内紛のスーダン

今日はこの話題です。
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1.スーダンから退避した邦人


4月29日、情勢悪化が続くアフリカのスーダンから航空自衛隊の輸送機やフランスなどの支援で周辺国のジブチに退避していた日本人とその家族あわせて48人を乗せたチャーター機が羽田空港に到着・帰国を果たしました。

外務省によると、これまでにスーダンから日本人57人とその家族8人のあわせて65人が退避していて、現時点で退避を希望する日本人はスーダン国内に残っていないとしています。

邦人帰国に岸田総理は、「大変危険かつ不安定な状況の中希望した方々全員が無事帰国できたことに安堵するとともに、皆さんには『大変お疲れ様でした』と申し上げたい……厳しい状況の中で、難しいミッションに果敢に取り組み、無事の退避と帰国にこぎ着けた自衛隊、大使館、JICAをはじめ関係者に敬意を表したい……現時点でスーダン国内から退避を希望する邦人は残っていないが、引き続きジブチに設けた臨時事務所で在留邦人の安全確保や必要な支援に全力で取り組みたい」と述べました。


2.乾いた銃声が激しく響く現地


現地はかなり、大変な状況だったようです。

「まずは本当に安心したという気持ちです。退避するにあたって外務省、自衛隊、JICA、スーダンの方々に大変お世話になり感謝の気持ちでいっぱいです」と話す国際NGO「難民を助ける会」職員の相波優太氏は、現地で最初に情勢の変化を感じたのは、4月15日だったと振り返っています。

相波氏は「乾いた銃声が最初は散発的に聞こえていた程度だったのが次第に激しくなりました。ふだんは、土曜日は朝の時間は車の移動はあまり見られないのですが、車が激しく往来して様子が違うなと感じました。日を追うにつれて銃声や爆撃音が大きくなり、事務所の窓枠が揺れるようなこともありました」と話し、最も緊張したのは、ハルツームからポートスーダンまで移動した時だったそうです。

相波氏は、「ハルツームの集合場所に行くまでに軍のチェックポイントがいくつもありました。遠くで爆撃の音が聞こえる中の移動で一番気を遣いましたし、道中では焼け焦げた車両や戦車が道ばたに何台もありました。JICAの車両で避難しましたが、普通に行けば12時間程度で到着する道のりを国連の車列に入っていたのでゆっくりしか動かず、30時間以上かかりました……退避までの間、戦闘の合間を縫って近くの店で飲料水や食料の買い出しをしてくれたスーダン人もたくさんいたし、通信が遮断されないよう、電子マネーで通信データを送ってくれた人もいました。ただ、多くのスーダンの人々がいま、大変な状況に陥り、今後さらに支援が必要になると思いますがこういう状況なので出来ることは限られていて非常に歯がゆい思いを持っています。日本人にもお世話になったが、それ以上に現地のスーダン人にお世話になったので、状況が落ち着いて何かできる際には恩返しをしたい。日本からするとスーダンはなじみのない国だと思うが、何が起きているのか引き続き関心を持ってもらえたら」と話しています。

また、スーダンの首都ハルツームでホテルを経営する50代の日本人の男性は、「ハルツームから親子3人で避難しました。ハルツームでは弾が飛んでくる状況がずっと近くにあり、銃の音と振動があちこちでするとても怖い状況が続いて命が危ないと思っていました……バスと車で36時間かけてようやくポートスーダンまでたどりつきましたが、その途中にも軍人の検問が何回かあり、銃を持った人に車で追いかけられたり、怖い思いをしました。こうして無事に帰国でき、日本政府の迅速な対応に感謝いたします」と話しています。

更に、首都ハルツームから退避した日本人の女性は、「今までずっと緊張で気が張り詰めている状態だったので、日本に来て嬉しいという気持ちや、安堵感はあります。ただ、同時にずっとふたをしてきた寂しさや喪失感が押し寄せてきて、今も現地に残るスーダンの人たちのことを思うととても複雑な気持ちです……私の知っていたハルツームではもうないという現実と先の見えない不安は続いていますが停戦合意だけでなく、スーダン全体が落ち着いて、民主化がなるべく進むことを願っています。状況が落ち着いたらまたスーダンに戻れるか検討したいです」と語りました。


3.クーデター・暫定政府・クーデター


スーダンはアフリカの北東部に位置する国で、人口4565万人。世界最長のナイル川を擁し、国土面積は約188万平方キロで日本のおよそ5倍。アフリカの中では3番目に大きな国で天然資源も豊富です。公用語はアラビア語で、アラブ系、アフリカ系等、200以上の部族が混在しています。

スーダンでは、2019年4月、30年に及んだオマル・アル=バシール政権が崩壊しました。

バシール政権は、ラディカルなイスラーム主義に基づき、スーダン内戦をイスラムの聖戦と位置づけたり、1990年代には世界中のイスラム過激派組織に活動の場を提供するなどして、欧米諸国から多くの非難を浴びてきました。さらに西部のダルフール地方における、非アラブ系住民とアラブ系住民の対立から起こったダルフール紛争では、大量殺戮やジェノサイドを主導したとして、国際刑事裁判所からバシール大統領が逮捕状を発行されています。

2018年9月頃からは、ガソリンや小麦の調達に必要な外貨を準備できず、さらに、スーダンの通貨であるポンドの銀行からの引き落としに制限をかけるようになり、経済危機に見舞われました。

経済危機に耐えかねた国民は、2018年12月中旬からガソリン不足やパンの値上げに対して、断続的に抗議デモを実施。デモは、ハルツームのみならず地方都市にも拡がりました。これに対し政府は、厳しい弾圧を行使したのですけれども、返って火に油を注ぐ結果となりました。2019年4月6日には、首都ハルツームの軍本部前などで国民が座り込みのデモを開始。最終的には軍が4月11日に無血クーデターをおこしてバシール大統領を解任する形で決着がつきました。

クーデターを主導したのは、バシール大統領の側近であり第一副大統領兼国防大臣を務めていたアワド・イブン・オーフ氏。彼は暫定軍事評議会(Transitional Military Council:TMC)の発足を発表して、自身がその議長に就任したのですけれども、デモ隊が強く抗議、結局イブン・オーフ氏は24時間足らずで辞任し、代わりにスーダン国軍の総監を務めていた陸軍中将のアブドル・ファッタハ・アル=ブルハン氏を議長に指名しました。

座り込みをしていた人々は、2019年6月3日に、暫定軍事評議会の軍隊によって強制的に排除され、多数の死傷者が出ることになります。以降、暫定軍事評議会(TMC) は、2019年8月まで実権を握り続けることになります。

暫定軍事評議会(TMC)は、民主化革命を推し進めた自由と変化宣言勢力(FFC)と権力委譲交渉を進め、2019年8月、アフリカ連合(AU)とエチオピアの仲介で、「政治合意」・「憲法宣言文書」に署名。軍・文民のパートナーシップに基づく主権評議会を立ち上げ、暫定政府が発足します。

この月、ハムドゥーク首相が就任し、翌9月には文民内閣が発足。暫定政府は内戦終結と経済改革を最優先課題とし、移行期間内の憲法会議開催と総選挙実施を通じて民政移管を達成すべく尽力しました。

ところが、2021年10月25日、再びクーデターが発生します。ブルハン主権評議会議長兼スーダン国軍(SAF)総司令官が内閣を解散、ハムドゥーク首相や多数の政治家らを拘束しました。

市民デモも起こったのですけれども、軍・治安部隊の弾圧で参加者120名以上が死亡。事態の打開に向けUNITAMS・AU・IGADの三機関合同メカニズムや米国・英国・サウジ・UAEのクアッドが軍民間の対話を仲介。2022年12月5日、軍民勢力が枠組合意に署名しました。

2022年2月、エジプト仲介の下、枠組合意に非署名だった勢力がカイロ合意に署名。以降、枠組合意とカイロ合意の一本化が課題となります。

2020年10月、暫定政府は、ダルフール、南部二地域等の武装勢力とジュバ和平合意に署名。2021年2月には、和平合意に署名した武装勢力出身の閣僚が参加する内閣が成立しました。

けれども、ダルフール地方での治安関連条項の履行遅延や政治的混乱も加わり、ダルフール地方や南部二地域では治安が悪化。ジュバ和平合意に不満を持つベジャ部族高等評議会や、ジュバ和平合意にも未署名のSPLM-Nヘルウ派、SLM-AWの存在など、課題を抱えています。


4.スーダン国軍と即応支援部隊


スーダン国内が纏まっていないのは軍も同じです。

スーダンは正規の国軍と、ダルフール紛争を切っ掛けに、立ち上げられた「ジャンジャウィード」と呼ばれる民兵組織がありました。

これは、当時のバシール政権が反対派を弾圧するために全面的に支援し設立したとされ、ダルフール紛争では「スーダン解放軍(SLA)」や「正義と平等運動(JEM)」など反政府勢力に対し、軍の先兵となって戦いました。

その後、「ジャンジャウィード」は、2013年準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」として軍の傘下に入り、司令官にモハメド・ハムダン・ダガロ氏が就任します。「即応支援部隊(RSF)」には、およそ10万人が所属し、各地に基地を持つなど大きな影響力を持ち続けています。

ダガロ司令官はバシール大統領の個人的な保護を受け、彼の一族は今やダルフールの金鉱の利権を握り、幾つも企業を経営する富豪となっています。

更に、即応支援部隊(RSF)は海外との関係を強化。サウジアラビアのムハンマド皇太子が介入し、2015年から激化したイエメン内戦に数万人のスーダン人傭兵を送り込むなどサウジを支えました。

また、リビア内戦では、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」と関係を深め、リビア東部のハフタル派のため傭兵を送り込んだとされているのですけれども、最近、イエメンやリビアで内戦が沈静化したことで、即応支援部隊(RSF)の資金源に影響を与え、ダガロ司令官に焦りが生まれていたのではないかとの指摘もされています。

バシール政権の打倒では、軍トップのブルハン氏と即応支援部隊(RSF)のダガロ司令官は共闘し、2021年のクーデターでも、手を握っていたのですけれども、イギリスBBCは、2人はその後対立。ブルハン氏がバシール政権を支えた人の復権を計画し、ダガロ司令官は自らの権力縮小につながるとして不信感を募らせたと報じています。

現在、スーダンで、民主化に向けた移行期間の途上で、国軍と即応支援部隊(RSF)の完全一体化を進める過程での勢力争い、権力闘争が起きていると言われています。

これについて千葉大学の栗田禎子教授は、「軍がいま、国軍とRSFの二重状態になっているのを統合して、単一の国軍にしようという取り決めがあって進めていたところで、権力闘争が起きて、それがなぜかこの数日爆発したという状態です。RSFはもともと西部出身の民兵組織ですが、今は都市部での治安、デモを弾圧するときにも使われているので各主要都市に基地を持っています。それが一斉に立ち上がり、ここ数日、大統領官邸を襲ったり、空港やラジオ局・テレビ局を占拠したりしているのです」と指摘しています。

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5.ブルハン議長とダガロ司令官


スーダンでは4月15日以降、軍と即応支援部隊(RSF)との間で武力衝突が続いていて、これまでに512人が死亡し、4193人が負傷しているとスーダン保健省は発表しています。

スーダン国軍とRSFは25~27日までの3日間の停戦で合意していたのですけれども、近隣諸国とアメリカ、イギリス、国連による集中的な外交努力によって、終了間際の27日夜に72時間の延長が決まりました。

けれども、その後も首都ハルツームなどで衝突が断続的に繰り返されているなど、停戦は守られずに混乱が続いています。

軍と即応支援部隊(RSF)の両者は、国際社会の支持を得た新たな民政移管計画に従い、4月初旬には、民政移管の最終合意に署名する予定となっていました。

計画では、正規軍と即応支援部隊(RSF)の双方が権力を委譲することが義務付けられているのですけれども、「RSFが正規軍に統合されるまでの日程」、「軍が正式に文民の監督下に置かれる時期」の2点が争点に浮上していました。

15日に戦闘が勃発すると、双方は互いに相手側が暴力を誘発したと非難しています。

こうした中、28日、BBCは即応支援部隊(RSF)のダガロ司令官に電話取材をしました。

ダガロ司令官は、3日間の停戦が延長されて以降も、即応支援部隊(RSF)の戦闘員が「容赦なく」爆撃されていると語り、「我々はスーダンを破壊したいわけではない」とし、ブルハン氏が暴力行為を行っていると非難しました。

ブルハン氏は、南スーダンでの対面交渉に暫定的に同意しているのですけれども、ダガロ司令官は、「敵対行為を止めろ。交渉はそれからだ」と停戦の維持が交渉に応じる条件だと語っています。

ダガロ司令官はブルハン氏との間に個人的なわだかまりがあるわけではないとする一方、「残念ながら、ブルハン氏はイスラム過激派戦線の指導者に導かれている」と、ブルハン氏がバシール政権を支えた人々を、政府に引き入れたのを理由に、ブルハン氏を裏切り者とみなしているとされています。

国際機関は停戦と対話の再開を呼びかけているものの、国軍は即応支援部隊(RSF)を反政府軍と呼んで解散を要求。ダガロ司令官はブルハン氏を犯罪者と呼んで、国に破壊をもたらすと非難しています。

双方の戦力はというと、国軍は航空戦力などで優位に立っている一方、即応支援部隊(RSF)はハルツームや近隣都市、その他の地域に展開する10万人の部隊や、ダルフール西部地域での支援や部族間のつながりも期待されるなど、どちらかが圧倒しているという訳でもないようです。

スーダンの内紛の一国の早い解決を願います。


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