思いますね。

安倍総理の野党殲滅戦略」での雪観僧様のコメント
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1.中韓の反日構造

雪観僧様のコメントにはいくつかの論点がありますけれども、絞り込んでいえば、アジアを任された日本は、反日の中韓に対して、今後どうつきあっていくべきなのか、という点だと思いましたので、これをメインにお返事させていただきたいと思います。

先のコメントで、雪観僧様は、中国の反日と韓国の反日とでは、「作られる過程」が異なるとし、中国は一党独裁国家であり、一部の「貴族(共産党政府)」がそれを作るのに対して、韓国は民主主義国家であるが故に、「民意の反映」として反日になっているという違いがある、と指摘しています。

まぁ、国家主権を持つ主体は誰なのかという観点からみれば、一党独裁国家と民主主義国家とでは、その違いは明らかです。それゆえ雪観僧様が仰るように、中国は共産党のせいにすることで「軌道修正」が可能であるけれども、韓国はそれができない、ということはいえると思いますね。少なくとも外からみればそう解釈されてしまう可能性は非常に高い。

ただ、筆者は、この"前任者に責任をなすりつける"手法は民主国家である韓国も、これまで何度も使っていると思います。韓国の大統領は、その任期が終り頃になると、決まって汚職などが発覚して、自身や身内が逮捕・起訴されて有罪判決を受けたり、糾弾されたりしますけれども、あれなども、前任者に責任をなすりつける手法の一種のように見えるんですね。

その理由はいろいろ指摘されていますけれども、要するに、これは、今までのことは全て前任者のせいにしないと、新政権の正統性が保てない、ということを意味しています。韓国は、少なくとも自国内に対しては、政権が変わる度に、前政権を否定することで、常に、過去の政治をリセットしているということですね。

まぁ、この前任者を否定することで、自らの正統性を主張するやり方は、「革命」時にはよくあることで、日本でも先の民主党政権にはややその傾向がありました。民主党政権は何かにつけて「ジミンガー」を連発し、今の政治状況を招いたのは、全て自民党のせいだと責任をなすりつけることで、自らの正統性を主張していました。

その意味では、中韓の反日も、日本を否定することで、彼らは自らの国の"正統性"を主張していると解釈することができます。中韓は、反日を国内団結の材料としてつかっているという指摘もよくされますけれども、そういうことですね。

けれども、そこで問題になるのは、反日の内容の"妥当性"です。それによって彼らのいう"正統性"は大きく左右されることになります。彼らの反日主張に一理ある思われれば、その正統性は認められることになりますし、そうでなければ、揺らぎますよね。

では、彼らの反日に一理あると認められるために必要なものは何かというと、第一には、その主張の合理性、辻褄の部分ですね。こういう理由によって反日なのだ、というロジックの部分です。中韓は共に、それを過去の歴史に求めています。確かに、植民地支配を受けた側の感情を持ち出すことはそれなりの説得力を持つことは事実です。

けれども、そのロジックが成立する前提には、その過去の歴史が「事実」であるという、一定以上の信頼(認知)が必要だと思うのですね。反日の出発点が、過去の歴史にあるのならば、その歴史がその通りであると認められなければ、ロジックそのものが崩れてしまいます。

これについて、雪観僧様は、中国は「事実を大袈裟にいう反日」であり、韓国は「嘘を並べる反日」であると述べています。筆者も大枠ではその通りかと思います。

ただ、尖閣や沖縄絡みの中国の主張を見ていると、彼らは「嘘のつき方が上手い」という部分はあるとは思います。中国は韓国と違って、"一秒で分かる嘘"はつきませんけれども、標識を建てたり、遺物をばら撒いたり、船舶をうろちょろさせたりして、「既成事実化」を行ない、歴史を"作って"くる部分があると思うんですね。それを後々になって、「実は歴史的にこうだった」とか、昔自分達が"仕込んだ"ものを持ち出して主張するという、したたかさがあります。

この中国と韓国の違いはどこに起因するかというと、筆者は「事実に対する考え方」の違いにあるのではないかと思います。要するに「事実」そのものを認めるか認めないかということです。




2.事実を認める中国と認められない韓国

中国は、先にも述べたとおり、「既成事実化」を行ない、歴史を作ることで、自らの主張に正統性を持たせようとしますけれども、これは、裏を返せば、「事実」は認めるということを意味します。この考え方は、「優れたものは、たとえそれが敵であっても認める」という態度に繋がります。

ただ、世界の普通の国々は、この優れた者に対しては、リスペクトしてくれるのですけれども、中国は、優れていることは認めるけれども、それに対するリスペクトは、あまりしない傾向があるように思われます。まぁ、中華思想といえばそれまでなんですけれども、これが他の国との違いといえば違いになるかと思います。

まぁ、中国の名誉の為に一言添えるなら、中国は自身が他国から十分リスペクトされている、と自覚しているものについては、他者に対して鷹揚になる面があるようにも思います。これが例として適切なのかどうか分かりませんけれども、2008年の北京オリンピックで、卓球女子シングルスの4回戦で、日本の福原愛選手は、世界ランキング1位の中国の張怡寧選手と対戦しました。

張選手は、北京出身で地元の選手であったにも関わらず、福原愛選手を応援した中国人も少なからずいたそうです

これは、中国人が卓球に関しては世界一であると自他共に認めているがゆえに生まれているのではないかと思うんですね。

これが、他の競技、例えば、サッカーだと、「少林サッカー」と揶揄される中国の喧嘩ごしのサッカーはいうに及ばす、2004年中国アジアカップでの会場を含めた超アウェイ戦。あの時の中国人の態度は卓球とはあまりにも違う。これも、中国人自身、自国がサッカーでは世界一ではないと自覚していることの裏返しではないかと思います。

けれども、中国人はサッカー日本代表が強いこと自身は認めているわけです

ですから、雪観僧様が指摘する、中国は「間違いを認める事は出来るけど、面子を潰してはいけない」というのは当たっていると思います。その意味では、他者をあまりリスペクトしないというのも、面子の裏返しといえるのかもしれません。

その一方、事実そのものを認めない方向にいくのが韓国です。事実を目の前につきつけられても、それを認めることができない。特に、格下と思っているものが、自分より優れている場合にはその傾向が顕著に表れるように見えます。彼らの日本に対する態度がその典型ですね。

彼らは、格下の存在であるはずの日本が、自分よりも優れたものを持っていると"分かった"ときでも、その事実を認めることが出来ず、逆にそれが許せないのでしょう。ゆえに、その優れたものの「元祖は自分なのだ」とか、「自分達が教えてやったのだ」、と、あたかも自分のものであるかのように振る舞うのだと思いますね。

全く、日本としては迷惑は話ではありますけれども、こうした反日に対する方策があるとすれば、それは、「感情と理性の分離」及び「民主主義下での法の支配」にあるのではないかと思います。




3.中韓と付き合うための方法

世界を見渡してみれば、日本と特亜だけでなく、かつて、戦争してみたり、過去に遺恨を抱えている国は沢山あります。けれども、彼らはそれなりに関係を保っています。それは、感情と理性を分離することができているからですね。

例えば、賠償問題についても、普通は、条約なり取り決めをして、国家間で清算していますけれども、これは、歴史的な遺恨という「感情」と、条約という「理性」とに分離して、国家として理性を優先している、ということです。そして、その条約という「法の支配」に従うという前提があって、国家として付き合うことができるようになるわけです。これがないとそもそも「未来志向」というものは、成立しません。

この「感情と理性の分離」と「法の支配」という観点から、中韓を見てみると、韓国は、「感情と理性の分離」が十分にできておらず、それが「法の支配」にも影響を及ぼしています。昨今の対馬仏像問題や、戦時徴用の賠償問題に対する判決にみられるように、思いっきり遡及法を認めているところなど、民主主義下での法の支配を逸脱しているように見えます。

また、中国はというと、既成事実化していくという傾向はあるものの、事実そのものは認めることから、「感情と理性の分離」はそれなりに出来るのですけれども、「法の支配」については怪しいものがあります。

よく、中国は人治主義国家だといわれることがありますけれども、国内において、法の支配が十分に機能しているとはいいかねるところがあります。一方、対外的な国際舞台では、「法を守る」といい、そのような素振りはみせるのですけれども、その「法」自身が民主主義国家のそれと同じであるとは限らない。

中国は、昨今の海洋進出においてもそうなのですけれども、身勝手な自国法を国際法としてゴリ押しする傾向があります。

自分に都合のよいルールが、国際法になれば、それこそ大手を振ってやりたい放題です。それが、今の世界秩序を形作る「民主主義の法」であるなら兎も角、そうでない場合は世界がそれを受け入れるのかどうかで軋轢が起こる可能性があります。

ですから、日本が中韓と今後も付き合っていくためには、彼らに「感情と理性の分離」と「民主主義下での法の支配」を実現させる必要があり、それがまた同時に、アジアを平和裏に治めていくことにも繋がると思うんですね。

その意味では安倍総理が国際舞台で「法の支配」を強調することはもの凄く意味があります。中国はその意味が分かっていますから、反発していますけれども、韓国の方はちょっと分からないですね。

結局のところ、大枠では思想戦であり、民主主義を正当として守り、広げていくかどうかの戦いに帰着するのではないかと思います。




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この記事へのコメント

  • almanos

    雪観僧殿。中共、特に毛沢東にとっては共産主義は「己がトップになるための道具」でしかなかったでしょう。彼はあの国の伝統的な天下取りの方法に従ってます。で、それを指摘した学者は逮捕されました。本質は変わってないという事なのでしょう。中共は「紅旗王朝」なのです。ソビエトの場合はレーニンやトロツキー辺りは真面目に共産主義をやってましたが、スターリン以降は手段でしょうね。ま、毛沢東の致命的失敗は「文革」でも「大躍進」でもなく「陽謀」事件でしょうが。あれで近代国家を作るのに必要なテクノクラート候補に軒並みそっぽ向かれた。多分それを糊塗する為に「大躍進」をやり、失敗して更に追い詰められて「文革」なのでしょう。こうしてみると天安門以降の情勢と重なってますね。「天安門」が「陽謀」に。経済発展時代が「大躍進」で、恐らく末代主席となるであろう「習近平」主席時代が「文革」と見れば意外と当てはまっている様に思えます。中共の紅旗王朝は王莽の新と比較されるかもしれませんね。愚かさ故の短命王朝として。
    2015年08月10日 15:22
  • 雪観僧

    わざわざ一本のエントリーにしていただきましてありがとうございます。

    ここまでの結論が出て、私は、漸く隣国の歴史を…特に近代史をある程度の敬意をもって、学ぼうという気がでてきました。

    昨日より田中明氏の「物語韓国人」(文芸春秋)を読んでいるのですが、
    中華思想・小中華思想・事大主義に関しての特定アジアの姿勢について、感じたことはalmanosさんが述べて下さっていることと同意ですね。

    日比野さんの述べられている「感情と理性の分離」

    この感情の部分が、韓国における「情・恨」であり、中国における「面子」
    そして、これを分離できないのが、
    リアリズム(理性)を無視した思想「中華思想」だと思います。

    日本は、自然を言う征服しがたい敵と共存することを宿命づけられた国家ですから
    幕末の「尊王攘夷思想」の「攘夷」が、開国後すっかりなりを潜めたように
    一見「大義名分」にこだわるようでいて、リアリストなところがあります。

    ちょっとズレますが、故におそらく今後「反自民」「反官僚」を旗印にした野党戦略は無効だと思いますね。
    やらせてみせて、「リアル」ではなかったことが身にしみたかと(笑)
    「攘夷」
    2015年08月10日 15:22
  • 深月

    興味深い議論です。当方では、人間関係⇒社会関係⇒国家関係と言う風に敷衍できるのではないかと思案して、人間関係をなす「型破り」「非常識」の性質に注目していました。「型破り」と「非常識」の人口割合によって、社会や国家の性格も、パターンが違ってくるのではないかと…

    パッと見た感じの「型破り」:「非常識」の比率(平均タイプは除外)

    日本=9:1
    韓国=1:9
    中国=3:7(或いは4:6)

    「型破り」と「非常識」とが対等の立場(夫婦関係など)で手を組んだ場合、一般的に上手く行かない…というパターンがあるので、現代の日中韓の微妙な関係も、敷衍で説明が付くのでは…(苦笑)

    (補足)
    ・「非常識」=感受性が鋭く、その感受性が思考や判断の全てを支配するタイプ。つまり自己の感受性に振り回され、支配されるという行動を取る。それはそのまま、支配-服従の構造を成すものであり、人間関係においても支配-服従の関係を築かないと自己が安定しないという性質を暗示する。心理学的に言う「投影」が起こりやすいのもこのタイプ

    ・「型破り」=「型(※この場合は「文化意識」とか)」がしっかり出来てるタイプで、或る意味「平均
    2015年08月10日 15:22

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