日本の潜在的ポテンシャルはインフラが支えている

 
更に昨日のエントリーの続きです。

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4月の消費税率引き上げをにらみ、流通大手がプライベートブランド商品の強化に乗り出している。

プライベートブランドとは、スーパー・デパートなどがみずから企画生産して販売する独自のブランド商品のこと。メーカー側からみれば、流通側から発注してくれるから、わざわざ営業しなくて済むのでその費用が浮く上に、発注した流通側が生産分をすべて買い取ってくれるから、生産ロスがないという利点に加え、消費者の声を直接聞けて、自社製品の品質向上にも、一役買っているという。

プライベートブランドは、大体発売の1年以上前に、流通側がメーカーに「来季こういう商品をやるからコンペに出さないか」と打診し、メーカーが「たたき台」をつくったものに、細かな注文を付けるプロセスを経て、商品化される。

一昔前は、プライベートブランドは一般メーカー製品より割安というのが通り相場だったのだけれど、最近のプライベートブランドは高級化・高価格化しているという。

今のメーカーは、購買層の年齢、性別、居住地域といった属性や、イベント用、ギフト用などの購買シーンに合わせた商品開発を行うケースが増えているのだけれど、それと、顧客により近い流通側とタイアップして開発するプライベートブランドは相性がいい。そうしたことから、各社ともプライベートブランドを他者との差別化を図り、顧客を囲い込む商品として位置づけ始めている。

各社とも増税後は、「消費の二極化」が加速するとみていて、より付加価値の高いプライベートブランドを開発したいという思惑がある。

「消費の二極化」とは、拘りのある分野には支出を惜しまない一方で、そうでない分野では徹底的に支出を抑える消費傾向のことで、最近注目を集めている。

自分が拘ることについては、金に糸目をつけない人というのは、昔風にいえば「趣味人」。だから、消費の二極化が進むということは、一億総中流ならぬ「一億総趣味人」化が進むということに他ならない。

だけど、趣味人が趣味人で居られるためには、それなりの経済力と周囲の理解が必要になる。喰うに事欠く生活では、趣味どころではないし、趣味に対する周囲の理解がなければ、知らないうちに、折角集めた品々を燃えないゴミの日に纏めてだされてしまうかもしれない。

平たくいえば、社会に趣味人の存在を許容するだけの"余裕"がなくちゃいけないということ。尤も、経済的余裕という意味なら、バブル期のほうがずっと余裕があるのだけれど、バブルになると、趣味にもそうでない所にも金を使えるだけの余裕があるから、消費が全方位に拡大してしまって「極化」しない。その意味では「消費の二極化」はデフレになって、トータルの支出を抑えなければならない状況になって初めて顕在化するものといえる。



だから、日本の消費が二極化するということは、消費者が自分の「趣味」を明確化して、金の使い道を絞り込まければならないくらいには景気は悪いけれど、さりとて「趣味」を完全に捨てる程ではないという経済状況にあることを意味してる。

言葉を変えれば、個々人にとって、必要最小限の生活をキープした上で、更に余った金を自分が満足したいものに使うということ。

その人にとって、必要最小限の生活費も、自分の拘りに金を出すことも、金を使うという意味では、同じだけれど、あえて違いを上げるとすれば、前者が生命維持の為のコストであることに対して、後者は自身の満足を得るためのコスト或いは投資であるということ。

趣味が趣味の範囲に収まっているうちは、それに支払う金は満足を得るためのコストという意味合いが強いけれど、それが価値を生み、生産性を帯びる段階にまで高まると、それまでに使った金はコストから投資に変身する。よく「趣味が高じて本業になる」とか「趣味が高じて脱サラしました」とかいうけれど、それは、趣味だったものが、金を稼ぐもの、新たに価値を生み出す段階に至ったということ。

これを前者の"生命維持の為のコスト"からでもできるかというと、それは難しい。なぜなら、趣味は"蓄積"できるけれど、生命維持は蓄積が効かないから。学習でも何でもそうだけれど、一端のものになるためには、ある程度の修練がいる。右から左へと流れるものから、それを生みだすのは難しい。

だから、趣味があるということは、それだけで「未来に価値を生む種」を持っているということ。勿論、それを芽生えさせることが出来るかどうかは本人次第なのだけれど、その種を日本人の殆どが持っているのだとすると、その潜在的ポテンシャルは相当なものになる。

では、本人の努力は勿論のこと、その種を芽生えさせる手助けになるものとして科学技術とインフラが大きなポイントになる。

科学技術は時間と空間を短縮する。歩いたら何日も掛かる距離でも車なら数時間でいけるし、テレビやインターネットは、遠い海外の姿を自分の目の前に映し出す。昔なら同好の士を求めて何か月も何年もかかって探しまわっていたのが、今やネット掲示板やSNSで簡単に見つけることができる。

昔なら、一人二人の単位でしか集められなかった仲間が、今なら何十人、何百人単位で集めることが出来る。そういった多くの仲間との交流を通じた現在では、「趣味が高じる」確率は、昔と比べて遥かに高い。

科学技術は、それだけ新しい価値を生む可能性を広げるのに一役買っている。だけど、その折角の科学技術も趣味人に使ってもらえなければ意味がない。自分の拘り以外には金を出さない「趣味人」に、時間と空間を短縮するところの科学技術を使って貰わなくちゃいけない。

だから、インフラの整備が重要になる。

高速道路にしても、ネットにしても、時間と空間を短縮するインフラが、安価にかつ隅々にまで整備されればされるほど、どこかで誰かの「趣味が高じてくれる」確率がは、どんどん高くなる。

今では、同人誌からプロデビューした漫画家だって沢山いる。だけど、それとて同人誌という"同好の士"がいて、彼等と交流でき、さらに販売できる場があったればこそ。それらの蓄積がプロデビューの下敷きになったことは間違いないだろうし、その縁の下には、充実した日本のインフラがあったことはいうまでもない。

普段気にしないようなものが、私達に大きな恩恵を与えていることを忘れてはいけない。日本の潜在的ポテンシャルはインフラが支えている。




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この記事へのコメント

  • ポール

    ところで、毎回キレイなイラストが添えられていますが、今回のものは特に思うところあります。
    少女マンガタッチというかアニメタッチのイラストは以前は女性が描くことが多く、人物の造形はそれなりにできていても機械モノの絵がパースペクティブが狂っていたり、細かい部分の書き込みが非論理的だったりというものが多かったです。
    最近はアニメタッチの絵も必ずしも女性が描いているとは限らないのかもしれませんが、ドラムを叩く少女(少年かも?)の絵とともに、ドラムそのものがきっちりと描かれていることに感心しました。スネアドラムの本体、各パーツの形状ともよく描かれています。ハイハットスタンドの造形もリアル。そしてハイハット本体には有名ブランドの「Zildjian」(ジルジャン)のロゴがしっかりと描き込まれています。
    よほど音楽好きの方が描いたのかとお見受けします。音楽は誰もが好きですが、ドラムのシンバルメーカーのロゴまでキッチリ描くというのはよほどのことだと思います。
    スティックと指の関係も理にかなっていて、空想ではなく写真を下敷きにしたものとも推察されますが、それにしてもシンバルメーカーのロゴまで丁寧に描くとい
    2015年08月10日 15:21
  • 泣き虫ウンモ

    PB商品は、他の商品の陳列に邪魔かな。
    ただ、お金がない時に助かるので何ともいえない存在かな。
    正直、美味しいとは思えない。
    中抜き(問屋を経由しない)し、資金力で商品開発しておればよいが、○国が絡んでいると話が違うかな。
    なんか、スーパーはつまらないかな、正直言って。
    欲しい商品が、欲しい時に存在しませんし。
    2015年08月10日 15:21
  • 日比野

    ポール様、こんばんは。コメントありがとうございます。

    >毎度ブログ主さんの論考にはうならされてばかりです。

    お褒めいただき恐縮です。仰るとおり、日本は平均レベルが凄く高く、他のブロガー諸氏の論考は非常に勉強になります。また日比野庵にコメントを頂く方々のレベルも相当なもので、色々と勉強させていただいてます。

    イラスト類はネットから色々探したものを使わさせて貰っていますけれども、今日のイラストはそこまで丁寧に描きこまれたものだったんですね。いや、綺麗だなと気に入ってピックアップしたのですけれども、それほどのものとは思っていませんでした。

    >ブログ主さんはすでに電子書籍を出版されているので「市井の人々の論考」というにはレベルを超えていらっしゃいますね。

    いえ、あの電子書籍は、原稿さえあれば、どなたでも出版できますので、レベル云々はあまり関係ないです。まだまだ「市井の人々の論考」ですよ。

    今後ともよろしくお願いいたします。
    2015年08月10日 15:21

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