取材ルールはマスコミの自己防衛術

本日は大晦日です。

2025年も今日で最後となりました。本年も日比野庵を御愛顧いただき誠にありがとうございました。

今年も日比野庵は、年中無休で毎日エントリーさせていただくことができました。読者の皆様に深く感謝いたします。

今年も国内外いずれも激動の年だったように思いますけれども、来年はもっと大変になりそうな気がしています。

来年もよろしくお願いいたします。

では、この話題です。
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1.オンとオフを戦略的に使い分ける政治家


昨日のエントリーでオフレコ破りについて観測気球ではないかと述べましたけれども、そのエントリーで取り上げた西日本新聞のネット番組「西日本新聞me」では次の解説もされています。
横山:オフレコって録音してないんですよね。

上田:禁止です。だから記憶力の勝負。官房長官番の時は、何の話題が出たか指で数えて覚えていました。終わった後にノートを取って、他社の記者と「最初はあの話だったよね」と突き合わせることもあります。

坂本:デスクは記者のメモを信じるしかないですもんね。

上田:昔は手書きメモやFAXの山でしたけど、今は検索できるから便利です。でも、滑舌が悪い人の言葉を正確に起こすのは大変。安倍さんの番記者は、安倍さん独特の言い回しを完璧に理解していて凄かった。

横山:地元の訛りとかもありますもんね。

上田:麻生太郎さんなんかは、オンとオフを戦略的に使い分けています。リップサービスで言い過ぎちゃうパターンも多いですけど。

坂本:2002年に福田康夫官房長官が「非核三原則は変わることもあるかも」と言ったのも、最初は「政府首脳」名義でしたよね。

上田:後で本人が「私です」と言ったから実名で語れますが、そうでなければずっと「政府首脳」のまま。記者会見で「政府首脳がこう言ってますが」と聞いて、本人が「政府として見直すことはない」と答える。同じ人なのに。

横山:不思議な世界ですね。

上田:分かりにくいですが、そういう取材の積み重ねで記事ができているんです。
麻生副総裁は、オンとオフを戦略的に使い分けているということですけれども、ということは、他の政治家も同じことをしている可能性がありますし、少なくとも、オンとオフとで使い分けができるほど、その性質が違うということを認識されているとも言えます。




2.永田町の特殊な取材ルール


また、元テレビ局記者・下矢一良氏が、2025年12月に発生した「官邸筋による核武装発言」のニュースの裏側を、永田町の特殊な取材ルールを交えて解説しています。

件の番組から該当部分を引用すると次の通りです。
【前略】

下矢:
この懇談っていうのが、大きく分けて2種類あるのよ。1つは、「記事にしていいよ」と。話した内容はね。ただし「誰だか分からない形で書いてくれよ」と。

スタッフ: ああ、なるほど。

下矢: 例えば「政府首脳は」っていうのは、これは官房長官の懇談で話したこと、っていうのが政治原稿の常識なわけよ。だから「政府首脳は」って書いてあると、みんな「官房長官だな」と思うんだけど、一応原稿上は官房長官とは書いてないっていう。で、あとは今回の「官邸筋」とかね。いずれにしても固有名詞、誰だって特定されるように書かない。で、あともう1種類は、もう「完全オフレコ」。記事にも当然全くしない、「ここだけの話です」というケース。この2つのケースがある。これね、政治家とかその役職の人によって違うんだけど、定期的に行われてるのよ。毎週木曜日18時からとか。あるいはそんなに注目度高くない役職の方だったら不定期とか。 これね、面白いのは、名文化されたルールブックみたいなものはないのよ。「誰の懇談はどうこうです」っていう一覧表とかはない。でも、全員知ってるのよ、その懇談のルールは。

スタッフ: ああ、はいはい。

下矢: 先輩から後輩に受け継がれるの。一子相伝みたいなやつ。名文化されたルールは全くないんだけど、全員が把握してるっていう、むちゃむちゃ村社会の不思議なルールなのよ。で、ただ完全オフレコって言っても、やっぱり仕事で参加してるので、一応その記録、どんなことをおっしゃってたかっていうのは、覚えている範囲で文字にして、会社のデータベースに登録して関係者は見れるようにする。ただ、これも総理官邸の関係している最小限の人しか見れないようにブロックはかかっていると。 で、今回の話に戻ると、「オフレコ前提とした非公式の取材」って書いてあるわけだよね。これね、おそらくなんだけど、俺これ全然調べてないんだけど、政府の補佐官とか官房副長官とかに比べると、重要度が高い取材先ではないわけよ。そういう人は毎週何曜日何時みたいな定期的な懇談は多分やってなくて、忘年会とか、節目でやるとか、不定期なわけね。なので、多分12月の忘年会的なオフレコの懇談だったんじゃないかなと推測するわけよ。

スタッフ: ちなみにちょっと気になるところがあったんですけど、完全オフレコで、話してもらえても記事にはできない。それってやる意味あるんですか?

下矢: やる意味は一応あって。例えばメディアの側からすると、公には言いづらいような話を記事にしないという条件で聞くことによって、総理の答弁とか官房長官の会見とか、表向きの公式な発言の意図が推察できる。そういう情報が頭にあるだけで、いろんな動きの意味が見えてきたり、普段の原稿や取材にも生きてくるっていうのがある。で、取材を受ける側、例えば政治家や総理補佐官にもメリットがあるわけよ。懇談に応じなかったら自分の意図が正しく伝わらないじゃない。ただ、10数社もあるから、個別に話したらとんでもない時間がかかる。なんで全員集めてやっちまおうっていう、お互いの利害が一致してる形なわけ。

スタッフ: 今回の話はオフレコを前提にしてるってことは、記事にしちゃいけないっていう約束だったと思うんですけど、これ記事にしちゃってるじゃないですか。これルール違反じゃないですか?

下矢: ルール違反よ。ただね、一応過去にもこういうオフレコなのに記事になったケースっていうのはあって。それはなんでかっていうと、重大な発言をした場合、それが世の人に伝える価値のある重要発言だとなると、政治取材のローカルな身内のルールよりも「伝えるべき」っていう価値の方が勝る、っていう理屈で、約束は約束だけど報じるっていう判断をした社が今回何社もあったってことなのよ。 なんだけれども、果たして本当に今回の発言が、約束を破るに値するほどの重大発言だったかっていうと、これは議論が分かれるところ。日本も核保有をすべきだっていう発言は、官邸筋の「個人的な意見だ」っていう風に本人も言ってるわけなのよ。なので、政府で別にその核武装しようっていう動きがあるわけじゃない。個人的意見という話なので、約束破ってまで記事にする話なのかっていうと、個人の価値観によってだいぶ揺れる話だよね。核武装を検討して今政府で議論が進めてるんだったら大ニュースだけど、単なる1人の人物が個人的意見を言ったのをルール破ってまでっていうと、ちょっと微妙かなっていうところではあるよね。

スタッフ: 今後、どこら辺に影響していくとか予想してるものはありますか?

下矢: 週刊誌に誰が言ってどういうシチュエーションで話したか、全部出てくると思う。これいつものパターン。なんでかっていうと、記者団に話したわけだから何人もいる。誰が週刊誌に行ったか分かんないじゃん。あとはやっぱり、「オフレコ破り」をやられたので、取材を受ける側が警戒はするよね。ガードは硬くなるだろうなと思う。なので、本当に本音を知りたいってなったら、1対1のサシの取材でしか話さないっていう傾向が強くなる。そうなると、政治家とがっちり関係を築けてる記者は情報が取れるし、記者クラブ内にぶら下がってるだけの記者だと本音が取れないっていう「記者の格差社会」みたいにはなるかもしれない。 ただ、これ全員参加のメリットもあって。政治家が「あいつ嫌な記事書くから排除しよう」っていうことができないわけよ、そういう約束だから。批判記事も書きやすいっていうメリットもある。いずれにしても、不思議なルールの元で行われてるのが官邸のルールなので、今回をきっかけに、お互いの距離が取られていくのかなという感じはするよね。ぜひ皆さんもアンテナを張っておいていただければなと思います。
懇談にも、オフと完オフの2種類があるそうです。 けれどもやはり問題なのは、今回、完オフであったのにも関わらず報じたことであり、下矢氏は、今後、今回のオフレコ破りを受けて、取材を受ける側がガードを硬くすることで、本音は1対1のサシの取材でしか話さない傾向が強くなるとした上で、政治家とがっちり関係を築けてる記者は情報が取れるし、記者クラブ内にぶら下がってるだけの記者だと本音が取れないっていう「記者の格差社会」が起こる可能性を指摘しています。




3.取材ルールはマスコミの自己防衛術


前述の下矢氏は、今回のオフレコ破りについて「個人的意見に対して、約束を破るに値するほどの重大発言だったかっていうと、これは議論が分かれる」とし、それは、個人の価値観によってだいぶ揺れる話だと指摘しています。

つまり、そこにはマスコミ各社の判断が働いているということになり、つきつめれば、その基準(客観性)は何かということになります。

同志社大学社会学部教授によると河崎吉紀氏は、マスコミ報道の客観性についてルールを設けることで、次の3つのジレンマを解消する役割を持ったと指摘しています。
1)政治的な攻撃からの防御
19世紀から20世紀にかけて、新聞が特定の政党の機関紙から「中立な商業紙」へと移行する際、記者が「自分の意見(主観)」を書いてしまうと、反対勢力からの攻撃を招き、経営に悪影響を及ぼします。 そこで、「私は事実を並べているだけだ(客観的だ)」というスタイルを確立することで、政治的な責任追及から逃れ、経営の安定を図った。

2)読者層の最大化(マーケットの拡大)
特定の意見に偏ると、その意見に反対する読者を失います。事実のみを淡々と伝える「客観報道」は、思想・信条を問わずあらゆる読者に売ることができる「最大公約数的な商品」として、商業主義的に極めて効率的。

3)専門職としてのプライド(公共性の担保)
「ただの商売人」ではなく「専門職(プロフェッショナル)」として社会に認められるには、独自の規範が必要になります。客観性を「プロの技術」として制度化することで、「我々は利益のために記事を書いているのではない、客観的な事実という公共財を提供しているのだ」という「社会的な正当性(公共性)」を手に入れた。
つまり、オンレコやオフレコなどの取材ルールを設けることで、政治権力の介入から身を護ると同時に社会的な正当性・公共性を担保し、それによって読者層も広げようとする狙いがあったというのですね。


4.立憲と結託した朝日新聞


であれば、なおのこと、その取材ルールを守らなけば、自身の報道の公共性・客観性が揺らぐことになりますし、下手をすれば、政治権力の介入を呼び込むことになります。今回の完オフ破りによって、取材を受ける政治家のガードが硬くなるかもしれないと指摘されていますけれども、これも、政治権力の介入の一種と言えるかもしれません。

この辺りについてジャーナリストの山口敬之氏がネット動画で次のように語っています。
・「書かない」というルールを破った朝日新聞は、なぜ無罪放免なのでしょうか。
・岸田政権下でも同様の事件があったことを皆さんは覚えているでしょうか。これも朝日新聞によるものでした。
・ 経済産業省から岸田官邸に出向していた荒井勝喜総理秘書官が、LGBT関連で否定的な発言をしました。
・これは「オフレコ」を前提とした場での発言でしたが、岸田文雄首相は「言語道断だ」として彼を更迭してしまったのです。
・これが非常に深刻な前例となりました。首相自らが荒井氏を厳しく批判して更迭した一方で、ルールを破った朝日新聞はお咎めなしという状況です。
・ 取材とは、互いに約束を守るからこそ本音が言えるものです。
・「書かない」というルールが嫌なのであれば、最初から取材に参加すべきではありません。
・朝日新聞は常にこのような手法を取ります。
・岸田政権時の際も、朝日新聞は立憲民主党の議員と結託していました。オフレコメモを野党側に横流しし、立憲民主党に追及させて騒ぎを大きくしたのです。
山口氏はかつて岸田政権で同じルール破りがあったにも拘らず、岸田総理はオフレコ発言した総理秘書官を更迭し、オフレコ破りした朝日新聞を何も咎めなかったのが悪しき前例になったと述べています。

そして、あろうことか、朝日新聞が立オフレコメモを野党側に横流しし、立憲民主党に追及させて騒ぎを大きくしたというのですね。

これは、自ら自身の公共性を破壊する行為であるばかりか、政治権力と結託して身を護るというか元々のジャーナリズムから離れ、プロパガンダ機関に寄って行っているような気さえします。

オールドメディアはこの機会になぜ取材ルールを設けたのかという原点に戻って自らを律していくことが必要ではないかと思いますね。






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この記事へのコメント

  • 憂國

    本年も休まずの投稿お疲れ様でした。
    体調の優れない日もあったかと推察しますが、素晴らしい偉業だと敬服いたします。
    また来年も忌憚のない中道なポストを楽しみにしております。
    それでは良いお年をお迎えください。
    2025年12月31日 13:28
  • 日比野

    憂國様。

    今年もお世話になりました。

    2007年4月からスタートして年中無休でエントリーを続けられたのも、憂國様はじめ、皆様のお陰と感謝申し上げます。

    来年も変わらぬ御愛顧いただければと思います。

    良いお年を。
    2025年12月31日 17:31