10/9のエントリー「憲法9条はノーベル平和賞に相応しいか」のコメント欄で、朱雀ひので様から「来年のノーベル平和賞に、安倍総理をみんなで推薦すれば良い」のとのご意見を頂きました。お返事を色々考えていたのですけれども、かなり長くなってしまたので、今日のエントリーで代えさせていただきたいと思います。ということで、今日はノーベル平和賞の話題です。

1.教育に光を当てた2014年ノーベル平和賞
10月10日、ノルウェー・ノーベル賞委員会は、2014年のノーベル平和賞を、インドのカイラシュ・サトヤルティ氏とパキスタンのマララ・ユスフザイ氏の2人に授与すると発表した。
カイラシュ・サティアティ氏は、NGO「グローバルマーチ」の代表を務め、世界110ヵ国以上、1000団体以上の協力の下、五大陸8万キロの距離を児童労働の廃絶を訴えて6ヶ月歩き続ける運動を行うなど、経済的な利益のために子どもを搾取することに反対する平和的なデモを主導している。
また、マララ・ユスフザイ氏は、少女の教育を受ける権利を主張する活動を行っているのだけれど、弱冠17歳という史上最年少の平和賞受賞とあって、大きな注目を集めている。
マララ・ユスフザイ氏さんは1997年7月12日、パキスタン北部山岳地帯のスワート地区に生まれた。父親のジアウディン氏は私立学校を経営する教育者で、マララさんもこの学校に通い、医者を目指していた。
ところが、現地はイスラム保守勢力が強く、2007年にはタリバンが政府から統治権を奪い、2009年まで実効支配した。彼らは女性の教育・就労権を認めず、200以上の女子学校を爆破したという。
2009年1月、当時11歳だったマララ・ユスフザイ氏は、イギリスBBC放送のウルドゥー語ブログに、タリバンの強権支配と女性の人権抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」を投稿。恐怖に脅えながらも、屈しない姿勢が多くの人々の共感を呼び、教育の機会を奪われた女性たちの希望の象徴となっていった。
だけど、2012年10月、マララ・ユスフザイ氏は、スクールバスで下校途中、武装集団に襲われ、頭部と首に計2発の銃弾を受け重傷。現地で弾丸摘出手術を受けた後、イギリスの病院に移送され、なんとか一命は取り留めたものの、この事件は、世界中に大きな衝撃を与えた。
その後、奇跡的な回復を果たしたマララ・ユスフザイ氏は、イギリスを拠点に世界中で女性や子供の権利の向上を訴える活動を続けており、ノーベル平和賞の有力候補として名前が上るまでになっていた。
ノーベル賞委員会は「子どもは学校に行かなければならない。金銭的な搾取の対象となってはならない。…敵視し合うパキスタンとインドが、共通の課題である教育と過激派対策にともに取り組むことを期待している」と述べ、若者や子どもの教育を受ける権利を求めた運動が評価されたようだ。
今回の平和賞については、憲法9条をノーベル平和賞に、なんていう運動があったことが少し話題になったけれど、ノーベル賞について少し振り返ってみたい。
2.ノーベル賞選考の裏側
ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞。物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野で顕著な功績を残した人物に贈られ、「物理学賞」「化学賞」「経済学賞」の3部門をスウェーデン王立科学アカデミー選考し、「医学生理学賞」は、スウェーデンのカロリンスカ研究所、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーが選考。そして「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会が、がそれぞれ行う。ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表されることになっている。
言うまでもなく、ノーベル賞は世界的に有名で、その受賞は名誉とされているけれど、高崎経済大学の吉武信彦教授は、ノーベル賞について、 スウェーデン、ノルウェー両国はノーベル賞によって自国の対外的イメージ向上を図り、また、候補者のノミネートから選考の過程で、世界から最先端、最新の情報を獲得する手段ともなることから、両国の学術振興、政治外交面での活動を支える「ソフト・パワー」の源泉となっていると指摘している。
更に、ノーベル賞の選考についても、分野によって、若干その性格に違いがある。
自然科学分野の受賞者決定は、その高い専門性から国際的な学界での評価や貢献から徐々に絞られていく。一つの理論や発見も他の科学者による実験や検証を通して、始めてその存在が認められ、評価が固まっていく。当然、その評価が固まるには一定の時間が必要で、それゆえ、受賞は、最初の発見・開発から大分時間が経ってからのことになる。ひらたく言えば、予め学会等で篩に掛けられて、最後に残った砂金(候補者)を、どの篩(分野)からいつ選ぶかだけ。
一方、人文・社会科学分野の受賞者決定は、自然科学のように、実験や検証で客観的に確かめるということが難しい。だから、結局は選考委員会の主観というか価値観に左右される要素が大きい。とりわけ、平和賞は十分に業績が固まって評価されるまで待たないケースが多く、より選考委員会の判断に委ねられていると言える。
3.ノーベル平和賞は政治的か
日本でノーベル平和賞を受賞したのは、1974年の佐藤栄作元総理だけれど、候補者という意味では、それ以前にもいた。
ノーベル財団が公開している選考過程のデータベースによると、日本人で平和賞の候補になったのは、1926年、1927年の渋沢栄一と、1954年、55年、56年の賀川豊彦。
渋沢栄一は「政治家、金融家、産業家。日本最初の銀行の創立者」と紹介され、「渋沢は 日本の産業発展に関係するほぼすべての企業に関わった。彼は、カリフォルニアの日本人労働者の法的地位に関して日米関係の改善のために活動した。慈善事業に専念するため、1916年に引退した」と説明されている。
賀川豊彦は「作家、社会改革家」とされ、「国家間の和解のための活動によりノミネートされる」と記されている。因みに賀川豊彦は、1947年と48年のノーベル文学賞候補にも選ばれている。
両氏はノーベル平和賞を受賞することはできなかったけれど、世界的に顕著な実績がなければ、選考対象にならないことは言うまでもない。
では、佐藤栄作元総理が平和賞を受賞した理由は何かというと、在任中にアメリカから小笠原諸島と沖縄を返還させることに成功し、非核三原則を提唱したことに加え、1970年に核拡散防止条約の署名したことが挙げられる。
特に、ノーベル委員会は、日本が核兵器を保有しないことを主張し、核拡散防止条約に署名したことを高く評価していて、授賞式でも、当時のリオネス・ノーベル委員会委員長が佐藤元総理の紹介の中でヒロシマ、ナガサキにふれ、「日本国民は核兵器に対してアレルギーになっていると、時折言われてきた。この種のアレルギーは健康のあらわれであり、他の諸国もこれから教訓を学べるかもしれない。…ノーベル委員会が希望するのは、本年の授与が核拡散防止条約にできる限り広範 な支持を確保しようと取り組んでいるすべてのものへの激励と理解されることである」と述べている。
当時は、世界各国で核実験が行われていて、フランスと中国が、核拡散防止条約への参加を拒んでいた。そこで、ノーベル委員会は、世界的な核拡散の流れを押し止め、核拡散防止条約を確固としたものにするため、丁度、非核三原則を掲げながら、経済大国となって登場した日本に平和賞を与えたのではないかという指摘もある。
2001年、ノルウェーでノーベル賞の100周年を記念して全受賞者を解説する本が出版されたのだけれど、この本の序文を寄せたノーベル研究所のルンデスタ理事長は、佐藤元総理の平和賞受賞理由について「賞をグローバル化し、日本において平和の意志を強め、そ れを核軍縮のための活動につなげようとする期待が、佐藤の平和賞受賞の最重要理由であった」と述べているという。
10月10日、安倍総理は、午前の閣議前の写真撮影の際、隣に座った石破創生相が、アメリカのオバマ大統領が2009年の平和賞を受賞していると指摘したうえで「『日本国民』が受賞した場合に誰がもらうのか。政治的ですね」と語りかけたところ、安倍総理は「結構、政治的ですよね」と漏らしたという。
ノーベル平和賞は、政治的に利用されがちだとはよく言われることだけれど、佐藤元総理のケースといい、やはり、それなりに、政治的な意図が含まれた上での授与がなされているとみても差し支えないように思われる。
4.憲法9条信者の儚い夢
では、今後、「憲法9条を持つ日本国民」が、ノーベル平和賞を受賞する可能性があるのか。
仮に、ノーベル平和賞が政治的な意図を持って授与されるものだと仮定したとしても、その大前提として、授与する対象となるべき"主体"がないといけない。ノーベル委員会は授与する側であって、自分で何かを作り出しているわけじゃない。つまり、平和賞を授与されるためには、「世界的に平和に貢献すると認められる何らかの具体的活動」が必要になる。
そして、それを満たした上で、更に、その時の世界の潮流を睨んだ上で、ノーベル委員会の価値観(主観)を元にして、受賞者が決定されることになる。
この時、いくらノーベル委員会の主観だからといって、万人が納得しない選考をしようものなら、ノーベル賞の権威そのものに傷がつく恐れがある。更にはノルウェー、スウェーデン両国の対外イメージや下手をすると外交政策にまで影響を及ぼす可能性だってある。それを考えると、あまりに無茶な選考はできないと思われる。
以上を踏まえた上で、「憲法9条を持つ日本国民」がノーベル平和賞を貰えるのかを考えてみると、まず大前提である「世界的に平和に貢献すると認められる何らかの具体的活動」から満たしていない。
確かに、日本国民は憲法9条を、70年間守ってきたかもしれないけれど、それを世界各国に輸出し、採用させるよう運動したわけじゃない。そもそも、日本の憲法9条の内容を他国が知っているかどうかも怪しい。だから、今回のように、フォーマットを揃えれば、候補受付だけはしてくれたかもしれないけれど、それで有力候補として選考の対象になったとは思えない。
9条の人がいくら署名を集めようとも、それだけでは不十分。おそらくは、"お花畑が咲いている9条な人達"が、中国にでも行って、中国の憲法に9条を採用すべしと運動をお越し、頭を撃ち抜かれようが、戦車で曳かれようが、それでも運動を続けるくらいになって、ようやく候補として、議論の俎上に上がるのではないか。
事実、今回の平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ氏は頭と首に2発の銃弾を受けたにも関わらず、それでも、少女の教育を受ける権利の主張を続けている。9条に平和賞をと訴える"お花畑氏"に、果たしてそこまでの覚悟があるのかどうか。
その意味では、今回のマララ・ユスフザイ氏の受賞は、そんな"お花畑氏"らに対する痛烈な皮肉にも見えなくもない。
最後に、安倍総理が、ノーベル平和賞を受賞する可能性があるかどうかについてだけれど、現時点ではなんともいえない。確かに外交政策でアジア諸国と連携し中国の封じ込めを行い、アジアの平和を構築し、また、ウクライナでも米ソのバランスを睨みながら注意深く動いてはいるけれど、そうした外交は、大なり小なりどの国でもやっているといえばやっている。
佐藤元総理が平和賞を授与した大きな理由が、「核拡散防止」であり、2009年にオバマ大統領が平和賞を受賞した理由が「核なき世界についての理念や取り組み」だったことを考えると、それに匹敵するようなテーマに取り組んでいないと、厳しいと思う。
敢えて、核以外で、それに相当するテーマが挙げるとするならば、「テロとの戦い」になるかもしれない。だけど、それとて今の安倍総理が「テロとの戦い」に、深くコミットしているとは言い難い。
まぁ、もしかしたら、候補くらいには上がっているかもしれないけれど、もう一段、二段、何かがないと安倍総理の平和賞受賞は難しいのではないかと思う。
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