

1.ヘリ墜落で死亡したイラン大統領
5月19日、イランのエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミル・アブドラヒアン外相らを乗せたヘリコプターが、イラン北西部で墜落する事故が起こりました。
現地メディアによると、ライシ大統領はアゼルバイジャンとの国境付近の二つのダム(キズ・カラシ、コーダアファリン)の竣工式に出席したあと、北西部タブリーズ市に向かい、ヘリはタブリーズ市の北約50キロ付近で墜落したとのことです。
翌20日、イラン国営メディアは大統領と外相らが死亡したことを確認したと伝え、墜落機の同乗者たちの死亡も確認されたとのことです。タブリーズ市で金曜の祈りを主導していたモハマド・アリ・アル・エ・ハシェム師、東アゼルバイジャン州の州知事、マレク・ラフマティ将軍、大統領の警備責任者サルダル・サイエド・メフディ・ムサヴィ氏の死亡が発表されたほか、複数のボディガードやヘリコプターの乗務員も死亡したと報じています。
イラン国営通信によると、ライシ大統領が乗っていたヘリコプターは「ベル212」。アメリカ製で、1979年のイラン革命以降に、アメリカからイランに売却されたことはあり得ないとされており、事故機は1960年代にカナダ軍用に開発された型式ではないかとされているようです。
タブリーズ市選出の国会議員アフマド・アリレザベイギ氏はテヘランで記者団に、一緒に飛行していた他のヘリ2機は無事に着陸したとした。
イラン国営IRNA通信によると、この事故ではイランが2000年代初頭に購入したベル212ヘリコプターに乗っていた8人全員が死亡した。 IRNAによると、死者の中にはイランのホセイン・アミラブドラヒアン外務大臣、イラン東アゼルバイジャン州知事、タブリーズ市の高位聖職者、革命防衛隊職員、乗組員3名が含まれていた。
イランは昔からベルヘリコプターを広範囲に飛行させてきました。けれども、近年は、西側諸国の制裁により航空機の部品不足に直面しており、安全検査を受けずに飛行することが多いという実態があります。こうした背景から、元イラン外務大臣モハマド・ジャバド・ザリフ氏は、「昨日の悲劇の主犯の一つはアメリカだ。アメリカはイランへの航空機と航空部品の販売を禁輸し、イラン国民に良好な航空施設の享受を認めていない」と墜落の原因はアメリカにあると主張しています。
また、国際危機グループのイランプロジェクトディレクター、アリ・バエズ氏は、アメリカの制裁によりイランは何十年も艦隊を更新・修理する能力を奪われてきたものの、「今回の特別な事故における人為的ミスと天候の役割を看過することはできない」と指摘しています。
更に、航空宇宙アナリスト兼コンサルタントのリチャード・アブラフィア氏は、イランが部品の闇市場を利用している可能性が高いとしながらも、「闇市場の部品と現地でのメンテナンス能力、これは良い組み合わせではありません」とイランが古いヘリコプターを安全に飛行し続けるための整備技術を持っているかどうか疑問を呈しています。
航空データ会社シリウムによると、イランには現在、平均使用年数35年のベル212ヘリコプターが15機登録されており、現役または保管されている可能性があると見られています。
今回の墜落について、アメリカ上院の民主党トップのチャック・シューマー院内総務は、米情報当局と協議後の記者会見で、「現時点では犯罪の証拠はない」、「ヘリが墜落したイラン北西部の天候は非常に濃い霧だったので、事故のように見える。ただ、まだ調査中だ」と話しています。
2.追悼の意を示す国
ヘリが墜落した19日午後、最高指導者アリ・ハメネイ師は、ライシ大統領のため5日間の服喪を発表。ハメネイ師はソーシャルメディアで、「憲法に従い、モクベル副大統領が行政府の責任者となり、立法府と司法府の代表を協力しつつ、最大50日以内の新大統領の選出を図る」と発表、イラン政府は外相代行に、アリ・バゲリ・カニ副外相を任命しました。
ライシ大統領の急死を受けて、イランが長年後押ししてきたイスラム組織ハマスは公式サイトで、「イランの兄弟たちの悲しみと苦痛を共有する」と書き、イランと「完全に連帯する」と強調した。ハマスはさらに、ヘリコプター墜落で死亡した人たちを「イランの再生において長く旅をしてきた、イラン最良の指導者たちだった」とたたえたほか、パレスチナの大義に「連帯」してくれたことに感謝しました、
また、レバノンのシーア派組織ヒズボラも、「レバノンのヒズボラは深い哀悼の意をお送りする」と声明を発表。ライシ大統領と「もう長いこと親しかった」と振り返り、「我々の大義を強力に支援し、抵抗運動を擁護してくれた」とたたえています。
更に、各国も、弔意を示しています。
イランと協力関係にあるロシアからは、セルゲイ・ラヴロフ外相が、ライシ大統領とアブドラヒアン外相について、「ロシアにとって本当の、信頼できる友人」だったと追悼し、死亡した両氏が「ロシアとイランの双方の利益になる協力と信頼関係を強化」したと追悼の意を表明。
インドのナレンドラ・モディ首相はソーシャルメディアで「悲劇的な死を深く悲しみ、衝撃を受けている」と書き、インドは「この悲痛な時」に「イランを支える」としました。
パキスタンのシャバズ・シャリフ首相は、ライシ氏の死は「ひどい損失」だとして、パキスタンは1日、喪に服すと明らかにしました。
また、シリア内戦を通じてイランの支援を受けていたシリアのバシャール・アル・アサド大統領は、「イラン・イスラム共和国とシリアの連帯を再確認し、亡くなった方たちの遺族に寄り添う」とコメント。アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は、ライシ大統領とアブドラヒアン外相の急死に「深く衝撃を受けている」と述べ、「イラン国民は、自分の国に一生をかけて、忠誠を尽くし、身を犠牲にしてきた人物を失った」と偲び、イラン国民と遺族に追悼の意を示しました
3.これからのイラン
ライシ大統領の死去を受け、気になるのは今後のイランの動きです。
ライシ大統領は2021年の大統領選挙で、2度目の挑戦で当選しました。強硬派のイスラム指導者とみられており、イランで1989年から最高指導者を務めているハメネイ師の後継者候補と目されていました。
2019年にはハメネイ師によって、強大な力をもつ司法府長官に指名され、次期最高指導者を選出する、イスラム教指導者ら88人で構成する専門家会議の副議長にも選出されていました。
BBCのリーズ・ドゥーセット国際担当主任編集委員は、ライシ大統領が死亡したとしても、イランの外交や国内政策への影響はほとんどないだろうと説明。大統領は国政を日常的に担ってきたものの、権限は非常に限定されており、政策を示して最終決定をするのは最高指導者だと指摘しています。
イラン・イスラム共和国の憲法は、大統領が死亡や病気、弾劾あるいは議会によって退任させられるなど、その職務を続けられなくなった場合の手続きは、明確に決まっていて、ハメネイ師が述べたように、当面はモハメド・モクベル第一副大統領が当座の職務を代行し、議会や司法機関の幹部と共に50日以内に、新大統領を選ぶ選挙の実施を監督することになります。この一連の手続きは最高指導者の承認のもとに行われることになっています。
ただ、BBCペルシャ語版のカルバシ記者によると、政府は選挙実施へ向けて動き出すものの、国民の関心は前回同様に低調に終わるだろうと述べています。
ライシ氏が勝利した前回2021年の大統領選の投票率は48.8%と1979年のイスラム革命以来、最低を記録しているのですけれども、その理由の一つとして、最高指導者の影響下にある「護憲評議会」が多数の改革・穏健派の立候補を認めず、有権者のほとんどは、やらせ選挙だとしてボイコットしたことが挙げられます。
もっとも、ライシ氏の政敵達はライシ氏死去で、今の政権の終わりが早まったと、期待するのではないかという見方もあるようです。
イスラエルと米英のメディアも今後の影響について報じています。
イスラエル紙エルサレム・ポストは「戦略的影響はない」とするイスラエル軍元幹部の分析を伝えています。イランでは最高指導者ハメネイ師が実権を握ることから「大統領は行政の担い手でしかない。不在になれば後任を決める手続きがとられるだけ」とする一方、タイムズ・オブ・イスラエル紙は、「イラン体制の方針に変化はなくても、権力闘争を引き起こす可能性がある」と報じています。
また、米紙ウォールストリート・ジャーナルは、イスラエルのハマス攻撃や核計画をめぐるイランの姿勢に変化はないとの見通しを示しています。
そして、イギリス誌エコノミストは、次期最高指導者の有力候補はライシ氏を除けばハメネイ師の息子のモジタバ師しかいないとする一方、モジタバ師が跡を継げば革命体制が批判してきた世襲という矛盾が生じると報じています。
4.CIAか内部犯行か
今回の事故を受け、ネット界隈では、アメリカやイスラエルが関与したのではないかという"陰謀論"な書き込みも散見されているようです。
20日、イスラエルの政府高官が匿名でロイター通信に「我々ではない」と事故への関与を否定。アメリカのロイド・オースティン国防長官も、アメリカは「非常に残念なヘリコプター墜落事故」を巡る状況を引き続き監視しているが、原因については何の洞察もしていないとし、「現時点では、地域の安全保障に広範な影響が及ぶとは必ずしも考えていない」と関与を否定しています。
20日、アメリカ国務省のミラー報道官は記者会見で、今回の事故を受けてイランからアメリカ政府に救援要請があったと明かしています。ミラー報道官は、詳細の説明は避けつつ「業務上の理由で支援できなかった」と述べていますけれども、もしイランがアメリカの関与を疑っているのなら、そのアメリカに救援要請するというのは理解しにくいです。
となると、ライシ氏の政敵やイラン国内の反体制派による内部犯行の線も浮上してくるのですけれども、、大統領と外相が同乗したヘリだけが狙ったように墜落し、残りの2機が無事。更に大統領と外相が同乗している映像がなぜか流出しているところを考えると、その可能性が全くのゼロとはいいきれません。
下手をすると、イランの体制変更とイスラエルとの対立、更にはホルムズ海峡閉鎖など、事態のエスカレートの危険が増すことになります。
ただ、一点望みがあるとすれば、先述したように今回の墜落について、イランがアメリカに救助要請を出したことです。ロシアではなくわざわざアメリカに出した。これはアメリカと敵対する気はないという外交メッセージであるともいえ、アメリカも「業務上の理由で支援できなかった」と何もしませんでした。もしアメリカ軍か、どこかの救助隊がイラン北西部に入ったら、地形から何から情報収集されてしまいます。アメリカは「支援できなかった」という体で、イラン領内に入りませんでした。つまりアメリカもイランの外交メッセージを受け取り、了解したという返答のように見えます。
もしそうだとすれば、イラン政府が国内を暴走しないように抑えられるかどうかがポイントになるかと思います。
いずれにしても、余談を許さない状況が続くかと思いますね。
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