明日、マスコミがいない

 
今日はこの話題です。

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1.「明日、ママがいない」問題

日本テレビ系連続ドラマ「明日、ママがいない」が問題になっている。

1月15日から毎週水曜日に放映されているこの番組は、児童養護施設を舞台に、様々な事情で親と離れた子どもたちを描いたドラマ。

ところが、初回放送後、1月21日、全国児童養護施設協議会と全国里親会が会見を開き、「視聴者の誤解と偏見を呼び、施設で生活している子どもたちの人権を侵害しかねない」と批判。子どもへの差別や偏見を助長するような表現を改めるよう求めた。

そして、翌22日には、国内唯一の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運営する熊本の慈恵病院が「一般家庭のお子さんだけではなく、児童養護施設へ入所する前に家庭で虐待を受けたお子さんの、傷ついた心のケアの問題」があるとして、内容の見直しを求め、病院のサイトでその見解を公開している。

これに対して、日本テレビ側は、1月27日、当初の予定通り全9話を放送し、脚本や演出の大幅な変更は予定していないことを発表。大久保好男社長は「抗議やご意見を重く受け止めるが、そのこととストーリーを変えることは必ずしもイコールではない。重々承知の上でドラマ作りが続けられていくと思う。最後まで見ていただければ、理解をいただけると思う」と述べた。

だけど、騒ぎは拡大し、スポンサーが次々と降板。29日放送の第3話ではスポンサー8社(花王、日清食品、スバル、エバラ、小林製薬、三菱地所、エネオス、キューピー)全てがCM放送を見合わせる事態となった。

更に、先に述べた、全国児童養護施設協議会が都道府県の協議会役員67名に、1月17~27日の間に、ドラマがもとになって生じた問題や、ドラマを見た子どもたちの感想について、実態の報告を依頼・集計し、「施設に通う女の子が同級生から"ポスト"呼ばわりされた」など、この作品のために子供たちが辛い思いをした事例を発表し、日テレ側に今後の対応についてどう考えているのか2月4日までに回答するよう求めている

流石にここにきて日テレ側も拙いと思ったのか、2月1日、制作を担当した伊藤響チーフプロデューサーと、福田博之制作局次長が、慈恵病院を訪れ、「今後の放送の見直しについて、現在、全国児童養護施設協議会から2月4日までに回答を求められていて、当日に返答する予定だ。今後の放送については内容を注意していきたい」と説明したという。

それでも、日テレ側は、番組のなかで具体的にどの部分をどう変更するのかのついての明言は避けたらしいから、本当にどうなっていくのは今後の放送を見ていくしかない。

ドラマに限らず、マスコミについては、偏向報道ではないかとの疑義の声が上がるようになってから久しいけれど、そうした批判が上がる度に、マスコミは「嫌なら見なければいい」という態度でいた。

これまでマスコミは「表現の自由」「報道の自由」の名の元に、やりたい放題なところがあった、視聴者から批判を受けても、「御意見は承りまわりました」とスルーして、「嫌なら見なければいい」と嘯いていた。

だけど、今回の「明日、ママがいない」問題は、その「嫌なら見なければいい」という態度では済まされないのだということを、マスコミに思い知らせているのではないか。筆者には、彼等の「嫌なら見なければいい」という姿勢に対する因果応報のように見えて仕方がない。




2.「中立な情報」とは何か

自由には責任が伴う。

放送法の第1条には、放送の不偏不党が謳われているけれど、筆者は、"不偏不党な情報"、つまり中立な情報というものは、極めて難しいものだと考えている。

この辺りについては、2007年12月のエントリー「中立とは何か(コンテンツと規制について その4)」で述べたことがある。次に引用する。
政治的立場もそうだけれど、情報に中立性を求めるのはそもそもにして難しい。

まず絶対的な中立の基準からして決められない。価値観や伝統ですら、時代と共に変遷してゆくもの。仮に決めることができたとしても、右や左の人からみれば、それこそが偏ってみえるし、右や左のどちらかが多数派を占めると、以前は中立だった考えが途端に異端扱いになる。

だから、中立って、どの意見にも与さないか、どの意見も全て等しく賛成するかのどちらかの立場しかとれない。

たとえば、テレビの政治系番組で、どの意見も言ってはいけないからと、「総理が10時に官房長官と面会しました。」とか事実だけをひたすら伝えて、キャスターのコメントもなく、コメンテーターもいない番組をやったとしても、視聴率はほとんど期待できないだろう。

逆に全ての意見を紹介しようとして、100人のコメンテーターに一分づつ全員に喋らせたとしても、決して完璧にはなり得ない。101人目のコメンテーターだっているだろうし、視聴者の意見の中には、数が多い分だけもっと違った意見もあると考えるのが自然。視聴者FAXを全部紹介していたら日が暮れる。

中立性を保つというのは、中立という情報がある訳ではなくて、様々な方向に偏った情報の山の中から、視聴者や読者が自分の立場で、自由に選択できて、その内容の価値判断もその人に完全に委ねられる環境を保障するということになる。受け取る側のニュートラルな立場を守るということ。

この情報しか読むな、考えるな、と縛り付けたら、その瞬間から中立ではなくなる。それは全体主義への最短距離。
放送法の第4条には、「意見が対立する問題についてはできるだけ多角的に論点を明らかにすべき」と明記されているけれど、これなども、"様々な方向に偏った情報の山の中から、視聴者や読者が自分の立場で、自由に選択できる"ためにある。一方向だけに偏った情報の山しかなければ、いくら自由に選択しても、選ばれるものはやはり一方向に偏った情報になってしまう。

だけど、いくら「多角的に論点を明らかに」なんていわれても、その話題が果たして四角形なのか六角形なのかはたまた十二角形なのかなんて、その場では殆ど分からない。いくら頑張っても限界がある。やはりどこかで見切ってしまう部分はどうしても出てくる。

これについては、2009年8月のエントリー「健全な民主国家の条件(政治と宗教について考える その7)」で取り上げたことがある。次に引用する。
マスコミが、ストローの様に、全ての情報に一切手を加えることなく大衆に伝達できればいいのだけれど、紙面の都合や、放送枠の関係で、流す情報に取捨選択を加えざるを得ない場合が殆ど。いきおい、何を報道して、何を報道しないか、という価値判断がそこに加わることになる。

事実を伝えるだけでも、取捨選択という価値判断が加わるのに、伝える情報そのものを操作したり、捏造しようものなら、大衆が正しい判断をすることは著しく困難になる。

だから、マスコミはせめて、自身がどのような価値観で持って記事を選び出し、乗せているかの広報をするべきであって、公正中立を装って、特定の個人、団体の後押しをするような報道は、大衆をミスリードすることになりかねない。

広く一般大衆に、思想なり情報なりを伝えるという意味では、宗教団体もマスコミも変わらない。であるならば、マスコミも、如何なる思想信条に基づいて、これを報道している、という看板を掲げるべきであって、それすらないのであれば、マスコミは、自らの教えを高く掲げる宗教以下の存在であることを、自ら宣言していることになる。

別に、今のマスコミ全てに対して愛国心を持てとは言わない。だけど、反日思想を持っているのなら、自分は反日なのだ、とはっきり宣言してから、そうした記事を出すべきであるとは思う。

そうすれば、読むほうも、そうだと覚悟してから読むし、最初から読む価値がないと判断することもできる。売買の時点でそうした判断が入るから、必然的に市場原理が働くことになる。
どんなに多角的に論点を明らかにしようとしても、やっぱり限界はあるのだから、それならば、ここで述べているように、各報道機関は、自身がどのような価値観で持って記事を選び出し、乗せているかの広報をするべきだと思う。うちはラーメン屋だ、うちはトンカツ屋だ、と自分の暖簾をはっきりと出した方がいい。そうすることで、客も、自分の責任でそれを選ぶことができるようになる。

それを、なんでもござれのファミレスの風体でいながら、メニューには丼物しかなかったりしたら、ハンバーグを食べにきた客は騙されたと思うだろう。だけど、そこのシェフなりオーナーがしれっと「嫌なら食べにこなければいい」なんていったとしたらどうなるかなんて言うまでもない。常識的には有り得ない。

だけど、その常識では有り得ないことが有り得てしまっているのがマスコミではないのか。




3.明日、マスコミがいない

今回の「明日、ママがいない」問題にしても、ファミレスで例えるならば、ある客が、この食材にはアレルギーがあるから、出さないようにしてくれ、と要望したにも関わらず、シェフが「最後まで食べていただければ、分かっていただける」と言っているようなもの。少しも客の要望に応えていない。

普通、こういう場合、客の要望に合わせて食材を変えたり、アレルギーの人用のメニューを勧めたりするもので、一流の店ほどその辺はしっかりしてる。驚くほどの細かい気遣いを見せたりもする。

マスコミのような情報産業は、外食産業とは訳が違うんだ、というかもしれないけれど、情報産業だって、そうした客層に合わせてメニューや暖簾を変えることくらいしている。例えば、映画などのR指定なんかがそう。

R指定は、映画の鑑賞可否を年齢で区分する等級(Rating)で、主に暴力表現や性的な表現に対して行われる区分だけれど、そうした指定をするのも、少年に見せるには相応しくないという判断がなされているからだろう。だけど、だからといって、全くそうした作品を作ってはならないと制限をかけてしまうと、それは表現の自由を侵害することにもなりかねないから、作品にR指定をつけて、見ていい人と見ていけない人があると、作品に「注意書き」を添えて、警告している。

だから、「明日、ママがいない」にしても、問題が更に拡大するようであれば、例えばR指定方式で、何歳以下は見ては駄目というくらいにすべきかもしれない。尤も、実際問題、広く一般が視聴できる地上波でR指定を流すのは難しいだろうから、地上波では穏やかな表現の作品にして、後日DVDかなんかで、本来やりたかった内容をR指定付で出すという手はあるのではないかと思う。

ただそれでも、やはり、拙い番組を出してしまうことはある。その時にはやはり、何故そうした番組をどういう意図で作ったかの説明はしなくてはいけない。この辺りについては、2013年2月のエントリー「ISO26000の落とし穴と破壊力」で述べたことがある。次に引用する。
仮に、スポンサーを止める判断を下す企業が大勢となるような流れになったとすると、マスコミはマスコミで、なんとかスポンサーを続けて貰えるように、あまり文句が出ないような番組ばかり作るようになるだろう。

それは、公平中立な番組であれば、理想ではあるのだけれど、公平中立ということは、逆にいえば、右からも左からも文句が出る訳で、数の大小はあるにせよ、やっぱりスポンサーにISO26000に基づいた調査以来がいってしまう。スポンサーにしてみれば、それもあまり好ましいものではないだろう。

すると、それさえも避けようとすると、もうこれは「報道しない自由」を行使しまくって、少しでも視聴者の意見が分かれそうな事案は、ことごとく報道せずに、なかったことにしてしまうしかなくなってしまう。

だから、折角、ISO26000を使って、偏向報道をなくそうとしてみても、下手をすると、何もない"無向"報道ばかりになってしまうかもしれない。何も報道されない社会は、これはこれでよろしくない。

従って、筆者はこのような事態を避ける意味でも、偏向報道しているか、してしないか、或いは、放送法を守っているかいないか、というよりは、何故そのような放送をしたのか、何故そのような編集をしたのか、という「説明責任」の部分を果たすように依頼した方がよいのではないかと思う。

スポンサーにとっても、事実かそうでないかという難しい調査を依頼されるよりも、御社がスポンサーをしている番組は「説明責任を果たさない」と思うから、善処してください、と言われるほうが、ずっとやり易い。スポンサーをしている番組に、「説明をしてください」といって正式回答を貰えばいいだけだし、回答が不十分だと思えば、突き返して、再度回答させればいい。

マスコミが説明責任を果たしたか、果たしていないかは、誰の目にも客観的に分かることだから、スポンサーも降りる降りないの判断もしやすいし、角も立たない。

どこかの新聞社のように、安倍総理を叩くのが社是なのであれば、そういう説明をして社会的責任を果たすべき。もしも、マスコミが説明責任を果たした上で、それでも批判を受けるのであれば、持って瞑すべし。
マスコミ業界にも、色々と難しい問題があるかもしれないけれど、自由には責任が伴う、という原則を踏み外すと、いつかは、それに対する報いが来ると肝に銘じておいた方がいい。

もしも、マスコミがそれを忘却の彼方に追いやる日がくるとするならば、マスコミはマスコミでなくなる。その時、「明日、マスコミがいない」社会が訪れるだろう。




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この記事へのコメント

  • 草食レプ

    こんにちは。

    こちらのブログの内容はだいたい賛同できたのですが
    今回は珍しく意見が違います。

    放送時間が10時からという時点でR指定とまではいわないまでも
    子供が対象ではないということになっていると思います。

    >それを、なんでもござれのファミレスの風体でいながら、中略
    >だけど、その常識では有り得ないことが有り得てしまっているのがマスコミではないの>か。

    ドラマの内容は事前に情報誌でも出ていますから確認できます。
    養護施設の話であること、
    ポストというあだ名の由来など。

    公開されている情報を調べずに見て不快に思うのは本人の問題ではないでしょうか。

    外食するときはネットで口コミを調べて判断するのは
    日常的にしていることだと思います。

    協議会が批判する自由は当然認めないといけませんが
    だからといって内容の変更、放送中止を求めるのはやり過ぎではないでしょうか。

    スポンサーのヘタレぶりも情けない限りです。
    もしかしたら年間契約で個々の番組までチェックしていないのかもしれませんが・・・。

    じっさいに感動的ないいドラマだと思います。

    誰もが不快に思わない、傷つかない作品なんてあ
    2015年08月10日 15:21
  • almanos

    件のドラマは見ていませんが、ドラマが花道であるテレビ業界にとって致命的でしょうね。そもそも、今回のスポンサーの対応から見て「金返せ」と言われても反論の余地無しですから。この際、スポンサーとの契約時に「問題が起きた場合の賠償は放送局側が責任を全面的に負う」と「社是に背いた報道で抗議が起きたら同じく責任を負う」というのを契約書に加えるべきでしょう。偏向報道とかが成り立つのは彼らがスポンサーへの責任を蔑ろにできたからでもあるでしょうしねぇ。後はもし、田母神都知事が誕生したらMXの無料放送の全面スクランブル解除と、マスゴミを嗤うバラエティー番組をやっていただきたいですね。彼らにとって最も答えるのは嗤われる事ですから。
    2015年08月10日 15:21
  • 泣き虫ウンモ

    BSしか映らないのでなんとも言えませんが、コカ・コーラのCMしかなかった「銭ゲバ」みたいになるのかな?
    もっと酷いのかな?
    2015年08月10日 15:21
  • しっかりしろよ大和民族

    こんなお花畑で育った日本人の若者など会社で雇いたくないのは当然である。大学での無気力無責任、人に対して迷惑をかけても何とも思わない、日本人の男も女もこりゃあかんですな。死んでください日本人、という感じです。ちなみの私はねつ造歴史を好む朝鮮人が大嫌いなずっと日本人です。
    2015年08月10日 15:21

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