米比新軍事協定について
今日も極々簡単に…
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4月28日、アメリカ・フィリピン両政府は、米軍の事実上の駐留を認める新軍事協定に調印した。
協定期間は10年で、フィリピン国軍施設の共同使用や米軍の一時的施設の建設、合同軍事演習の強化などが盛り込まれている。ただし、フィリピン憲法は外国軍の駐留を禁止していることから、米軍はローテーション形式で駐留し、協定にも「常駐」ではないことが明記された。
フィリピンを訪れていたアメリカのオバマ大統領は28日、フィリピンのアキノ大統領と会談。その後の記者会見で「われわれはフィリピンの防衛能力を高め、南シナ海のような地域の安定を促進するために協力していく」とし、中国について「大国には、国際法を守るより大きな責任がある」と述べている。このことから、米軍のフィリピン駐留は対中牽制の一環であることは明らか。
アメリカとフィリピンは1951年に米比相互防衛条約を締結しているけれど、当時の独立間もないフィリピンは、国防能力がなく、在比米軍基地の存続や、アメリカとの防衛条約はフィリピンの安全保障上必要とされ、フィリピン政府が自身それを望んでいた。
相互防衛条約と名付けられているように、一応、条約の上では、フィリピンとアメリカは互いに、相互防衛義務が規定されているのだけれど、当時のフィリピンにそんな力はなく、アメリカは、フィリピンに対しアメリカの本土防衛は期待していなかった。
けれども、フィリピンはその地政学上の位置から、アメリカにとって、冷戦期における重要な中継・補給基地の役目を果たしていた。
例えば、ベトナム戦争では、在比米軍基地は兵站機能の役割を果たし、米軍が投下した爆弾の多くは特にスービック基地に貯蔵されていて、多くの艦船が補給や修理のためスービック湾基地を訪れた。
また、中東・湾岸戦争のときも、中東に派遣された米海軍への弾薬、食糧、燃料等の兵站支援の7割はスービック基地が請け負っていた。
当時は、アメリカ政府もフィリピン政府も、フィリピンが中ソなどの仮想敵国から攻撃を受ける可能性があるとは考えておらず、専ら、冷戦構造におけるソ連との勢力均衡を図りながら後方支援機能を確保することに主眼が置かれていた。
ところが、ソ連崩壊後、冷戦構造が集結し、ソ連の脅威が消滅。それを受けて、アメリカ国内では軍事費縮小の動きが強まり、国内基地の縮小が図られた。
ところが、在比米軍基地の使用料は増額の一途を辿り、1984年以前は年間1億ドルだった基地使用料が89年頃、年間1億8000万ドル、91年には、年間4億8100万ドルと5倍近くに膨れ上がっていた。だけど、ソ連の脅威があったときならいざ知らず、ソ連崩壊後は、その意味合いが薄れていたにも関わらず、フィリピン政府は1992~98年の7年間で年間8億2500万ドルの基地使用料を要求した。
これには流石にアメリカも愛想を尽かし、また、フィリピン基地の機能が沖縄、韓国の米軍基地である程度代替できる見通しが立ったことから、1995年にアメリカ軍はフィリピンから全面撤退した。
当時のフィリピンは、在比米軍基地に対して、米比両国の新植民地主義関係を維持させるとして、基地協定そのものが主権侵害とされ、フィリピンの経済発展を妨げていると見做されていて、米軍撤退をもって、真の独立ができると考えられていた。
ところが、米軍が撤退した途端に中国がミスチーフ礁に上陸、中国漁民を守るという名目で小屋を建て、周囲にも続々と建物やヘリポートを作って、事実上占領してしまったことはご存じのとおり。
米軍を追い出して、喜んでいたら、中国に領土を獲られ圧力を受けるようになった。そこで慌てて、また米軍を呼び戻すこととなった。
沖縄でもサヨクが米軍徹底を叫んでいるけれど、米軍が沖縄から撤退したら、どうなるかについては、このフィリピンの事例をよくよく学んでいく必要があるだろう。
この記事へのコメント
(^o^)風顛老人爺
手元に「 自滅する中国 」エドワード・ルトワック 奥山真司氏 芙蓉書房
異色の軍学者
兵頭二十八氏の「 兵頭二十八の農業安保論 」があります。地政学軍事の本出回っています本屋のみならずコンビニでも。m(_ _)m乱文にて 敬具。
泣き虫ウンモ
さすがに、フィリピンには失礼ですがフィリピンの為替相場は知りません^^;