衰退する紙媒体と変化してゆくネット
今日は、気楽な感想エントリーです。
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1.新聞購読者が過去最低を記録
時事通信社の世論調査で、新聞購読者が過去最低を記録していたことが明らかになった。
これは、9月5日から8日にかけて、全国の成人男女2000人に個別面接方式で実施したもので、2008年から毎年行っている。それによると、購読者は初回の86%からおおむね減り続け、今回が74%(昨年79%)。購読していない人は26%となった。
一方、有料電子版はというと、これも利用者は3%にとどまり、新聞離れをカバーできていない。
購読していない人の理由は「テレビやインターネットなどで情報が得られるから」が64%で最多。続いて「購読料が高い、節約のため」が41%、「読む時間がない、忙しいから」が23%となっている。
購読が74%とは筆者からするとまだ多いなという気がしないでもないけれど、初回から比べると15%近くも落ち込んでいる。先般の朝日捏造事件も相俟って、この減少傾向は当分続くものと思われる。
購読しない理由をみても、テレビやネットで十分、高い、時間がない、と、如何にも時代を反映した理由が並んでいるけれど、逆にいえば、これは、今の新聞が時代のニーズに応えきれていないことを示している。
要するに、情報媒体としての新聞は「テレビやネット」に劣り、付加価値としては「値段に見合ったものではなく」、そして、伝達媒体としても「読者の事情を考慮していない」ということを意味してる。
朝日新聞は、新聞の情報量はネットとは比べ物にならないくらい膨大だ、と反論しているけれど、時間のない現代人のニーズに対する回答にはなってない。どれだけ膨大な情報があったとしても、顧客のニーズに応えないものが売れなくなるのは理の当然。
それに、読まれなくなっているのは新聞だけじゃない。書籍だってそう。
2.細切れ情報を短時間で取得する風潮
今年3月、文化庁は全国の16歳以上の男女3000人を対象に「国語に関する世論調査」を実施、電子書籍を含む読書量の変化などについて調査・分析を行った。
その結果、マンガや雑誌を除く1ヶ月の読書量は、「1~2冊」と回答したのが、34.5%、「3~4冊」は10.9%、「5~6冊」は3.4%、「7冊以上」が3.6%だったのに対し、「読まない」との回答が47.5%と最も多かった。
全く読まないという回答は、平成21年に行ったの前回調査から1.4ポイント増加。平成14年の前々回調査からは10ポイント近く増加していて、読書離れが顕著になっている。
読書量が減少している理由はというと、「仕事や勉強が忙しくて読む時間がない」が最多で51.3%、次いで「視力など健康上の理由」が34.4%、「(携帯電話やパソコンなど)情報機器で時間が取られる」が26.3%、「テレビの方が魅力である」が21.8%などとなっている。
これらの読書離れの理由も、時間がない、視力の問題、テレビやネットで十分といったものであり、先の新聞購読を止めた理由と殆ど同じ。
今回の文化庁の調査結果について、日本大学の田中ゆかり教授は「日本人に限ることではないだろうが、近年はインターネットなどの普及により、細切れの情報を短時間で取得する風潮が一般化している。一方、小説をはじめとする紙媒体の書物は、練り上げられた文章を時間をかけて読むことが求められ、結論を急ぐ現代人の感性には、合わなくなってきている。読書量の減少は、ある意味、時代の必然といえるかもしれない」と述べているけれど、やはり、紙媒体が段々と時代の要請に応えきれなくなりつつあるのではないかと思う。
ただ、筆者が重要だと思うのは、田中教授の「インターネットなどの普及により、細切れの情報を短時間で取得する風潮が一般化している」という指摘。この指摘は当たっていると思う。
ネットの情報は、速報性に優れているのは確かだけれど、新聞電子版のコピペであるとか、掲示板からの転載、或はインタビュー記事の抜粋、あるいは纏めといった類が目につきがちで、細切れ或はその場限りの情報が多い。勿論、ちゃんと調べれば、奥深いところまできちんと書いているものもあるのだけれど、そういう"オタク的"なサイトはググっても、中々検索上位にこないことが多い。
筆者は日比野庵の記事は、なるべく広く深く下調べをした上で、書くように努めてはいるのだけれど、何某かの事象について、その背景含めて深く調べようとすればするほど、途方もない時間を必要とするし、ネットの限界みたいなものを感じることはある。
例えば、「夢の次世代原子力『4S高速炉』」の記事などは、書き上げるまで1年半くくらい掛かっている。勿論、専門家であれば、速攻で記事にすることなんて朝飯前なのだろうけれど、素人だとやはりそれなりの時間が掛かると思う。
3.個性付フィルタでググる時代
また、ネット情報で注意しなければならない点として、ネットで情報を取りにいく人はともすれば、自分の見たいものや聞きたいものを中心に読んでいるのではないかと思う。自分の限られた貴重な時間を情報を取ることに費やすのだから、自分の興味関心のある分野から手を付けるのは当たり前といえば当たり前。
だけど、先の世論調査でも明らかなように、現代人は時間がない。だから、折角、自分で情報を取りに行く努力をしたのに、大抵は、自分の好みの記事を読むだけで時間切れになってしまう。
ネットの情報は、玉石混交だとはよく言われることだけれど、それは、その人にとって、必要な情報を見つけるのが難しいことを意味している。
そして、その情報を見つけるためのフィルターが本人にほぼ全て任されているために、見つけた情報が無意識のうちに「自分好みの情報」に偏る危険すら内包している。
一つの事象・出来事にしても、多様な解釈がある。まぁ、何処かの新聞のように、なんでもかんでも「反日」にしてしまう解釈もどうかと思うけれど、自分フィルターによって、それを最初の検索の段階で弾いてしまっていないかについては注意すべきだと思う。
これは、筆者のただの勘にしか過ぎないけれど、今後のネットはその辺りの検索についても、ある種の個性というか、特定のフィルターで検索順位を替える仕組み(サービス)が組み込まれていくような気がする。
例えば、ある事象について、保守派の言論人の誰々が記事を書くとしたら、こんな記事をかくだろう的な保守系サイトやブログを上位表示し、リベラル系の誰それだったら、こんな記事を上位にするという具合に、検索内容に更にフィルタリングをかけてから表示するという具合。
そういう仕組みがあれば、自分好み以外のフィルターも持つことができて、普通なら読まなかっただろう記事も読むことが可能になる。そうすることで、自分フィルターによる偏りもある程度軽減できるのではないかと思うし、一般的な書籍原稿や新聞記事草稿が、印刷されるまでの間に、多くの人の目を通して何度もフィルタリングされ、その精度を増していくプロセスをなぞることにも近づいていく。
今後のネットは、唯、情報を伝達していればいいといった時代から、何をどういう基準で選び出して整理していくかといった部分にも光が当たってくるのではないかと思う。
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