逆ギレは明けない朝日と懇ろに

 
今日はこの話題です。   
  
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8月7日、参院予算委員会で、侮辱的な野次によって審議が一時ストップする一幕があった。これは、民主党の小川敏夫氏が山谷国家公安委員長に、在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチで問題となった「在日特権を許さない市民の会(在特会)」メンバーと写真撮影した経緯を質問中、「懇ろだったんじゃないか」という野次が飛んだのだけれど、これが「問題発言だ」として審議は一時停止。

「懇ろ」とはまた古風に聞こえる言葉だけれど、辞書を引くと次のような意味がある。
ねんごろ【懇ろ】

[形動][文][ナリ]
1 心がこもっているさま。親身であるさま。「―にとむらう」「―なもてなし」
2 親しいさま。特に、男女の仲が親密であるさま。「―な間柄」

[名]

1 親密になること。
「おまへは貧乏神と―してござるかして」〈浮・禁短気・一〉
2 男女が情を通じること。
「此のお夏は手代と―して」〈浄・歌祭文〉
3 男色関係を持つこと。
「主の子を―して」〈浮・男色大鑑・一〉
このように、親密な関係、更に、男女の親密な関係というニュアンスを含んだ言葉。

その語源を遡ると、古くは「ねもころ」と言い、それが変化して「ねむころ」となり、やがて「ねんごろ」となった。「ねもころ」は「根[ね]・如[もころ]」あるいは「根[ね]・も・凝[ころ]」から成ると考えれらていて、要するに、"根のように密に絡み合う"という様を表わしている。元々「ねんごろ」は「心がこもっているさま」を表わしていたのだけれど、やがて、親しいさま、男女の深い仲になることも指すようになった。

ということで、「ねんごろ」が"親密"を意味するのか"男女の仲"を意味するのかは、「ねんごろ」が使われた文脈から判断するしかない。

今回の野次は、民主党の小川敏夫氏の質問の最中に飛んだのだけど、その質問内容は次のとおり。

「…訪問したほうのですね、元在特会の幹部の方は、こういう風にホームページで言ってますよ。山谷先生の宿泊されているホテルへ押しかけ、少々遅い夜明けのコーヒーと、こういう風に言ってます。大臣が泊まられているホテルに、朝方、午前中ですね。訪問したんじゃないですか。大臣、それを受け入れてお会いしたんじゃないですか?」
そして、この直後に「宿泊先まで知っているっていうのは、懇ろの関係じゃねえか」という問題の野次が飛んている。



質問の「少々遅い夜明けのコーヒー」なんて文章は、夜からずっと一緒にいて、そのまま朝を迎えたというニュアンス。その直後に、「懇ろの関係」の野次が飛んだのだから、文脈から判断して、"男女の深い仲"を連想したといても無理はない。

結局、この野次については、8日午前、民主党の蓮舫・参院予算委員会筆頭理事が「二度とあのような野次が出ないよう党内をまとめる。申し訳ございませんでした」と自民党に陳謝。そして野次を飛ばした民主党の野田国義参院議員は「山谷さんと在特会の関係は長いものがあった。その親密さを『懇ろ』と表現した。…誤解を招いたのは申し訳なかった」と謝罪した。

まぁ、野田国義議員が本当に、親密さの意味で「懇ろ」といったのかどうかは分からないけれど、あの質問の流れであの野次では、誤解されても仕方ない。脇が甘いといえば甘い。

だけど、もっと大事なことは、批判を受けたときの対応。謝罪するにしても、批判の声が大きくなってしぶしぶ謝罪に追い込まれるような対応は下の下。

野次を飛ばした野田参院議員は、翌日に謝罪したけれど、産経の報道によると、野次当日の民主党幹部は他人事のような反応だったようだ。曰く「誰が言ったかなんて特定はできない。そもそも懇ろというのは仲が良いという意味だ」、曰く「細かい所は承知していないので現場に聞いて」、曰く、「またそうやって民主党の揚げ足をとろうとしているんだろう。こんなの問題にしているのは官邸と産経だけだ」。

万年野党で、批判だけしていればいいお気楽な立場であれば、まだしも、民主党は何の間違いか、3年半も政権担ったことのある政党。世間もあの禍々しい"暗黒時代"を忘れてはいない。一度、信頼を裏切ったものは、その後、厳しい視線を投げかけられるのは世の常。

それなのに、こんな無責任な反応をしていては、世間はあの忌々しい3年を思い出し、批判の目を向けるのは理の当然。まぁ、民主党がどうなっても、別に構わないけれど、このままだと政権復帰の目は当分ないだろう。



それと同じく、今、世間の厳しい目が向けられているのが、例の慰安婦誤報でもうバッシングを受けている朝日新聞。

10月7日、朝日は「スルーする力って?『もっと自由になる』方策」という記事で、「最近、なんだか世の中が息苦しい。何か言えば揚げ足をとられ、たたかれ、ネットで炎上する。重箱の隅をつつくような言葉はスルーして、もっと自由になれないだろうか。」と泣き言めいたことを言っている。

重箱の隅をつつくような、なんて言い草は「こんなの問題にしているのは官邸と産経だけだ」といった民主党と同じ匂いがして仕方ないのだけれど、朝日がやったことは重箱の隅どころか、日本の屋台骨をへし折ろうとした行為。言い逃れも甚だしい。

そこへ来て、また、朝日がやらかしていたことが週刊新潮が報じている。

これは、今年1月4日から9日にかけて朝日が連載した「手抜き除染」という特集記事で、2013年度の新聞協会賞を受賞している。

朝日は、受賞について「記者4人が計130時間、東京電力福島第一原発周辺の除染現場に張り込み、作業員が汚染された草や水を回収せずに捨てる様子を11カ所で撮影した調査報道の手法に加え、朝日新聞デジタルなどで動画を広く紹介したことが高く評価されました」なん自画自賛しているけれど、週刊新潮は「自作自演があった」としている。

朝日の記事には、除染作業員が「手抜き除染」していたとの証言が度々出てくるのだけれど、週刊新潮の記事では、元除染作業員が実名で登場し、その実態を「証言」している。それによると、元作業員は、朝日の記者からプレゼントされたICレコーダーを使い、現場監督から不法投棄の言質を取ったと告白。記者が元作業員に行ったインタビューでも、事前に記者が渡したメモを読むように指示されたという。

さらに、昨年末に元作業員が環境省へ送った告発文も記者が指南して作成し、元作業員に実名を文書に書くよう求めるなどしたと述べているそうだ。

これが本当であれば、誤報ではなく、明らかな「捏造」。報道機関なら決してやってはならない行為。言い逃れは出来ない。

朝日は、新潮の記事に事実誤認があるとして抗議したようだけれど、ご丁寧に、自社のサイトで、"説明記事"を掲載している。

いちいち、こんな記事を掲載しなければならないところに、今の朝日の窮状が露わになっていると思うけれど、最早、世間は"朝日様の言い分"より、週刊新潮の記事を信じるのではないかと思う。

朝日は、抗議の声に対して、真摯な姿勢の欠片さえも見せないけれど、その代償にどんどん信用を無くしている。

以前、「世間に監視される朝日新聞」のエントリーで、筆者は「世間は朝日の一挙手一投足をチェックしてる。これまでであれば、見逃されていたかもしれない小さな瑕疵すら暴かれ叩かれる。…朝日が世間から叩かれて出る"埃"は慰安婦だけとは限らない。」と述べたけれど、その通りに推移しているように見える。

朝日は何時になったら、国民の怒りの大きさに気づくのか。

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