オワコンメディアの生きる道

今日はこの話題です。
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1.ワクチン後遺症


3月7日、文春オンラインが、「コロナワクチン後遺症」の記事を掲載しました。

内容はワクチン問題研究会代表理事で、京都大学名誉教授の福島雅典氏へのインタビュー記事なのですけれども、ネットでは、

《ハッキリ言って、新型コロナワクチンに反対していた人にとってみたら、こんな事は3年前から、ずっと言ってきた事なんだよ》
《とうとう出ましたね。文春が取り上げるとは》
《やっと既存メディアの「文藝春秋」が報じたが‥正直言って今更感が否めない。》
など、何を今更な、コメントで溢れています。

とりわけ凄いのはヤフコメで、3月8日現在、1600件以上書き込まれ、実際に受けているこれはワクチン後遺症なのではないかという切実なコメントも見受けられます。


2.レガシーメディアはオワコン


ネット、世間が騒ぎ出してから、後を追うように、既存メディアが報じる、これではニュースメディアの意味が薄れますし、なんとなれば、アリバイ報道しているのではないかと穿ってしまいたくなります。

「マスコミはオワコンだ」と言われて久しいですけれども、東京大学先端科学技術センターの元協力研究員で作家の三田典玄氏は、能登地震直後の1月10日、自身のnoteで「『能登』のメディアと行動」という記事を書いています。

一部引用すると次の通りです。
【レガシーメディアは過去の主役】
かつて、レガシーメディアであるテレビや新聞は「国(や地域)」という単位での「コンセンサス(同意)」を作るもので、ネットメディアは、それ以下の大きさの単位での「コンセンサス」を作るものだった。いや、そういう認識だった。

【「噂」の数値化と可視化】
ところが、ことここに至って、テレビなどの視聴率以上に多くの視聴者を集めるネットメディアに乗った人(インフルエンサー)や、その人の意見が多く世の中に出回ってくると、レガシーメディアも、その影響力は所詮はその一つ、という程度の大きさであることがわかってしまった。しかもネットメディア以上に制作と広報の仕組みにかかるコストがかかりすぎているので、やがてレガシーメディアは衰退の道を歩む以外にはない。「経済的に合わない」からだ。これはネット以前の社会からあった「噂」の数値化であり、可視化ということだ。

【政府も方針転換を余儀なくされた】
この能登半島の震災でも、政府とその広報を行うレガシーメディアは「素人は現地に行かないでお金を出せ」を言っていたが、結局政治的傾向の左右(政府寄りかそうでないか)を問わず、現地に実際に「行って援助してしまう」インフルエンサーが増加し、日本国民も「政府とマスコミの言うことなんか聞いちゃいない」状況が数値的に露になり、慌てて政府は首相の現地入りを表明せざるを得なくなった。

《中略》

【絶滅した恐竜のように】
東京から見ていると能登の震災は、震災そのものの起こした甚大な被害ももちろんだが多くのレガシーメディアの時代の最後を飾る自然が演出したイベントのようにも見える。能登に集まり、能登の現状を伝え、能登での救援活動の多くの部分で「ネット」が大きな影響力を行使し、レガシーメディアの補完ではなく、むしろネットはレガシーメディアを引っ張っていく存在になったのがわかる。そして、ネット言論とネットのインフルエンサーの行動のあと、レガシーメディアの動きがあり、それに引きずられて政府が動いた。そのようにしか、私には見えない。
三田氏は、レガシーメディアは国単位で「コンセンサス(同意)」を作るものからその他大勢の一つになり、ネットのインフルエンサーの後を追う存在になったと指摘しています。


3.情報は引き寄せる時代


元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、2022年9月、東洋経済のインタビューで、昨今の新聞報道について次のように述べています。

朝日新聞に関して言うと、外部の批判を怖れ、忖度するメディアに成り下がっていますよね。

最近も象徴的な出来事が立て続けにありました。2022年7月15、16日付朝刊の「朝日川柳」に、安倍晋三元首相の銃撃事件を風刺する読者投稿の川柳が掲載されましたが、ネット上で「不謹慎だ」などと批判が殺到した。すると一転して「ご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」と早々に白旗を揚げました。

もう1つが、同年7月19日付朝刊などに掲載された社会学者・宮台真司氏の「元首相銃撃 いま問われるもの」というコラムで、自民党と統一教会の関係について発言した箇所が「社会部の取材で確かめてからでないと掲載できない」との理由で削除されました。本人がネットメディアへの取材に応じたことで明らかになりました。

鮫島氏は、自身のメディア「SAMEJIMA TIMES」を立ち上げ、言論活動を展開していることについて、次のように述べています。
――朝日新聞のみならず、メディア全般が世間の批判に対して極度に敏感、あるいは、不寛容になっているようにもみえますが、世間の同調圧力が強まっていることもあるのでしょうか。

「SAMEJIMA TIMES」では、オリジナルの記事を全文無料公開しています。もちろん巨額献金など一切受け取っていません。法律など最低限のルールを順守してさえいれば誰にも遠慮する必要がない。何もしがらみがありませんから、楽しいですよ(笑)。

これが本来のジャーナリズムだと思うんですよ。何を隠す必要もないし、自民党や統一教会の悪口言っても、朝日新聞の悪口言っても、東洋経済の悪口言っても、自由。だから信用されるのです。

一方、自分でメディアを運営していてつくづく感じるのは、「個人の発信力」が重要な時代になった、ということです。私も昔は毎日夜回り、朝回りして、政治家に食い込んで情報を取るっていうことが記者の一番の仕事だったけれども、ネット時代になって誰もが発信できる今、新聞記者の名刺を持っているからといって誰も相手にしてくれない。

相手に食い込んで情報を取るのも1つの方法ではあるけれど、効率は極めて悪い。それよりはむしろ、情報を磁石のように引き寄せる時代になっていて、引き寄せる力が強い人がスクープを取れる。

だから私は若い人にも、「特ダネとかスクープが取りたければ、まずは発信力を磨きなさい」と言っています。発信力がない人間には、もう誰もしゃべらないんですよ。一方で、「この人に情報を持ち込めば発信力があるから広めてくれる」という人には情報が集まってくる。実際、『朝日新聞政治部』を書いてから、私の元に朝日新聞の中の不祥事とか、スキャンダルとかの情報もいっぱい来ますよ。

私は朝日新聞の中にも詳しいし、「SAMEJIMA TIMES」やYouTube、ツイッターといった発信手段を持っているから、私に情報提供すればそれが表に出て状況が改善されるかもしれない、と情報提供者は考えるわけです。

文春砲が強いのはやっぱり確実に発信してくれるから。タレコミが来たら、それを忖度せずに記事にしていく繰り返しによって、さらに情報が集まってくる。朝日の特別報道部もそうしたかったし、一時は実際にそうなっていた。朝日新聞特別報道部っていういわゆるブランドが情報を引き寄せていた。相手からすると、文春砲のように「ここににらまれたら怖い存在」になれば勝ちなんですよね。

ところが、朝日新聞は自らそれを壊しちゃった。すごいお金も時間もかけて、やっとブランドを作って、情報を引き寄せる器をつくったのに。そういうのはやっぱり愚かとしか言いようがない。
このように、鮫島氏は「個人の発信力」が重要な時代となり、そんな人に情報が集まるようになる。従来の夜討ち、朝駆けで記事を集めるのは非常に非効率だというのですね。

要するにメディアという組織がインフルエンサーという個人に負ける時代になっているということです。


4.新聞の生きる道


鮫島氏は今後のメディアについて、新聞については「オワコン」だと断言する一方で、ジャーナリズムの必要性が失われることはないとし、「調査報道」と「オピニオン」に特化して生き残る道はあると述べています。

また、取材のノウハウを開放して、社会全体の発信力の向上をサポートする機関として生まれ変わる道もあるとしています。

前述した作家の三田典玄氏は、マスコミはすでに国民のコンセンサスを取るものではなくなった、と指摘していることを紹介しましたけれども、

コンセンサスを取るためには、議論などを通じて各々の多様な価値感を顕在化させ、相互の意見の一致を図る過程を得る必要があります。けれども、仮にマスコミが「調査報道」と「オピニオン」に特化していくならば、その報道内容は数ある意見の中の一つ、ワンオブゼムになっていくことを意味します。

畢竟、マスコミはコンセンサスを取るためのプラットフォームではなくなってくる訳です。

今後、その舞台はネットに移行していくのかもしれませんけれども、どんなプラットフォームを使うにせよ、受け取る側が、流れてくる情報に流されるままでいるのなら、何も変わらないことを知っておく必要があるのではないかと思いますね。


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