昨日のエントリーの続きです。
ブログランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
1.南京捏造を認めた本多勝一
昨日のエントリーで、朝日は世間から監視され、これまでであれば、見逃されていたかもしれない小さな瑕疵すら暴かれ叩かれる立場になったと述べたけれど、とうとうそれが"南京大虐殺"にまで飛び火した。
「週刊新潮」は、9月18日発売の2014年9月25日号のグラビアページで、元朝日新聞のスター記者だった本多勝一氏が、アイリス・チャンの『レイプ・オブ・ナンキン』や反日左翼が「南京大虐殺」の象徴と使っていた、橋の上を中国人老若男女が歩いていた写真を捏造写真と認めたコメントを掲載した。
本多勝一氏は「一ツ橋大学教授の吉田裕さんが次のように指摘しているとおりだと思います。『中国側に問題があるのは写真の使い方ですね。いつ誰がどこで撮ったかという根拠を確認しないままに、政治的キャンペーンの中で勝手に写真を使っている。日本の市民運動側もそれを無批判に受け入れてしまうような一面があってそれを反動派につけこまれている。』…「中国の日本軍」の写真が、「アサヒグラフ」に別のキャプションで掲載されているとの指摘は俺の記憶では初めてです。たしかに誤用のようです」 と述べている。
慰安婦問題同様、"南京大虐殺"も日本の国益を棄損していることは誰もが認めるところ。中国なんかは二言目には"南京"を持ち出しては批判している。
従って、"南京大虐殺"の火元の一人である、本多勝一氏が、こんな重要な"告白"を、他人事のように語って済むとは到底思えないのだけれど、本多勝一氏が「誤用」と認めた以上、朝日新聞も責を問われることは間違いない。
先日の朝日新聞社長の謝罪会見で、木村社長は"誤報"について第三者委員会で検証すると述べているけれど、いくら検証しても再発防止するシステムが構築されなければ意味がない。
今回の朝日"誤報"について、一般企業でいえば欠陥商品を販売したのと同じだ、という批判を結構耳にするようになったけれど、全くその通り。筆者としては、検証結果よりは、どういう再発防止システムを組むのかに興味がある。
今や、物作りをしている普通の企業であれば、自社の製品の品質を保証するためのチェックを当たり前にやっている。「危険な中国産鶏肉」のエントリーで触れたけれど、HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)など、製品を製造する中で、各工程毎に、試験・検証をやっている。
新聞記事を"製品"として扱うならば、同等以上のチェックシステムを持ってしかるべき。
朝日がそういう世間並の検証システムを構築するかどうかは分からない。だけど、どんなにシステムであれ、100%完全無欠ということはない。どんなに頑張っても、欠陥商品が出ることはある。だから、そんな時にこそ適格なリスク管理が求められる。朝日はそれに失敗した。
2.表現の自由とリスク管理は別次元
企業のリスク管理を専門とするコンサルティング会社「アーサメジャープロ」社長の熊澤啓三氏は、先の朝日の謝罪会見について、「株式会社であり、新聞という『製品』を作っている企業として、メーカーが製品で不具合を起こした時にどのような対応を取るべきかという視点」と、「表現の自由を標榜し、国民の要望に代行する形で知る権利に対応していかなければならない報道機関としての特殊性を加味しながらの視点」の2つが必要だと指摘している。
まず前者について、熊澤氏は、"製品"メーカーとしての朝日の対応は、「構造的にメディア業界の『雪印事件』」に当たるとしている。
熊澤氏によると、「自動車会社に例えるならば、『おたくの造った車は、品質が悪く、トラブルが多いので買いたくない」と言われているのも同然です。…まず、自社で起こったトラブルは何が原因なのかを自力で調査し、防止策も含めた対応を考え、その調査手法や対策に問題があるか否かの判断を第三者に任せるべきです。これを一般的に自浄作用と言うのではないでしょうか。第三者に原因まで丸投げ的に調べてもらうということは、これは経営者としての仕事を放棄しています。木村社長は読者や国民に見える形できちんと責任を取らないと、朝日新聞に対する批判はさらに高まる可能性があります」と指摘している。
そして、後者の"表現の自由"の観点については、「報道や表現の自由と、誤報防止・リスク管理は別次元で考えるべきだ」とした上で、例の池上彰氏のコラム掲載が一時的に見合わせられた後、社内の記者からその対応がおかしいというツイッターが発信されたことや、記者会見開催情報などの社内機密にあたる情報が漏洩することは、一般企業のリスク管理の面からみれば有り得ないと述べている。
そして、一般メーカーが品質問題を起こして消費者に影響を与えた場合、監督官庁から査察や注意勧告を受けたり、時には法的処罰を受けるのに対し、メディアは、誤報を流しても、そうした処罰が殆どないとした上で、朝日のような大新聞が誤報を流して、自浄能力がないと見なされると、今の政治情勢などから『誤報防止法』を制定しようといった、表現の自由を脅かしかねない動きに繋がる可能性もあり、言論機関が自らの首を絞めているようにも見える、と指摘している。
これは重要な指摘だと思う。最早、世間は朝日には自浄能力がないと見做し始めてる。朝日叩きは収まるどころが益々加熱する一方なのがそれを証明している。
既に、安倍総理の周辺では、安倍総理が出席する国際会議に朝日の木村社長を同行させ、訪問先で"記事の訂正"と"謝罪"をさせるプランが進行しているという噂もある。実際、9月14日、安倍総理はNHKの番組に出演した際、朝日の誤報問題について「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められている。朝日新聞自体がもっと努力していく必要がある。…日本兵が人さらいのように慰安婦にしたとの記事が世界中で事実と思われ、非難する碑ができている。…一度できた固定観念を変えることは難しいが、関係改善に生かしていくことができればいい。…事実ではないということをいかに国際的に明らかにするか、われわれもよく考えなければならない」と述べている。
少なくとも政府として何らかのアクションを行うのではないかと思われる。
3.言論の自由と国益
筆者は、今回の問題はつまるところ、言論の自由と国益との関係をどう考えるかという問題に帰着するのではないかと考えている。
ある報道についての正誤と、国益の利益と不利益をそれぞれ場合分けしてみると、次の4通りが考えられる。
A)報道が正しくて、国益も得るこの4通りの組み合わせのうち、Aの場合は、何も問題ない。言論の自由を守った上で、国益も守られる。だけど、それ以外の3つとなると、立場によって見方が変わる可能性がある。
B)報道は正しいけれど、国益を害する
C)報道は間違っているけれど、国益を得る
D)報道が間違っていて、国益も害する
仮に、政府が国益のみを見て、物事が真実かどうかはどうでもよいと考えるなら、Aは勿論、Cも許容するだろう。逆にBとDは、決して許さず、圧力ないし弾圧して報道させないようにするであろうことはほぼ間違いない。
それに対して、政府が言論の自由を尊重する立場に立つのであれば、Aは勿論、Bも許容して、CとDについては言論機関の自主的な自浄作用を促すことになるだろう。だけどこれは、相当に理想的な、いわば"聖人君子"国家ともいうべきでものであって、実際にそんな国が存在し得るのかどうかは何ともいえない。
現実は、前者の国益重視国家の方が殆ど。特に中国は、明らかに前者に類する国家であり、BとDは徹底的に弾圧して、存在を許さない。
ともすれば、サヨクな方々は、政府の嘘や言論弾圧には対抗しなければならないと口にするけれど、恐らく、それは自分達が、Bの立場にあると捉えているからだと思われる。それはそれで理解はできる。だけどその言葉は、まず中国に向かっていうべきではないかと思う。
それに、今回の朝日のケースは、Bではなくて、D。報道が間違っていた上に、日本の国益も大きく害している。政府としてそれ放置できない、とするのは、国民の生命と財産を守ると意味からも当たり前の対応。
果たして、安倍政権が今回の問題について、どこまで朝日自身の自浄作用に任せるのかどうかは分からない。だけど、明らかに国益を害している以上、いつまでも放置もできないことは確か。
朝日は自分自身が、日本全体の"表現の自由"を脅かしていることを自覚して、直ちに自らの在り方を変えなくちゃいけない。崖っぷちで踏ん張れる時間はそう長くない。
この記事へのコメント