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1.スティンガーミサイル
5月27日、台湾国防部は、中国海軍の空母「山東」など艦艇3隻が現地時間正午に台湾海峡を南から北に向けて通過したと発表しました。中国艦艇は、台湾海峡の「中間線」より中国側を航行したとのことです。台湾軍当局は「空軍機と軍艦などを動員して動向を綿密に監視した」としています。
「山東」は2019年12月に就役した中国で初めての国産空母で、先月、台湾とフィリピンの間のバシー海峡を通過して初めて太平洋に出て、戦闘機やヘリコプターの発着訓練を行ったことが確認されています。「山東」はそのあと、再びバシー海峡を航行して南シナ海に入ったということで、今月上旬の中国の報道では「最近、母港に戻った」と伝えられていました。
26日、中国外交部の毛寧報道官は定例記者会見で、「大変な過ちで、極めて危険な行動……事態の推移を注視しながら国家主権と安保、領土の完全性を確固として守護する」と警告したのですけれども、これは、16日にアメリカのロイド・オースティン国防長官が上院歳出委員会の聴聞会に出席した際、まもなく台湾を相手に相当規模の追加安保支援に乗り出すと述べ、バイデン政権が「ファストトラック(迅速処理経路)」によって台湾に送る5億ドル(約703億円)相当の武器の一部であるFIM-92防空ミサイル(スティンガー)の1次配送分が最近台湾に到着したことを受けての措置だという見方もあるようです。
FIM-92スティンガーは、携帯式防空ミサイルシステムで、アメリカのジェネラル・ダイナミクス社が1972年から開発に着手し1981年に採用されたものです。主目標は、低空を比較的低速で飛行するヘリコプター、対地攻撃機などであるものの、低空飛行中の戦闘機、輸送機、巡航ミサイルなどにも対応できるよう設計されてます。そのため、誘導方式には高性能な赤外線・紫外線シーカーが採用され、これによって目標熱源追尾能力も持っています。
2.ヤマアラシを恐れる狐
アメリカの台湾へのスティンガーミサイル供与について中国の一部メディアが食いついています。
5月27日、捜狐新聞は「アメリカはスティンガーミサイルを送り、『ヤマアラシの島』を作りたがっている、夕食と鍋の儀式はそろそろ終わりにしておけ」という記事を掲載しました。
その概要は次の通りです。
・ここ数カ月、米国による様々な非友好的な行為のために、中国と米国の関係は凍りついたように低下している。 アメリカは自国の問題を解決できずに中国に助けを求めている。5月には米中間の対話が何度か行われ、アメリカの政治家も良いことを言ったが、「人は話し方で見るが、行動でも見る」ということわざがあるように、国も同じである。このように、捜狐新聞は、スティンガーの売却は金のためだ、としています。
・米国は「ダブルスタンダード」で有名な国際ブランドであり、中国に対する「親善」を放ちながら、小細工を繰り返している。 バイデンは、米中関係の雪解けが近いことを示唆する一方で、台湾省に対する5億米ドルの軍事援助に署名し、米国メディアの報道によれば、すでにスティンガー対空ミサイルを中心とする兵器の第一陣が台湾に到着している。
・米国側によると、この数億ドルの兵器は、もともと数年前に台湾軍に売却される予定だったもので、長い間、資金は受け取っているが、出荷されていなかったという。 これは、アメリカの対外軍事販売における慣行でもあり、お金はすぐに受け取るが、納品は遅れるというものだ。 さて、今回、アメリカはこの時期を選んで、台湾に対空ミサイルのスティンガーを出荷したわけだが、その意図は何であろうか。
・まず、スティンガーミサイルはアメリカの対外軍事販売の主力商品であり、その主眼は多額の資金である。バイデン政権は、F-16戦闘機を使って台湾を欺けば、確かに大陸に強い恨みを買うと考えるかもしれない。しかし、スティンガーミサイルは人型携帯兵器であり、厳密には能動的な攻撃能力はない。 だが、スティンガーミサイルが何もないと思ったら大間違いだ。
・スティンガー は1970年代初頭に誕生し、1981年に米軍に導入された肩撃ち式の対空ミサイルで、ヘリコプターや低速の固定翼戦闘機を狙うように設計されている。 ソ連は10年間アフガニスタンで戦い、アメリカは大量のスティンガーミサイルを送り込み、ソ連航空機にかなりの打撃を与え、その後ソ連は高高度からの爆弾投下を試みなければならなかった。
・スティンガーは有名になり、海外にも販売され、30年以上経った今、再びロシアとウクライナの戦場で大量に使用され、双方がこの兵器に頼って成功を収めている。台湾の分離主義者たちは、本土の軍隊が台湾で戦うようになったとき、防衛のためにこれらの兵器に頼ろうと考えているに違いない。アメリカの政治家の中には、台湾を「ヤマアラシの島」として武装し、統一を目指す中国に問題を起こそうと考えていると言う者もいる。
・しかし実際には、アメリカはこの兵器を「送る」ために大変な労力を費やしている。それは、第一に、台湾当局が非現実的な幻想を抱いてアメリカの武器商人に金を渡し続けることができるようにするためだ。 第二に、このミサイルは何十年も前から存在しており、捕獲されても漏洩の恐れがないこと、第三に、これは台湾問題における中国の底力をさらに試すもので、バイデン政権が言うように、あるものは顔に、あるものは背中にということだ。
・そして皮肉なことに、米国がすでに資金を受け取っているF-16V戦闘機の供給については、台湾当局をおだてて、最初は疫病の影響を受けてサプライチェーンに問題があると言い、今は生産チェーンに大きな課題が発生していると言い、台湾当局が焦って待っているのである。
・アメリカは、実はもう何も渡したくない、黒字にしたいだけで、「台湾への武器売却」のレベルをF-16戦闘機まで上げてしまえば、中国が決して黙っていないことは分かっているのだ。 しかし、我々の立場は、F-16戦闘機であれ、スティンガーミサイルであれ、アメリカが台湾に武器を売る限り、中国の内政に干渉し、中国の主権と領土保全を損なっているというもので、我が外交部はすでにこの問題でアメリカに厳重な申し入れをしている。
・中国と米国の問題に戻ると、両国は関係改善の兆しを見せたばかりだが、米国の政治家は再び「すべての利益を利用し、すべての悪いことをする」という日常を始めた。
また、捜狐新聞は別の記事「ヤマアラシの島へのアメリカの野心は明確。バイデンは特権を行使し、スティンガーは台湾に到着」を掲載し、スティンガーは、射程は5キロしかなく、付近一帯をカバーするだけで、戦闘区域全体をカバーできないとし、人民解放軍の戦闘機がパトリオット防衛網を突破したら、何の価値もないと分析しています。
捜狐新聞は台湾民進党政権が「予備役の復活を急ぎ、警察や民兵部隊を大幅に拡大し、軍の訓練科目の6割が市街戦であること」を考えれば、アメリカが迅速に兵器を提供することで台湾に「市街線」を奨励しているだとする一方、中国政府は「PLAは台湾軍と市街で戦うことはない」とも指摘しています。
3.台湾軍は台湾を守ることが可能である
では、スティンガー配備を含めた台湾の国防はどうなっているのか。
これに関して、防衛研究所が2022年3月に発行した「安全保障戦略研究 第2巻 第2号」で、防衛研究所地域研究部中国研究室長の門間理良氏が「台湾による中国人民解放軍の対台湾統合作戦への評価と台湾の国防体制の整備」という論文で、台湾の国防体制について解説しています。
件の論文の序文(はじめに)から、人民解放軍の実力評価に関する部分を抜粋すると次の通りです。
【前略】このように専門家による分析によると、中国が台湾侵攻したとしても、台湾にはそれを跳ね返す力があるとしています。
特に中国人民解放軍建国以来最大の軍改革の構想が発表された 2015年秋以降、中国軍の台湾本島周辺における中国軍の活動が活発化するようになった。中国軍が台湾解放(攻撃)を念頭に置いた場合、第1に米国が介入を躊躇するだけの軍事力を構築すること、第2に台湾軍との戦闘が開始された場合は、できるだけ早く戦争に勝利して、米軍の介入の暇を与えないことを中国は狙っている。中国軍創設以来の大改革を進めているのは、そのために必要な統合作戦を実行できる軍にするためでもある。
イアン・イーストン(Ian Easton)は、中国軍が台湾に侵攻する状況を詳細に分析した結果、中国軍が直面する困難を列挙しつつ、台湾軍が侵攻する中国軍に十分に対応できるとの結論を導き出している。
尾形誠は習近平政権が進める中国軍の戦力建設の方向性は台湾本島の攻略を考慮すると極めて合理的な発展方向であると指摘するとともに、台湾軍については、長距離打撃能力の強化、中国軍の脅威様態の変化に対応した演習の実施などを行って防衛態勢の構築に努力し、グレーゾーン事態への対応についても着実に対処政策を推進していると評価している。
ジョエル・ウスナウ(JoelWuthnow)は、中国が複数の課題に対処する能力が限定的である点に注目した。そして、米国が中国周辺国への支援を実施することで、中国に多方面への対処という大きな負荷をかけさせ、その結果として中国の台湾への圧力を減衰させることを狙う方策を主張している 。
イーストンと尾形は、台湾側の軍事建設方針が適切であったり、台湾海峡を渡海しての侵攻の困難さ等を指摘したりしつつ、総じて少なくとも現状で台湾軍は台湾を守ることが可能であると結論付けている。しかしながら、中国軍が進める総合的な軍改革は完全ではないにしても、情報化戦争から智能化戦争に向けての着実な進展が見られる上に、それらを踏まえた統合作戦能力を深化させていることは軽視できない事実である。
ウスナウの議論は、台湾軍の対抗能力の評価というよりも、米国が中国周辺諸国に働きかけて中国に負荷をかけることを目指すもので、その戦略は中国の弱点を的確に突いたもので重視すべきではあるが、本稿で主体的に取り上げる台湾側の国防体制評価とは一線を画している。
【後略】
4.台湾国防体制
この門間理良氏の論文では、台湾による中国軍の作戦能力分析と、台湾国防体制についても詳述しているのですけれども、そのさわりだけ抜き出すと次の通りです。
1.台湾による中国軍統合作戦能力の評価中国軍は2019年までは台湾侵攻といえば「上陸」だけだったのが、2021年には「封鎖」「火力」「上陸」に増え、更にメディアを使った宣伝などの「威嚇」を加えています。要は使えるものは何でもやるということです。
(1)統合作戦能力向上の目的は台湾侵攻
台湾の国防白書は中国軍の統合作戦能力に以前から注目していたが、取扱いは大きくなかった。
2019年版国防報告書の記述では台湾に対する軍事的な脅威の例示の中に統合の表記がされていたのは「統合上陸」だけである。しかし、2021年版では「統合封鎖能力」、「統合火力打撃」、「統合上陸作戦」が指摘されている。これに加えて「中国軍事力報告書」では、「統合的軍事威嚇」として、演習や接続水域付近の艦艇による航行、メディアを使った宣伝で台湾内部に心理的恐慌を起こすことなどが指摘されている
(2)中国軍の台湾に対する軍事行動
従来の中国軍の対台湾作戦を予想する中で、台湾国防部は長らく封鎖、火力打撃、統合上陸作戦に注目していた。ところが、近年は中国の科学技術の長足の進歩と相まって、偵察・早期警戒、サイバー・電磁波、指揮通信といった技術的な分野が重視されるようになった。
2.台湾の国防体制
(1)台湾の軍事戦略構想
台湾海峡に面する台湾の西側は人口密集地帯で、高速道路、新幹線などの重要交通インフラが集中している。台湾中央部は 3,000m 級の山脈が連なる険峻な山岳地帯を形成し、台湾島の東西を分断している。島部は海岸線近くまで山裾が広がっているため平地は少ない。台湾の全人口は約 2,338 万人(2021 年 12 月末時点)で、人口の集中する行政院直轄 5市も台湾海峡側に面している。このような地理的条件を有している台湾は縦深性に欠けるため、侵攻する中国軍をできるだけ遠い地域で迎え討ち、上陸を阻む必要性がある。
(2)台湾軍の国防体制
中国軍が台湾に対して発動する前述のごとき統合作戦に対抗すべく、台湾軍もそれを遂行できる軍隊を構築すべく改革を進めている。特に非対称戦力の増強、経空脅威への対応強化、中国軍の状況に応じた訓練や演習の高度化、全民防衛体制の構築、サイバー戦・電磁波戦に対する準備などを鋭意進めている点が特徴的である。
ア 非対称戦力の構築
2021年度の中国の国防予算は日本円に換算すると約 20兆3,301億円で、これは台湾の約16倍に相当する。正面装備も中国が台湾を圧倒している。正面からだけで戦うのでは台湾は全く勝機がない。そこで、台湾は非対称戦力に着目して、それを強化する方向を打ち出したのである。渡海中の艦艇は脆弱なことから、台湾海峡を台湾に向けて航行する中国軍を攻撃するにとどまらず、台湾本島から可能な限り遠い距離にある飛行場や港に集結せざるを得ない状況にさせることを企図している。また、台湾軍は地対空ミサイルによる軍用機撃墜、小型の高速艦艇による大型艦艇への対艦ミサイル攻撃、陸上発射式巡航ミサイルの配備、機雷・地雷の敷設などで、中国軍の攻撃に対抗しようとしている。
イ 経空脅威への対応
他方で、中国側が着実に増強しているミサイル戦力への防御も重要になってくる。台湾は PAC3 に加えて、台湾が自主開発した天弓 1、2 型、ホークミサイルを運用している。最初に購入したペトリオットは PAC2 計 3 セットだったが、これらは PAC3に改修されたため、その後に購入した 6 セットの PAC3 と合わせて 9 セットが台湾の北部・中部・南部に 3 セットずつ配備されている。その配置密度は世界各国の中でも高いとの評価がある……台湾軍の装備するこれらのミサイルは、全て中空低空用であり、高空で対処する THAAD のようなミサイルや面で守れる防御体制、策源地攻撃がなければ弾道ミサイルの攻撃を完全に排除することは難しい
ウ 訓練・演習
本稿で既に中国軍が近代的な統合作戦を経験していないことを指摘したが、それは台湾軍も同様である。その不利な点を補うものとして訓練・演習がある。
(ア)諸兵種協同訓練:台湾陸軍の 3個軍団の 1つに訓練指揮部を設置するとともに、他の 2個軍団と海軍陸戦隊などを指揮下に入れて、野戦防空・対投錨・対上陸の統合訓練、海岸での実弾射撃訓練を行い、諸兵種協同訓練の強化を図っている
(イ)軍種統合訓練:三軍統合の年次演習と位置づけられている漢光演習を主軸として、台湾軍は三軍統合演習・訓練を実施している
エ 全民防衛体制の構築
圧倒的な兵力差をつけられている台湾軍にとって、救いとなるのは中国軍が全兵力を台湾方面に差し向けることができないことである。また、台湾には約 220 万人もの予備兵力が存在する。これを効果的に動員できれば、統合着上陸作戦を図る中国軍迎撃の際に役に立つ。そのために、2022 年 1 月 1 日に台湾国防部は部本部の組織である全民防衛動員室を直属機構の全民防衛動員署に格上げ再編した上で、軍事機構だった予備指揮部を隷下に配するようにした
オ サイバー・電磁波対応部隊の創設
中国軍が進めている「情報化戦争」と「智能化戦争」への対応のため、台湾軍は2017年6月に、従来の情報・電磁作戦指揮部、電訊発展室、各軍種に分散していた関連部隊を統合再編して、情報電子戦軍指揮部(原文:資通電軍指揮部)を立ち上げた
カ 低下している離島防衛の意義
台湾が実効支配する金門・馬祖・太平島・東沙島といった離島の防衛に関しては、前述の国防白書や中共軍力報告書では、多くが触れられているわけではない。1940年代、50年代においては中国大陸に近接した金門・馬祖は真の意味で最前線であったが、現在の兵器の発達や戦略・戦術の変化によって、これら離島は軍事的防波堤としての役割よりも、台湾だけを支配しているのではないという中華民国の理念を体現する政治的役割が圧倒的に大きくなっている。台湾において実効支配している離島の安全保障上の意味が小さくなっているのは、中国からの軍事的圧力が高まっていながらも、これらの離島の防備に意味を持つだけの兵力を増加させていないことからも了解できる。
これに対する台湾の国防体制はというと、地理的に縦深性に欠ける台湾は侵攻する中国軍をできるだけ遠い地域で迎え討ち上陸を阻むという戦略構想の下、装備、軍事費で大きく中国に劣るため、まともに戦っても勝ち目がないことを認識した上で非対称戦力に着目してこれを強化していると分析しています。
台湾は、そのために、ミサイル配備や、訓練、全民防衛体制の構築、サイバー対応等々進めているというのですね。おそらくスティンガーは、この訓練・演習の中に組み込まれるのではないかと思われます。
5.金門という名のドンバス
ただ、この論文で気になるのは、最後に記述されている「低下している離島防衛の意義」です。
70~80年前は、中国大陸に近接した金門・馬祖などの離島は最前線の軍事的防波堤としての役割があったものの、今では「台湾だけを支配している訳ではない(本土も中華民国)」という中華民国の理念を体現する政治的役割の方が大きくなっているというのですね。
逆にいえば、これら離島の安全保障上の意味が小さくなっているという訳で、論文では、これら離島を防衛するだけの兵を置いていないと指摘しています。
5月25日のエントリー「トラスの台湾訪問と中国の台湾世論工作」で、ルポライターの安田峰俊氏による、中国の台湾に対する世論工作の様子について取り上げましたけれども、安田峰俊氏は、最前線の「金門島」にも足を伸ばし、その実態をルポしています。
その記事から一部引用すると次のとおりです。
【前略】このルポの通りだとすると、現実はとても深刻です。大陸本土と上手くやるしか生きていけないという現実がそこに横たわっています。
台湾の人々の間では、自分が中国人ではなく「台湾人」だとする意識が強まったが、金門はそもそも地理的に台湾ではないので、島民はその考えを受け入れなかった。ゆえに、金門では現在でも、台湾独立派の与党・民進党の支持率が極端に低く、中華民国意識が高い国民党系の政党が圧倒的に強い。
軍政の終了後、駐留する国軍兵士の人数が激減したことで、皮肉にも島の経済は困窮した。だが、当時の台北の政府は、島民に対する軍政時代の補償や景気のテコ入れ策を充分に行なわなかった。
忘れられた島・金門の運命を再び大きく変えたのが、2001年から始まった中国大陸との往来の解禁政策「小三通(シャオサントン)」だ。
遠い台湾とは違い、対岸の大都市である厦門や泉州(チュエンヂョウ)はたった数㎞から数十㎞向こうであり、軍事境界線をまたいで親戚がいる島民も多い。双方はもともと、分断以降も密貿易や密航で人知れぬ交流があり、それが小三通政策で合法化されたともいえた。
「金門は地理的にも文化的にも台湾と距離がある。中国大陸と仲良くしないと生きていけない土地なんです。中国の政治体制の怖さについては、意識的に考えないようにしている島民が多いですね」
【中略】
インフラ面でも中国大陸との融合が進んだ。18年からは中国側から金門島に向けて水の供給が始まった。
島民の間では、中国からの電力の供給や、厦門と金門島を結ぶ橋(金厦跨海大橋[ジンシャークアハイダーチャオ])の建設を求める声も大きい。私が話を聞いた立法委員の陳玉珍も県議の陳泱瑚も、これらの計画に大賛成していた。
「金門の位置づけは、ウクライナ東部のドネツク州やルハンスク州に近い。複雑かつ特殊な地域なんです」
台湾の国軍のシンクタンク、国防安全研究院の関係者は取材にそう話した。彼が言うウクライナ東部の両州は、隣国ロシアにルーツを持つ住民が多く、昨年2月のロシアの侵攻前に親露派の傀儡(かいらい)政権が樹立されて分離独立工作がなされた地域だ。
確かに、自国の併呑(へいどん)を狙う大国との最前線に位置しながら、敵側と親和的な気質を持つ地域という点で、金門とウクライナ東部は類似点が多い。むしろ金門のほうが"しんどい"部分すらある。
「心の底で、金門が自国から離れても構わないと考えている台湾人はかなり多いんだ」
台湾の宜蘭(イーラン)県出身で、金門に親戚がいるビジネスマンの男性(41歳)はそう話す。
昨今の台湾では、中華民国の枠組みを重視する国民党系の候補者ですら「台湾のために」を連呼するほど人々の台湾人意識が高い。中国への警戒意識も強まっている。ゆえに、台湾への帰属意識が低く中国と親和的な金門(と馬祖)は、国内世論の中でかなり浮いた存在だ。
若者から嫌われている国民党の岩盤選挙区なこともあって、ネット上に「金門と馬祖は中国に帰れ」といった中傷コメントが書き込まれることも少なくない。しかも、冷淡なのは民意だけではない。
「台湾海峡の中間よりも向こうに飛行機や艦艇を派遣するのは、補給の問題もあり難しい。現在、金門や馬祖の防衛は事実上すでに不可能だ」
台湾の複数の軍事筋はそう話す。敵兵が漁船に乗って攻めてきた古寧頭戦役の時代と違い、ハイテク化を遂げた21世紀の人民解放軍から離島を守ることは難しいのだ。金門は現在も約4000人の国軍守備隊がいるが、中国が本気で攻めてきた場合は蟷螂(とうろう)の斧(おの)に等しい戦力である。
「有事のときに金門が守ってもらえないことも、台北の政府が金門に何の関心もないこともよく知っている。だからこそ、金門は両岸(中国と台湾)の指導者に向けて声を上げたいと考えている」
県議の陳泱瑚は話す。今年2月6日、金門県議会(定数19人)に所属する超党派の県議8人が、なんと金門全域の「永久非軍事化」を求める声明を発表。陳泱瑚はこの中心となった議連の代表者だ。議連には国民党のみならず、民進党の県議も名を連ねた。
「かつての戦争で親族や地域社会をバラバラにされ、いちばん被害を受けたのが金門の地元民だ。戦争は困る。中国とは仲良くするべきだ」
紛争の最前線の島から無防備宣言が提案される仰天の事態は、こうした事情で生まれた。陳泱瑚らは2月21日、台北の蔡英文(ツァイ・インウェン)総統に向けた陳情書も提出している。
ここまで中国に親和的ならば、金門の島民たちは中華人民共和国に併合されても大丈夫なのではないか。島にいるとそんな疑問も覚えたが、これは大きな誤解だった。
取材で出会った人たちに「仮に今夜、人民解放軍が密上陸して金門県政府を"無血占領"した場合、その支配を受け入れられますか?」と尋ねてみたのだ。
「金門は確かに大陸と近いし、あっちに親近感はある。でも、政治体制が違う。台湾に逃げるかも......。いや、占領されても故郷は捨てたくない。かつて親族が八二三砲戦で亡くなったが、自分の親は島を離れなかったんだ。俺が逃げちゃ申し訳が立たないよ」
金門包丁の販売店内で、包丁職人の男性はそう言った。彼はちょうど八二三砲戦の年の生まれで「俺はここの砲弾と同じ年なんだ」と話した。
一方、立法委員の陳玉珍に同じ質問をぶつけると、彼女はいったん「占領を受け入れる」と口にしてから、「それ以外に選べる答えがあるの? ないでしょう?」と同じ言葉を何度も繰り返した。国会議員とは思えないほど投げやりな口調だった。
観光ガイドの許翼軒にも同じ質問をしてみた。
すると、彼はしばらく考え込んでから、突然ボロボロと涙をこぼしはじめた。絞り出すように言う。
「......想像してしまった。つらすぎる」
台湾の軍事筋によると、仮に人民解放軍が本気で台湾併合に動いた場合は、台湾本島を攻撃する前に、金門などの離島を占領するという。
実は"無血占領"は、極端にいえば明日いきなり起きても不思議ではない。島民の多くはその事実に思い当たっているものの、誰もがあえて口にせずに暮らしている。
49年10月の戦闘以来、金門は中国と台湾というそれぞれ外部の政治勢力によって、運命を何度も転換させられてきた。現在、中台関係が徐々に険悪になるなか、この平和で美しい島は現在の風景を維持し続けられるのだろうか。
「金門の位置づけは、ウクライナ東部のドネツク州やルハンスク州に近い」という言葉が刺さります。しかも、金門の人は「有事のときに金門が守ってもらえないことも、台北の政府が金門に何の関心もないこともよく知っている」と零しているのですね。
台湾政府にとって、離島防衛する意味が薄れているというのは、前述した防衛研究所の論文に指摘する通りですけれども、現地の人にしてみたら堪ったものではありません。
件の論文では、「中国が台湾の支配する離島を攻撃した場合、戦力が海巡署と海軍陸戦隊強化1個中隊程度の東沙島であれば、2~3日で占領してしまう可能性が高い。米軍が介入を決断する前に状況は終結していることになる。このような状況で台湾も米国も敢えて離島を取り返すべく軍事行動に移るかどうかは大きな疑問が残る」と台湾にとって離島防衛が極めて困難であると指摘しています。
そして、論文では「1950年代以後、中国軍が台湾から奪取した離島はない。それを考えると、習近平政権の時期に 1つでも離島の奪取に成功すれば、中国は習近平本人と中国共産党の威信の強化に利用することになる。これは国際的には大きな非難を浴びることになるが、国内的には共産党の一党支配の下で効果的な宣伝が可能である一方で、インターネット上での反対意見表明を許さない体制が完成している。愛国教育を受けた中国人は、離島奪取に喝采すると予想される」とも述べています。
仮に中国が金門島を武力占拠したら、国際的に大きな非難を浴びるとは思いますけれども、金門島の位置を考えれば、中国政府は「台湾海峡には何も手出ししていない」と言い訳することは十分あり得ます。
台湾有事は台湾本島だけではない、ということを我々もよくよく知っておく必要があるのではないかと思いますね。
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