

1.安倍元総理の国葬決定
7月22日、政府は暗殺された安倍晋三元総理の「国葬」を9月27日に日本武道館で行うことを閣議決定しました。葬儀委員長は岸田文雄総理が務めます。元総理の国葬は1967年の吉田茂元総理以来、55年振りのことで、戦後では閑院宮載仁親王、吉田茂元総理、昭和天皇に続く4件目です。
過去を振り返れば、7年8ヶ月、首相を務め、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元総理は、政府、自民党、国民有志の主催で一部国費負担の「国民葬」であり、80年に死去した大平正芳元総理以降は「内閣・自民党合同葬」が慣例でした。
それを考えれば、今回「国葬」となった重みが分かるというものです。
これについて岸田総理は14日の記者会見で、憲政史上最長の8年8ヶ月にわたって総理を務めたことや国内外から幅広い哀悼・追悼の意が寄せられていることなどを挙げていますけれども、功績から考えても妥当だと思います。
2.極めて異例の措置
国葬はその名の通り、国家が喪主となって行う葬儀です。対象となるのは国家に貢献した人であり、国によっては国葬当日はすべての公的な業務を休業として喪に服す日と定めることもあります。
実際、吉田茂元総理の国葬では学校などは休みだったのですけれども、今回は学校や官公庁を休みにはしない見通しで、松野官房長官は「儀式として実施されるものであり、国民に政治的評価や喪に服することを求めるものではない」と述べています。
吉田茂元総理以来、日本で、国葬に相当する国家規模の葬儀は行われていなかったのは、1926年に制定された国葬に関する法律である「国葬令」が、戦後、日本国憲法の施行とともに廃止されたためです。
勿論、吉田茂元総理のときも、国葬法が廃止されていたのですけれども、当時の総理であった佐藤栄作が、非常に強く国葬を熱望。当時も野党は国葬を反対していたのですけれども、宗教色をあまり出さないようにするという条件と、国民からの賛同により国葬実施に漕ぎつけています。
これについて岸田総理は、14日の会見で国葬の法的根拠について、「内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として、“国の儀式に関する事務に関すること” と明記されています。よって、この国の儀式としておこなう国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表しておこない得るものであると考えます」と説明しています。
いずれにせよ、極めて異例の措置であることは間違いなく、その決定には岸田総理のリーダーシップが発揮されたとみてよいのかもしれません。
3.海外に伝達
安倍総理の国葬について、松野博一官房長官は15日の記者会見で「海外要人の参列や閣議決定の時期も含め、ご遺族をはじめ、関係者と相談の上、調整していく」と述べた。日程や開催場所、規模も調整中だとしました。
記者団から国葬には賛否両論があることや、国葬とするにあたっての明確な基準について問われると、松野官房長官は、安倍元総理が憲政史上最長の総理であることや、選挙遊説中に銃撃を受けて亡くなったこと、国内外から幅広い哀悼・追悼の意が寄せられていることなどを上げました。
そして、「国民への理解をということだが、今申し上げた考え方をしっかりと説明させていただきたいと思う」と述べ。国葬の基準については「元首相の葬儀のあり方については、諸般の事情を踏まえながら国民の心情やご遺族のお気持ちなども総合的に勘案し、その都度ふさわしい方式が決められてきた」と説明しています。
国葬について、林芳正外相は、「我が国が外交関係を有する国等に対し、日時や場所等、安倍元総理の国葬儀に係る情報の通報を行います。合わせて、海外からの国葬儀への参列者に対する接遇等に遺漏なきを期するため、故安倍晋三国葬儀準備事務局を外務省内に設置することといたしました」と述べていますし、外務省は、日本と国交がある195の国に加えて、4つの地域・国際機関に、安倍元総理の国葬について、22日から伝達するとしていますから、もうこの通りに行うでしょう。
4.プーチンの弔電
外務省が安倍元総理の国葬を伝達する国と地域の中にはロシアや台湾も含まれる一方、北朝鮮には伝達しないとのことですけれども、国葬にプーチン大統領が来日するかが注目されています。
プーチン大統領は安倍元総理が死去した7月8日のうちに遺族宛てに弔文を送っています。それは次の通りです。
尊敬する安倍洋子様プーチン大統領は、感情を文章にして表すことが稀であり、このような弔電を打つことは珍しいのだそうです。安倍元総理とプーチン大統領が如何に親密だったかが分かります。
尊敬する安倍昭恵様
あなたの御子息で、夫である安倍晋三氏の御逝去に対して深甚ある弔意を表明いたします。
犯罪者の手によって、日本政府を長期間率いてロ日国家間の善隣関係の発展に多くの業績を残した傑出した政治家の命が奪われました。私は晋三と定期的に接触していました。そこでは安倍氏の素晴らしい個人的ならびに専門家的資質が開花していました。この素晴らしい人物についての記憶は、彼を知る全ての人の心に永遠に残るでしょう。
尊敬の気持ちを込めて ウラジーミル・プーチン
そして、ロシアから安倍元総理への評価は極めて高いものがあります。
ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長のペレストロイカ政策や、エリツィン・ロシア大統領の改革政策を積極的に支持した知識人で、現在はプーチン大統領のウクライナ侵攻を正当化する論陣を張っているヴャチェスラフ・ニコノフ下院議員は、安倍元総理について次のように語っています。
私は首相になる前の安倍氏と会ったことがある。当時、年2回、ロ日間の副次的チャネルでの対話が少なくとも年2回行われており、私もメンバーだった。安倍氏がそれに参加したことがある。
安倍氏は独自の思考をしていた。日本の知識人と政治家は、しばしば米国の立場を自分の見解のように述べる。しかし、安倍氏はそうではなく、自らの理念を持っていた。もちろん安倍氏は反米ではなかったし、親ロシアでもなかった。偉大な政治家として独自の行動をした。
現実としても、ロシアと日本の関係発展のために重要な役割を果たした。プーチン大統領が安倍氏の母親と妻に、感情のこもった哀悼の意を表明したのも偶然ではない。実に偉大な政治家で、日本の歴史に道標を残した。
ニコノフ下院議員は、安倍元総理を反米でもなく、親ロシアでもなく、独自の理念を持っていたと評価しています。
5.世界に高く評価された安倍外交
また、モスクワ国際関係大学ユーラシア研究センターのイワン・サフランチューク所長も次のコメントを残しています。
私にとって安倍氏は、以下の点で重要だ。日本は長い間、米国によって設定された地政学的状況を受け入れていた。対して、安倍氏は現代世界において、特にアジア太平洋地域において、日本の場所を見いだそうとした。安倍氏は米国との同盟関係を維持しつつ、日本の独立性を確保しようとした。このように、安倍元総理は決してアメリカの腰巾着ではなく、ロシアの弱みに付け込むこともなく、強いロシアと共生する道を選んだと評価した上で、今の岸田政権はこの路線から遠ざかっているがいずれ戻るに違いないと予想しています。
安倍氏のロシアに対する姿勢は、非常に興味深かった。安倍氏が権力の座に就くまでの20年間、日本はロシアの弱さに最大限につけ込もうとした。この時期、日本は親西側的外交を主導した。この論者はすべての分野で、ロシアの弱点につけ込もうとした。日本は、際限なく提起するクリル諸島(北方領土に対するロシア側の呼称)問題を解決することができず、そのため日本には不満がたまっていた。
安倍氏は、ロシアが強くなることに賭けた。強いロシアと合意し、協力関係を構築する。アジア太平洋地域においてもロシアを強くする。それが日本にとって歓迎すべきことだ。地域的規模であるが、アジア太平洋地域において多極的世界を構築する。ロシアの弱さにつけ込むという賭けではなく、ロシアの力を利用し、強いロシアと日本が共存する正常な関係を構築することだ。これが、安倍が進めようとしていた重要な政策だ。
(2014年に)クリミアがロシアの版図に戻ったとき、日本では再び西側諸国のロシアに対する圧力を背景に、ロシアが日本に対して何らかの譲歩をするのではないかという発想がでてきた。私の考えでは、安倍氏は賢明な政策をとり、西側諸国の単純なゲームが成り立たないことを理解し、ロシアの戦術的弱点につけ込むという選択をしなかった。そして、ロシアと長期的で体系的な関係を構築しようとした。
もちろん現在の日本政府は、別の政策をとっている。国際関係で米国との連携を強め、ロシアとの関係が著しく後退している。日本の主張は力を失っており、制裁でロシアを弱らせるという方向に傾いている。
そのため短期的に、安倍氏の遺産は遠ざけられる。しかし、中長期的展望において、安倍氏が提唱した概念の遺産、すなわち日本が世界の中で独立して生きていかなくてはならず、どのようにアジア太平洋地域の強国との関係を構築し、強いロシアと共生するのかという考え方は、日本の社会とエリートの間で維持される。
いずれかの時点で、日本はこの路線に戻ると私は見ている。なぜなら、それ以外の選択肢がないからだ。
凄く評価されています。少なくともロシアは日本が安倍路線の外交を望んでいることは見て取れます。
これについて、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏は次の様に述べています。
首相在任中、安倍氏はプーチン大統領と27回も日ロ首脳会談を行い、北方領土問題の交渉と、平和条約の締結に向けて努力を重ねました。日米同盟の強化とともに、日米同盟の枠内で日本の独立を確保することを真摯に考え、そのためにロシアとの関係改善を図っていたことは間違いありません。それを読み取ったロシアの政治エリートは、安倍氏を尊敬していました。世界では安倍外交は高く評価されていたと見てよいかと思います。
岸田政権は、「安倍政権時代の官邸主導の素人外交を止め、外務省主導の専門家による外交を取り戻した」という評価をされる場合があります。これは誤った評価です。安倍官邸の高いレベルの外交についていけなかった一部の外務官僚の不平不満が、表面化したにすぎません。当時の安倍官邸の外交を支えた前国家安全保障局長の北村滋氏はトランプ大統領、プーチン大統領とも会談しており、国際的にも高く評価されていました。
6.国葬に始まり国葬に終わる
安倍元総理の国葬には既に、世界中の要人から弔問を希望する連絡が寄せられていて外務省が対応に追われているそうです。
世界中から要人が集結するとなれば、それこそ日本は大規模な弔問外交の舞台となります。その規模はG7を超えるでしょう。
国際政治に詳しい福井県立大学の島田洋一氏は「岸田首相はG7首脳会議に続き、NATO首脳会議にも参加した。自由主義圏という輪のもとで欧米諸国とアジア諸国が軍事的にも連携を強めており、その舞台が日本での弔問外交となるという見方もできる……一部では安倍氏の国葬を機にロシアとウクライナの停戦を日本が仲介できるという予想もあるが、戦況次第だろう。両国にとって停戦に移ってもいいタイミングであれば1つのきっかけを担える可能性はある」としながらも「安倍氏はオバマ政権、トランプ政権と長期にわたり首相として関係を持ち、超党派で人脈を築き上げた。バイデン氏とトランプ氏がそろって弔問する可能性は十分あるが、両者への待遇に差がつけば関係に亀裂が生じかねない。難しい判断が求められる」との見方を示しています。
これほどの要人が集まるほど広く、深い人脈を築いた安倍元総理はやはり国葬に相応しいと思います。
戦後レジームを残した吉田茂と、それを終わらせた安倍晋三が共に国葬される。これは長きに及んだ戦後レジームの時代がようやく終幕を迎えたという象徴になるとみてよいのではないかと思いますね。
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