ソチ五輪と外交

 
今日はこの話題です。

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1月20日、ソチ五輪の日本選手団結団式が東京都内のホテルで開かれた。主将のスキー・ジャンプ男子の葛西紀明選手は「自覚と責任を持ち、一意専心、競技に臨みます」と、選手団の決意を語った。選手団の本隊は今月31日に現地へ向けて出発する。

筆者はソチ五輪なんて、まだ先だとばかり思っていたけれど、気づいてみたら、開会式が来月7日。今回はスキージャンプ女子など、メダルの期待がかかる有力種目が多く、結構盛り上がるかもしれない。

そのソチ五輪開会式だけれど、アメリカやドイツ、フランスなど各国の首脳が 相次いで欠席を表明している。その背景には去年の夏にロシアで成立した「同性愛宣伝禁止法」という同性愛を禁止する法律に対する抗議の意思を示す狙いがあると言われている。
そんな中、1月17日、安倍総理がソチ五輪開会式に出席する方向で調整していることが明らかになった。

元々ロシアは、昨年10月にインドネシアで開かれた日露首脳会談で大統領が安倍総理に開会式出席を招請していて、当時安倍総理も前向きに考える意向を示していたのだけれど、西側各国が次々と不参加を表明し、去年末の段階では、開会式には欠席すると報道されていた。

ところが一転、出席に方針転換。これには、北方領土交渉が関係していると見られている。何でも、安倍総理からプーチン大統領との個人的な関係を固め、領土問題に弾みをつけたい意向が強く働いたという。確かに各国が不参加を表明するなか、日本が参加することは、ロシアとの関係を重視しているという意思表示になり、両国の関係強化をアピールすることになる。或いは、安倍総理の中には、この機会に、一気に北方領土交渉を進展させようという狙いがあるのかもしれない。

実際、1月19日、安倍総理はNHKの番組で、「平和条約を結ぶことで日露間の眠っている可能性を引き出す。北方領土返還、平和条約交渉を加速させたい。…今年も首脳会談を行う機会をできる限り増やし、信頼関係の中でプーチン大統領との間で問題を解決したい」と意欲を示しているし、実務者レベルでも、今月31日には、北方領土問題に関する日露次官級協議が東京で開かれる。会議では、領土問題のほか、両国間の経済協力などについても協議され、春に予定される岸田外相の訪露に向けた準備も議題されると見られている。岸田外相は「議論を通じて日露関係全体が底上げされ、平和条約締結に向けた結果につながることを期待する」と述べているから、単に北方領土だけでなく、ロシアとの平和条約締結に向けた動きまで視野に入っていると言っていいだろう。

同じく1月19日、プーチン大統領は中国国営中央テレビのインタビューで、安倍総理の靖国参拝を念頭に「第2次大戦の結果を否定しようとする国や勢力の存在」についてコメントを求められたそうなのだけれど、「大戦の結果は揺るぎないもので、国際的な法的文書で承認された。われわれは今後も一貫して各種合意を履行する路線をとる。…その際、各国との善隣関係を発展させるべく努力し、国際的な安全保障強化に向けて協力する」と答え、直接の対日批判を避けている。



安倍総理が靖国参拝した当日の昨年12月26日、ロシア外務省のアレクサンドル・ルカシェヴィチ報道官が「靖国参拝が第二次世界大戦で日本の侵略を受けた国々の国民に深刻に受け止められることを、東京は知悉していた筈だ。…世界が共有している第二次世界大戦の結果に関する評価と異なる日本社会の傾向性を拡張しようとする一部の勢力の試みが加速していることが背景にあるため、日本の首相のこうした行為は憂慮を呼ばないではいない」と声明を出して批判していた。

この声明には、"第二次世界大戦の結果に関する評価と異なる日本社会の傾向性"とあるから、中国国営中央テレビが「第2次大戦の結果を否定しようとする国や勢力の存在」についてコメントを求めるのも無理はない。あわよくば名指しでの日本批判を期待していたのかもしれないけれど、プーチン大統領は「国際的な法的文書で承認された」と返した。

この"国際的な法的文書"というのは、おそらくサンフランシスコ平和条約のことを指しているのではないかと思われるのだけれど、サンフランシスコ平和条約に参加していない旧ソ連を継ぐロシアの大統領がこうした発言をすることは、如何にロシアが国際条約を尊重しようとしているかの意思表明でもあり、同時に国際法を無視し"俺様ルール"で世界を闊歩しようとしている中国への痛烈なあてつけになっているようにも見える。

もしも、こうしたプーチン大統領の態度が、安倍総理がソチ五輪開会式に出席する意向を受けてのものなのだとすると、安倍総理とプーチン大統領は互いに相手のメッセージをきちん受け取って返答していることになる。これぞ外交。

その意味では、来年4月に来日するオバマ大統領の日程が当初の想定より短くなり、結果として国賓待遇ではなくなったということも、或いは、アメリカ側の靖国参拝を巡る不満の表れと見ることもできるだろう。

ただ、アメリカが不満を表したからこそ、それを逆手に取って、ロシアに近づくことがやり易くなったと見ることもできる。先にも触れたけれど、安倍総理はロシアとの平和条約にまで言及している。

ロシアとの平和条約交渉が進むと、日米安保条約の適応など北方領土周辺での安全保障の問題がでてくることが考えられるのだけれど、アメリカが、日本に冷たい態度を取る場合であれば、じゃあロシアと近づくよ、とばかり独自の外交もやりやすくなる。

もしかしたら、安倍総理はこのタイミングでソチ五輪出席の意向を表明することで、アメリカを牽制している面もあるのかもしれない。だとすれば、安倍総理はこの面でも"外交"をしていることになる。

ソチ五輪とその後の日露関係、日米関係の成り行きには注目したい。




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この記事へのコメント

  • 泣き虫ウンモ

    同性愛宣伝禁止法ですからテロが怖い元首たちが、この法律を口実にして逃げたのではないでしょうか。
    左翼の方は、こういう事柄に敏感なので。
    そうでなければ、権力の延命に利用したのかな?
    どこの国も、綱渡り状態ですからね。
    2015年08月10日 15:21
  • 都内自営業者

    同性愛問題についてはキリスト教国イスラム諸国においてはタブー視する派(宗教的理由)としない派(人権的理由)の対立が常に存在しますが、人権至上主義的な昨今の国際社会ではロシアに反対せざるを得ないのでしょう。人権問題と言えば聞こえはいいですが実質は宗教の戒律に基づく問題なので、文化的にそういう対立構造を持たない日本が安易に付和雷同しなかったことは賢明でしょう。そこを考えていたかどうかはわかりませんが、その間隙を縫ってロシアと接近したのは良い考えだったと思います。
    まあ気をつけるべきは日本がどこぞの半島国家と同じ「コウモリ国家」だと見られないようにすることですが、舵取りはどうするんでしょうね、そこが心配ではあります。
    2015年08月10日 15:21
  • ちび・むぎ・みみ・はな

    > 「同性愛宣伝禁止法」という同性愛を禁止する法律

    名称からすれば, 禁止するのは同性愛ではなく,
    その宣伝であるように思えるが,

    いずれにしても,

    同性愛が正しいものとして欧米で市民権を得ている
    ことにいまさらながらに驚く.

    自然界での同性愛は種の保存に役立つ場合だけ肯定
    されると思う. 有名な例は, コクマルカラスの
    同性愛の観察だったと思う. つまり, 雄同士のカップルに
    雌が入り込み, 必然的に最強の夫婦(?)となり
    多くの子供を生み出せるようになる, という観察だと
    記憶する. しかし, ここにはやはり雌雄という単位の
    形成が重要な要素になっている.

    だから, 男女の組を含まない同性愛は
    おかしなものだと思うし, それが公然と認められる
    社会は衰退に向かっているとしか思えない.

    だから, 欧米のこの態度こそ political correctness
    (PC)ここに窮まれりと思う. 米国はPCのために
    黒人の暴力行為が盛んになっていることを考えても,
    加速度的に衰退に向かっているのだろう.
    2015年08月10日 15:21
  • sdi

    実のところ「同性愛禁止法問題がなんでこれほどの扱いになっているのか?」というのが本音です。色々な考えがあるでしょうが、私は「同性愛を大っぴらに認めてよいものなんだろうか?」という辺りですね。「公的に禁止というのもちょっと・・・」と感じますが、かといって米軍内の同性愛にまつわるチラ裏話を聞くとねえ・・・orz。
    どちらかというとこの問題は本当は口実で、実際は欧米諸国から見て国内的に強権と独裁志向をさらに強めつつあるプーチン政権に対する批判と牽制というところではないでしょうか?
    2015年08月10日 15:21
  • almanos

    同性愛の問題は、ロシア正教とプロテスタント世俗国家とカトリックの対立みたいな面がありますからね。日本はそこら辺は割とオープンな面がある。というかフリーダムすぎると見なされているかも。それを考えるとソチへの出席はアメリカへの牽制と同時に、中共の孤立化政策としてはありでしょう。で、日本はこの場合は「まあ、祝典だからでましょう」くらいだと思われていそうです。日本は仏教国と世界では見なされていますから、キリスト教国間の問題には関与しないで予定を変えなかっただけと見なされているでしょう。あ、このギャップも問題か。日比野殿。日本は世界的には仏教国と見なされています。ですが、何故か国内では浸透の国と思いたがっている傾向がある。そもそも、天皇家の祭礼って国学による復興運動があるまでは仏式でしたし。そういうギャップを巡る問題はどうでしょうか。日本は「神の国」ではなく「神と仏の国」と言うのが実態に合っているがそことのギャップに触れるのは?
    2015年08月10日 15:21
  • 白なまず

    almanosさんには釈迦に説法ですので、横からコメントするかどうか迷いましたが、、、

    wikiの神仏習合には、、、仏教伝来、552年(538年説あり)に仏教が公伝した当初には、仏は、蕃神(となりのくにのかみ)として日本の神と同質の存在として認識された。日本で最初に出家して仏を祀ったのは尼(善信尼)と『日本書紀』にはあるが、これは巫女が日本の神祇を祀ってきたのをそのまま仏にあてはめたものと考えられている。

    そして、神道の元である修験道は猿田彦、役行者、と続き、空海へと受け継がれる中で完全に神仏習合となり、宇宙観世界観である仏教と住人(生物)である神々、人間、獣として理解されて日本式の仏教に変化していったので、本来日本仏教の中だけでなく、経典の中でも何々神が仏教に帰依し改心して行いを改めた、、、等の教えもあり、神々さえ仏教の説く魂の向上の途上の姿と捉えていて、それを神々を祀るのは神道、仏を信じるが仏教と別ける明治維新の歪んだ宗教観で本来の姿ではありません。仏教は宗教でも、神道は宗教ですらないと解釈する方々も大勢いらっしゃいます。もう一度、神道、古神道、修験道、、、縄文時代のお祀りまで
    2015年08月10日 15:21

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