昨日のエントリーの続きです。

昨日のエントリーでは、田母神氏の支持とネットの関係をみたけれど、都知事選でのトータルの得票は61万865票、得票率12.5%で、敗北したという結果が残った。負けは負け。
田母神氏の敗因については、ネットでは既に色んな方が意見を述べているから、余り繰り返さないけれど、やはり、無党派に訴えかけるための戦略に足らざるものがあったのが、一番大きかったのではないかと思う。
選挙での得票総数は、大雑把には、「組織票」と「無党派票」の和で表されると思うけれど、組織票が大部分を占める候補や、逆に無党派票が多く占める候補など、その候補者によって、それぞれの割合は当然違う。
組織票と無党派票とで、どちらが票を集めやすいかというと、無論、組織票。組織として支持を決め、組織としてそれを徹底してくれるのだから、こんな楽なものはない。もちろん組織として支援するに足る候補を選ばなければならないけれど、それさえクリアしてしまえば、その時点で支持固めがスタートできる。
極端なことをいえば、告示前の出馬表明の段階から組織内で支持浸透を図ることだって可能。その意味では、告示の段階で、どれだけの組織票の支援を取り付けるかで、"よーいドン"のスタート位置が変わる。多くの組織票を持つ団体からの支持を取り付ければ、他候補から何メートルの前の位置からスタートできることになる。
よく、選挙は馬に例えたりするけれど、実際の選挙は、競馬みたいに、横一線から一斉にゲートが開くというものではなくて、出馬の段階で、既にゲートの位置に差がついている。
今回の都知事選でいえば、舛添氏の「組織票」は自民、公明、連合で、宇都宮氏の「組織票」は共産党、社民党 細川氏の「組織票」は民主、JR総連。田母神氏の「組織票」はなかった。
一説には、自民党160万票、公明党80万票、共産党70万票、民主党100万票の基礎票があるとされている。仮に都知事選が5000m障害レースだったとすると、舛添氏は正規のスタート位置から2400m手前、宇都宮氏は700m手前、細川氏が1000m手前からスタートできたのに対して、田母神氏は、正規のスタート位置からの出馬だったことになる。物凄いハンデ戦。
最初からこれだけのハンデを背負っての出馬なのだから、それこそ、田母神氏は無党派層にむけて、どの候補よりも早く素早く浸透を図る必要があった。だけど、出口調査の結果をみる限り、その無党派層でさえ、その3割は舛添氏、2割5分が細川、宇都宮両氏に流れ、田母神氏は12%程しか獲得できていない。
田母神氏は、都知事選というハンデ付5000m障害レースでは、無党派層の殆ど全てをごっそり戴くくらいの選挙をしなければ勝ち目がなかった筈なのだけれど、無党派層の12%しか取れないのでは、負けるのも当然といえる。
では、なぜ無党派層にぐんと浸透しなかったのか。
無党派層は、無党派という名の通り、保守でもなければ、サヨクでもない。政治的にはニュートラルの存在。だから、彼等に如何にして自身の候補に投票して貰うかという手立てについて、各候補は心を配る。
例えば、政策はあまり言わずに、地元を回って、握手しまくり、皆様の為の政治をしますよとアピールしてみせる手法や、逆に、小泉元総理のように、政策の「ワンフレーズ(反原発)」だけ言って注目を集めたり、更には舛添氏のように「将来的には脱原発」という具合にどちらとも取れるような言い方をするなど、色々なやり方がある。
要するに、有権者が何を望んでいるのかを的確にキャッチして、どういえば、それらを掬い取れるのか、ということになるのだけれど、それをきちんとできないと、票には結び付かない。細川氏だって、最初は「脱原発」しか言ってなかったけれど、選挙後半になったら、福祉のことも言い始めた。これも都民が「脱原発」ばかりを望んでいないことをキャッチしたからだろう。
翻って、田母神氏はどうかというと、組織票がない時点で、無党派層へ訴えかけしかない。つまり、61万票は、無党派層へ浸透した結果だともいえる。当初泡沫候補といわれた田母神氏が、それなりに無党派層の支持を集めることができた理由について、東スポは、「日の丸を隠して、保守一色にしなかったから」と分析している。
ただ、それでも、演説等々では、保守色がちらちらと顔を出していたようで、選対本部長を務めたチャンネル桜の水島総氏は、選挙後、「選挙は、保守のお祭りではないと注意していたのだが、そこを脱しきれなかった」と反省の弁を述べている。
この辺りについては、元・経済産業省官僚で、田母神氏の選対に入っていた、宇佐美典也氏(うさみのりや氏)が、水島選対本部長との考え方の違いが原因で選対から追放されたと告白したと伝えられている。(原文確認できず。多分消去された模様)
社会に新しい商品が普及する過程において、商品購入への態度により、社会を構成するメンバーを5つのグループへと分類する「イノベーター理論」というものがある。
これは、1962年、社会学者であるスタンフォード大学のエベレット・M・ロジャース教授が提唱した理論で、消費者が、新しい商品に対する購入の早い順から、5つのタイプに分類した。この5つのタイプの割合は、ベルカーブ(釣鐘型)のグラフで示され、それぞれ次のような特徴があるとした。
・イノベーター(Innovators:革新者)ロジャース教授は「イノベーター」と「アーリーアダプター」の割合を足した16%のラインが、商品普及のポイントであることを指摘し、これを「普及率16%の論理」として提唱している。
新しいものを進んで採用する革新的採用者のグループ。彼らは、社会の価値が自分の価値観と相容れないものと考えている。全体の2.5%を構成する。
・アーリーアダプター(Early Adopters:初期採用者)
社会と価値観を共有しているものの、流行には敏感で、自ら情報収集を行い判断する初期少数採用者のグループ。「オピニオンリーダー」となって他のメンバーに大きな影響力を発揮することがある。全体の13.5%を構成する。
・アーリーマジョリティ(Early Majority:前期追随者)
「ブリッジピープル」とも呼ばれる。新しい様式の採用には比較的慎重な初期多数採用者のグループ。全体の34.0%を構成する。
・レイトマジョリティ(Late Majority:後期追随者)
「フォロワーズ」とも呼ばれる後期多数採用者のグループ。新しい様式の採用には懐疑的で、周囲の大多数が試している場面を見てから同じ選択をする。全体の34.0%を構成する。
・ラガード(Laggards:遅滞者)
最も保守的な伝統主義者、または採用遅滞者のグループ。世の中の動きに関心が薄く、流行が一般化するまで採用しない。全体の16.0%を構成する。中には、最後まで流行不採用を貫く者もいる。
この理論を、田母神氏の得票に当てはめると、おそらく「イノベーター」と「アーリーアダプター」辺りにまでは浸透しているものと思われる。田母神氏の得票率12.5%は、「イノベーター」と「アーリーアダプター」の割合の和である16%に近い。
また、「イノベーター」が新しいものを進んで採用する人達、「アーリーアダプター」が自ら情報収集を行い判断する人達であることを考えると、自ら情報を取りにいくことを必要とされるネットを中心に支持が高かったことも理解できる。
「普及率16%の論理」に従えば、今後、田母神氏は、「アーリーアダプター」の次の層である「アーリーマジョリティ」へ向かって、急激に支持を獲得することになる筈のだけれど、果たしてそうなのか。
このロジャース教授の「普及率16%の論理」を否定した理論も世の中には存在する。「キャズム理論」がそれ。
「キャズム理論」は、マーケティング・コンサルタントのジェフリー・A・ムーア(Geoffrey A. Moore)が1991年に提唱した理論で、彼は利用者の行動様式に変化を強いるハイテク製品においては、個々のタイプの間にはクラック(断絶)があると主張した。
中でも、「アーリーアダプター」と「アーリーマジョリティ」の間には「深く大きな溝(キャズム)」があるとしている。一般的に「アーリーアダプター」が積極的に新しい技術を採用するのに対して、「アーリーマジョリティ」は安定や安心を重視する傾向がある。そのため市場の一部に過ぎない「アーリーアダプター」が採用したところで、「アーリーマジョリティ」の不安は解消しないと述べている。
要するに、両者の要求が根本的に異なっていることに留意して、それぞれに対するアプローチを変えなければ、それ以上普及しないということ。
筆者は、田母神氏の得票については、ロジャースの「普及率16%の論理」より、ムーアの「キャズム理論」の方が当てはまっているのではないかと考えている。
それは、残念ながら、田母神氏を支持する保守層と、一般の無党派層との間には、その意識において深い溝(キャズム)があると思うから。日の丸を掲げるだけで、一般層が引いてしまう事実がある以上、少なくともそこには「アーリーマジョリティ」が求める"安定や安心"がない、ということを示している。
この辺りについては、評論家の三橋貴明氏も、田母神氏の支持層と無党派層の溝が深いと指摘している。
だから、田母神氏を支持する保守層がそのままの姿で頑張れば頑張る程、逆に「アーリーマジョリティ」の"安定や安心"を奪っているかもしれないことに気付かなくちゃいけない。
田母神氏の支持者は自らの目の前にある「深い溝(キャズム)」をどう超えていくかを考え、それに取り組む段階にきたのだろうと思う。
この記事へのコメント
白なまず
区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばな らん。霊かかりもやめて下されよ。
人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。
空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。
奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、何れも分れ出た集団、一つにしてはならん。奥山はありてなきもの、なくて有る存在である。
奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大
通りがけ
「起て!紅の若き獅子たち」 三島由紀夫と楯の會
http://www.youtube.com/watch?v=-iYJrLf_xLE
―《起て紅の若き獅子たち》―
1970年4月29日発売。
三島は作詞を担当。作曲は越部信義。歌唱は三島と楯の会の会員たち。
一、
夏は稲妻冬は霜富士山麓に鍛え来し
若きつはものこれにありわれらが武器は大和魂
とぎすましたる刃こそ晴朗の日の空の色
雄々しく進め楯の会
二、
憂いは隠し夢は秘め品下りし世に眉上げて
男とあれば祖國を蝕む敵を座視せんや
やまとごころを人問はば青年の血の燃ゆる色
凛々しく進め楯の会
三、
兜のしるし楯ぞ我すめらみくにを守らんと
嵐の夜に逆らひて蘇えりたる若武者の
頬にひらめく曙は正大の気の旗の色
堂々進め楯の会
ちび・むぎ・みみ・はな
取ったとしても当選はなかっただろう.
そもそも当初の一般的な知名度が足りなかった.
この初期条件から200万票まで獲得票数を数週間で
伸ばすとすれば, 毎週60万票を獲得する必要があり,
毎日10万票近くを獲得しなければならない.
メディアの力がなければ, 一人の人間が毎日
10万人以上の都民に露出して共感を得るのは
物理的に不可能だろう.
この様な事実は田母神を応援するものは努めて
考えないようにしてきたが, 冷静になれば厳然たる事実.
ここは桜チャンネルで述べられている言葉,
ここで始めて田母神氏と言う有意な政治勢力ができた,
を改めて良く考えたい.
思えば, 2009年に日比谷公会堂で田母神氏を中心とした
保守の気運が上がってから, メディアも認める
政治勢力になった. 欧州における保守活動と比較しても
その発展は遅くはないし, 今後の発展は期待できる.
田母神氏の政治グループがもう少し力を得れば,
自民党の保守グループの力も大きくなるだろう.
だから, これからが大変に重要である.
都内自営業者
そんな認識では読みを誤ります。
無党派層の怖いところは静かによく観察だけしていて物言わずに動くことです。
声を出さないから鈍感な人にはわからないが行動としてはきちんと結果が出てしまう。
田母神氏個人の公約や主張は最もまともであったし街頭演説に行ってみてこの人が人を束ねてこれた理由が何となく理解出来ました。そういう意味では舛添氏などより余程安心感はあったのです。
まあ無党派層にとっては応援演説に来られた著名人がことごとくマイナスイメージでしかなかったであろうことは覚えておいてほしいと思います。
それとネットは黙って見ているだけで発言・発信をしない無党派層が何を警戒していたかというとネット上に溢れるかの如きであった田母神支持者の言動(過去含む)です。
旭日旗や日章旗をアイコンにしたり田母神候補を閣下呼ばわりしたり、特亜に断固として鉄槌を下せるのはこの人だけだと言ってみたり、これでは空気のような無党派層は恐れをなして逃げてしまいます。
無党派層にとって大事なのは日々の営みが安心して送れることの一点に尽きると言って
答えは簡単
sdi
その結果、名誉毀損やプライバシー侵害なんてことになったときの責任とリスクはみんなここのブログ主の日比野殿が負うのだよ?
普通の子
知名度と過去の実績がものをいう
舛添氏は組織票+知名度で圧倒してた、大臣経験者というおまけも安心感を与えた
大きな変化や対立を望んでない慎重派が日本人には多い
これからも余程のことが無い限り田母神氏のような主張をする人が大多数の支持を得ることは無いでしょう
opera
したがって、東京での選挙はどうしても政策や人物よりもイメージ優先になり、某自民党関係者が言っているように、何よりも知名度が優先され、マスコミ(とくにテレビ)の影響が強い特異な選挙になるのは当然なのです(田母神支持者の柄が悪いからなんていうのは、こうしたイメージ選挙を無条件に肯定した上での後付けの理屈に
八目山人
池田信夫氏もそのように述べておられましたが、具体的に言うと、そのとりまきで頭も悪い品も悪いという人は、誰のことでどういった事をさしているのでしょうか。
これは嫌がらせで言っているのではなく、今後の参考にしたいので可能な限り本名とその態度発言を書いてくれませんか。
泣き虫ウンモ
高齢者民主主義と揶揄されることもありますが、そうなのかな?
真の保守を知らない世代が、大健闘かな。
YT