
1.インド太平洋戦略シンクタンク
1月6日から台湾を訪問している、日本維新の会の石平参議院議員ですけれども、今回の訪台は、台湾ジャーナリストの矢板明夫氏が理事長を務める「インド太平洋戦略シンクタンク」の招待によるものです。
石平氏は、1月9日に、その「インド太平洋戦略シンクタンク」が主催する「中国とどう向き合うべきか」と題するセミナーに出席して講演しています。
その中で石平氏は次のように述べています。
・1972年に日本が中華人民共和国と国交を樹立するために台湾との国交を断絶したことを「非倫理的で非倫理的な」行為であったと謝罪。石平氏は、台湾の立法院議員を日本の国会に招待したいと述べています。これが実現すれば日台の政治的な繋がりが強化されますし、「一つの中国」は実際は嘘であることの更なる証明になります。実現すれば非常に面白いと思いますけれども、中国よりも、日本の親中国派の議員や外務省が邪魔をしてくるような気がしないでもありません。ここは中国が石平氏を制裁するのとは別に筆者が注目したいポイントです。
・米国も台湾との国交を断絶したものの、「台湾関係法」を堅持することで正常な交流を維持した
・一方、日本の公式交流は、日中共同声明の一文によって長らく停滞している。日本は50年以上にわたり「一つの中国」原則への「理解と尊重」に縛られてきたが、これは柔軟性の欠如を示している。
・自分が日本の国会議員として台湾の立法院を自由に訪問できる一方で、台湾の立法院議員が日本の国会に入る際に多くの困難に直面している。これは明らかに不公平だと考えたので、今回この外交上のタブーを破ることを決意した。
・台湾の立法院議員を我が国の国会に招待し、私が処罰されるかどうか試してみたい。私は既に何度も制裁を受けている。このような制限は撤廃されるべきだ。
・中国共産党政権が「非人道性」と「凶暴性」のDNAを併せ持っている。中国共産党の歴史を振り返ると、党費を集めるために息子を売った母親を称賛したという、冷酷な「党精神」が存在する。
・中国共産党の革命は地方の凶悪犯に依存しており、習近平政権発足以来、この「殴打、破壊、略奪」の文化が完全に復活した。
・中英共同宣言が最終的に無価値な紙切れになったように、ならず者政権とのいかなる合意も無効である
・台湾は中国共産党に対していかなる幻想も抱くべきではない。台湾と日本は「上限なし」の防衛と外交における全面的な協力を行い、ならず者政権に対抗すべきだ。
2.石平・矢板対談
石平氏は、「インド太平洋戦略シンクタンク」理事長の矢板明夫氏とも対談していて、その動画がネットにアップされています。
件の動画での対談内容は次の通りです。
石平: 6月4日(天安門事件)、当時あなたも大きな衝撃を受けたでしょう?ええ、衝撃は大きかったですよ。考えてみてください。今、彼らは「漢奸(売国奴)」だとか「売国」だとか言っていますが、あの時、私は誰よりも愛国心を持っていました。私だけでなく、私の友人たち、仲間たちも皆、愛国者でした。愛国心がないのに、誰がわざわざあんなことをしに出て行くでしょうか。当時はまだ知りませんでしたが、後になって、親しかった仲間が何人もあの日亡くなったことを知りました。石平氏は、自身の生い立ちと日本に帰化することを決めた理由として天安門事件があったと述べていますけれども、中国語での対談動画ですから、主に台湾向けのものと思われます。台湾での石平氏の歓迎ぶりも合わせて、石平氏の台湾での知名度もぐっと上がるのではないかと思います。
矢板明夫: つまり、あなたの当時の同級生たちは、各大学の若い講師や助教だったわけですね。
石平: そうです。あの日から、私の人生の前半戦が終わったと言えます。あの日、私は自分で決めたのです。「私は、あなたたち(中共政府)という国家とはもう無関係だ」と。
矢板明夫: 「矢板明夫Newtalk」へようこそ。司会の矢板明夫です。本日は非常に嬉しいことに、日本の参議院議員であり、著名な政治家でもある石平先生をお招きしました。先生、こんにちは。
石平: こんにちは。
矢板明夫: あなたは神戸大学の大学院に進まれました。神戸大学は非常に有名な大学です。奈良に住んでおられただけでなく、大学も高市早苗さんと同じですね。
石平: ええ、本当に高市首相(※対談時)とは縁があります。出身地も同じ、大学も同じ。これから「先輩」と呼ばせてもらっても、拒否はされないでしょう。
矢板明夫: 神戸大学では文化を学ばれたのですね。
石平: そうです、文系です。当時は神戸大学大学院の文化学研究科で修士号を取りました。そして1989年、六四(天安門事件)の時、あなたはどうされていましたか?4月に胡耀邦が亡くなり、国内で動きが始まりました。北京大学が中心の一つで、私の北京大学時代の仲間たちは皆、活動家として飛び出していきました。彼らはエリートコースを歩むはずの人たちでしたが、あの一件で運命が変わりました。
矢板明夫: 当時は帰りたかったのではないですか?
石平: 帰りたかったです。でも神戸大学に入ったばかりで迷っていた時、北京大学の仲間から手紙が届きました。「帰ってくるな。お前の役割は、国外から我々を支援し、世論を作ることだ」と。それで私はすぐに神戸大学で組織を作り、大阪大学や京都大学など関西圏の大学と連携して、六四の支援活動を始めました。具体的には、大阪の総領事館前で抗議活動をしたり、日本各地でチラシを配って日本社会に支援を求めたりしました。北大時代の「天下の興亡、わが身に責任あり」という熱い気持ちが再燃し、多忙を極めました。
矢板明夫: 私は当時16歳か17歳で千葉の高校生でしたが、六本木の中国大使館前へ抗議に行きました。一緒に行った中国人留学生たちは顔を撮られるのを恐れてマスクや帽子で隠れていましたが、私だけは平気で、多くのテレビ番組に映りました。
石平: 当時は帰国後のことなど考えず、ただ夢中でした。そして1989年6月4日、あの日を迎えました。衝撃は大きかった。彼らは今、私を売国奴と呼びますが、あの時、誰よりも国を愛していたのは私たちです。
矢板明夫: 共産党に騙されたと感じましたか?
石平: 完全に裏切られたと感じました。私たちは教育を受けて育ちましたが、まさか政府が本当に自国民に対して発砲し、武力弾圧するとは最後まで信じられませんでした。最初はゴム弾だという噂もありましたが、実際は実弾でした。あの一件がなければ、私は留学を終えて中国に帰り、どこかの大学の教授か、あるいは政協(政治協商会議)の役人にでもなっていたかもしれません。でもあの日、私は「この国家とは無関係になる」と決意したのです。そう思わなければ、生きていけませんでした。後に、親しかった友人の何人かが射殺されたと知り、私の人生の前半はそこで幕を閉じました。
矢板明夫: 当時、日本への帰化は考えていましたか?
石平: まだ考えていませんでした。当時は留学生が帰化できる条件も整っていませんでした。ただ、精神的には中国という国家から解脱し、中国がどうなろうと自分には関係ないという境地に至りました。その後、1990年に文部省(当時)の奨学金を得ることができました。月18万円、宿泊手当を合わせると19万円です。当時の大卒初任給が20万円程度でしたから、アルバイトをせずに研究に没頭できる非常に大きな金額でした。
矢板明夫: 神戸大学で博士号まで取得された後は?
石平: 民間企業の会長が設立した文化研究所に入りました。そこでは中国文化の研究を続け、文章を書いていました。その研究所は文化交流のために中国へ行くことも多く、私も会長に同行して頻繁に訪中していました。
矢板明夫: 次の転機は2002年ですね。
石平: ええ、一冊の本を書くために研究所を辞めました。それが最初の著書『なぜ中国は日本を嫌うのか(日中友好という幻想)』です。1994年に六四以来初めて帰国した際、国内の空気が一変していることに気づきました。かつての「反共産党・民主化」の熱気は消え、代わりに「反日・日本嫌悪」が蔓延していました。
矢板明夫: 89年の後、共産党は軍の失墜した信頼を取り戻し、国民の目をそらすために「抗日戦争に勝ったのは解放軍だ」という愛国教育・反日宣伝を強めましたからね。
石平: その通りです。80年代の中国は日本に好意的でしたが、90年代半ばには、日本留学帰りの私が友人たちとの酒の席で「お前ら日本人はけしからん」と直接罵られるほどになりました。私は何が起きているのかを解明するために国内の書籍や新聞を収集・分析し、本を書きました。これがきっかけで、私は「反党・反社会主義」の道へ踏み出すことになったのです。
矢板明夫: その後の『わが内なる毛沢東』も話題になりましたね。
石平: それは3冊目か4冊目の本です。自分の人生経験を書き綴ったことで、日本の方々に私の考えをより深く理解してもらえるようになりました。そして、私の言論活動における大きな飛躍は、産経新聞での連載でした。
矢板明夫: 産経新聞の連載についてはよく覚えています。私が北京特派員だった頃、あなたのコラムは中国指導部を激しく批判していました。通常、連載は数年で交代するものですが、中国政府が外交交渉の場で「石平の連載をやめさせろ」と圧力をかけたことで、逆に産経側は「屈服するわけにはいかない」と意地になり、結局13年も続く長寿連載になったのですよね。
石平: まさに外交部のおかげですね(笑)。彼らが抗議しなければもっと早く終わっていたかもしれません。この連載で知名度が上がり、テレビ局からも声がかかるようになりました。当時のテレビの影響力は絶大で、本も売れ、講演依頼も増えました。言論人として日本で自立できたのは、あの連載があったからです。
3.自由時報インタビュー
また、石平氏は台湾の自由時報のインタビューも受けています。
自由時報の記事から、石平氏の主な発言を整理すると次の通りです。
自由時報: 今回、中国からの制裁対象となっている中で訪台を決断されました。その狙いはどこにありますか?また、自由時報は石平氏が台湾の人々に語り掛けている動画も上げています。その内容は次の通りです。
石平氏: 中国が私を制裁対象にしたのは、私が台湾や尖閣諸島、あるいは歴史問題について発言してきたからです。しかし、今回私がこうして自由な台湾の地を踏んでいること自体が、「台湾は独立した国家である」ことを世界に証明しています。もし中国に私を止める能力があるというなら、二度目の制裁でも何でもやってみるがいい。私は一切恐れません。
自由時報: 日本の国会議員として、当選後すぐに制裁を受けたことについてはどうお考えですか?
石平氏: むしろ光栄なことです。それは私のこれまでの価値選択が正しかったという「勲章」のようなものです。今後、より多くの日本の国会議員が中国から制裁を受けるようになればいいとさえ願っています。それは、それだけ多くの議員が中国の本質を正しく認識し、断固たる行動をとっている証拠だからです。
自由時報: 中国が台湾に提案している「平和」や、一部で囁かれる「平和協定」についてどう見られていますか?
石平氏: 中国共産党は本質的に「ならず者政権(流氓政權)」です。彼らと平和協定を結んだとしても、彼らはそれをただの紙屑として投げ捨てるでしょう。チベットや香港の現状を見れば明らかです。彼らの約束には一片の価値もありません。もし台湾が占領されれば、知識人やエリートは真っ先に迫害され、市民は自由を奪われます。かつて「新中国」に期待して大陸に残った知識人たちが辿った悲惨な末路を、台湾の人々は「血の教訓」として思い出すべきです。
自由時報: 国民党など、中国との対話を重視する勢力については?
石平氏: 国民党は歴史上、二度も共産党と協力(国共合作)し、二度とも大損害を被りました。その結果、台湾へ逃げ込むことになったのではないですか。なぜ歴史から学ばないのでしょうか。国民党の歴史は、共産党に騙され続けた「上当(騙され)史」そのものです。
自由時報: ご自身の原体験として、中国共産党への不信感はどこから来ているのでしょうか。
石平氏: 中学生の時の光景が忘れられません。字も読めない廃品回収のおばあさんが、大根を包んでいた新聞紙に毛沢東の顔が載っていたという理由だけで、公開処刑されたのです。当時はその異常さが理解できませんでしたが、後にあれこそが極権統治の悲劇だと悟りました。「中国人を二度とこのような目に遭わせてはならない、この国を民主化させなければならない」という思いが、私の政治活動の原点です。
自由時報: 日本と台湾が協力すべき具体的な分野は何でしょうか?
石平氏: まずは安全保障と経済です。中国が日本に対して輸出規制などの制裁を行うなら、日本も対抗すべきです。日本には半導体製造装置という強力なカードがあります。日本が本気で首を絞めれば、中国の先端産業を完全に止めることさえ可能です。私は日本の国会で、これまでタブー視されてきた日台間の本格的な防衛協力を議論するよう提案していきます。
自由時報: 最後に、日本や台湾に住む中国人コミュニティのリスクについて。
石平氏: 日本政府は入国や帰化の審査を厳格化すべきです。中国の「国防動員法」の下では、有事の際、海外にいる中国人も強制的に本国の戦争に協力させられます。これは台湾にとっても日本にとっても、無視できない安全保障上の重大なリスクであることを忘れてはなりません。
私は日本産経新聞の石平です。今日、ここで自由時報の読者の皆様、諸友にお会いできて非常に光栄です。内容は、自由時報のインタビュー記事と被っていますけれども、中国共産党と約束しても何の意味もなく、幻想を捨てろというあたり、より台湾人に向けてのメッセージだと思われます。
台湾ではよく、このような質問をされます。「中国共産党政権は現在も台湾を武力で併合しようという考えを放棄していない。彼らが本当にその考えを実現するために、台湾に対して軍事侵攻を行う可能性はあるのか、そしてその問題にどう対処すべきか」というものです。
現在、台湾国内の一部の人々、あるいは一般の台湾の友人の中には、中国共産党に対してまだ幻想を抱いている、あるいは「たとえ台湾が中国に併合されたとしても、いわゆる『一国二制度』の下で、今の自由で豊かな生活を維持し、文明社会の中で生きていけるのではないか」と考えている人がいるかもしれません。
もしそのような幻想を抱いている台湾の友人がいるならば、中国で育ち、中国共産党政権の本質を熟知している人間の一人として、皆さんに申し上げたい。 そのような幻想は捨てたほうがいい。私は中国共産党政権をあまりにも深く理解し、知りすぎています。
彼らは道義のために約束を守ることなど決してありません。これまで一度も、自らの約束を真に守ったことなどないのです。
彼らは自らの目的を達成するためなら、いかなる手段も使います。 こう言わせてください。もし中国共産党が台湾を統治すれば、台湾の現在の民主制度や、台湾の人々が数十年の奮闘の末に手に入れた自由はすべて奪われます。そして台湾人は「二級市民」となり、中国共産党の抑圧を受けることになるでしょう。
また、中国共産党政権と「平和協定」のようなものを締結すれば、台湾の平和や自由を保てると信じている人もいます。
しかし歴史の経験から言えば、中国共産党と交わした平和協定には、実際には何の意味もありません。
彼らはいつでも協定を破棄できます。 例えば1945年の日中戦争終結後、当時の中華民国政府は共産党と重慶交渉を行い、平和協定を締結しました。しかしその後間もなく、共産党は自らの力を蓄えるやいなや、躊躇なく協定を破り、内戦を発動しました。その結果、中国国民党は中国大陸を失ったのです。
ですから、中華民国は歴史上、このような痛ましい教訓を持っているはずです。 さらに香港の返還についても、中国とイギリスの間で協定が締結され、返還が実現しました。
しかし、ひとたび香港が中国に返還されると、中国は何と言ったでしょうか。「中英連合声明はただの歴史的文書であり、何の意味もない」と言い放ったのです。
これが中国共産党です。協定というものが彼らを縛れると思ってはいけません。彼らは「ならず者政権」です。必要があるときは契約し、必要なくなれば協定など紙屑として捨て去るのです。
中国と協定を結ぶことで台湾の自由と安全を維持できるという幻想を抱くのであれば……。
4.禁断領域の突破
また、石平氏は当然ながら、台湾の政治家とも会談しています。
1月8日、石平氏は台湾外交部を訪れ、林佳龍外交部長と約30分間会談し、台湾海峡をめぐる国際情勢や日台の連携強化について意見交換を行っています。
石平氏は林氏について「非常に見識が高く、国際的視野も広い」と称賛。かつての天安門事件と台湾の民主化という異なる歴史を歩んだ者同士として、深い共感を示したとのことですけれども、各種メディアは次のように報じています。
〇 会談の背景と意義また、翌9日、石平氏は台湾立法院の外交及び国防委員会を訪れ、台湾の与党・民進党の王定宇・立法委員(国会議員)らを表敬しています。
+ 1960年代生まれの同年代としての共感
/ 1980年代に台湾が民主化へ向かった一方、中国は天安門事件で武力弾圧を選んだ歴史の目撃者として対話
/ 石平氏が故郷を離れる決定的要因となった背景に林氏が深い理解を表明
+ 石平氏による台湾への高い評価
/ 自身のSNSで林氏の見識の高さと国際的視野を称賛
/ 短時間ながら台湾海峡情勢や日台連携について極めて有意義な交換が行われたと言及
〇 価値観外交と国際社会での立ち位置
+ 「徳は孤ならず、必ず隣あり」の引用
/ 石平氏が論語の一節を引き、成熟した民主社会である台湾が国際社会で認められていると強調
+ 頼清徳政権の外交方針への支持
/ 林氏が掲げる「価値観外交」と「経済の日没することなき国(経済日不落国)」構想を共有
/ 中国が観光や産業を政治的武器にする「経済的威圧」に対抗する姿勢を確認
〇 安全保障と経済・技術面の連携強化
+ 「赤いサプライチェーン」への対抗
/ 半導体、AI、通信、グリーンエネルギー分野での日米台連携の重要性を確認
/ 信頼できるパートナー間でのサプライチェーン強靭化(レジリエンス)を推進
+ 日本政府の発信に対する謝意
/ 台湾海峡の平和と安定を国際社会で訴え続ける日本政府の姿勢に林氏が感謝を表明
/ 中国による認知戦や軍事的威嚇に対する対応能力の共有を提案
〇 交流の象徴としての贈り物
+ 記念品「玉見台湾」の贈呈
/ 「宝石のような台湾」と「台湾に出会う」をかけた言葉を冠した記念品を石平氏へ授与
/ 今後も石平氏が台湾を深く知り、その美しさを体験することへの期待を表明
その時に言及された内容の概要は次の通りです。
・石平氏は、民進党の王定宇(おう ていう)立法委員らとの会談の中で、日台の防衛協力における「禁断領域(禁区)の突破」が必要だと強調。禁断領域の突破とは、これまでタブー視されてきた「日台間での直接的な軍事・国防協力」や「実務的な安全保障対話」を推進することなのですけれども、その理由として石平氏は、台湾海峡の平和維持はインド太平洋地域の平和維持に繋がるからとの認識を示し、王定宇・立法委員は、日本が2026年から安全保障関連法を改正をするにあたり、台湾の国会と政府はこの機会を活かし、防衛装備の輸出と国防産業のサプライチェーンの連携を進めるべできあると指摘しています。
・「これまでタブー視されてきた「日台間での直接的な軍事・国防協力」や「実務的な安全保障対話」を、政治的なハードルを越えて進めるべき。
・緊迫する台湾海峡情勢を見据え、「情報のリアルタイムでの共有」が不可欠である。
・中国軍の動き(グレーゾーン事態を含む)に対し、日台が即座に情報を連携できる体制を構築することが重要。
・石平氏は日本の参議院議員としての立場から、以下の点に尽力する意向を示した。
+通常国会での議論: 2026年の通常国会に向け、日台防衛協力の強化を具体的な政策として提言する。
+法的枠組みの検討: 台湾有事を想定し、日本の海上ライフライン(シーレーン)の維持や沖縄の防衛を含む「全社会防衛」の視点から、日本側の法制化や備えを加速させる必要がある。
・石平氏は「台湾有事が発生すれば、日本の海上ライフラインは切断され、沖縄が最前線になる」、「予防措置を講じることは政治家の責任である」と強い危機感を示た。
・単なるスローガンではなく、実務的な防衛レベルでの連携を、今回の訪台を通じて台湾側(国防部関係者やシンクタンク)と協議。
果たして日本が禁断領域の突破が出来るのか。まずは石平議員が台湾の国会議員を日本に招待できるのかどうかから注目していきたいと思いますね。
この記事へのコメント