ブログランキングに参加しています。よろしければ応援クリックお願いします。
1.周庭氏のカナダ亡命宣言
12月3日、香港の民主活動家である周庭氏は、自身のインスタグラムでカナダに事実上亡命することを明らかにしました。カナダへの留学のため既に香港を去っているという周氏は、身の安全や健康状態を考えて香港には帰らないと決断したようです。
周氏は著名な活動家であり、 2012年、2014年、2019年の若者主導の抗議運動の主要なリーダーで、活動家仲間のジョシュア・ウォン氏とともに民主化団体「デモシスト」を運営。中国政府による香港での権威主義的支配を強めていることに抵抗しました。
中でも、2014年に若者らが行政長官選挙の民主化を求めた道路占拠運動(通称:雨傘運動)で「女神」とも称され、2020年にはBBCが社会に大きな影響を与え、人々の心を動かした女性100人を毎年世界各地から選ぶ「100 Women」にも選出されています。
一方、香港当局は2019年に反政府運動が始まって以降、香港の民主活動家を取り締まり、2020年6月には香港での反政府的な動きを取り締まる中国の「香港国家安全維持法」が施行したのですけれども、この年、周氏は香港で2019年の大規模反政府デモに参加したとして、禁錮10ヶ月を言い渡され、2021年に釈放されると「外国の勢力と結託して国家の安全を危険にさらした」とする別件容疑で警察の捜査を受け、保釈されていました。
周氏は2021年6月を境に、情報発信が途絶えていたのですけれども、今回、2年以上の沈黙を破って27歳の誕生日にインスタグラムに投稿したという訳です。
2.一生懸命に、そして優しく生き続けていましたか?
件の周氏のインスタグラムへの投稿には、2020年の拘留から、カナダへの留学と今回の決断にいたった経緯について縷々述べられています。
引用すると次の通りです。
お久しぶりです。 この数年、皆さんはどうされていましたか? 一生懸命に、そして優しく生き続けていましたか?なんとも凄い内容です。当局にずっと監視され、鬱になる程自由を奪われていたのですね。ただ、その間、政治活動も発言も何もせず、中国当局にとって「模範的」な態度を取っていたため、当局から旅行という名の「愛国教育」を受けるなら、という条件で、カナダへの留学を許可したようです。
私もこの数年、皆さんと同じようにいろいろな変化があったと思います。
2020年11月23日、私は警察署長事件で勾留され、実刑判決を受けました。 刑期はわずか10カ月で、現在の基準からすれば「かなり短い」。 それでも服役中は、その年の8月に国家保安法に基づいて逮捕され、服役中に起訴されたら、いつ何時自由を取り戻せるかわからないという恐怖に怯えました。 出所前最後の夜まで、「刑務所から出られない」という想像と恐怖に包まれたまま、国家保安局による家宅捜索、判決、手錠をかけられたまま監禁されること、矯正検査で裸にされること、それらすべてが自由を失った証拠であることをいつも考えていました。
幸運にも2021年6月、私は刑務所を出ることができました。 しかし、私の心の中にあった恐怖と不安はまったく消えることはありませんでした。
出所後も国家保安法の保障条件を遵守し、定期的に出勤しなければならず、パスポートは没収され、出国は許されませんでした。 国家保安法の手続きによれば、3カ月ごとに国家保安局は私に「旅券留置通知書」にサインするよう求め、パスポートがさらに3カ月、さらに3カ月、さらに3カ月と留置されることを知らせてきました。 警察に届け出るたびに、いつまた逮捕されるのだろうと不安になり、家に帰っても、ある朝、前回と同じように国家保安部が家のドアをノックし、鍵を壊して押し入り、また何かの罪で連行されるのだろうといつも想像していました。 毎日、このようなイメージが頭の中に浮かんできて、泣いたり、泣き崩れたり、震えたり、恐怖を友人に話したりする以外、何もできませんでした。
その後、症状が増し、状況が深刻になるにつれ、私は医師の診断を受け、これらが不安障害、パニック障害、心的外傷後ストレス障害、うつ病と呼ばれていることを知りました。 これらの気分障害が混在していたため、私の心身は非常に不安定な状態にあり、逃げ場はないとわかっていました。
時は流れ、釈放されて数年後、私は公的な活動を一切せず、政治にも参加せず、かつての友人たちとも再び連絡を取らず、沈黙して待つしかありませんでした。 しかし、私にはまだ出国する権利がなく、パスポートも返却されていなかったし、時々出勤すると、国家保安局はまだ私の状況--収入、仕事、家族、人間関係--を「気にして」いました。まるで、あなたはまだ自由を取り戻したわけではない、まだ監視下にある、何かしようとしてはいけない(もちろん私はしませんでしたが)ということを時々思い出させるかのように、私はただ恐る恐る生きることを余儀なくされたのです。 私はただ恐れおののきながらあえて生きていた)。 国家安全保障局への定期的な報告、自由の一部剥奪、情緒不安定、(元)民主化推進派の政治家という地位が私の生活にもたらすあらゆる制限、それに果てしなく続く待ち時間、私の心理状態は悪化の一途をたどっており、2023年は私にとって精神的にも肉体的にも最悪の年になるでしょう。
同時に、このような複雑な環境を前にして、私は今年、修士課程に入学するという重要な決断を下しました。 この数年、多くの新しい経験を積んできたとはいえ、やはり青春を無駄にしたような気もします。 たとえ可能性が低くても、いつまでも待つより、最期を待つより、海外留学に挑戦したい。 私は急いで決断し、急いで履歴書とレポートを書き、ようやくカナダの大学に入学することができました。 そして大学からの条件付きオファーを受け、国家安全保障局に申請書を提出しました。 願書提出の際、ナショナル・セキュリティーは、大学、コース、時間割、寮、過去の成績などに関する情報の提出を要求し、また、私がなぜこのプログラムに応募するのかを知るための面接も行いました。 さらに「懺悔の手紙」を書くように言われ、過去の政治的関与を反省し、このプログラムには二度と参加しないし、スカラリズムやパブリック・オピニオンのメンバーを含む関係者とも連絡を取らないと書かされました。 (国家安全保障の観点から、もし私が何らかの妥協をしなければ(あるいは警察に協力しなければ)、留学の機会を失うか、あるいは使節団を離れることができなくなる。当時、私が望んでいたのは、香港を安全に離れて勉学に励むことでした)。
今年7月上旬、国安は私に、もし私がカナダで勉強したいなら、もうひとつ条件があると言いました。「私たちと一緒に中国に戻ること」(つまり、香港警察の国安局の警官が中国本土まで「同行」し、「保護」すること)。 国家安全署は、私がホームビジット許可証を一緒に申請し、1日だけ一緒に深センに行くように手配し、旅行が終わったら私のパスポートを返してくれるという。
国家安全保障の前では拒否する権利がないことは分かっていました。同時に、何かあれば「自分の意思で中央へ送られる」ことも分かっていたので、その間はいつも、すべてが「最後」になることをとても恐れていました。
8月某日、私は香港の国家安全保障担当官5人を伴って中国本土に向かいました。
中国本土に行くのが夢だった私は複雑な気持ちでした。私が無事に香港に戻ることができたら、パスポートを返却するという約束を国家安全局が守ってくれるかどうかもわからないからです。 その日、私は飲食や接待のほかに、「改革開放博覧会」を訪れ、中国と共産党の発展、歴代指導者の「輝かしい業績」を学び、その後、テンセント本社に行き、「祖国の技術発展」を学ぶよう手配さ れました。 正直なところ、私は中国の経済発展を否定したことはありませんが、これほどの強国が民主化のために闘う人々を牢獄に送り込み、出入国の自由を制限し、パスポートと引き換えに愛国的な展覧会を見学するために中国への入国を義務づけるというのは、一種の弱みではありませんか。
旅行中、党幹部との面会がセッティングされたわけでもなく、公安部の取り調べを受けたわけでもありませんが、私はずっと監視されているように感じていました。私に "同行 "した国家安全局の幹部は現地の担当者と歓談を交わし、改革開放展やテンセント本社など旅行の "ハイライト "では、展示会のライトボックス/ラベルに話しかけるよう求められました。 改革開放展とテンセント本社を訪問した際も、展示会のライトボックス/ロゴと一緒に写真を撮るように言われ、同行していた深センの運転手は私の写真を撮り続けました。 もし黙っていたら、その写真が私の「愛国心」の証拠になっていたかもしれません--それほど恐怖は目に見えるものなのです。 多くの香港人が娯楽や消費のために北へ行く一方で、私は留学のチャンスと引き換えに中国本土へ行かざるを得なかったのは皮肉としか言いようがありません。
香港に戻ると、また国安から「祖国の偉大な発展を学べるよう手配してくれた警察に感謝します」という手紙を書くように言われ、そのような手書きの手紙を数ヶ月の間に何通も書いたと思います。 そして9月中旬、カナダのトロントに留学するために香港を発ち、出発の前日にパスポートを受け取りました。 気がつけば3ヶ月近くが過ぎ、私の最初の学期は終わろうとしていました。
当初の予定では、1学期末には修了するはずだったことをお伝えしたいです。
当初は12月末に香港に戻り、国家安全法に関連して警察に報告する予定でしたが、香港の状況、私自身の安全、そして心身の健康も含めて慎重に検討した結果、警察に報告するために香港に戻ることはせず、おそらく生涯戻ることはないだろうと判断したことをお伝えしたいと思います。 その最大の理由は、出頭のために香港に戻った場合、たとえ国家安全保障局が私を逮捕したりパスポートを取り上げたりしなかったとしても、以前と同じように何らかの条件を突きつけられたり質問されたりする可能性が高く、カナダに戻る前にその条件を満たす必要があるからです。 仮に12月末にそうならなかったとしても、翌年私が香港に戻ったとき、香港の状況はさらに危機的なものになっており、彼らはいつでも調査を理由に私の出国を禁止することができます。 やりたくないことをやらされるのは嫌ですし、これ以上中国本土に行くことを強制されるのも嫌です。 このままでは、たとえ無事でも心身が崩壊してしまう。
そんなつもりは最初からありませんでした。 まだ香港にいたころは、香港に帰るかどうかなどまったく考えていませんでしたし、スムーズに出国できるかどうかもわからない時点で、その後のことを考える気持ちもなく、すでに海外に留学に行くことも簡単ではありませんでした。 12月のことを考え始めたのはカナダでの生活が落ち着いてからで、答えが出ないうちに12月に香港に戻るチケットまで買ってしまいました。 だから、誰かが私が国家安全保障をごまかすことを考えていたと言いたいのだとしたら、それは絶対に間違った発言です。
この数年、私は恐怖からの解放がいかに貴重なものかを身をもって学びました。 未来にはまだわからないことがたくさんありますが、わかっているのは、逮捕されるかどうかを心配する必要がなくなり、ようやく自分の言いたいこと、やりたいことができるようになるということです。 カナダで勉強し、癒されながら、過去に心の病やさまざまなプレッシャーのために脇に置いた興味を取り戻し、自分のリズムを作りたいと願っています。 自由は簡単には手に入らない。恐怖に怯える毎日の中で、私を忘れず、心配してくれ、さらに愛してくれるすべての人たちを私は大切にしています。 近い将来、私たちが再会し、しっかりと抱き合うことができますように。
3.人材流出を警戒する中国
当局は、これら「監視」と「教育」で周庭氏をコントロールできるとでも思っていたのでしょう。それが、今回の事実上の亡命宣言です。
12月4日、香港警察当局は「警察は法と秩序に露骨に挑戦する無責任な行為を強く非難する……警察は関係者に対し、崖から一歩退き、引き返せない道を選択し、残りの人生で『逃亡者』の名を背負うことを選ばないよう呼び掛けている」と声明を出し、激怒しています。
この中国政府の反応について、評論家で千代田区議会議員の白川司氏は次のように指摘しています。
・これは大変な話で中国政府が一個人を攻撃した。しかも恫喝に近い話。中国はあまりに余裕がない。なるほど、資本流出だけでなく、人材の流出をも警戒しているというのですね。けれども、だからといって、中国が自身を民主化するとも思えませんから、この流れは、表に出る出ない関わらず変わらないのではないかと思います。
・なぜ恫喝したかというと、周庭氏が口火を切れば、中国から富裕層がどんどん脱出するんじゃないかという懸念を持っているから
・今、中国から資本が逃避しているが、人も逃避している。
・要するに技術を持った人、知的財産を作れる人たちというのが今中国からどんどん逃げている。
・周庭氏の事実上の亡命宣言が引き金になって人材流出が増えたら中国の国力に関わるぐらいのことになりかねない。
・周庭氏が精神を病んで中国側は、よしこれでもう思想教育終わりということにしたようだ。
・香港政府と中国政府ってちょっと違う。やはりまだ香港政府ってまだ自由度が少しあるのでそこで許可したんだと思う。
・これで一番慌てているのは香港政府。
・今もう人事が今かなり大変なことになってると思う。誰があいつを許可したんだって。
・けれども、中国はこれまで周庭氏を日本に阿っている小娘という扱いをしていた。
・それが、こんな勇気のある行動をしたので面目丸つぶれ。
・今もう中国がもう周庭さんの件すら恫喝しないとやっていけないほど追い詰められている。
4.裏で中国秘密警察に協力しているカナダ政府
ただ、気になるのは、周庭氏が亡命したからいって、それで安心とは限らないということです。
12月4日、周庭氏は産経新聞のインタビューに応じ、今後について「民主化活動を再開するかまだ決めていない。カナダに中国の秘密警察が置かれていると報じられている。外国にいても身の安全がとても心配だ」と胸中を語り、香港に戻らないとした理由についても「香港に戻ると、カナダに帰れなくなるのではないかという恐怖があった。出境するための新たな条件を警察が出してくるかもしれない……香港国家安全維持法の下、政府に対し批判的なことは何も言えない。選挙でも親北京派しか立候補できない。完全に中国にコントロールされ、言論の自由や人権が保障されていないような状況だ」とコメントしています。
カナダ政府が周庭氏をしっかり守ってくれればよいのですけれども、カナダ政府は裏で中国の秘密警察に協力しているのでは、という噂もあります。
10月20日、カナダ国営放送(CBC)の調査報道番組『フィフス・エステート』は、カナダ政府が対中貿易などで便宜を受ける見返りとして、中国当局による国外逃亡者の身柄確保を長年、ひそかにサポートしてきたと告発しました。
番組では、カナダ連邦警察の元捜査官が出演し「著名な逃亡者」を追う中国の担当者に協力するよう政府の最上層部から指示されたと証言しました。
カナダ国境サービス庁によれば、2008~22年に他国での「犯罪または重大な犯罪行為」を理由にカナダから強制退去させられた中国人は33人いるとのことで、専門家は、中国に身柄を引き渡せば処刑を含む非人道的な扱いが待ち受けることは容易に予想できるにもかかわらず、カナダが協力を続けてきたのは中国市場へのアクセスというエサのためだと指摘しています。
今現在「中国市場へのアクセスというエサ」にどれくらいの美味しさが残っているのか分かりませんけれども、中国がカナダ政府首脳や高官に便宜を図り、周庭氏を奪い返そうとすることも可能性として考えられます。
カナダも自身を先進国と標榜するのであれば、周庭氏の人権をしっかりと守っていただきたいと思いますね。
この記事へのコメント