地方創生と聖地の人

 
昨日のエントリーの続きです…

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1.地方創生の戦略

10月26日、自民党の石破茂・地方創生担当相は、地元鳥取県のJR鳥取駅前で街頭演説を行い、県と市町村による地方創生の戦略策定の必要性を訴えた。

石破担当相は、「地域の人がその地域に誇りを持たないと人が来るはずがない。…政府が人が来るような街作りはできない。地域をどうするかは、その地域の人でないと分からない。…『今だけ』『ここだけ』『あなただけ』というモノがなければ人は来ない。必要なのは交流人口を増やすこと」とし、「『私のまちはこうしよう』という戦略を1年かけて作っていただく」と述べた。

安倍総理は、今国会を「地方創生国会」と位置づけ、人口減少と東京一極集中を是正し「50年後に1億人程度」の人口構造を目指すとして、「地域の個性を尊重し支援していくこと、国の示す枠にはめる手法を取らないこと。こういった視点に立ち、これまでと異次元の施策に取り組んでいく」とその意気込みを語っている。

「人口減少と東京一極集中の是正」なんてスローガンとして聞く分には"御説ごもっとも"なのだけれど、では、具体的に何をどうするのか。

10月22日、石破担当相は「地方創生」の政策を検討する際の5原則として、「自立性=外部人材の活用など地方の自立を支援する施策」、「将来性=地方が主体となった、夢のある前向きな施策」、「地域性=客観的なデータにより各地域の実情を踏まえた施策」、「直接性=人や仕事の移転・創出に直接効果のある施策」、「結果重視=目指すべき成果が具体的に想定され、その検証が行われる施策」を打ち出し、12月に策定する今後5年間の国の総合戦略や、2015年度予算案に盛り込む関連施策を決める上での基準にする、としている。

原則を出したまではよいけれど、出せたのはそれだけで、政策としては、ほとんどノープラン。強いていえば、石破担当相が、「地方で起業する個人事業者を対象に税制面などでの優遇策を検討する」とか、「出生率の向上に向け、20~30代の人達に安定した仕事と所得を確保する為、農林水産業や観光を振興する必要性」を述べているくらい。

「東京一極集中の是正」なんて、昔から言われていたこと。それが、未だに解消しないのは、それだけの理由があると考えるべき。




2.東京一極集中との戦い

大都市に人口が流入するのは、ぶっちゃけていえば、そこに仕事があるから。第一生命経済研究所の首席エコノミスト、嶌峰義清氏は、「地方の少子高齢化が著しく、仕事を求める人が東京圏に移動するという構造的な理由がある。…アベノミクスによる株高を背景に個人消費が主導して景気が回復し、商業圏に人口が流入した」と指摘している。

実際、総務省の統計を見ても、2013年に東京圏に引っ越した人数から転出した人数を引いた「転入超過数」は約9万7000人で、18年連続の転入超過。仕事という需要があれば、人が集まって供給が為される。経済の原則どおり。

これまで、日本政府は、大都市の一極集中を緩和するための施策を何度も行ってきた。

例えば、昭和30年代の半ば頃の都市化の進展と東京への人口流入が拡大した時期には、東京都の周辺の県に工場や諸機能を移転することで、東京都の過密を防止できないかと考え、工場の地方移転を促す法整備を行い、ある程度は成功した。だけど、当時の政府の予想を上回る高度成長が続いた結果東京圏への人口流入は止まらなかった。

次に出たのは、田中角栄の「日本列島改造論」。これは、過疎と過密を同時に解消し、工業の再配置をはかるという狙いのもと、高速道路や新幹線拡充を図るというプランだった。ところが、この計画は、地価高騰や第1次石油ショックによるインフレとその後の景気後退で頓挫した。

そこで、政府は方針転換。これまでの資源の再配分ではなくて、ありのままで、それぞれで、住みやすい街づくりを目指すとして、第三次全国総合開発計画を策定、「定住圏」構想を打ち出した。これは、地方公共団体が中心となって居住環境を作りあげていく施策だったのだけれど、この頃から、安定成長期に転じたことも幸いし、3大都市圏への人口集中の沈静化と、地方における居住環境の向上が為された。

だけど、これで「メデタシ、メデタシ」とはならないのが、世の中。この頃、経済の国際化や情報化が進展し、情報拠点としての東京の地位が高まることとなった。その結果、昭和50年代後半から、東京への再集中が始まった。更に、昭和60年以降の円高による産業構造の転換も、東京への集中を後押しした。

こうしてみると、大都市に人が集まるのは集まるだけの理由があり、それはそこが仕事、つまり"富"を生み出す場所であるからというのがその答えであるように思われる。

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3.富を生み出す源泉

では、どうすれば富が生まれるのかというと、それは言葉を変えれば、人が欲しがるもの、需要があるものを生み出せるかということ。その為には、需要のある商品そのものと、それを作る人や買う人、そして、それら商品を生産または消費するためのお金が必要になる。いわゆる、「人・モノ・金」。

更に、近年急激に発達している情報産業による富の創出を加えるならば、「人・モノ・金・情報」の4つになるし、商品をやり取りする市場も入れるなら、「人・モノ・金・情報・場所」、この5つが富を生むために必要な要素ということになる。

既に資本の蓄積がある大都市には、これら5つの要素がみんな揃っていることに疑いはないけれど、翻って、地方はどうかというとその答えは明らか。

過疎で人口は減少し、地方自治体は赤字だらけ。田舎には何にもないというのが定番。つい先日も石破担当相の地元鳥取県に、遂に、スターバックスコーヒーが進出すると評判になったばかり。

あるといえば、地方という場所と、その地のローカルネタ。つまり、「人・モノ・金・情報・場所」のうち、人・モノ・金の3つがなくて、情報と場所の2つしか持ってない。大都市を比べると、最初から大きなハンデを負っている。

だから、地方を活性化しようとすると、わずかに残った、情報と場所を活かすしかなくなるのだけれど、地方のローカルネタなんて、余程の目玉か何かでもない限り、金にはならない。結局、その地の名産品や観光といった、"場所"の要素に頼った、お決まりの振興策となってしまう。




4.聖地の人

そんな中、最近、金にはならないと思われていた"情報"の要素を元手にした地域活性の事例が生まれつつある。それがアニメによる地方の「聖地化」。

これは、漫画・アニメなどの熱心なファンが、自分の好きな作品が舞台とした土地を"聖地と呼んで、実際に訪れる現象のことを指すのだけれど、近年、この「アニメの聖地」が続々と生まれている。

今のアニメ作品は、地方ロケを行っい、それを作品に登場させることが当たり前のように行われていて、今や、全国の都道府県それぞれに、そこを舞台としたアニメがある。勿論、その中で、アタリ外れはあるのだけれど、全国47都道府県全てにそうしたアニメ作品があるということは、どの地方であっても、その土地の"情報"がアニメを媒介として、全国ネットで放送されることを意味してる。

つまり、これまで「金」にはならないと思われていた、地方のローカルネタが、アニメ作品によって、新たな"物語"を付け加えられることで、富に変わる可能性があるということ。

昨日のエントリーで取り上げた「クールジャパンフロント構想」にしても、集客や話題作りの一環として、著者の生誕や没後周年行事、キャラクターの誕生日や結婚式。果ては、死亡したキャラクターを供養する葬儀イベントや神格化したキャラクターの神殿や寺院などをテーマとした公園やミュージアムを作る計画を出している。これは明らかに、大阪の「りんくうタウン」を聖地化しようと狙っていたと思われる。

ただ、アニメの力で地方を聖地化すればいいなんていっても、目の肥えたアニメファンを納得させられる作品が、ポンポンと出てくるほど世の中甘くない。

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ご当地アニメとして一斉を風靡し、今なお、茨城県大洗町の町おこしに大きく貢献した2012年放映の「ガールズ&パンツァー(通称:ガルパン)」にしても、そこには、製作スタッフの熱い思いと、地元住民の協力とが一体となって、一緒に作品を作り上げていった背景がある。

ガルパンの原型となる「美少女と戦車」の構想は2010年に持ち上がった。当初の企画段階では、ガルパンの舞台は山陰地方のとある町を想定していたそうなのだけれど、プロデューサーの杉山潔氏は、2011年の東日本大震災を受け、「アニメで被災地を応援できないか」と思っていたという。そんな折、百里救難隊が撮った空撮写真に、コンテナが散乱し水浸しになった大洗港が写っていたのをみて、大洗を舞台にすることに決めたのだそうだ。

「残酷な作品は作りたくない」というスタッフの思いから戦車道という部活動にする着想が生まれ、「経済効果が目的ではない。まずは制作サイドと町民の信頼関係が大事」と、アニメで戦車が町を破壊する場面の許可を取るために商工会や各商店に出向き、「街を壊させてください」と頭を下げたのだという。

地元の町の人は、驚くほど豊かな発想とノリの良さで撮影に協力し、製作は進んでいった。こうしたガルパンが生まれた。

今では、週末に催しがあると、大洗の商店街は全国からの「ガルパンファン」でごった返し、商店街の店先は美少女キャラクターのパネルが並ぶ。更には、作中で女子高生が食べた串揚げを実際に作る店も現れたり、商店主がファンたちと作品のコアな話題で語り合う。まるで、大洗が、ガルパンの街にでもなったかのよう。

杉山潔プロデューサーは、「単にアニメの舞台に選ばれれば街が活性化するというものじゃない。街おこしに方程式はないということではないでしょうか」と述べているけれど、やはり最後は、そこに住む"人"が全ての鍵を握っているのかもしれない。

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