高まる朝日新聞への批判と報道責任


更に昨日のエントリーの続きです。

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1.高まる朝日新聞への批判

朝日慰安婦捏造記事の波紋が全く収まらない。朝日に対する国民の批判の声が日に日に高まっている。

8月6日、民主党の松原仁国対委員長は記者会見で「日本の不名誉に同調する記事を30年以上放置した責任は極めて重大だ」と批判し、7日には、舛添都知事が「全くの虚偽報道であるということを反省したのは当然だ。日韓関係をここまでゆがめた一つの理由だ」と述べ、与野党問わず批判の声が挙がっている。

とりわけ厳しいのは、次世代の党の山田宏幹事長で「朝日新聞が火をつけた日韓関係の火種をどう消すのかはっきりせず、残念だ。…日本が国際的に非難される原点となった報道だ。予算委員会などを通じてただす必要がある」と、朝日新聞の植村隆元記者の参考人招致を求める考えを示している。

先日、参考人招致の可能性について、自民党の石破幹事長が触れていたけれど、6日夜のBSフジの番組で、石破幹事長は、「朝日の記事は日韓関係にも影響を与えた。国権の最高機関たる議会で議論を行うのは当たり前だ」と重ねて述べている。

これについて、過去を遡ると、1993年に、通称「椿事件」と呼ばれる事件が起こっている。これは、テレビ朝日の取締役報道局長だった椿貞良氏が、当時の総選挙報道について、「非自民政権が生まれるよう報道せよ、と指示した」などと発言した問題に端を発する、放送法違反が疑われた事件。

椿事件の詳しい内容については、既にいろんなところで言及されているから、繰り返さないけれど、今回の朝日捏造問題も、椿事件との比較及び、その重要性や影響力を鑑みれば、国会招致が行われても何ら不思議じゃない。

さて、その朝日は今のところ、「慰安婦問題の本質は、女性の人権が~論」によるスリカエや「報道の自由」の建前を押し出して、自身のスタンスを改める様子は見られない。

もっとも、流石にそういう姿勢は国民だけでなく、他紙からも批判されている。8月6日、読売新聞は、朝日記事が「慰安婦問題の本質」に言及したことは「論点のすり替え」だと批判。産経も6日の記事で「自社報道を慰安婦問題全体にすり替えてはいないか」と検証記事の"検証"をしている。更に余談だけれど、産経新聞は、7日の編集日誌で、朝日の誤報記事について取り上げ、「おわび」や「訂正」の見出しがひとつも見当たらないとして「さすがは、朝日新聞」と"お手紙"を送ってる。

これらをみる限り、朝日は、記事を書いた結果に対しての「責任」を強烈に問われていることは間違いないといっていいだろう。

「自由には責任が伴う」とはよく言われる言葉。確かに、表現の自由が保障されるべきもの。だけど、自由を行使した結果について、その責任が不問になるわけじゃない。寧ろ、責任を問われるからこそ、自由にできる"裁量権"が与えられていると捉えるべきだと思う。

ただ、ここで注意しなければならないことは、報道の責任を問うためには、その報道が「責任を問われなければならないもの」なのかどうかを認識、或は判断できなければいけないということ。

自由に書いた何某かの記事が、他者に利益または不利益を齎したかどうか、それがどれくらい大きなものなのか、という観点。




2.報道機関が負う結果責任

今回の慰安婦捏造報道にしても、昨今の韓国の慰安婦に関する日本批判を例にとるまでもなく、日本全体が不利益を被っていると、誰の目にも明らかになったからこそ、ここまで問題視されている。

これが例えば、日食や月食の時刻が当初報道していた予想時刻から1分遅れたとする。それとて、厳密には、誤報といえば誤報だけれど、それを新聞社が「誤報でした。だけどこれは、学者の発表を信じて疑わなかったのです。意図したものではありません。」などと特集記事を組んだとしても、大騒ぎになることはないだろうと思われる。

ここのところ、アフリカで発生しているエボラ出血熱が流行拡大の気配を見せ、世界的に注意喚起されているけれど、8月7日、アメリカのチューレーン大学のダニエル・バウシュ准教授らは、エボラ出血熱は、長年の内戦や政情不安に伴う貧困から住民が森林に分け入り、ウイルスを保有するコウモリと人が接触する機会が増えて引き起こされたとする分析を発表している。

また、国連食糧農業機関も、エボラウイルスの宿主と考えられているオオコウモリによって感染するリスクがあることを、オオコウモリの料理を食べる習慣がある地元住民に周知させるべきとの声明を出している。

このように、世界は感染拡大を防ぐため、エボラウイルスの宿主との接触を避けるように注意を促している。



そんな折、朝日新聞は8月4日のコラムで「コウモリまるごと食べてみた!」という記事を掲載している。尤も、この記事自身は連載の2回目で、1回目が7月28日に掲載していることから、記事を書いているフリーライターの原稿を、毎週順番に載せているだけではないかと推測できるのだけれど、このタイミングで「コウモリ料理」とは如何にも間が悪い。

もしも、この記事を見た人が、「コウモリ料理」を食べてみて、それが原因でエボラ出血熱に感染し、さらに拡大するようなことにでもなれば、途端に、この記事が問題視される可能性がある。

フリーライターによる「世界美食紀行」というコラムであることを考えると、この記事は、エボラ出血熱の感染拡大を"意図して"書かれたものではないとは思う。

だけど、朝日の編集部が、これを、今この時期に掲載するという判断を下したことについての責任はある。状況からみて、掲載をしばらく見合わせるという判断だってやろうと思えばできた筈。2012年公開された邦画「のぼうの城」は、当初2011年公開だったところ、作中に水責めのシーンがあることから、東日本大震災の被災者の心情を鑑み、公開を1年延期している

それに対して、この「コウモリ料理」記事は掲載している。これは報道の自由が守られていることの証明でもあるけれど、これをこの時期に掲載したという責任はついて回る。この記事を元に、結果として日本にエボラ出血熱が蔓延したら、後でいくら「意図したものではなかった」といっても通らない。

勿論、そんな将来のことまで予測なんてできるわけがない、という反論もあるだろうけれど、多くの人に多大な影響を及ぼす報道機関は、その"力"に見合ったリスクと背中合わせであることを自覚する必要がある。

果たして、朝日がそのリスクをどこまで自覚しているのかどうかは分からないけれど、いつまでも責任を取らずに逃げ回れるとは考えないほうがいい。




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