STAPを信じる人々とリケンの争い
昨日のエントリーの続きをほんの少しだけ…。
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昨日の小保方氏の会見から一夜明け、J-castが、会見を観た全国20~60代の男女各100人を対象にインターネットアンケートを行ったところ、「小保方の言葉を信用できる」という人が109人、「できない」が91人で、支持派が過半数を獲得する結果となったようです。
擁護の理由として、「ウソをつくような人に見えない」、「思いが伝わってきた」というコメントがあったそうですから、やはり、小保方氏のSTAPの存在に対する確信というか自信というか、そうしたものを感じ取ったのだろうと思います。
それに対して、識者や研究者は、小保方氏が第三者が検証可能な形で物的証拠を残していない点を取りあげ、批判の声が多いようです。会見で質問したサイエンスライターの片瀬久美子氏は、「小保方さんの関与なく再現実験に成功している人物の存在も、他にあるとする実験ノートも、不都合があって誰か明かしたり、公開したりできないという事で、新事実を小保方さん自ら証明することを拒まれました。事実を示して頂かないと、これらの証言を信頼することはできません」とコメントしていて、あるなら証拠を見せろ、というスタンスのようです。まぁ、研究者なら当然なのかもしれません。
以前、筆者は「信じる行為と理性の関係について」のエントリーで、科学の発展には、まず仮説を「信じる」という行為が前提にあり、それを理性によって検証することで、「真実」へと変わっていくということを述べたことがありますけれども、STAP騒動をみて、改めて、それを感じました。
その意味では、アンケート等の結果をみる限りでは、STAPを「信じる」という人は半分くらいは居るという事ですね。前述のエントリーで、筆者は、仮説を信じた例として、フェルマーの最終定理を証明する際に重要な鍵となった「谷村=志村予想」を挙げましたけれども、数学の世界では、仮説を出した本人が、その証明を出来ないなんてのは普通にあるんですね。それを後の数学者達が奮闘しそれに証明を与える。そうして、「信じた仮説」が「真実」になっていくわけです。
では、なぜその仮説が「信じられた」のかというと、その仮説の多くが「美しい」からなんですね。かの有名な天才数学者、岡潔は、「数学の中心にあるのは情緒である」、「計算のない美しい数学をやりたい」という言葉を残しています。谷村=志村予想にしても、多くの数学者の支持をうけ、その証明を試みた数学者が多々いたのも、その予想が美しかったからでした。
STAP細胞は、酸性の溶液に浸すだけで、細胞が初期化され万能性を持つ、とされる非常にシンプルなものですから、ある意味では、「美しい」と言ってもいいと思うんですね。数学の世界で予想が美しければ、それは真実であると、信じて証明を試みるのは普通であるのに、理化学の世界がそうでないのは、少し不思議な感じがします。いや、本音では、小保方氏を否定する彼等とて、STAPは真実であると思っているのかもしれません。
実際、世界では、STAPの再現実験に取り組んでいる研究者はいます。例えば、マサチューセッツ工科大学の幹細胞学者、ルドルフ・イエーニッシュ教授の研究室が、その再現に取り組んでいるようです。今のところ、STAPの再現には成功していないようです。
ただ、このイエーニッシュ教授が、ちょっと曲者で、iPS細胞のとき、山中教授と特許で争っています。山中教授がマウスiPS細胞を樹立したとして特許出願したのは、2006年8月ですけれども、イエーニッシュ教授は、2004年11月に「体細胞の初期化を可能にする遺伝子などを特定する技術」で特許出願をしています。これは勿論、体細胞の初期化する遺伝子を特定する技術であって、iPS細胞を作る技術ではありません。
けれども、山中教授がiPS細胞の作成に成功すると、イエーニッシュ教授は、「山中教授はiPS細胞を作成したが、アイデアは我々が最初」などといったそうです。また、イエーニッシュ教授は、山中教授がiPS細胞の論文を発表した後、論文の手法を流用して造血細胞にiPS細胞を組み込んで貧血マウスの治療を成功させています。
イエーニッシュ教授が、この治療に関する特許を取っているかどうかは分かりませんけれども、取れそうな特許は全部取ろうとしていることは十分に考えられます。
このイエーニッシュ教授は、STAP細胞の作製方法についても、「論文にする必要はない。今すぐ公開すべきだ。…論文掲載の作製法に加え、理研と米ハーバード大が別々の作製法を発表しており、すでに4種類の作製法があるのは異常。論文著者の間できちんと話しあってほしい」と言っているんですね。
論文発表する必要はないだなんて、横取りする気満々としか思えません。小保方氏が今回ネイチャーに発表したSTAPの論文は、生後1週間以内のマウスを使った実験だけで、初期も初期の段階です。ヒトの細胞でも作れるのか等々検証すべきことが山の様にあるんですね。
STAP論文共著者の1人であるハーバード大学のバカンティ教授の研究グループは、すでにサルの脊髄損傷でSTAP細胞の移植実験を進め、臨床試験も準備中だと言われています。
ですから、小保方氏を追及して、STAPがあるかないか論で徒に時間を費やしていると、もしSTAP細胞が本当だった場合は、それが分かった時には、STAP関連特許は根こそぎアメリカに持って行かれているなんてことは十分有り得る話です。
いまのところ、STAP細胞は、小保方氏でないと作成できないという、技術の囲い込み状態にあるのですから、関連特許等々、万全の大勢を整えることが先であり、間違っても論文にせず公開することはやるべきではないと思いますね。
この記事へのコメント
heikokutoh
小保方さんに第三者が納得できる形で再現する機会を与えてはどうか、その結果で小保方さんを評価すれば宜しい。現時点での論文撤回は絶対に避けるべきである。
たまや
横やり申し訳ないのですが、
このエントリー、STAP細胞が実際にあるのかないのか、という考察ではなく、
・数学の世界では~、理化学の世界では~ ⇒ なんか不思議・・・
・仮にあった場合、その特許戦略はどうなんだろう、リスクヘッジは大丈夫?
としか読み取れないのですが。。。
てゆうか、「理研による検証待ち」じゃなかったっけ、ブログ主さんの結論は。理系と文系で、同じ文章を読んでいるのにこうも感想が違うのかと思いました(・・・てか、理系、文系、大卒、院卒、製薬会社、関係なくね?)
ケン
私は、一応薬学部の院卒で、製薬会社で10年間研究をしていましたが、今回の一連の報道を観察していて、STAP細胞が存在しないと確信を持ちました。おそらく、日本中の研究者も同様の感想を持っていると思います。
理系と文系では、同じ情報からも、真逆の結論に至るのがとても不思議です。
ちび・むぎ・みみ・はな
当たり前の事実だが, どうして
その事実に到達したのかは説明できない
ことが多い. なぜなら, その時は
そうでないという事実の方が常識で
あったから.
新しい発見のルートとしては三つあると思う.
A.組織的な探求の結果
B.偶然
C.勢いに任せて到達
研究者として確立してしまうとAしかできないが,
「そうでない」が事実と認められている時には
時間も予算もとれないから結局できない.
偶然はありそうであるが, 選択の数を考えると
実際にはあり得ない.
若い研究者だとCが結構あるものと思う.
あり余るエネルギと非常識の結合は
結構恐いものだ. だから, 「若い」と
いうことは研究者の重要な資質でもある.
年寄りが威張るような学会は先がない.
金儲けばかり考えている人の中からも
新しい発見は出ない. 現在の支那が良い例.
ただ, STAPが正しいかどうかは検証が
必要なのは変わらない.
鷲羽雲國齋
でも、そういう場合は、データがきちんとしているけど、当時の常識(思い込み)に沿わないから認められないって感じになるのが普通です。
本件は、データが全然きちんとしていないわけで、そもそもお話になりません。
opera
今回の問題以前に薬学系の知人と雑談の際の話ですが、厚労省に新薬として認定されるレベルでも、検証実験での再現率(?)は3割以下ということが普通にあるそうですね。じゃあ、よく新成分発見とか言ってネットなどで宣伝している健康食品等はどうなんだと聞くと、それ以下だったり結果が微妙なのは確かだが、一応の効果は確認されているし、複雑な手続を経るよりも健康食品として販売した方が商売になるから、という身も蓋もない話でした。
また、生物化学の世界では実験それ自体がノウハウの塊ですから、それを含めて慎重な対応及び発表が必要でしょう。1年位は放置して検証待ちという態度でいいのではないかと思っています。