今日は、別に予定していたテーマでエントリーする予定でしたけれども、諸般の事情で昨日のエントリーの補足を極々簡単に…。
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昨日のエントリーで、筆者は、世間は朝日には自浄能力がないと見做し始めていると述べたけれど、2週間前の世論調査でも、その傾向が出ていた。
日本テレビが9月12日から14日に掛けて行った、定例世論調査で、朝日新聞について問うた質問が2つあった。その質問内容と結果を次に引用する。
[問14]この調査では、訂正・謝罪そのものについては7割近くが評価しているにも関わらず、6割が朝日は信頼を回復できると思わないと回答している。記事の訂正・謝罪が信頼回復に繋がっていない。
朝日新聞社は、記者会見を開いて、福島の原子力発電所が事故を起こした当時の吉田所長の証言を扱った記事内容に誤りがあったとして、記事を取り消し、謝罪しました。また、「慰安婦を強制連行した」とする嘘の証言をもとにした記事を、先月に取り消したことについても謝罪しました。あなたは、朝日新聞社の対応を、どう思いますか?
(1) 評価する 6.4 %
(2) 訂正・謝罪は評価するが遅すぎる 63.6 %
(3) 評価しない 23.3 %
(4) わからない、答えない 6.8 %
[問15]
朝日新聞社は、「慰安婦を強制連行した」とする嘘の証言をもとにした記事と、今回の吉田所長の証言をめぐる記事を取り消したうえ、社長が謝罪しました。あなたは、朝日新聞社は、信頼を回復することができると思いますか、思いませんか?
(1) 思う 21.5 %
(2) 思わない 60.4 %
(3) わからない、答えない 18.1 %
世論調査の回答をよく見ると、問14で「訂正・謝罪は評価するが遅すぎる」という回答が6割以上にもなっている。このことから、世間は、「記事の訂正・謝罪」だけでは十分ではなく、「訂正・謝罪が遅すぎたことによる信頼の失墜」があると思っていると推測される。
それは、長年に渡って読者をミスリードしてきた責任を問われているということでもあるし、その間に失われた国益の責を問われているということでもある。
間違った記事という"点"ではなく、その間違った記事を放置してきた32年間の"積分"を解消しない限り、信頼を回復することは難しいということ。
9月18日、自民党の町村信孝元官房長官は町村派の会合で、この問題について「朝日は1980年代から国家の名誉を傷つけることを書き続けてきた。その責任をどう取るのか。取れるわけがない。…朝日が極端な左翼新聞だということはみなさん、ご承知の通り。…新聞は必ず事前に方針を決めている。ときとして捏造もする」と痛烈に批判している。
百歩譲って、新聞社が記事の方針を事前に決めていることを許容したとしても、その"方向"が国益を損ない、ましてやその記事に根拠がなかったとしたら、やはりその責が問われるのは当然だと言える。
そして、今回の問題は、朝日自身の信頼のみならず、マスコミ全体の信頼をも失わせるという結果になりつつある。
元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏は、今回の問題を受けて、新聞の売上がどうなっているのか、朝日記者、朝日販売所員、毎日新聞幹部の3人に聞いた結果をこちらのコラムで紹介している。
それによると、朝日の売上は壊滅的らしく、特に、8月後半から9月に掛けて「全国的に見れば、最悪、1日で億単位が飛んだのではないか」という状況。まぁ、それは予想通りだとは思うけれど、売上が減っているのは朝日だけではないらしい。
毎日の幹部は「今回の騒動は『新聞全体に対するダメージ』になっています。まだ正確な数字は出ていませんが、私どもの販売所まで、何故か『解約が何件も出ている』という報告を受けています」と語ったそうで、長谷川氏自身、自分の予想は完全に外れていた、と述べている。
朝日の一連の対応は、自社のみならず、業界全体のイメージダウンに繋がっている。
長谷川氏は「皆さん、ネットもいいけど、紙、いいよ?ペラペラめくるの、楽しいよ?特に新聞は読み物として最高です。ほとぼりが冷めたらまた取ってあげましょうよ。ね? 」なんて言葉でコラムを締めくくっているけれど、ノートだって"ペラペラめくる"ことは出来るし、"読み物として最高"なのが新聞だけとはとても思えない。でなければ、毎月毎月、あれ程多種多様の書籍が出版されるわけがない。
もしかしたら、今回の事件によって、新聞はその信頼を落とした結果、最早、ネットとほぼ"同じ程度の価値"だと見做されているのではないかとさえ。
筆者は、2010年のエントリー「ネットコンテンツがマスコミを凌駕する」の中で、これからは「情報発信する側も、物事におけるより深い洞察や、幅の広い情報収集能力が求められることになるし、情報を受け取る側もその情報の正確性や質の高さ、或いは低さを自分自身で判断することが求められるようになってくる。これまで、マスコミが何を報道して、何を報道しないかという取捨選択の段階で、その会社としての価値判断を行っていたけれど、そうした行為そのものの是非が問われる時代になったといえる」として、知識から見識へと「価値観の競争」が始まると述べたけれど、今回の朝日の問題と世間の反応は、その時代の到来を告げるもののように思える。
今回の事件は意外と、情報メディアそのもののエポックメイキング的なものになるのかもしれない。
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