

1.内閣改造前倒し
8月5日、岸田総理は10日に内閣改造と自民党役員人事を行う意向を複数の党幹部に伝えたと報じられています。8日に臨時の党役員会と総務会を開き、一任を取り付けるようです。
当初、安倍元総理の喪明けを待って9月になるのではないかと言われていた内閣改造を前倒しで行う方針を固めたのは、武漢ウイルスの感染再拡大や台湾情勢の緊迫化など、内外の課題に対処するため、早期に新たな陣容を整えるべきだと判断したためではないかと見られています。
岸田総理は4日の岸田派の会合で、「新型コロナへの対応、ウクライナ情勢、世界的な物価高騰など、歴史を画するような課題に直面し、戦後最大級の難局に私たちは立ち向かっていかなければならない」と述べていたそうで、ある政府高官は「今は日本全体が難局にあり、早く体制を作る必要がある。いつ交代するか分からない顔ぶれではうまく対応できない」と語っています。
関係者によると、岸田の念頭には、二之湯国家公安委員長と金子農相が参院議員の任期満了に伴い、7月26日から民間閣僚となった状態を長く継続するのは問題だとの認識があるようで、総理周辺は「いずれも民間人にいつまでも任せてはおけない」と指摘しています。
更に、閣僚の一人は、「人事を刷新して局面を打開しなければ、支持率は下がる一方だ」と述べ、自民内からは「秋の臨時国会に向け、十分準備するためにも人事は早めに行った方がよい」との声も出ています。
岸田総理は8月下旬には、チュニジアで開かれるアフリカ開発会議(TICAD)や中東歴訪が予定され、人事を前倒しする場合は、今月上旬まで一気に早める必要があったとの事情も絡んでいるようです。
2.内閣改造を急ぐ裏の理由
ただ、内閣改造予定が1ヶ月早まったということで、永田町には衝撃が走っています。
岸田総理側近でさえも、4日に知らされたようで、官邸内でも驚きの声が多く上がっているそうなのですけれども、内外の課題に対処するという表向きの理由以外に次の2つの理由も指摘されています。
・最近、自民党の各派閥の幹部から"入閣の売り込み"が相次いでいた。それを聞いていると、自分のやりたい人事が出来なくなる。逆に希望を聞かないと、党内の反発が強まってくる。こうしたリスクを回避した。
・旧統一教会問題。政治と宗教団体との関係に大きな関心が集まっているなかで、岸防衛相や末松文部科学相など安倍派を中心に選挙での支援やパーティー券購入などが発覚し、世論の批判が高まりつつある。総理周辺も今の支持率の低下傾向は「この問題も影響している」と認めており、早めに手を打った。
既に、メディアでは、改造内閣の人事について報じられ始めています。
それによると、麻生副総裁や茂木幹事長、松野官房長官など、政権の骨格は維持する一方で、岸防衛相や高市政調会長を交代させるのではないかという見方は党内でも燻っているようです。
実は、最近、安倍派の幹部が、直接、人事の希望を伝えたそうなのですけれども、岸田総理からは「派閥の大きさで人事は決められない」と返されたそうで、安倍派の処遇が注目点の一つとされています。
また、菅前総理の処遇も注目されています。というのも、菅前総理は、河野太郎議員や小泉進次郎議員などと勉強会を立ち上げようとしていて、これに二階派などの非主流派なども巻き込む形となってくると、岸田政権と距離を取る大きな固まりに発展する可能性が出てきます。
それを予め潰しておくため、菅前総理を政権に取り込むのではないかという見方もあるようです。もっとも、岸田総理と菅前総理は、総裁選を争ったこともあり、非常に関係が良くないと言われていて、それぞれ打診をすることも、受けることもないだろうという見方も根強くあるようです。
3.狂人を演じた安倍元総理
今の日本が内憂外患に見舞われていることは衆目の一致するところでしょうけれども、そんなときこそ、強力な内閣を組閣しないと乗り切ることは難しくなります。
特に、日本にとって、対米、対中、対露外交は重要なポイントです。
そこで振り返っておきたいのは、安倍元総理の外交手腕です。
安倍元総理は、世界に影響を与える程の明確な国家戦略を打ち出した人ですけれども、中国に強硬一辺倒だった訳ではありません。
2006年に第一次安倍政権が発足した後、初めての外遊先として選んだのは中国でした。
さらに第2次政権でも2018年に総理として約7年ぶりの訪中を果たしています。
この時、安倍元総理は中国の「一帯一路」にも支持を表明し、中国共産党と関係が深いといわれる二階氏を幹事長に据える人事をしていました。
青山学院大学客員教授の峯村健司氏は、安倍元総理に対中外交の基本姿勢を尋ねたところ、次のように答えられたそうです。
「中国は力の信奉者だと思っています。と同時にメンツを非常に重んじる。硬軟織り交ぜた外交が必要です。私は自ら『嫌われ役』を買って出て安全保障分野では中国に圧力をかけつつ、党内の対中強硬派も説得してきた。一方で、二階さんやほかの閣僚には中国側の顔を立ててもらい、経済分野を中心に協力を持ちかけてもらったことが結果としてうまくいったのだと思います」
こうした、安倍外交について、長年対日政策に携わっている中国政府当局者は「戦後初めて、対米追随ではなく、独自の戦略を持った外交を打ち出した日本の指導者だと評価しています。小泉純一郎氏ばりのイデオロギー色を発しながら、田中角栄氏のように実利的なアプローチも仕掛けてくる。なかなか手の内が読めずに苦労しました。ある意味で、われわれが最も恐れた日本の政治家でした」と評価しています
峯村教授は朝日新聞の北京特派員時代から、中国軍の内部資料を元に台湾有事について取材し、ハーバード大学の研究員時代にはアメリカ海軍大学校やシンクタンクで研究を進め、独自に台湾侵攻シナリオをつくっていたそうです。
それによると、中国軍が台湾有事が起こる前から、どのように事態をエスカレーションさせていくのか分析して次の3つのシナリオを立てています。
① 中国公船による台湾海峡の船舶取り締まり。中国海軍による東シナ海一帯での海上封鎖先日の中国軍の軍事演習で日本のEEZにミサイル5発を撃ち込まれていますけれども、まさにこのシナリオの③が起こっている訳です。
② 日本の南西諸島の一部を含めた空域での「飛行禁止区域」の設定
③ 日本や米領グアムの近海への弾道ミサイルの威嚇射撃
峯村教授は2021年11月に、このシナリオの概要について、安倍元総理に解説したところ、安倍元総理はしばらく俯いててから、「日本は望む望まざるに関わらず、確実に巻き込まれますね。国を挙げて対策を考えなければならない。台湾有事は日本有事だ」とつぶやいたそうです。
凶弾に斃れた安倍元総理には7月に訪台する計画があったといわれていますけれども、峯村教授によると、安倍元総理は「私に具体的な訪台の計画がない段階から、中国外務省が北京の日本大使に抗議したり、東京の中国大使館幹部が外務省に申し入れたりして右往左往していたそうです。放っておけばいいんです。私が『狂人理論(マッドマン・セオリー)』をやれば、中国も日本を挑発しづらくなるし、外交交渉も優位に立てるから」と振り返っていたそうなのですね。
「狂人理論」とは、何をするか分からないと見せかけ、相手を怖がらせて屈服させるやり方で、ある意味、トランプ前大統領もよくやっていたと思いますけれども、安倍元総理もあえて「狂人」を演じることで、対中牽制をしていたと峯村教授は指摘しています。
4.岸田内閣に独自戦略はあるか
翻って岸田総理にトランプ前大統領や安倍元総理のような「狂人」を演じることが出来るのかというと、とてもそうは思えません。かといって、安倍元総理のように、独自の戦略を持って、イデオロギー色を発しながら、実利的な対中外交ができるのかというと、それも分かりません。
実際、媚中派といわれ、アメリカともパイプを持つとされていた林芳正氏を外相に据えたものの、対中関係は改善することもなく、アメリカにも嫌わるような状況です。
今回の中国軍が日本のEEZにミサイルを撃ち込んだ件でも、「抗議」しただけです。安倍元総理であれば、インドやベトナムにアプローチをかけて、対中牽制をするような気がしますけれども、岸田総理には、今のところ、抗議以外の動きは見られません。
一部からは、ロシアに対してあれだけ強気なのに、中国に及び腰なのは何故だ、という批判の声も上がっているようですけれども、アメリカやG7に追従しているだけだ、と捉えた方がよいのかもしれません。少なくとも安倍元総理のような独自戦略は見受けられない。
8月2日のエントリー「覚醒させられた岸田総理」で筆者は、アメリカは、台湾有事を煽るだけ煽って、緊張を高め、日台を対中の尖兵にするのではないか、「バック・パッシング」を仕掛けてくるのではないかと述べたことがあります。
もし、アメリカがそうしようとしているのであれば、岸田総理が何でもかんでも対米追従で邁進するとまんまとそれに乗せられてしまうことになります。
せめて、岸田総理には、台湾有事を奇貨として、憲法改正と国防強化をやりつつも、アメリカをアジアから退かせない、ガッツリ関与させる強かな外交をみせて欲しいと思います。
あるいは、逆に、岸田総理が「バック・パッシング」を見破った上で、わざと「何もしない」で、改造内閣の閣僚に媚中派を並べ、対中牽制を遅らせることで、アメリカの言いなりにはならないぞと示してみせることも考えられなくもありません。けれども、これはこれで、アメリカは勿論のこと、台湾や東南アジアに対しては逆のメッセージを発することにもなり、非常にリスクが高い手です。
ゆえに岸田政権は、安倍前総理が遺した「開かれたインド太平洋戦略」をベースに日本の戦略を持って事に当たるべきだと思いますけれども、これまで外交の指南を仰いでいた安倍元総理はもういないのです。
岸田総理が内閣改造をどうするか分かりませんけれども、単に支持率回復だけを狙った人事では手痛いしっぺ返しがくるかもしれませんね。
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