新聞離れとメディアの在り方について

今日はこの話題です。
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1.止まらない新聞離れ


日本新聞協会は2022年12月後半、10月時点の新聞の発行部数を公表しました。

スポーツ紙を除く一般紙の総発行部数は、前年に比べて約196万部(6.4%)減の2869万4915部。10年前の2012年は約4372万部だったところから毎年減少が続き、当時の3分の2以下の規模まで落ち込んでいます。

一般紙の直近の5年間の部数減少は次の通りです。
2017年→18年 3682.3万部 194万部減
2018年→19年 3487.8万部 195万部減
2019年→20年 3245.5万部 242万部減
2020年→21年 3065.7万部 180万部減
2021年→22年 2869.4万部 196万部減
武漢ウイルスの感染拡大が始まった2020年は特に減少が大きく、約240万部減。翌21年は減少ペースが鈍化したものの、22年になると再びペースアップ。直近5年の平均減少部数は201万部で、毎年200万部ずつ減っています。

このトレンドは覆りそうもない感じですけれども、このペースが続けば、15年後に紙の新聞は日本から消えてしまうことになります。

この新聞離れについて、全国紙のビジネス部門で働く新聞社員は「想像通りの結果で、数年前から分かっていたことだ」とコメントしています。

また、新聞記者出身のネットメディア編集者も「紙の新聞を読んでいるのは主に高齢者。新聞の衰退は止まらないだろう……新聞を読むことが習慣化している人が一定数いるので、ゼロにはならないだろうが、一般紙全体で100〜500万部ぐらいまで減っているのではないか……新聞はデジタルと違い、検索ができない。気になるニュースをたどれない。大判で読みやすい側面もあるが、持ち運びづらい。情報の整理も一手間かかる。制作コストが高く、配達コストも高い。というわけで、新聞が廃れるのは避けられない」と指摘しています。

これについて、関西大学総合情報学部特任教授の亀松太郎氏は、若い世代は「ニュースを知るのはネットで十分。わざわざ新聞を買う必要はない」と考えている人が非常に多いと指摘した上で、昨年9月、亀松教授が自身の担当講座で、学生146人に「ニュースを知るとき、どのメディアを最も利用しているか」とアンケートしたところ、「インターネット」が112人(77%)で、「テレビ」が32人(22%)。「新聞」と答えた学生はたった1人だったとし、別のアンケートで学生128人に「週3回以上、紙の新聞を読んでいるか」とたずねたら、「読んでいる」と答えた学生は4人(3%)しかいなかったと述べています。

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2.報じないコラボ疑惑


先月来、ネットで話題になっているColabo問題ですけれども、一説には日本人が今一番話題にしているという意見もあるようです。けれども、一般紙やテレビは一言も報じていません。

これについて、著作家の山本一郎氏は次のように述べています。

今回の暇空茜さんの住民監査請求が通ってColaboの経理が一部不当とされ、期限を切って報告書の再提出や経費の返還を勧告した件は、地方行政の中でも前述のNPO詐欺事件にも匹敵する問題とも言えます。これなんで報じないの?

さっそくこれらの新聞社の人に聞いたところ、返ってきた答えは総じて「新聞社の記事考査のプロセス上の問題」とか「社会的に認め得る証言者が不在」などの返答でした。つまりは暇空茜さんが大勝利したにもかかわらず、社会的に不思議な人過ぎて記事として触れないぞということのようです。

さすがに政府会議のオブザーバーに警察庁がいたり、日本財団が活動助成してることに対し「全部グルだ、ナニカだ」と騒いでいるツイートを見たら、報じるメディアから見ると、あまりまともな人ではないと判断されてもおかしくないとは思います。

また、もともとのコンテクストとして、仁藤夢乃さんがのりこえねっとなどで「キモいおじさん」などのコンテンツを放ち、性的問題を起こした前川喜平さんや米山隆一さんを公然と罵倒し、さらに二次元コンテンツの好きなオタクたちを公然と批判し、イラストにすぎないものを女性への性的略取と捉えるなど、先鋭的な議論を長年積み重ねてきたことへの反動もまた大きかろうと考えます。

こういうコンテクストは、新聞社で事件を追っているような記者には読者に伝える言葉を持たないのかなとも感じるわけですよ。

ただ、1月4日以降東京都が住民監査請求の結果を公表すれば東京都監査局をソースとして記事が出るであろうこと、また、なんなら暇空茜さんも社会的に認知され得る弁護士を並べて記者会見すれば産経新聞とかHANADAとかが書いてくれるんじゃないかと思いました。

要するに、情報発信源たるソースが怪しいから手が出せないというのですね。

一方、ネットには、ある記者のコメントとして「実は、かなり公平に取材して、かなり公平に記事をかいたのだが、上から、センシティブな問題。と指摘されて、原稿が待機になった」とか、「自分が所属しているメディアの名刺と経費と、人員つかって、つかんだネタは、ネットに勝手にかけない、というジレンマはよくわかる」などという書き込みも見受けられます。

どうやら組織や金が絡むと迂闊には書けないということのようです。これもある種の忖度と言えるのかもしれません。





3.速報性と信頼性


新聞やテレビがColabo不正疑惑に及び腰なのは、組織防衛のため、つまるところ、記事の信頼性に関わる問題のようにも思えます。

ただ、一般メディアが報じないからといって疑惑が消滅する筈もなく、ネットには次々と情報が上がってくる訳です。

当然、SNSやYouTubeチャンネルに注目が集まることになります。実際、視聴回数が稼げる美味しい旬な話題として、ユーチューバーが続々参戦していますし、ツイッターでもこの案件での同時刻帯の暇空氏、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞の表示数は、暇空氏が1600万あるのに対し、新聞が数万しかありません。ネットを使う人の間では、圧倒的に暇空氏からの情報が共有されている訳です。

ネットの情報は速報性に優れているといわれますけれども、その反面、デマや情報操作も紛れ込むことも指摘されています。一方、新聞やテレビは裏取りや編集という複数の目を通すことで、記事に対する一定以上の信頼性が担保されるとされていますけれども、その編集にバイアスがかかったり「報道しない自由」を使って偏向されているとの指摘もあります。

結局、何が正しいかは、自分次第という身も蓋もない結論になってしまうのですけれども、少なくとも、起こったこと、事実だけは変わらず、見る角度で見え方が変わるということ。そして、媒体によっては、その事実ですら、捻じ曲げたり、隠したりすることがあるということは頭の片隅に入れておいた方が良いと思います。

その意味では、Colabo問題も、「事実を捻じ曲げたり、隠したりする」実例だったのかどうかについて明らかにしていただきたいと思いますね。





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