

1.麻生副総裁のケタガラン・フォーラム基調講演
8月8日、訪問先の台湾で開かれた「ケタガラン・フォーラム」で基調講演を行いました。
産経新聞が報じた、その要旨は次の通りです。
台湾訪問は2011年以来12年ぶりだ。11年は東日本大震災の直後だった。大きな被害を受けた日本に台湾は最も早く温かい手を差しのべてくれた。麻生副総裁は、台湾訪問は12年振りだと述べていますけれども、これは、2011年10月に中華民国建国百年祝賀で訪台したことだと思われます。当時は民主党政権で自民党は下野していましたので、元総理としての訪問でした。それに対して、今回は与党自民党副総裁の立場での訪台で、これは1972年に日本が台湾と断交してから初めてのことです。重みが違います。
12年前と今では日本と台湾を取り巻く環境は大きく変化した。私たちは平時から非常時に少しずつではあるが確実に変わっていっている。基本的な構造の中で潜在的に存在していた懸念やリスクがより顕在化した。
台湾は日本にとって、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する極めて重要なパートナーで大切な友人だ。
昨年8月に当時のペロシ米下院議長が台湾を訪問した直後、中国は台湾周辺で実弾射撃を含む軍事演習を行い、わが国の排他的経済水域(EEZ)を含む日本近海に複数の弾道ミサイルを撃ち込んだ。先進7ヶ国は緊急の外相声明を発表し、中国に力による一方的な現状変更をしないよう求め、日本は軍事演習の即時中止を求めた。
「台湾海峡の平和と安定」はわが国はもとより、国際社会の安定にとって重要だ。日本は中国を含む各国にこの点を指摘し続けている。
われわれにとって今、最も大事なことは台湾海峡を含むこの地域で戦争を起こさせないことだ。抑止力は能力がいる。そして力を使うという意思を持ち、そしてそれを相手に教えておく。その3つがそろって抑止力だ。
日本、台湾、米国をはじめとした有志国に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている。戦う覚悟だ。お金をかけて防衛力を持っているだけでは駄目。それをいざとなったら使う。台湾防衛のために。台湾海峡の安定のためにそれを使うという意思を相手に伝え、それが抑止力になる。
2.戦う決意を示すべき
麻生副総裁が講演した「ケタガラン・フォーラム」は、台湾の安全保障案を他の民主主義諸国と話し合う、台湾外交部が主催するフォーラムです。当然ながら、中国牽制の性格を持っています。畢竟、麻生副総裁の講演もそれに沿った内容となり、関係各国の注目を集めています。
ロイターその他は見出しに「戦う決意」という言葉を使い、記事を配信しています。
その中から、8月8日、香港英字紙「サウスチャイナ・モーニングポスト」は「麻生太郎元首相、台湾攻撃阻止のため東京と同盟国は『戦う決意』を示すべきと語る」と題した記事を掲載しています。その概要は次の通りです。
・日本の麻生太郎元首相は火曜日、台北で、台湾海峡の現状を力によって変えようとする試みを抑止する手段として、日本、アメリカ、そしてその同盟国は「戦う決意」を示さなければならないと述べた。冒頭に取り上げた産経の記事なんかよりも全然詳しく報じています。中でも、麻生副総裁が「1982年のフォークランド紛争は、単に強い抑止力のメッセージを送っただけでは失敗した例だと述べた。もし当時のマーガレット・サッチャー英首相がアルゼンチンに対し、イギリスはフォークランド諸島を全力で防衛すると明言していれば、戦争は起こらなかっただろう」と指摘した部分は注目すべきだと思います。
・麻生氏はまた、抑止力を強化し、同盟国とともに侵略行為を阻止するために、東京は防衛予算を国内総生産の2%に倍増させる必要があると述べた。
・日本の与党・自民党のNo.2リーダーである麻生氏は、火曜日に台北で開催された安全保障フォーラムでこのように発言した。麻生副総理は月曜日から3日間の日程で台湾を訪問した。
・麻生副総理は、現状に対する脅威として北京を明言しなかったが、人民解放軍が台湾海峡での軍事作戦を強化し、同地域での軍備を拡大しているため、状況はより深刻になっていると強調した。
・「我々は徐々に非常時へと傾きつつある」と麻生副総理は述べ、その変化は近年より明白になってきていると付け加えた。
・麻生副総理は、深刻さを増す状況の一例として、8月にPLAが台湾周辺で行った大規模な実弾演習を挙げた。この演習は、ナンシー・ペロシ前米下院議長が台湾を訪問した後に行われた。
・また、台湾上空で発射された弾道ミサイルの一部は、日本の排他的経済水域(EEZ)に着弾したと付け加えた。
・北京は、ミサイルが日本のEEZに着弾したという東京の非難を否定しており、東シナ海におけるEEZの境界線について日米間で合意がないことを理由に挙げている。
・北京は、台湾を自国の領土とみなしており、必要であれば武力によって、台湾を自国の支配下に戻さなければならないが、ペロシの訪問は、ワシントンの一帯一路政策の違反であり、自国の主権に対する重大な侵害であるとみなした。
・日本やアメリカを含むほとんどの国は、台湾を独立国家として承認していないが、武力による両岸の現状の一方的な変更には反対している。
・「麻生副総理は、「日本、台湾、そしてアメリカが、強力な抑止力を機能させるための決意を必要としている時は、今しかない。「それは戦う決意だ」。
・この82歳の政治家は、お金をかけて防衛力を持つだけでは不十分だと述べた。「台湾防衛のため、台湾海峡の安定のためにそれらの能力を使うことを相手に明確にすることが重要だ」と語った。
・「台湾は日本にとって非常に近い隣国であるため、われわれは真っ先にわれわれの態度を表明すべきであり、中国を含む国際社会に対してそのメッセージを明確にすべきなのだ。
・麻生氏は、1982年のフォークランド紛争は、単に強い抑止力のメッセージを送っただけでは失敗した例だと述べた。もし当時のマーガレット・サッチャー英首相がアルゼンチンに対し、イギリスはフォークランド諸島を全力で防衛すると明言していれば、戦争は起こらなかっただろう、と麻生氏は語った。
・「したがって、それに見合った抑止力が必要なのです。今、私たちにとって最も重要なことは、台湾海峡を含むこの地域で戦争が起こらないようにすることです」と麻生氏。
・麻生副総理はまた、抑止力を強化するために防衛予算を増やすべきだと述べた。
・麻生副総理は、日本は「戦争の可能性に備える」必要があり、近隣諸国は「急速に軍備を増強」していると述べ、日本は現在「第二次世界大戦後、最も厳しく複雑な安全保障環境」にあると付け加えた。
・防衛開発計画を実施するための日本の予算は、2023年度の6.8兆円から2027年度には43兆円(3070億米ドル)に増加する見込みだと述べた。
・「防衛予算は、現在の1%から、GDPの2%の水準に達するようにする」と彼は言い、2%の水準は、ナトーの防衛費の目標に似ていると付け加えた。「これが現状に対する我々の回答だ」と語った。
・12月、日本は従来の平和主義的な防衛政策を打ち破り、巡航ミサイルを含む攻撃的な兵器を獲得し、その能力を強化すると発表した。
・麻生副総理は、プロスペクト財団の地域安全保障会議「ケタガラン・フォーラム」に招かれ、基調講演を行った。台北にある政府出資の財団は、台湾の独立を促進するものとして北京から制裁を受けている。
・麻生副総理は、台湾に到着した直後に新北市にある故李登輝総統の墓前で弔辞を述べた。1972年に東京が台北との外交関係を断絶して以来、日本の与党の政治家で台湾を訪問したのは麻生副総理が最も多い。
・火曜日には、蔡英文総統、頼清徳副総統、その他の高官と会談した。
3.フォークランド紛争の教訓
では、フォークランド紛争当時、サッチャー首相はなぜ、フォークランド諸島を全力で防衛すると明言しなかったのか。
これについて、日本大学危機管理学部教授の小谷賢氏は、2013年に戦争史研究国際フォーラム報告書で「フォークランド戦争の政治・外交的教訓」という論文を発表しています。
その中に「サッチャー首相は状況を把握していたのか」という節があります。その内容を引用すると次の通りです。
フォークランド戦争の歴史を紐解くと、必ず議論になるのは戦前にサッチャー首相がフォークランド情勢をきちんと把握していたのか、もし把握していればなぜ対処しなかったのか、という点であろう。このサッチャー政権の対応とよく比較されるのは、1977 年のキャラハン労働党政権による抑止策であった。1977 年 10 月、内閣府の合同情報会議(Jointintelligence Committee)は、アルゼンチン軍部がイギリス領サウスサンドウィッチ諸島への上陸を企てているとの情勢判断を下し、それを受けてキャラハン首相は非常時に備えて、英艦隊をフォークランド近海に派遣するという際どい決断を下したのである。この論文によると、サッチャー首相は「フォークランド諸島を全力で防衛する」と明言しなかったのではなく、出来る状態ではなかったというのですね。
キャラハン政権時の対応に比べると、1982年当時のサッチャー政権には緊張感が欠けていたようにも見える。特に同年 3月にアルゼンチンのくず鉄回収業者、コンスタンティノ・ダヴィドフが、無断で英領サウス・ジョージア島に上陸し、同島にアルゼンチンの国旗を掲げたことでイギリス・アルゼンチン間の緊張は高まっていたにも関わらず、そのような中で、政権の外交を取り仕切っていたピーター・キャリントン外相はイスラエル訪問、そして軍のトップであるテレンス・ルウィン三軍幕僚会議長もニュージーランドへ出かけるという有様であった。このような無策の内に、アルゼンチン軍部隊が突如フォークランド諸島に侵攻し、占領してしまったため、戦後長らくサッチャー政権の過失が問われることになったのである。これに対して戦後、政府はフランクス調査委員会を設置して、諸島が占領されるまでの過程を詳細に調査したが、その結論は、サッチャー政権に過失はなかった、というものである。
この問題の核心は、サッチャー首相やキャリントン外相が、事前にアルゼンチンの行動に関する情報を得ていたかどうかである。2012 年12 月に英公文書館でフランクス調査委員会の議事録が公開されているが、それによると合同情報会議(JIC)からサッチャー首相への事前の警告はなかった。調査委員会においてサッチャー首相自身は何度も「予測だにできなかった」と証言しており、また調査委員会も「JIC の情報報告は、1970 年代にはアルゼンチンの脅威を強調してたが、1980年代に入ると生ぬるいものになった」と認めているのである。
JICはアルゼンチン軍が侵攻してくるわずか 3日前になっても、まだアルゼンチンが武力行使に訴えることを予測できなかったことになる。サッチャー首相がようやく状況を把握したのは、アルゼンチンの侵攻直前、3月31日になってからのことであるが、この段階ではもはや手の打ちようはなかったと言える。
つまり問題は JIC の情報分析能力や効果的な警告を発する能力にあったと言った方が良いが、これは当時アルゼンチンの友好国であったアメリカの中央情報庁(CIA)ですら状況を把握できていなかったため、そもそも当時の情勢からフォークランド侵攻を予測するのは困難であった。
JICはフォークランド問題に専念していたわけではなく、当時はソ連との冷戦に加え、中東情勢も切迫していたため、フォークランド侵攻を予測できなかったと批判するのは後知恵的なところがある。むしろ最近明らかになったのは、サッチャー首相は平時に JIC に定期的に出席していた初めての首相であったということであり、このことは彼女が外交や安全保障政策に疎かったとは言えないことを示していよう。サッチャーは侵攻の約1か月前に、国防省に対して緊急時の対応策(contingency plan)を作成しておくように命じているが、これはほとんど彼女の野性的な危機察知能力によるものであったと考えられる。
4.自民党副総裁の台湾訪問は画期的
当然のことながら、中国は麻生副総理が台湾を訪問する前から猛反発しました。
8月7日、中国外務省の報道官は「日本の政治家が政治的利益のため台湾を訪問することを一貫して断固反対で、強く非難する……中国の内政への粗暴な干渉だ」などと激しく抗議。中国軍の戦闘機「殲16」や「殲10」など延べ24機が、7日午前6時までの24時間で、台湾周辺で活動させ、うち12機が台湾海峡の暗黙の「休戦ライン」である中間線を越えています。更に、軍艦5隻も台湾周辺海域に送っています。
今回の麻生副総理の訪台と、中国の反発について、福井県立大学の島田洋一名誉教授は「自民党副総裁の台湾訪問は画期的だ。これで日本の国会議員はより訪台しやすくなる。事実上、来年1月の総統選へ向けて、頼副総統の応援に行った側面もある。安倍氏と盟友関係にあった麻生氏は『保守派の重鎮』だ。安倍氏を失って結束が乱れている国内保守派の引き締めにもなる。ジョー・バイデン米政権が『対中融和』に傾いているいま、中国の日本への当たりもきつくなるだろうが、毅然とした姿勢を続けてほしい」とコメントしています。
5.異変が起こっている習近平政権
8月3日、中国国営「新華社通信」は、習近平主席の腹心で党序列5位の蔡奇政治局常務委員が河北省・北戴河で、科学技術分野などの専門家57人と会ったと伝えました。党の人事を統括する中央組織部長の李幹傑氏も同席しており、「北戴河会議」が始まったとも見られています。
その最中、異変が起こっているとの観測も出ています。
異変の一つは外相だった秦剛氏の解任で、2つは、ロケット軍司令官の交代です。
秦剛氏は昨年末、56歳の若さで外相に就任し、今年3月からは国務委員を兼任するスピード出世を果たしていました。香港メディアが「最高指導者の高い信頼」の表れだと指摘する存在だったのですけれども、6月25日から動静が分からなくなり、7月25日に新華社通信が解任を報じました。
解任の理由は現在でも明らかになっておらず、「女性問題」や「権力闘争」が憶測として挙がるもののはっきりしていません。秦剛氏自身の消息すら分かっておらず、前外相の王毅共産党政治局員が外相を兼務する状態が続いています。
もう一つのロケット軍司令官については、8月1日、中国人民解放軍の機関紙「解放軍報」が、ロケット軍の司令官として、新たに王厚斌氏、政治委員に徐西盛氏が就いたと報じています。解放軍報によると、中国軍の最高指導機関、中央軍事委員会の上将昇格式が7月31日に北京で行われ、王氏と徐氏を上将に任命したとのことです。
けれども、両氏ともロケット軍に所属した経験はないとされ、司令官と政治委員を同時に交代させる人事は「極めて異例」とも見られています。
6.アメリカの策に嵌まった習近平
この異変について、評論家の石平氏は「ロケット軍の人事異変は、秦氏の外相解任よりも重要な意味を持つ。習氏が外部から司令官と政治委員を持ってきたのは、『現在の幹部をまったく信用していない』という意味で、今後粛清が行われる可能性もある。ロケット軍は、これから大混乱に陥るかもしれない。外からきた司令官らが指揮を取ることも簡単ではないだろう。このことは、習氏にとって『台湾侵攻』がしばらくできなくなることを意味するのではないか。この変化を注目すべきだ」とし、8月9日の現代ビジネスに「異常な中国ロケット軍トップ交代劇、習近平はまんまと『米国の策?』に嵌ったのか」という記事を寄稿しています。
件の記事の一部を引用すると次の通りです。
【前略】このように石平氏は、台湾侵攻に必須の筈のロケット軍司令官に門外漢の司令官を配置する人事を行ったことで、ロケット軍は「戦えない軍」となり、近々の台湾侵攻は不可能になった。これは、アメリカが中国ロケット軍の機密情報を公開することで、習近平を疑心暗鬼にさせるという高度な離間術ではないか、というのですね。
ロケット軍は中国軍の中で、陸軍・海軍・空軍と並ぶ第四の軍種であって、核兵器や短距離ミサイル・弾道ミサイルの管轄・運用を担当する。以前は「第二砲兵部隊」だと名付けられて特殊部隊としての位置付けであったが、2015年、習近平政権の下でロケット軍に昇格した。習政権がやる気満々の「台湾併合戦争」においては、ロケット軍は言うまでもなく大変重要な役割を果たすことを期待されている。
しかし、この虎の子のロケット軍における前述のトップ交代は、実に唐突で異例なものである。更迭された前司令官の李玉超が司令官に就任したのは2022年1月。就任してわすが1年7ヵ月で首を切られたからだ。
李玉超前任の周亜寧が司令官を務めた期間は4年4ヵ月(2017年9月〜2021年12月)、周亜寧氏前任の魏鳳和氏は「第二砲兵部隊」時代の2012年から司令官となり、ロケット軍に昇格後も引き続き司令官を務め、5年以上にわたって司令官在任であった。こうして比べて見れば、就任してからわずか1年7ヵ月の李玉超前司令官の更迭は極めて異例な人事であることが分かる。
更迭の原因に関してはいわば「汚職説」がある。香港英字紙サウスチャイナ・モーニングポストは7月下旬に消息筋の話として、李玉超氏と副司令官ら3人が汚職摘発機関の調査を受けていると報じた。香港紙・星島日報も軍関係者の話として、ロケット軍の元副司令官の呉国華氏が7月上旬に自殺したと伝えていた。
また、海外の中国語のSNS上では、李玉超を含めたロケット軍前トップらには汚職だけでなく米国にロケット軍の機密情報を漏洩した疑いもあるという。実際、米国空軍大学(Air University)の「中国航空宇宙研究所」(China Aerospace Studies Institute)は2022年10月、255ページに上る報告書を出しそれを公式サイトで掲載したが、報告書は実は、中国ロケット軍の武器や人員の配置などに関する詳しい情報を大量に記載しているのである。それらはどう考えてもロケット軍内部の人間しか知り得ない情報であって、内部からの情報漏洩が確かにあったことの証拠である。
【中略】
しかし今回の交代劇で最も注目すべなのはむしろ、交代に際して習主席が当てた新しい司令官・政治委員人事である。前述の通り、主席がロケット軍の新しい司令官に任命したのは前海軍副司令官の王厚斌、新しい政治委員に任命したのは南部戦区の前副司令官徐西盛である。問題は、両氏ともはロケット軍で勤務した経歴は全くなく、専門性・技術性の高いロケット軍の運用には全くの無知識・無経験である点だ。
特に司令官の王厚斌の場合、ロケット軍司令官となった以上は今後、いざとなるときに作戦全体の指揮をとる立場であるが、海軍一筋で畑違いの彼はロケット軍の作戦指揮を取れるはずもない。
今までのロケット司令官人事を調べてみれば、魏鳳和・周亜寧・李玉超の三代の司令官は全員、解放軍入隊の時点から第二砲兵部隊に入り、数十年間の経験と実績を積んで叩き上げの司令官になった。しかし今、海軍出身の畑違いの司令官がロケット軍に君臨したのはまさに前代未聞の異常事態である。
それでも習主席があえてこのような唐突な人事を断行した理由はどこにあるのか。
一つ考えられるのは、習主席は今のロケット軍上層部全体に対して強い不信感を持つことだ。ロケット軍の将校集団を全く信用していないからこそ、現役の副司令官などの生え抜きのロケット軍上層部から司令官・政治委員を起用しないのであろう。
もう一つの可能性として考えられるのは、習主席が新しい司令官・政治委員に託した任務はロケット軍の運用でなく、むしろロケット軍に対する大粛清運動の展開ではないのかだ。「粛清」が仕事しだからこそ、新しい司令官と政治委員はロケット軍の運用に対して知識や経験を持つ必要は全くないし、ロケット軍軍との癒着の全くない別軍種の人間こそはこの任務の担当に最適であろう。
もしこのようなことであれば、今後の一定の期間においては粛清運動の展開に伴ってロケット軍内部で様々な混乱が生じてきて機能不全に陥っていく可能性は大である。軍の通常の運営に大きな支障が来たすのはもとより、戦時体制へ向かっての諸般の準備は円滑にいかないし、戦争の遂行能力は大幅に落ちいるのであろう。
たとえ「大粛清」は無しにしても、最高統帥の習主席がロケット軍に対する不信感が強く、「畑違い門外漢」の司令官が軍を率いる状況下では、ロケット軍は軍としてまともに戦えるとは思わない。ロケット軍の生え抜きの幹部たちが「門外漢司令官」に対して面従腹背の姿勢をとるのは必至のこと、いわば一心同体の連携関係は最初から成り立たない。このような軍は、一体どうやって戦うのだろうか
そして、ここに出でくる非常に重要なポイントはすなわち、対台湾軍事侵攻に絶対不可欠なロケット軍がこういう状態となっている間には、習政権の企む台湾侵攻は事実上不可能となっていることだ。このような異常状態がどれほど続くかは分からないが、少なとも今から1年か2年内には、習政権による台湾侵攻戦争の発動はかなり難しいと思われる。
問題は、台湾併合を成し遂げること3期目政権の至上命題として掲げている習主席は一体どうして、虎の子のロケット軍を「戦えない軍」にしてしまう愚挙に出たのかであるが、ここで想起すべきなのは、前述において取り上げた、米国空軍大学の研究所が中国ロケット軍の武器や人員の配置などに関する詳しい情報を大量に記載している報告書を公開したことである。
そこで浮上してきた一つの可能性はすなわち、米国政府と米軍はわざと、自分たちが中国ロケット軍の機密情報を大量に把握していることを明らかにして、習主席をロケット軍に対する強い不信感を持つよう誘導したのではないか、とのことである。つまり、習主席を疑心暗鬼に陥れた上で、習主席の手を借りて中国のロケット軍潰しを謀ったのは、まさに米軍の展開した高度な離間術なのである。
【後略】
7.日米の中国抑止連携
石平氏が指摘した、アメリカの中国ロケット軍に関する機密情報ですけれども、昨年の中国共産党第20回党大会の直後に当たる10月24日、アメリカ空軍大学(Air University)の中国航空宇宙研究所(China Aerospace Studies Institute/CASI)が「人民解放軍ロケット軍組織」という報告書を指しているものと思われます。
これは、全255ページに及ぶ膨大な報告書で、ロケット軍の組織構成、各級部隊の指揮官と主な幹部の名前・写真、ロケット軍基地の位置、配備されたミサイルの種類と戦力評価などが網羅されています。衛星写真だけでは容易につかめないハイレベルな情報であることから、姚誠・元中国海軍中校(中佐)は「こうした水準の全面的な情報は下級幹部から出てくることはあり得ない」とし、アメリカに機密が流出した経緯についての調査だろうと分析しています。
そして今年5月、香港紙「明報」が「ロケット軍副司令官を務めた中央軍事委連合参謀部副参謀長の張振中中将と、彼の後任の劉光斌・ロケット軍副司令官が4月に逮捕され、調査を受けている」と伝えました。
さらに6月末、ロケット軍司令官の李玉超上将が6月26日午前、オフィスで会議中に連行された、というニュースが、ツイッターにアップされました。
記事を書いたのは、前述の姚誠・元中国海軍中校の姚誠氏で、2016年にアメリカへ亡命した彼は、依然として中国軍内部に豊富な人脈を有しているそうで、姚誠氏は「李玉超の息子は米国留学中だが、中国軍の内部情報が米国に流れた疑いについて調査しているものとみられる」と述べています。
その後、7月に入ってから、中国ロケット軍の副司令官、呉国華中将が7月6日に自宅で自ら命を絶ったという報じられたのですけれども、台湾のインターネットメディア「Newtalk新聞」は「中国軍は内部に『呉国華中将は脳出血で死亡した』と通知したが、首をつって自殺したと伝えられている」としています。
そして7月13日、香港の明報紙は、通信情報や諜報、電子戦などを総括する人民解放軍戦略支援部隊司令官の巨幹生上将もこの事件に関与した、と伝えています。
なにやら大粛清の気配すら感じられる動きですけれども、これら将官らは、主として情報や諜報、通信分野に携わっていた人々だという共通点があります。自殺したといわれる呉国華中将は電子情報収集、サイバー戦などを担当する人民解放軍総参謀部第3部(技術偵察部)の部長を務め、巨幹生・戦略支援部隊司令官にも同部副部長の経歴があります。
張振中・劉光斌中将はレーダーや電子戦などに関する専門家で、張振中中将は酒泉・西昌・文昌衛星発射基地の責任者などを務めました。劉光斌中将はミサイル電子システムなどの開発を担当していました。
このように、政治の経歴がない科学者や技術者、情報収集の専門家出身の将官らが調査対象という点から考えると、今回の事件はかつてのような腐敗などの問題ではなく、ロケット軍の内部情報がアメリカに漏れた過程を明らかにすることに焦点を合わせているものとみた方がしっくりきます。
その意味では、石平氏の指摘するアメリカの離間策に嵌まったといえるのではないかと思います。
また、こうした動きを逐一把握、公表するのみならず、麻生副総理の台湾防衛発言の動きは、フォークランド紛争時のイギリスの教訓を学んだともいえるのではないかと思いますね。
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