

1.国策に殉じられた方々に感謝の誠をささげた
8月15日の終戦の日、高市早苗経済安全保障担当相と秋葉賢也復興相は靖国神社に参拝しました。終戦の日に閣僚の参拝が確認されたのは3年連続。自民党では萩生田光一政調会長が参拝しました。
高市経済安全保障相は記者団に「国策に殉じられた方々に感謝の誠をささげた」と語り、「国務大臣高市早苗」と記帳し、玉串料を私費で納めたとしました。
秋葉復興相は「私の祖父も先の大戦で戦死した。2度と再びこのような悲惨な戦争を繰り返してはならない誓いを新たにした」と述べ、萩生田政調会長は「先の大戦で尊い犠牲となられた先人のみ霊に謹んで哀悼の誠をささげてきた」とコメントしています。
13日には西村康稔経済産業相が参拝。岸田総理は靖国神社には参拝せず、自民党総裁として代理人を通じて自民党総裁として私費で玉串料を納めました。
いつものように中国は、13日の西村経産相の参拝に抗議を申し入れていますけれども、15日、松野博一官房長官は記者会見で「国のため命をささげた方々に尊崇の念を表することは当然だ」と述べています。
岸田内閣は、昨年の秋季例大祭や今年の春季例大祭の期間中、総理と全閣僚が参拝を見送っていたのですけれども、今回は参拝を見送りませんでした。これは穿った見方かもしれませんけれども、自民保守層が離れていくのを少しでも食い止めたいという思惑があるのでは、と感じないでもありません。
2.人間の心というものを考えて議論してほしいんですよ
毎年終戦の日前後には、先の戦争を振り返り、現行憲法を守ってうんたらかんたらとマスコミが報じますけれども、ロシアのウクライナ侵攻、中国の軍事圧力や日本のEEZへのミサイル発射など、世界情勢が、そんな床屋談義など許さないことは明らかです。
そんな中、橋下徹元大阪府知事がジャーナリストの櫻井よしこ氏にコテンパンに論破されたと話題になっています。
14日に放送された、フジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」では、4日に行われた中国軍の軍事演習で弾道ミサイル5発が日本のEEZ内に落下したことを伝えた、台湾有事が起こった際などの、在留邦人や日本人の国民保護のあり方について議論が交わされました。
この中で太平洋戦争の終戦直後に旧ソ連から北方領土への侵攻を受けた際に、日本軍が自衛戦闘を行っていたことについても取り上げられたのですけれども、櫻井氏は「国を守るという意識が全国民にあった」と指摘。さらに現在、ロシアのウクライナ侵攻を受けたアンケートで「国を守るために戦えますか?」という質問で日本だけが十数%という極めて低い数字だったことを挙げて「国防をどうするか。みんなが協力しなきゃいけないんだ、みんなが考えなきゃいけないんだということを教えてくれてるような気がします」と今後の教訓にするべきとコメントしました。
これに対し、橋下氏は「櫻井さんと僕との国家観の違いがあるとは思うんですが……国というものは、国民を守るために総力を挙げる、ある意味手段だと思ってますので。国のために命を捧げるところよりも、国民を守るための国だと思っているので。国民保護のために、反撃力以上に整備してもらいたい」と、国民保護という議論を優先すべきだと主張しました。
これに櫻井氏は「橋下さんね、ここはあなたと私の対立点だとおっしゃるけども。私だって国の一番重要な責任というのは国民の命を守ることだって思ってますよ。あなたそこで無用、無益な対立点をつくる必要はないと思う」と反論すると、橋下氏は「政治家がね、何故、国民保護のために一生懸命にならないかっていうと、櫻井さんがさっき言われた“国のために全国民協力しなさいよ”って。そういう考え方、これもひとつありますけれども、“逃げたい、生き残りたい”っていう国民の、その自由を認めてあげなきゃいけないと思うんですね。日本の政治家の中で“みんな国のために戦うべきだ。協力すべきだ”という、もしそういう考え方が頭にあるなら、国民を逃がすということに必死にならないと思うんですよ」と、持論を展開しました。
櫻井氏が「橋下さんはねえ、ちょっと極端なの。黒か白で。もうちょっと人間の心というものを考えて議論してほしいんですよ……私は住民保護は、国民の命を守ることは日本国政府の最大の責任であるっていうことを、ずーと言ってきたしこれまで何かも言ってきています」とたしなめました。
これに橋下氏が「日本全国民が戦うべき、ではないんですね。逃げる自由もあるんですね」と食い下がると、櫻井氏は「当たり前じゃないですか!」とピシャリ。
筆者には、この橋下氏の「日本全国民が戦うべきではなく、逃げる自由も認めろ」論は、安倍元総理の国葬について「弔意の強制」だと反対する人達と同じロジックに思えます。
要するに「国を護りたい」「安倍元総理を弔いたい」という人間の心を考えていない議論だということです。
橋下徹氏ってアホだね。日曜報道THE PRIME
— 谷俊二@カンボジア不動産 (@TaniShunji) August 14, 2022
櫻井よしこさんに過去論破されたリベンジを10分間くらいの短い時間で3回挑んで、全て撃破されてました^_^
「無用無益な対立を作る必要なし」
「貴方は極端」
「当たり前じゃあないですか」櫻井よしこさん
橋下徹氏、安全保障無くして櫻井よしこ憎し^_^ pic.twitter.com/Aefwk6yX4V
3.若い人が憲法9条の改正に賛成だ
人間の心を考えない社会というものは、言論弾圧や統制をする独裁国家や、人をロボットの如く扱う無神論国家であることは論を待たないと思いますけれども、その最たるものの一つに中国があります。
8月3日、中国の盧沙野・駐フランス大使は、フランスメディアの取材に応じ、「10年、20年前は大多数の台湾人が統一を支持していた」と主張。台湾独立志向の民主進歩党の「反中宣伝」により、台湾の民意が変化したと指摘し、「再教育を行えば、台湾人はまた愛国者となる」と述べました。
台湾メディアなどによると、この盧氏の発言は、新疆の統治モデルを台湾に適用する可能性を示したものと受け止められ、欧米のメディアや交流サイト(SNS)で批判が相次ぎ、炎上しています。
民主国家からみれば、自由を踏みにじる洗脳ではないかと思いますけれども、民主国家の中にも、このような考え方をする人達がいます。サヨクマスコミです。
もうすっかり保守からは「電波浴」というか、お笑い監視対象になっている感のあるTBSの「サンデーモーニング」ですけれども、8月14日放送回の「風をよむ」コーナーで、憲法改正に触れ、「若い人ほど憲法9条改正に賛成という傾向が強い。戦争が遠のいている現れだと思う。それを防ぐためにはもっと学校での歴史教育、特に近現代をしっかり教えるべき、戦争に突き進んでいった過程をもっと教えて欲しいなと思う」と述べました。
戦争に突き進んでいった過程をちゃんと教えたら、マスコミが戦争を煽っていたことがバレて自爆にしかならないと思うのですけれども、案の定、ネットでは「反戦平和しか唱えない団塊サヨクがいなくなったからだ」とか、「独裁国家と一緒だ」とか、フルボッコにされています。
もう国民は、特に若い世代は騙せません。
#サンデーモーニング 凄い事言ってますね💦
— JapanPoliticsChannel (@JapanPoliticsC1) August 14, 2022
「若い人が憲法9条の改正に賛成だ、それを防ぐためには教育が...」
独裁国家と一緒じゃないですか😅😅😅 pic.twitter.com/4Gdv6Y6Gak
4.思いは行いに繋がる
民主国家と無神論国家(神がいない独裁国家)との違いは信教の自由を認めるかどうかにあると筆者は考えています。
民主国家は、国民の「思い」や心はコントロールせずに、その行いで正邪を分ける。罪を憎んで人を憎まず、という言葉はありますけれども、誤った行為、罪は罰するけれども、その人の心を罰するようなことはしない。
対して、無神論国家は、国民の「思い」や心をコントロールし、為政者の意に反した行いは全て悪として罰する。罪ば裁くし、心も裁いていきます。
調理で使うコンロに喩えると、天然ガスでもプロパンガスでも、電磁調理器でもOKで、火事を起こさない限りどんなコンロでも許容するのが民主国家で、ガスはプロパンガスのみだけとし、それ以外のガスは元栓を閉め、電磁調理器は壊して回るのが無神論国家ではないかと思います。
まぁ、統治ということを考えると人間の「思い」や心までコントロールする無神論独裁型の方が統治しやすいのかもしれませんけれども、そこに個人の自由が入る余地はありません。
ただ、民主国家にしても無神論国家にしても、そのあり方に一つ共通するものがあります。
それは、「思いは行いに繋がる」という原則です。
人は、その行動の奥に、そうさせるだけの「思い」があります。犯罪でも必ずその「動機」が追及されます。行動にはそうさせる「思い」がある筈だという暗黙の了解があるのですね。
勿論、同じ「思い」でもそれを達成するための方法は人によって千差万別です。
Aという思いを実現するためにAという行動を取るひともいれば、Bという行動になる人もいる。
旧統一教会を批判するために、提訴をする人もいれば、山上容疑者のように安倍元総理を暗殺する人だっているのです。
民主国家および保守は、人それぞれの思いや考えの違いを認め、その行為さえも「法の範囲」で許容します。対立する人と一緒に何かを行うときでも、違いは違いとして認めた上で、時間を掛けて交渉し、妥協点を見つけていきます。
対して、無神論国家、や所謂「サヨク」は、独裁者以外の考えを認めず、それ以外の考えは抹消し、時には暴力でもって弾圧、強制していきます。
どちらも「思いは行いに繋がる」という原則は共通しているのですけれども、前者は個人が自分の意志で思想を変えていくという自由があるのに対し、後者は、違う考えに触れる機会をもなくし、自分の意志に関係なく思想を強要するという違いがあります。そこに自由はありません。

5.罪は裁いて、心は裁かない
昨今、話題になっている旧統一教会問題についても、これは当てはまります。
8月12日、「アベマ倍速ニュース」に出演した実業家のひろゆき氏は旧統一教会の現役信者と対談しています。
その中で、現役信者から、政治と宗教が絡んでいるという実態が悪であって、なくしたほうがよいと考えているのかと問われたひろゆき氏は「宗教を信じている人にとってはそれが普通の生活で、その人の中で政治に絡むこともあるので、切り分けは不可能……問題は、やたら違法な献金を増やしているという状況で……今でも民事裁判だったりが起きていて、被害を受けている。じゃあ何か悪いことする団体があったら、それを調べて『団体として悪い』『宗教法人として税金安くするとかの特別待遇はなくしたほうがいい』っていうのをやるべきだと思うんですけど、政治とすごく仲良くなったがゆえに、その動きをしなかった。それが、僕は問題だと思ってるんです」と説明。
そして「なので統一教会の信者の人たちが今まで通り、何かを信じて誰にも迷惑かけずに暮らすんだったら、それは何の問題もない……被害者が出てることと、被害者を多く出してる団体を政府が規制したり捜査したりしないということが問題だと思ってるので、それをやれよっていう話」と答えています。
これは要するに、先程、筆者が述べた「罪は裁いて、心は裁かない」という民主国家の在り方とほぼ同じです。
ひろゆき氏は、宗教法人として税金安くするとかの特別待遇はなくしたほうがいいと主張していますけれども、法人税は、その法人の利益に対して課税される税金であるがゆえに、営利目的ではない宗教活動は課税対象にならないという扱いになっています。
実際、宗教法人が所有する土地を駐車場にして、料金を取った場合は宗教活動ではない「駐車場業」と見做され、所得税が課税されています。
これも「罪は裁いて、心は裁かない」と同じく「心に踏み込まない活動による利益には課税し、心に踏み込んだ活動には課税しない」という原則が貫かれていると思います。
ひろゆき氏が指摘する「違法な献金を増やし、民事裁判が起きている」ことについても、それが「宗教活動」でないと見做されれば、当然、課税対象になると思われます。
2018年6月、「霊感商法」被害を救済するための「消費者契約法の一部を改正する法律」として公布されています。
この改正法によれば、業者が、「当該消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げる」場合に該当すれば、消費者はその契約を取り消すことができます。
これは、例えば、「あなたには悪霊がついていて、このままでは病状が悪化します。この壷を買えば、悪霊が去ってあなたは救われます」といって高額な壷を売った場合など、まんまこの改正法に該当しますから、この種の被害は減らせる筈です。
もし、未だに被害が続いているとするならば、それは消費者、つまり壷なりなんなりを買った信者が契約を取り消さないか、改正消費者契約法に該当していると見做されなかったかのどちらかでしょう。
このように改正消費者契約法は、「罪は裁いて、心は裁かない」という民主国家の在り方に沿った法律だと思います。もしも、この法律が有効に働いていないのであれば、ひろゆき氏のいうような対策もあるかもしれませんけれども、その前になぜ、有効になっていないのかの精査が必要ではないかと思いますね。
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