今日はこの話題です。

去年の大晦日、安倍総理は六本木の映画館で映画「永遠の0」を鑑賞した。上映後、記者団から感想を求められた安倍総理は「感動しました」と答え、印象に残った場面を問われ「やっぱり、ラストシーンですかね……」と述べた。
映画「永遠の0」は、作家の百田尚樹氏の同名小説を原作とした作品。佐伯健太郎という司法試験浪人をしている26歳の青年と、その姉でフリーライターの慶子が、戦死した実の祖父、宮部久蔵のことを、嘗ての戦友に会って、調べ始めるというストーリー。
映画は、祖父の歴史を調べる孫、健太郎の視点から、現代と過去を交錯させ、謎解きの要素を織り交ぜながら、"海軍一の臆病者"と呼ばれた宮部久蔵という人物の真の姿を描きだしている。
先日、筆者も遅ればせながら、「永遠の0」を鑑賞した。映画の感想は、もう既に色んな方々が書いているので、繰り返しになるとは思うけれど、良く出来た名作だと思う。
原作を読めば、よりはっきり分かるのだけれど、「永遠の0」史実を実に丹念に調べ上げた上で書かれていて、作中には、回想の形ではあるけれど"大空のサムライ"、故・坂井三郎氏も登場する。
百田氏によると、主人公の宮部久蔵は架空の人物だそうなのだけれど、そのイメージは近親の戦争経験者の話を聞くうちに出来上がったのだという。
ところが、出版後、百田氏は、あちらこちらで「宮部さんのモデルは誰々さんでしょう」と何度も言われたそうで、その話を聞くと、驚くほど、宮部久蔵のイメージどおりの人だったのだそうだ。
映画の中で、宮部久蔵は、兎に角乱戦を避け、乱戦になると、いち早く逃げ出して、同じように戦域から逃れてきた敵機を狙うと当時の生き残りパイロットから述懐されるのだけれど、"大空のサムライ"、故・坂井三郎氏は、空戦時、アメリカ軍機が一機だけ戦闘空域から少し離れた位置にいるのを見つけては撃墜していた。坂井氏によると、その敵軍機は、敵部隊全体の指揮を執っていたのではないかと推測した上での行動だったのだけれど、味方からはそれを「落ち穂拾い」と揶揄されていたと述べている。
また、坂井氏は、「戦場で生き残る人、エースと呼ばれる人はとにかくあきらめることがなかった。いかんと思ったら、ぱあっと死んでしまうような虚偽の武士道の虜ではなかった、とにかく粘って粘って粘りぬく、その執念深さがやっぱり運につながっているのだ」とも述べているのだけれど、作中で宮部久蔵が部下に、「生き延びる努力をしろ」と叱りつける場面と重なる。
旧帝国海軍第343航空隊に所属していた元ゼロ戦パイロットの笠井智一氏は、「永遠の0」について、「まるで本物の空中戦の最中にいるようでした」と語る。笠井氏によると、巷の戦時航空映画で、パイロットが前方だけを見て操縦するような場面は間違いで、実際は敵機をいち早く発見するため、前方3割、7割は斜め後方を見ながら操縦していたのだという。
※坂井三郎氏は前を2、後ろを9で見ていたと述べている。
「永遠の0」で宮部久蔵を演じた岡田准一は、笠井氏のアドバイスを忠実に守り、操縦シーンでは絶えず周囲に視線を向けながら操縦桿を操る演技をしたのだそうだ。
また、笠井氏は「ゼロ戦乗りが空中戦の最中に敵機から逃げるなんてありえない。小説を読んでこうも思いましたが、思い返すと、私も、ゼロ戦の馬力をはるかに上回る米戦闘機グラマンヘルキャット6機に囲まれたとき、体勢を立て直すために、戦闘空域から離脱し、山陰に避難したことがあります。あれは逃げたことになるのかなと…。でも、もしあのまま戦っていいたら無駄死にしていましたね。宮部は決して恐くて逃げていたわけではないのです」と振り返っている。
映画のラストでは、特攻に赴いた宮部久蔵が操縦するゼロ戦21型が、海面すれすれの超低空で飛んで、アメリカ空母の近接信管の艦砲射撃を躱し、接近後、一気に対空砲の死角となる艦橋の真上に急上昇。そして敵艦上空で再び反転、急降下するシーンがあるのだけれど、笠井氏によると、本当にこの飛び方をして特攻を敢行した機を目撃したのだそうだ。
基地に戻った笠井氏は共に生還した部隊長から、「笠井、あのゼロ戦を見たか。一度、特攻したかに見えた状況から、機体を反転させて、再度突入した。あんな操縦ができる強い精神力と技量を持ったパイロットはそうはいないぞ」と言われたと語っている。
あの時代、宮部久蔵のようなパイロットは本当にいた。
映画「永遠の0」は、反戦映画でもなければ、戦争賛美映画でもない。あの時代の息吹と、そこに生きた人々の姿をそのままに描いている。だけど、それは見る者の心を揺さぶり、ラストまで捉えて離さない。上映中あちらこちらから、すすり泣きの声が聞こえていた。
宮部久蔵が守りたかった家族。彼らが命を賭して護った日本。靖国の英霊達があってこそ、今の私達がある。
この記事へのコメント
泣き虫ウンモ
ともかく、傭兵はダメだと気づいたのは米国で、傭兵化して問題が起きているのは米国とか英国かな。
それとも、本国の人間が問題なのかな?
文化や信仰が違うと言えばそれまでですが、過去の行いからくる信頼の無さがそうさせるのかな?わかりません^^;
白なまず
日比野
貴重なお話ありがとうございました。
あの時代が今と繋がっているものであるのは、当然のことであり、そうした体験、生の歴史をしっかりと受け止めて次の世代へと伝えていかなければならないですね。
雪観僧
ただ、今日のエントリーを読んでいて、思った事が
今、維新後の事を色々読んでいるのですが、ww1の総力戦は、欧州の戦争観を変え、厭戦的になった…という言葉の意味が改まりました。
それまでは戦争は職業軍人の商売で、賠償金や領土を分捕るものだったのに、勝っても負けても、そうは言ってられなくなった。
我が国は、その事をww2で身を持って知った。
…と、そこまで考えて、本土を蹂躙された事のないアメリカや近代戦では内乱や代理戦争しかない半島、侵略戦しか行ってない中共は、ピンと来ないのかもなぁと思いました。
まぁ、だから、アメリカはUSA!USA!出来るんでしょうし、
中共、韓国は、平気で…つーか、意識もせずに過去の話を蒸し返して、大戦後の秩序をひっくり返すような真似が出来るんじゃないかと思います。
ななし
売国奴を国士のように賛美して、日本滅亡の後押しをさせるために日本を護ったのではありません。
英霊達に顔向けできることをしているのかどうか、自問自答していただきたい。
sdi
前者の場合、忠誠心の対象は契約主と結んだ傭兵契約に基づいたものです。後者の場合、国民国家成立以後に限定すれば自分の所属する社会共同体(国民国家)が忠誠心の対象です。国旗、国歌は社会共同体のシンボルであったが故に軍隊と縁が深いのです。
傭兵(Mercenary)という単語に悪いイメージがありますが、バチカンやフランス革命期のスイス傭兵のように己の生命を賭けて契約を履行した例もあります。
現代の傭兵と呼ばれているのは、イラクでの活動で有名に民間軍事会社です。このカテゴリーに入る組織は正規軍の任務の補助や人員不足の穴埋め、後方支援など様々な分野に関わっています。もはや傭兵というより、軍隊業務のアウトソーシング先というところでしょうかね。勿論、契約に基づいた関係であることは変わりません。
通りがけ
ス内パー
傭兵はバイト、職業軍人は正社員と考えるとわかりやすいかと。
金で雇われ、契約期間が過ぎれば無所属に戻る上敵方に雇われる可能性もあるため
忠誠心とか機密管理の部分で信用がしずらいのが傭兵の難点です。
むろんバイトだから無条件に信用出来ないなんてことはなく場合によっては正社員よりずっと有能なこともありますが(フランス外人部隊とかWW2の在アメリカ日本人部隊とか)。